NO.139 H19年7月30日号
@学校と家庭が連携し、子供に規範教育を
N E W S P A P E R

◎教育 直言!
@学校と家庭が連携し、子供に規範教育を
@英智塾塾長 増木重夫氏


<教育改革の要は何だとお考えですか。>
 教育再生会議が二回に分けて報告した報告を実際にどこまで実現できるか。その実行力がすべてだと思います。特に、第一次報告の中に盛り込まれた「ゆとり」の見直し、「規範を教える」、第二次報告の中の「学力の向上」が肝心ではないでしょうか。

 <その理由は。>
 教育の目的は何でしょうか。博士を作ること。大臣を作ること? 違います。生きていく術を教えるです。サラリーマンになってもいいし、商売をしてもいい。
誰にも迷惑をかけずに、男なら嫁さんと子供を養う。そういうことではないでしょうか。そうすると、学校は社会に出るための訓練の場でなければならないわけです。
 「ゆとり」とは四十年間、必死で勤めて定年退職し、子供たちも巣立ち、今まで苦労をかけてきた妻と、やっと一息つける。それじゃ旅行にでも行こうか。
これが「ゆとり」です。一生懸命がんばった後のご褒美です。どこの世界にがんばる前に、ご褒美をもらえるでしょう。だから子供にゆとりは不要です。
<教育関係者の中には、「ゆとり教育」を支持する人達も依然として根強くいます。>
 子供にゆとりがないから物事をじっくり考えることができないなどという人がいますが、これは筋違い。考えようとする気持ちがないのがそもそもの原因です。なぜ考える気持ちがないのかと言えば、自分に自信がない。その理由は一言で言えば、親の過保護です。生きる力とは、経験から「楽しさ」を知り、そこからしか生まれないのではないでしょうか。「生きる力」と「ゆとり」は別次元の話だと思います。
 かつて美濃部都知事は「十五の春を泣かすな」と受験体制を批判しました。よく「受験地獄」などと言われますが、一生、地獄なら確かにしんどい。でも、中学三年と高校三年の、せいぜい半年から一年。そのくらいは地獄を味わってもいいのではないでしょうか。その程度のことに耐えられないことが問題です。

 <取材で全国各地を行き、登下校する子供たちを見ますが、だらしない恰好をした高校生が多い。>
 永年、塾の経営に携わってきた者として同感です。これは、先ほどの話の延長ですが、親が子供たちに甘い。子供の小さいころに正しく社会性を身につけさせることは、子供にとって無くならない財産と思います。だから、権利には義務や責任がつき物であることをしっかり、それこそ叩き込まなければならないといってもオーバーではありません。そして特に重要なのが、「自分の意見をしっかり言う」行為と、「好き勝手にわがままを言う」ことは全く違うということを教えなければなりません。この点が最近特に混同し、何でもかんでも「言わなきゃ損」みたいな風潮になったり、また公私の区別がつかず、電車の中で床に座り込んだりするような現象を生でしまっています。

 <規範教育と言った場合、家庭での躾の部分も大きいと思います。子供の教育に対する親の関心の度合いも、あまりに格差が出来てしまっているように見えます。家庭教育については?>
数日前、ある生徒のお母さんから緊急連絡がありました。「息子がスーパーで万引きをした。警察は迎えに来いと言っている。どうしましょう。」というものでした。
私はその時「ああそうですか。」と冷たい態度をとりました。なぜならこのお母さんはきちっとした対応が取れる方だからです。警察は親を見ます。教育能力があるかないかで処分を決めます。お母さんはお父さんに連絡し両親そろってスーパーに詫びに行き、警察で平謝り。家へ帰ってから本人は丸坊主。1週間お母さんの監視の下謹慎。躾とはテーブルマナーを教えることとは違います。ここ一番というときに毅然とできるかどうか。最近は「受験のストレスのせいい」とか「なぜ見つかったの」などとトンチンカンな親も多いようです。躾ができるできないにも格差が広がっているようです。

 <教育再生のため、学校側への要望は?>
 まず、教師自身がしっかりした教育論、教育観を身につけることです。なぜ私は今、この子たちの教師をしているのか。その答えを各教師が明確に持つことではないでしょうか。また地域住民が学校に興味を持ち、しっかりとサポートする。素晴らしい先生は評価し、そうでない先生は再教育させる。国民の無関心が、教育荒廃を生みました。住民の責任、そしてその代表者である議員の責任は重いと思います。
                                   平成19年7月30日