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 写 真 集 (平成20年5月10日 NO! コキントウ 京阪守口市駅前
  
テル爺 岡山からご苦労様です。 近くの口達者より遠くの行動派!! 8月8日開会式までにあと何回使うやら
関西テレビが取材に ちょうど今、コキントウは松下電器についたようです。
  
雨にもまけず 下手な演説は不要!! フリーチベット
  
だんだん人数が増えてきた。参加者600人 中島先生「今日はマイク持たないから」。よく言うよ!持ったら話さない。
   

                                     感謝とお礼


大阪は負けなかった。聖火リレーとコキントウ来日てん末記

あわただしい2ヶ月でした。
3月14日にチベットで起こった虐殺。長野での聖火リレー、コキントウの来日という立て続けに起こった対中事案に対し、私達は
・3月16日 中国大使館に抗議(大阪市西区)
・3月23日 「FREE チベット」デモ(御堂筋 600人)
・4月9日  丸大食品に北京支援の中止を要請(高槻市)
・4月16日 丸大食品に北京支援の抗議(高槻市)
・4月26日 NO! オリンピックデモ(御堂筋 200人)
・5月10日 NO! コキントウ街宣(松下電器;守口市 50人)
と緊急行動をとりました。
各位におかれましては、地元関西は言うまでもなく、関東、三重、岡山、福岡等々のご遠方から何回も足を運んでいただき、また心温まるカンパ。物心両面にご支援とご協力を賜りました。心より感謝を申し上げます。
今 回の戦いは警察との戦いで、警察は警察なりに、担当は上司に、上司は本部長に、本部長は官邸との戦いだったと思います。その背景にはいろいろなものが見え隠れし、国際政治の難しさが覗えます。大阪では一応、TV、現場等を見た限り、中国の国旗は1本も翻ってはいません。彼ら(中国側)は大阪を問題にしなかったのか、我々のがんばりが多少とも功を奏したのかはわかりませんが、中国の一部になることはありませんでした。取り急ぎ報告とお礼まで。   

                   

対コキントウ敗北宣言・・・・でも私は負け方の美学は追及しました
5月10日 コキントウは奈良からやってきて3時45分、松下電器着。「大日」交差点通過予定は3時40分頃。早速、守口警察に「大日」交差点での道路使用の許可申請に出向いた。我々は彼の車に直接「不来! 共産鬼子」と示威したい。ところが警察の抵抗たるや尋常ではない。キーパーが10人いるゴールにシュートするような話である。それでも私が強引に突っ切ろうとするや、警察はとうとう奥の手、勝負球を出してきた。嫁を拘束するというのである。理由は住民異動届を出していないような微微微微罪で別件逮捕。「○○原本不事実記載・・・」というやつ。しかし逮捕の理由にはなり、48時間拘束は可能。身に覚えはあったのでここをつつかれるとヤバイと覚悟はし、前もって弁護士に電話を入れ、嫁には48時間は覚悟するように言ってはおいたが、細田氏らの「嫁さんには親もいる。そこまではするな!」という強い説得で断念。ゴールにシュートはできなかった。悔しい。福田とコキントウに負けた。悔しい。臥薪嘗胆。結局、コキントウの通り道をはずし松下電器の最寄の駅、京阪電車守口市駅頭で街宣をやることと、大阪では中国の旗は1枚も揚げさせるな(もちろん「努力する」と言うだけで約束は出来もしないだろうが)。それを条件で警察と妥結。当初警察は9、10日は一切の抗議行動はダメと言っていたわけだから大譲歩。しかし、当たり前の基本的人権(思想信条、表現の自由)が制限されたわけだから絶対納得いかない。担当の刑事は「全て増木さんが正しい。警察がおかしい。しかし上からの指示なのでどうしようもない。」という。その通りだろう。むしろ守口市駅前を許可してくれたことに感謝。いまごろ府警本部長はコキントウ歓迎総責任者、多分首相官邸だろうが、怒られているかもしれない。なぜ街宣の許可を出したんだと。
政府はコキントウの通り道、彼の目に入る「景色」を必死になって工作。福田首相の強い意志を感じる。なぜそこまで中国に気を使うのか。色々情報は漏れ聞こえてくるが、高度な政治判断があったことは間違いない。  

主権回復を目指す会・関西 増木重夫(M情報)