拝啓 西村真悟殿

  西村眞悟殿
 先日は、「北朝鮮に拉致された日本人を救え!」のデモ行進集会に、靭公園までお出ましいただき、誠にありがとうございました。詳細は後述致しますが、秘書の山中様に「先生が帰阪されたら、堺から一歩も出すな。」等と言っておりましたので大変恐縮しております。これからも頑張りますのでご支援、ご指導賜りたくお願い申し上げます。
 さて、今年の5月の連休、私はローラー作戦をサボらしていただき、鹿児島県加世田の万世、知覧、鹿屋と特攻の基地跡を周ってきました。
記念館で、数々の遺書を読ませていただきました。そして、「天皇陛下万歳!」の意味を考えました。どう約したら一番良いのか。わたしはこのように約しました。
米式に言えば、
I love my family! または、欧州式に言えば
Bress my homeland forever!
(♪エーデルワイスの最終節;我祖国よ永遠に・・・) 採点をお願いします。
I love you! と、日に3回言えばそれが愛の証でしょうか。そうではなく、人類史上最高の愛の行為、それが特攻だとおもいます。親、子、嫁さん、近所のおばさん、町のみんな、市、県、国家、その象徴の天皇陛下。
 この旅行でもう1つ感動を得ました。知覧から南下し、枕崎へでました。町では、ちょうど『目に青葉・・・・』の時節ですから、『かつおまつり』なる大イベントのまっ最中。観光会館の駐車場にテントを張り、仮設ステージを作り、枕崎市の公立小学校の鼓笛隊が(正規のクラブであることを確認しました)「宇宙戦艦ヤマト」を演奏していました。タクトを振るのは今年大学を卒業したばっかりの若い女の先生。子供たちのたいへん立派な、どうどうとした演奏に比べ、先生の緊張した初々しさがとても印象的で、「ホッ」としたひとときを過ごしました。
「学校と地域住民の交流を」とよく言われます。これが本当の交流で、今時、大阪ではありえません。祝日の事ですから、「休日になぜ出勤しなければ・・・」などと、すぐに労働者の権利に話しは走るでしょう。○○系の教員が解放会館にお茶を飲みに行くことが、大阪では「学校と地域住民の交流」になってしまいました。またこの地域は、10件に1件くらいの割で国旗が上がっています。私たちが今一度呼び戻したい、日本の田舎がありました。
 私の本業は学習塾です。文部省お墨付き(?)の補習塾です。20年前は「戸塚ヨットスクール」へ放り込まなければならない生徒が20人に一人くらいでした。今は生徒の4割くらいが候補生ではないでしょうか。バスジャック予備軍がゴロゴロ・・・・」
こいつら大人になったらどうやって飯食っていくんやろ。何とかせなたいへんなこ


とになってしまう。日々暗澹たる想いです。
 拉致問題も、教育問題も根は一つ、「誇りを持ち、毅然と対処できる国家を再生する」これしかないと思慮します。その手段、方法はいろいろあるものの、
「西村眞悟塾長を代議士にすることが一番手っとり早く(失礼)、確実。」
桝本君の言葉ですが、実に名言だと思っています。今回の選挙は私にとって、30年前に大阪大学を滑って以来の敗北感です。くやしい。自分自身にはらが立ちます。反省点は山ほどあります。たとえば、先生が政務次官を辞任されたとき、速やかに、泉が丘の駅頭で、「西村眞悟代議士を支持する署名」活動をやるべきでした。選挙区外で「激励会」を催しましたが、ベターであってもベストではなかった。このようなことが思いつかなかった自分にはらがたつのです。
 先日桝本君に、「諸々の後援会(地域後援会、華の会、西村塾、再生の会、先生個人の知友、各市民団体等々)の連携が、今回は全くなかった。至急、貴君が各々の代表者を回り、次回に備え団結を訴え、我々ができること、お願いすることを整理し、1枚岩の組織を作ろう。まずコミュニケーション。もちろん私もお供をするから一緒に回ろう。貴君が組合長なって組合を作ろう、団結しよう。」と分際もわきまえず進言させていただきました。彼に聞き入れていただいたので気を良くしております。
 私の作戦は、いままで大阪市内等選挙区外へ先生が足を運び行ってきた諸々の集会、催し等を全て堺で行い、先生は区外に出ない。区外応援団が逆に堺に足を運び会を盛り上げ(ハッキリ言って「サクラ」)、会場運営費を負担する。地域後援会の人たちに地域の人たちをそこにお誘いしていただき、(心を)押さえ込む。という極めて単純な、基本的な手法です。問題はどこまでできるか。「何でもいいから毎週やろうや!」などと話しています。
 お願いしたいことがございます。これからも今まで以上にいろいろな企画、アイデアを事務所に持ち込みます。それにたいし、受けて頂ける方(責任者)の所在と、○、×の回答をはっきりとお示し頂きたい。僭越は何卒お許しください。
 私にも娘がいます。できが悪くて困っております。その点はどこの家庭でも同じですが、それでも大事な娘です。彼女に何か遺してやりたい。親として当たり前の事です。家か土地か財産か・・・・・・。そうではなく、私は誇りある国、生まれてよかったなーと思える国。そんな国を遺したい。
 先生から3年ほど前に頂戴した、「共に闘おう。」というお手紙。大事にしまってあります。先生と共に闘わせていただくことを、今一度気持ちを新たにお誓い申し上げ、「”人権、福祉、平和”愛の発信地『堺』!」を合言葉に頑張ります。

平成12年7月 日