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H27-6-6 宝塚の変(元朝日新聞植村隆氏のに講演に抗議)

朝日新聞元記者、植村隆氏の講演会が宝塚市西公民館であるという。
我々は急遽「植村隆の講演に抗議する会」を編成し、公演当日、会場前に陣取った。
結果からいうと、植村氏の講演は、下記講演録を読んでいただければお分かりと思うが、うわさ通り、まったく内容のない、「僕だけが悪いんじゃないも〜〜ン。」という幼稚なものであった。

さて、このご時世、相手は、我々が「ヘイトスピーチ」なるものを行うであろう、そしてその規制条例を制定するよう行政に働きかける。と我々は読んだ。くしゃみをしても「ヘイトくしゃみ」と言われそうだ。それを踏まえての抗議である。
そこでで我々はサイレント抗議。、「慰安婦はでっち上げ」というパネルをもって、約30名で会場前に並んだ。参加者の皆さんには「一切話すな」「空気を吸う以外は口は開けるな」「オナラもするな。」と言明し、協力をお願いした。
会場に入る人は熱心にパネルを見て、抗議の我々に対し妨害する人は一切いなかった。満点の抗議であった。

   
 
      
 
    
 実は本来ならここで、「めでたしめでたし」となるところだが
 
無事抗議も終った8日、旧知の渡壁君から電話があった。当日は気が付かなかったのだが、
彼も植村氏の講演を聞きに行ったらしい。ところが受付でロックアウト。
早速、公民館の管理者である宝塚に抗議に行った。

渡壁君の主張は、
@私(渡壁)は、植村氏の講演のチラシを5月中旬ごろ逆瀬川の駅で配布していたのでもらった。
A植村氏は何かと新聞をにぎわしていたので興味があり、講演を聞こうと、その日休暇を取った。
B当日会場に行くと、受付で入館を拒否された。その理由の説明もない。あとから来る人はどんどん入館している。
である。市の公民館は税金で建てたものだから、その利用に不正があってはならない。そこで市に対し、主催者からなぜ渡壁氏の入館を拒否したのか、その調査をするよう頼んだ。
それに対し、下記のような回答があった。、
    
 
     
そこで、早速返事を書き、現在回答待ち(7-15)

先日はご回答いただきありがとうございます。
先ず、「西公民館ホールの入場を拒否した理由について」
【A様がホール入口に来られた時、A様から先に入場させないことに対して、激しい抗議の言葉をスタッフに投げかけられたことから、・・・・・入場をお断りさせて頂きました】
とご回答がありました。

事実を述べる前に、先ず、文面から矛盾を指摘したいと思います。
私から先に、「激しい抗議の言葉をスタッフに投げかけた」ということですが、入口の係員が私に対して何の言動もないのに、私がいきなり抗議の言葉を投げかけたということでしょうか。係員が「入れない」と言ったわけでもないのなら、私はどのような文言で何を抗議したのでしょうか。主張があまりにも不自然と思慮します。
係員から普通の人のように、「今日は!ハイどうぞ」と言われれば、何の問題もなく入れるわけですから、抗議など全く必要もありません。私が抗議をしたということは、それは係員が私の入場を何らかの形で阻止したからであり、その証左だと思慮します。
「A様から先に入場させないことに対して・・・・」と記されていますが、
『A様から先に』『入場させないこと』に対して・・・・
この、『入場させないこと』に関し、その理由を問うているわけです。
繰り返しになりますが、『入場させない』理由は何ですか。価値観の問題ですから論じませんが、百歩譲って『激しい抗議の言葉』があったとしても、それは『入場させない』という事実が先にあったからです。私はこの正当な理由もないのに『入場させな』かった理由を問うているわけです。事実をきちっと時系列でお考えいただき回答いただきたく存じます。

主催者団体に弁明を求めるのと同時に、宝塚市当局の判断をお示しください。2週間程度で回答をいただければ幸甚です。

    
 6月6日、元朝日新聞植村隆記者講演要録

宝塚の将来を考える市民の会より

1時半の講演を前に「一切話さない。」今日は会話どころかくしゃみも禁止。
という申し合わせで、会場の市公民館の前に抗議隊は集合。
くしゃみをしても「ヘイトくしゃみ」と言われかねません。
パネル持って並んだ。
彼らの目的はヘイト禁止条例を作るのが目的。○○○だからヘイト禁止条例の必要がある。と言いたいわけですから。
今日のサイレント抗議は完璧。くしゃみどころか咳もないし。一切ケチのつけられない活動だったと思います。
それどころか、サイレント抗議が終わってから植村氏のお話を拝聴しようと会場に入ろうと思ったら「あなた方は妨害をしに来たから入れない」などとわけのわからない理由で門前払い。明日から
宝塚市とみっちりお話しなければならない。
我々は駅前で巻いていたビラを見て行ったのだ。妨害をしに来たなどと何を根拠に。あまりに対応が幼稚すぎる。

植村氏の講演を一言でいうと、空虚。思想信条は何もないと聞いていたが、まさにその通り。みんな言いうから僕も言った。僕だけなんで悪者のになるの。訳が分からない。
とても「講演」と言えるようなものではなく、幼稚園の子供の言訳会だった。

● 植村隆元記者の自己弁護プロパガンダ集会が開催される。
 2015年6月6日、 兵庫県宝塚市の宝塚西公民館において朝日新聞元記者の植村隆氏の講演会が行われました。当会では植村隆氏への施設貸出しを行う宝塚市への抗議を多くの協力 を得ながら呼びかけてきましたが、残念ながら機動隊員が厳戒態勢をひく中、開催の運びとなってしまいました。

● 左翼活動家によって、宝塚市民である保守言論人が入場できず。
  講演会は入口で、青いスカーフを巻いた左翼活動家が入場者をチェックしており、顔の知れた保守言論人は入場することができませんでした。宝塚市の施設を 使って行われ、通行規制まで行われた中で、宝塚市民である人間が入場を拒否されるような催しに正当性は果たしてあるのでしょうか?

● 新たな捏造の証拠
 会場に潜入した当会の会員達からの情報を元に、植村隆氏の自己弁護プロパガンダの概要をお伝えします。
 また、その虚構と矛盾について追及していきます。
 今回の植村隆の講演会の内容は全て当会有志によって「録音」しています。その中で、新たな「捏造」を裏付ける証拠もありましたので、これも後ほど、明らかにしたいと思います。

● 植村講演会の構成
  全体で約2時間の講演会でした。後援の内容を大きく大別すると以下のような構成でした。
開始早々     宝塚市慰安婦意見書に賛同する意見表明  
開始〜20分   植村隆氏本人への非難・脅迫の実態の説明
20分〜25分   朝日新聞の慰安婦記事と自分の関係
25分〜40分   週刊文春の植村氏バッシング記事〜マンガ大嫌韓流の内容の説明
40分〜50分   慰安婦証言記事を作成した経緯
50分〜70分   他社の当時の報道を紹介して「自分よりもヒドイ書き方をしている」と非難
70分        突然「問題は強制連行でない。17歳の少女が慰安婦にさせられたことが問題」と絶叫
           何故か会場から拍手
70分〜75分   朝日新聞の第3者検証委員会への非難
75分〜90分   自分は捏造記者ではないという自己弁護の総さらい
90分〜105分  海外での日本に対する自身のヘイト講演の自慢話し
105分〜120分  質疑応答 宝塚慰安婦意見書への賛同を表明/慰安婦に関する新事実発覚

【 植村氏講演会要旨 】
● 宝塚慰安婦意見書に賛同する意思表明
・宝塚市慰安婦意見書は日本最初の慰安婦問題の意見書。第1号のトップランナーである。

● 植村氏本人への非難・脅迫の説明
・北星大学に送られてきた非難の手紙「出ていけ日本から」「売国奴」「史上最低の新聞記者」等の紹介
・「学生をいためつける」という脅迫が送られてきた。
・警備が強化されて娘の通学にパトカーがついてくる。ネットで娘の顔まで晒されている。
・バッシングする側を「白いシーツに黒いシミが広がっていくようだ。本当に卑怯。」と非難

● 朝日新聞の慰安婦記事と自分との関係
・朝日新聞は戦前は「立ち遅れた朝鮮半島を日本が文明化させる」このような記事は上から目線。
 この当時の記事は、今でいうヘイトスピーチのようなもの。
・私が記事を書く前から吉田清治の記事は書かれていた。私の記事で慰安婦報道が始まった訳ではない。
・「連行された」と書いてはいるが「強制連行された」とは書いていない。
・2012年に北星大学の非常勤講師と函館支局の記者との2足のわらじを履いていた。

● 週刊文春の植村氏バッシング記事〜マンガ大嫌韓流の内容の説明
・2014年2月6日の週刊文春のバッシング記事がきっかけに、朝日新聞のバッシングキャンペーンが始まった。
・週刊文春のバッシング記事の影響によって神戸の大学の講師の話が取り消しになった。
・神戸の大学で資料を提示して、説明をしようとしたが、話を全く聞いてもらえなかった。ショックで憤った。
・当時、朝日新聞も退職していたので仕事が北星学園の非常勤講師の仕事(5万/月)だけになってしまった。
・朝日新聞は元社員である自分の話を聞きに来ることもなかった。話に来るべきだ。
・検証を行うことを朝日新聞に要請した。
・82年〜94年にわたって16本の記事があったが、吉田清治に関する記事は1本も書いていない。
・慰安婦に軍関与の記事も東京社会部の人間が書いたものであり、自分が書いていない。
・慰安婦は当時は「女子挺身隊」と認識されていた。
・札幌まで朝日新聞の記者が調べに来たので、資料を見せて説明した。だから「捻じ曲げなし」という検証記事が載った。
・週刊文春が2014年8月21日にバッシング記事を掲載。この影響によって500件/月の抗議が北星学園に寄せられる。
・桜井よしこ氏と西岡力氏の誌上会談の内容を悪意があるとして非難
「23年間、捏造報道の訂正も説明もせずに頬かむりを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、いったい大学教育のあるべき姿なのか」(週刊新潮2014年10月23日)
「社会の怒りを掻き立て、暴力的な言辞を引き起こしているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」(週刊文春2014年10月23日)
これらのせいで、バッシングがひどくなってきた。
・マンガ大嫌韓流に対する非難「実際に抗議をしている人間が書いているのではないのか」
・バッシングを受ける中、市民団体が「応援メッセージ」を送る活動を始めてくれた。
・週刊誌だけでなく、マンガでもバッシングの対象となっている。まだまだ続くのではないかと心配している。

● 慰安婦証言記事を作成した経緯
・1982年に朝日新聞に入社
・1987年〜88年にソウルオリンピック前の韓国に留学。韓国語を覚える。
・1989年11月 朝日新聞大阪本社社会部に勤務。在日コリアンや被差別部落に関する人権問題を担当。
・「韓国の団体が慰安婦のおばあさんから聞き取りをしている」ただ、それだけの記事。
・私は「騙されて慰安婦にされた」と書いた。「強制連行」とは書いていないのに、24年後に激しいバッシングにさらされることになった。
・戦後45年たって、被害者が重い口を開いた。これがニュースになった。
・1990年7年 大阪社会部の記者として韓国に行っている。慰安婦の聞き取り取材を試みた。
 上司が千葉支局のデスクで、かつて日本人慰安婦の取材をしたことがあったため、勧められた。
・その際の取材では、何人かにコンタクトしたが断られた。
・1991年 韓国挺身隊問題協議会が調査に乗り出したという情報をソウル支局から得た。
・この記事で韓国が激怒したと非難されたが、韓国の通信社は流していない。日本の報道機関も流していない。
・8月14日の記者会見は、まさか会見すると思わなかったので日本に帰っていたので聞けなかった。
・12月25日の記事は、弁護士に金学順女史が証言した内容を聞いて記事にした。

● 他社の当時の報道を紹介して「自分よりもヒドイ書き方をしている」と非難
・読売新聞や産経新聞も「挺身隊として強制連行されたとして」と記事にしている。といくつかの記事を紹介しながら非難。
・自分は「騙されて慰安婦にされた」としか書いていないのに、他紙は「強制連行された」と記事にしている。なのに自分だけが非難されている。
・太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部は自分の妻の母親。90年7月での韓国取材で知り合って結婚した。
・順番からいうと、慰安婦問題の取材は前々から取材をしていた。結婚するために取材を始めた訳ではない。

● 「問題は強制連行でない。17歳の少女が慰安婦にさせられたことが問題」と絶叫
・私は強制連行を世界中に発信した植村とバッシングされている。他も強制連行と書いている事を非難している訳ではない。
・金学順さんは聞き取りの中では強制連行ととれる表現をしている。
・17歳の少女が意に反して慰安婦にされて許されない。と私は言っている。
・問題は強制連行でないにもかかわらず、バッシングされている。今の政権を応援しているようなメディアを非難している。こんなフェアでないことは許されない。(会場から拍手)

● 朝日新聞の第3者検証委員会への非難
・朝日新聞は検証記事を書いたにもかかわず、非難を受けたために第3者委員会を作った。
・第3者委員会は新聞報道のプロではない人間が参加している。
・「挺身隊という表現を使って強制連行のイメージを読者にもたせた」という第3者委員会の見解は納得できない。
・キーセン=慰安婦ではない。キーセンは韓国の芸者の事。キーセン学校に行った事を書かなかったことを非難されることは納得できない。
・他社もキーセン学校の下りを記事にしていない。

● 自分は捏造記者ではないという自己弁護の総さらい
・家族のために記事を書くわけはない。日本が決して忘れてはいけない事のために記事を書いている。
・私が標的にされた理由
 朝日新聞記者
 署名入りで最初の慰安婦証言者の金学順の記事を書いた
 妻が韓国人で、その母親が太平洋被害者遺族会の幹部
 朝日新聞のリベラル報道を好まない人の存在
・朝日新聞は戦後のアジアの和解に積極的に貢献した新聞だと思う。
・ 金学順は名乗り出の第1号→慰安婦のおばあさんの心の中のわだかまりが解け始めた→過去の経験は恥ずかしいことでない。恥ずかしいのは、若い女性を連れ 去って、人権侵害した連中だと彼らも分かっている→200名以上が名乗り出た→世界中に広がった→宝塚市慰安婦意見書となった。
・第3者委員会の「強制的に連行されたという印象を与える安易かつ不用意な記載がある」には承服できない。私は「騙されて」とちゃんと書いている。

● 裁判について
・170名ぐらいの弁護士が手弁当で訴訟を応援してくれている。
・団長は狭山裁判の団長だった中山弁護士。日弁連元会長の宇都宮弁護士もやってくれている。
・保守系弁護士の小林節弁護士も「植村バッシングは植村苛めで犯罪である」と賛同してくれている。
・57歳になって不当に苛められる人間の気持ちがよく分かるようになった。
・司法の場で捏造記者ではない事を証明する必要があると考えた。
・西岡さんの本で「よくわかる慰安婦問題」で「新聞記者や 弁護士や様々な人たち嘘から始まって、ついに米国議会で日本を糾弾する決議が採択された。これらを推進しているのが反日日本人である。彼らは国際社会に膨 大なネットワークを構築しコツコツと資料を集め、国際法上の詭弁を開発し、私たちの祖国、彼らの祖国、この美しい日本を貶めている。この人たちの反日執念 こそ敵だ」つまり、西岡さんは私を「敵」と言っている。ゾッとした。
・慰安婦のおばあさんの尊厳を傷つける人たちがいる。そのためにも提訴した。
・グローバル化した慰安婦問題を消し去るために植村をバッシングしている。
・河野談話では「歴史の真実を回避することなく、歴史の教訓として直視する」と書かれている。
・安倍晋三さんは歴史修正主義のリーダー。

● 海外での日本に対する自身のヘイト講演の自慢話
・世界の方が興味を持ってくれていて、BBCやオーストラリアの公共放送でも情報が発信されている。
・グレンデールの慰安婦像の紹介
・アメリカのシカゴ大学での講演に様子を紹介。アメリカの学生から「日本の恥ずかしい歴史をしっかり伝えている勇気は素晴らしい」と賞賛されたと自賛。
・アメリカの学者の過去の過ちを認めるプロセス自体が民主主義を強くする。その通りだと思う。
・不当なバッシングには絶対に屈しません。

● 質疑応答
・日韓国交正常化交渉で慰安婦問題は解決したという人もいるが、当時、慰安婦のおばあさんの証言はなかった。よって日本政府の見解には疑問がある。
・金さんは多分金をもらってたと思います。しかし、金学順さんが誰に騙されていたとしても、戦場での人権侵害の罪が軽減される訳ではない。
・当時社会部の平記者でも署名して記事を書いていた。
・世界の趨勢では強制連行の有無ではなく、意に反して慰安 婦にされた事が人権侵害ということで問題になっている。強制連行は問題ではない。強制連行にこだわることは、日本軍の行為を正当化する行為。要するに戦時 における女性の人権侵害。人身売買であったとしても人権が蹂躙された事実に向き合わないと日本は孤立する。
・宝塚市慰安婦意見書は覆らない。意見書の価値は下がっていない。当時の市議の数の関係であって、最初に決議を行った宝塚市の勇気はいささかも色あせない。