久保教授事件・・・三重行き

  三月二十二日、小森先生、中山先生、細田政一、川崎文博、増木、その他同志十五名は、三重に遠征した。
 午後一時鈴鹿国際大学正門前到着。守衛に来意を告げる。対応は、葛西(?)総務部長。正門横の守衛室にて小森先生が名刺を渡し、部長に名刺を請求。名刺を頂きたい、渡せないで押し問答二十分。総務部長は学内に入り相談。十分後再度お出まし。やっと名刺を渡してくれる。 それから私達は会談になると思い、適当な室に案内されるものと思っているがその気配全くなし。守衛室での立ち話で要件を言えと総務部長はいう。事務長にアポイントをとっているが事務長不在。
慇懃無礼とはまさにこのことで、怒り心頭。小森先生唖然。私は「身構える必要はないョ。ざっくばらんに話しましょうャ。」と何回も言いうが能面無言。またこの時、文部省に電話を入れ、真摯な対応をするよう大学に指示してもらったがそれも無視。
 この時、今回の事件の本質が見えた。一般社会の常識がここでは通用しない。アポイントがあるにも関わらず、担当不在、門前払い。学内に入ったのは、唯一私(増木)だけ。トイレをかりに。抗議を受けるのが初体験であったとしてもあまりにも無様である。その間約二十分。我々はしびれをきらし、有効的話合いを断念。抗議行動に移る。街宣約二十分。
 そして帰りかかると、周囲で事の成り行きを見守っていた鈴鹿警察署の担当刑事が寄ってきて、たいへんていねいな挨拶を受け事情を質問された。ありのまま
を話すと、「あー、そうですか。私、きちっと対応する様に話しておいたんですよ。困った連中やなー。すみません。」警察に謝られ、逆に恐縮。
 それから三重県庁で先刻の伊勢神宮裏の産業廃棄物処理施設建設の問題で、県の対応(不許可)に感謝の意を表明。さらに教育委員会を訪問し、三重の教育正常化の申入れを行い、五時頃帰途につく。
 大変疲れた(大学の対応に)一日だった。


 久 保 教 授 事 件

 鈴鹿国際大学、久保憲一教授は、日本の将来を憂うる、若き熱血学者である。氏はかねがね三重人権センター(ピース三重?)の偏向展示物に抗議し、是正を求めていた。それがお気に召さない、解放同盟が三重教組を通じ、鈴鹿国際大学に、「久保を切れ、さもないと今後生徒に鈴鹿国際大学を受けさせないぞ!」と圧力をかけた。生徒募集に苦慮している大学はビビりきり、久保先生を授業中に「プライド」の映画を見に行 けと生徒に強要した。
 三重タイムズ掲載した、氏の論文「私の歴史感」が好ましくない。という理由で解任した。その解任も、当初は教授解任、それから教授と事務員兼務、さらに、教授は解任しないが授業はさせない。等々、大学の対応が二転三転し、言っていることもわけがわからない。先生は、地位保全の仮処分を申請。審尋が数回あり、現在審理続行中。
 問題はさらにあり、久保先生に事実上の引導を渡したのは、鈴鹿国際大学学長、現在小渕首相の諮問機関ある教育国民会議(座長尾崎怜於奈博士)のメンバーであり、(特に関西では)憲法、法律学会の重鎮、保守系、日本屈指の論客と言われてきた勝田吉太郎先生である。学問の自由、思想信条の自由、久保先生の人権はどうなるのか。日本で、いや、世界で大学が誕生以来の珍事である。

抗議先 鈴鹿国際大学
      0593−72−3953
 FAX  0593−72−2827