NO.124 H17年8月18日号
文部科学大臣(当時)中山成彬先生ご講演要録

中山元文科大臣(左から二人目)と会見する
当塾代表 増木重夫(右から二人目)

【7月10日、福岡国際ホールにて】

●田んぼの中山少年
 文科大臣になってマスコミ等に取り上げられることが多くなった。競い合う心が必要とか、学力テストをしたほうがいいと言ったものだから、マスコミが宮崎に行き、私の生い立ちを根掘り葉掘り聞いて回った。みんながびっくりして「何か問題を起したのか?」と聞いた。私は小さいころから、がり勉でもなく、弱い者イジメをしたこともなく健気な子どもだった。戦後の何も無い時代に、宮崎県小林の農家の5人兄弟の長男として生まれた。農家の長男は小さいころから貴重な労働力だった。学校から帰ると、メモに行き先の田んぼが書いてあり、急いで手伝いに行った。サラリーマン家庭のように遅くまで遊ぶことはなく、4時になると家に帰って、牛、馬、ヒツジ、ヤギ、ニワトリの世話をしなければならなかった。お袋の帰りが遅い時は、かまどで御飯を炊き、魚屋に行って家族が多かったから、半分にちぎって天婦羅にしたり、味噌汁を作ったりした。川に行って魚を取ったり、冬は父と一緒に山に鉄砲を撃ちにいったりした。朝は早く起きてあちこちにある田んぼの水を見に行き、帰りには自転車に積んだカゴに刈った草を一杯積んで家に帰り、そして朝ごはんを食べて学校に行くという生活をしていた。

●真新しいインクの臭い
 あの家には本らしいものがなく、友達の家にいき漫画を読むのが楽しみだった。あの頃は教科書も無償ではなく、3月頃になるとお袋に「お金を頂戴。早く教科書が読みたいんだ。」と急かしていた。本屋に行き新しい教科書を手にいれると、早く読みたくて、インクの臭いが懐かしくて、あっという間に読み終えてしまっていた。それほど活字に飢えていた。中学に入り、ABCを習ったときに、「ABC」までしか言えず、立たされた記憶がある。家にテレビもなく、教えてくれる兄弟も居なければ、英語を聞く機会などなかった。小さい頃から野山で遊んでいたので体力があり、体育は何でも一番だった。中学3年のときにラサール高校を校長先生に進められた。そして東大へ行って大蔵省へ入れといわれた。しかし、私立の学校に行けるような余裕はなかったが、オヤジが奮発してくれ、私が精魂込めて育てた子牛が30万円で売れた。

●世のため人のために
 親から勉強しろと言われたことはなかったが、オヤジが毎月1000円ずつ渡してくれ「お前の将来の学費の為に貯金をしておくけ。」と言われた。小学校3年の時に死んだじいちゃんが、西郷隆盛の崇拝者だった。「自分のためだけの人生じゃつまらん。世のため人のために生きるような人生を歩め。」と膝に抱っこし焼酎を飲みながら話してくれた。

●衆議院選挙出馬、そして
 高校2年の4月に、父が急死した。長男だし自分はもう高校には通えない、農業を継ごうと思い、宮崎に帰った。担任の先生が「学費も寮費も奨学金で出してやるから学校に帰って来い。」と言われ、また学校に帰った。奨学金を貰い、アルバイトをして、大学まで出た。39歳で奨学金の返納が終った。39歳で完納したので、地元に帰って衆議院選挙に出ようと思い、退職金400万を貰って帰った。57年7月、23年前のことだ。2回ほど落選し、去年大臣になるまで22年と1ヶ月かかったが、小泉首相に大臣の任命をしてもらった。

●蘇れ、日本
大臣になるまでは、主に金融関係を担当していた。なぜいつまで日本の経済は低迷しているのか。もうすこし日本も元気を出して欲しい。何故こんなに無気力なんだと思いながら仕事をしていた。人材教育が大事だと思った。教育、科学技術といい、将来に対する投資、大事な仕事をさせてもらっていると思う。「甦れ、日本」ということで、頑張る子ども、耐える精神を持った子どもを応援し、育てたい。戦後の経済発展がうまく行き、欲しい物は何でも手に入るようになった。人材育成を忘れられていた。ものすごい経済発展をしたが、今後3〜40年で落ち込む可能性もある。日本持つ脆弱性を考えたとき、もっともっと人材育成に力をいれる必要がある。

●ゆとり教育の果てに 日本の現状
 ゆとり教育に至ったのは、受験地獄、受験戦争の時代があった。文部省も世論には弱い。その結果、どうなったか・・・。先も話があったような現状になってしまった。学力低下を認めなくてはならなくなっていた。年末に国際学力調査の結果で、学力低下を認めなきゃいけなくなった。ゆとり教育だけの所為ではないが、事実はきちんと受け止め、どうすればいいか考えなくてはならない。ゆとり教育の理念は、つめこみではなく基礎をしっかり教え、それをもとに頭でしっかり考え判断し行動できる主体性のある子に育てようという目的だった。国際調査の結果、読解力、応用力が世界水準の半分まで落ちている。理数系も落ちている。日本の子どもは、世界で一番勉強しない、手伝いもしない、一方でテレビやゲームに昂じている時間が世界で一番ながい。

●いきいきとした世界の子供たち
 世界の子供たちは元気がいい。目がいきいきしている。日本の子どもたちは元気がない。寝不足だったり、朝食を食べていなかったりしている。韓国、中国、インドなどは、猛烈な勢いで子ども達が勉強している。意欲が違う。いまに追い越されてしまう。そもそも資源も無い日本は、少子高齢化、東洋の老少国、かつては「Japan is number 1.と言われたらしいよ。」といわれる時代が来るかもしれない。

●親の責任
 4歳の孫がいる。この孫たちが人生を送る21世紀、せめて今ほどの生活水準が保てる国であってほしい。この世に生まれた子ども達が、この日本で幸せな人生を送ってほしい。そういう日本を残すことが、親たち、今の行政に携わる者の責任だと思う。子ども達が幸せな人生を送る土台を作ってやらなくてはならないと思う。子どもは、しっかり躾け、教え込まなければならない。「詰め込み」というと、必要ではないものを無理やり押し付けるようなイメージがあるが、子どもには刷り込んでやらなければならない。必要な物は何度も何度も繰り返さないと身に付かない。
 いろんなスポーツをしてきた。空手は名誉6段をいただいている。型が大事だ。スキーもやった。習わなかったので足が開いてしまう。ゴルフもハンディ8だが、グリップを握るたびに、これでいいのかな?と思ってしまう。基本、型を教えることは大事だ。

●そうだ、現場を見よう
 大臣に赴任してすぐ「教育改革をするのは素晴らしい。まず現場を見て欲しい」と、大学生から手紙をもらった。そうだ現場を見よう。そう思ってスクールミーティングを始めた。3万校あるなかで1%、300校を目標にあげている。現場に行き、教師、保護者、子ども達の声を直接聞こうと思っている。一番感銘を受けたのは、尾道市の土堂小学校、百升計算というのをやっているが、脳が活性化するらしい。単純な作業をやり遂げる自信が、頑張る力になり、意欲になる。そのことによって子供たちはイキイキしている。びっくりしたのは、知能指数が平均が100らしいが、120ある子が3割いるそうだ。そろばんを入れてからは120以上が4割になった。60だった子が89まで上がったという。知能指数は改善できるんだという。学力も生きる力の一つだ。学力、気力、体力も必要。それが生きる力になる。中央教育審議会で審議しているが、土曜日は授業でなくてもいいから活用してほしいと思ってる。今は、金曜日に夜更かしをする子が多い。昼夜の逆転が不登校の原因になったりする。早寝、早起き朝ごはん、これが基本だと土堂小学校校長の方針だ。あるとき訪問した学校では「この地区は片親が多い、4割5割が片親。家庭が崩壊しているところが多い。」と言われた。

●一日一日が大事
 戦後入ってきた個人主義が利己主義になっている。日本の子どもは受難の時代、素直に育ちにくい時代だと思う。親がしっかりしてほしい。しかし、親もゆとり教育で育ってきている。親の親、子育てが終った人達にも手を貸してほしい。地域のみなさんも是非学校へ行き、総合学習に手を貸してほしい。今の子供たちは、実体験、自然体験が非常に少ない。周りの大人たちが、子どもは社会の宝、みんなで育てていく、という風潮が欲しい。土曜日も活用してほしい。夏休みも、教師達は学校に出てきている。すこし緊張感をもって週末を過ごすようにしてほしい。子ども達にとって、一日一日が大事。すぐに成長していく。教育改革を言い始めたときに、朝令暮改だといわれた。文部省は言うことがフラフラしていると。子ども達の成長は早い。
 一日一日、最善の教育を授けたい。