第145回『一日会』

(日 時) 平成十六年葉月八日午後一時より

(会 場) 伏見稲荷大社 参集殿 二階

(参加者)十三名

(内容)
第一部 皇民儀礼
一、皇居並びに昭和天皇武蔵野御陵 遥拝
二、聖壽 弥栄(小森義峯先生ご発声)
三、国歌 斉唱
四、英霊並びに戦没同胞の御霊に対し奉り
黙祷

第二部 定例会
主宰者挨拶の後、資料紹介。
『靖国』文月号『天業』八月号から『明治天皇』御製を、又『靖国』葉月号『温故知新』百三十八号から『昭和天皇』御製を拝読した。『神道青年近畿地区連絡協議会』の歴史紀元に関する啓蒙文書も紹介され、『日本の息吹』から『日露戦争』に関する大原論文が引用された。『漁火新聞』では『県土・竹島を守る会』の発足が、「アイディアル・ファミリー」八月号では「佐世保事件」について、又、秋田市の『田畑久蔵』先生の同和問題に関する提言が各々紹介された。「きょうの論壇」では『椿原泰夫』先生の教育論を、『郷守人』六月号より南口先生のご意見を引用した。又、『三好誠』先生の近刊『神社とともに』について著者ご本人からご説明を戴いた。「台湾週報」七月二十二日・二十九日号の「春夏秋冬」、『兵庫通信』十九号から台湾、中共問題を、更に「読売新聞」八月三日付から蹴球試合での中共大衆の反日行動に言及した。環境問題としては、商品製造や流通に必要な「間接エネルギー」の視点を「エネルギー環境教育ジャーナル」から紹介した。 「直接エネルギー」に関しては、「読売新聞」八月一日付からロスケ・(ラス)プーチン政権のユコスつぶしを、そして「産経新聞」六月二十七日社説より『尖閣諸島』周辺での資源開発の重要性を指摘した。又、「朝日新聞」七月二十一日付では対印度外交重視の必要性を説明した。「」からは『祖国復興の祈り』の部分を十二頁抜粋した。『新風・京都通信』


    
第144回『一日会』

(日 時) 平成十六年文月四日(日)午後一時

(会 場) 大阪府教育会館(たかつガーデン) 三階 会議室 蘭の間

(参加者)二十二名(内、新参加者二名)

(内容)
第一部 定例会
他にも行事が並行開催される中で、新参加者二名の美女も含めて、暑気を吹き飛ばす資料紹介、活動報告、議論、討論、提言等が行われた。
主宰者挨拶の後、新参加者の自己紹介。北摂方面で教育正常化の活動を行っている女性二名の心強いお話しに続いて資料紹介に移った。
『天業』六月号から『明治天皇』御製を、又、『温故知新』第百三十七号から『昭和天皇』御製を拝読した。
続いて『古事記伝承会』の『古事記歌謡公演』の案内がなされ、『維新政党・新風』の六月号が行岡先生から全員に提供された。参議院選挙の健闘を期待したい。次に『漁火新聞』第百三十二号で中共の対日政策への警鐘が引用された。同様に『兵庫通信』第十八号で、中共や北鮮の軍備拡張に加担する日本企業の実情が紹介された。「台湾週報」第二一四五
号では駐日代表や資政、国策顧問の人事から、陳水扁政権の日本重視傾向を読取った。
『無窮』第十三号別添「百人斬りニュース」からは、『向井・野田』両大尉のご遺族、『エミコ・クーパー』『野田マサ』両氏の口頭弁論陳述書全文を提供した。又、十八日に同裁判の支援講演会が国民会館で開催される事も紹介された。『国民新聞』六月号からは「日韓親善遺跡探訪セミナー」報告を引用した。同報告に明記された大韓帝国皇太子「李焜殿下」に嫁がれた皇族『李方子妃殿下』の御存在こそ『日韓合邦』『内鮮一体』の象徴的歴史的真実であり、それ故にこそ、日韓の反日派は『妃殿下』の御存在を意図的に無視、軽視するのである。


      
第143回『一日会』

(日 時) 平成十六年陽暦水無月六日午後一時

(会 場) 豊中市立千里公民館 陶芸室

(参加者)十六名

(内容)
第一部 定例会
主宰者の手落ちで連絡が遅れ会場不明の為に不参加者が出た事に重ねてお詫びした後、開催。ミッドウェー海戦六十二周年に当たって、米国時間五日当日元米国大統領レーガンが死去、我英霊の憤怒のなせる業か。又、六日当日は、フランス・ノルマンディー海岸付近で連合国軍上陸六十周年の式典が十七ケ国の首脳を集めて開催された。初めて参加したドイツの首相シュレーダーは、ドイツ軍英霊のまします墓地に拝礼する事も無く、「ドイツ国民がナチスの圧政から解放された日」等とうそぶく始末。ドイツ人コール首相は招かれても行かなかったが、SPD出身の売国奴シュレーダーは、連合国軍の一員を気取る迄に民族の誇りを放擲し、然も一部の世論調査では七十六パーセントの国民がそれを支持し、反対は十六パーセントしか無かったと言う。ドイツ民族は滅亡スレスレの危機にあるが、翻って現下エセ「日本」を見ても、売国宰相コイズミによる「対中共・韓国謝罪、朝貢害交」「北鮮人質買取り害交」「イラク自称人質(実質共犯)解放血税浪費害交」「米国による対イラク侵略全面協力派兵」等々、愚劣悪質極まりない所謂「パーフォーマンス」のガキ芝居が演じられ、其れを多くの国民が支持するというドイツ並の亡国現象が見受けられる。だが、敵が大きければ大きいほど吾等真正日本人の闘志と責任感は奮い立ってくるのである。
斯る指摘の上で、資料紹介に移った。
『温故知新』百三十五、百三十六号から『昭和天皇陛下』の御製を二首、拝読させて戴いた。唯、恐懼あるのみ。
又、『英霊の言乃葉』の連載には、唯、涙あるのみ。神州・皇国に生を享けた感謝、感激を新にす。
続いて『レコンキスタ』第三百二号から『四宮正貴先生』の「自主憲法制定と《現行憲法三原理》の否定」という好論文が詳しく紹介された。『漁火新聞』一三一号では「大阪ブルーリボンの会」なる新団体の発足が伝えられていた。『救う会』は所謂「右翼系」が多いので、「右翼外し」に新組織を作ったらしい。誰も見向きもしなかった時に手弁当で誠心誠意尽くした同胞が、其の思想性故に排除されるとは。古代支那人は「狡兎死して走狗煮らる」と格言を残した。
一方、「日朝首脳談合会談」を批判する土屋東京都議等の文書も紹介され、共産支那問題も論じられた。特に『国民新聞』『アイデンティティー』八号等から中共の明確な対日領土侵略、要求の実態が紹介された。『北方領土』『竹島』『尖閣列島』に続いて、我国最南端の『沖ノ鳥島』を太平洋戦略、資源戦略の一環として狙っているだ。第四の領土問題に注目されよ。
其の中共を牽制する意味からも『日台同盟』の必要性が痛感されるが、「台湾週報」二一四一号から米国「台湾関係法」に関する記事を引用した。又、『兵庫通信』十七号の中共関係記事も提供した。三好先生からは長野県にある「日本司法博物館」での反日偏向の実態が資料報告された。同問題は、同氏のご努力で解決し、所謂「戦犯」なる偏見が削除されたことを付記しておく。
 参加者一同からも有意義な資料が多く配布され、活動報告もなされた。韓国での反米傾向の高まり、沖縄への反日修学旅行の実態、豊中市での異常な「性教育」の実情などが報告されて、北朝鮮との国交樹立不要論も出た。大阪市内の府営住宅にお住まいの井上氏は、祝日に国旗を上げると近所の小学生が国歌をハーモニカで演奏し、別のお年寄りは靖国神社へ戦車を奉納されたとの事、静岡県の三和氏は現地で公文書の元号明記の運動を続け、京都の吉永氏は対共産党攻撃を続行する等、その他、多くの活動、行動報告がなされた。

第二部「今城塚古墳(伝継体天皇陵)」参拝
本紙、八 九頁参照の如く、数年前から恐懼耐え難い愚行、蛮行が「学術調査」の名目で行われている。『御皇室の御尊厳』を守護するには、斯かる反日、反民族的道統破壊の蛮行を即座に中止させ、現状復帰させ、猶且つ宮内庁に『陵墓参考地』として指定させなければならない。
第一部終了後、八名でまず『継体天皇陵』に参拝。その後十数丁東北方にまします「今城塚」に参拝、荒れ果てた現地の実情を調査し、ゴミを拾い、近隣住宅に八 九頁記載の文書を五百枚、宅配して民族の正気を顕現した。その後、日曜日ではあったが、高槻市役所へ赴き、関係部署に同様の文書を投入した。
今後とも此の運動を全国民に拡張して行きたいものである。

第三部 懇親会
文書宅配後、高槻市南部の某所で懇親の場を設定した。
      
第142回『一日会』

(日 時)平成十六年皐月二日午後一時より

(会 場)大阪府教育会館(たかつガーデン)  三階 会議室 菊の間

(参加者)二十二名(内、新規参加者五名)
(内容)
第一部 定例会
連休中、多忙にも拘わらず、新規参加者も交え、有意義な活動を行った。主宰者挨拶後、資料紹介。
まず、「考古学」に名を借りた畏れ多くも御皇室の陵墓と推察される「今城塚古墳」に関する不敬問題についての問題提起があり、続いて『日本青年社』『青年戦士』第三八六号から中共による『尖閣諸島』侵略の実態が紹介された。
   
第141回『一日会』

(日 時) 平成十六年卯月四日午後一時より

(会 場) 大阪府教育会館(たかつガーデン)
       三階  会議室 菊の間

(参加者) 二十六名

(内 容) 一部 定例会
主宰者挨拶の後、資料紹介。三月五日付産経新聞にて「今城塚古墳ー真の継体天皇陵と言われているー」に対する不敬問題が提起された。事実上の皇室陵墓の「発掘」等、絶対に許容すべきではない。
続いて『尖閣諸島』への中共の侵略に関する三紙の社説を引用した。又、同諸島についての資料と詳細な年表を提供した。更に、「中国ブーム」の欺瞞性を「サピオ」四月十四日号で指摘した。エセ「日本」首相コイズミに関しては「正論」五月号から「小泉首相七つの大罪」を引用した。『世論』三月号巻頭論文で教育問題を、『日本時事評論』一五四四号から所謂「ジェンダー・フリー」問題を紹介した。又、「全教ー正確には全狂ー」の政治ビラも提供され諸兄の目を汚した。参加者からは『國の支え』第十八号、「週間新潮」三月十八日号「兵庫県の組合支配教育」が、又、『戦中派』第三百七十号、『道徳』第百五十二号、百五十四号も提供された。『荒魂』第十六号、『アイデンティティ』第七号、そして三好先生がブラジルから持ち帰られた『サンパウロ新聞(邦字)』も配布された。
他方、敵側資料として「カトリック新聞」の反日性、日放協に創られた「冬のソナタ」(韓国)ブームの実態、中共政府のエセ「民間」を悪用した反日工作等が、更には、テレビ朝日の言葉狩が、報告された。
吉永、北川両氏は、早速高槻市役所を訪れ、「今城塚古墳」問題で精緻な現地調査を基に「発掘ー陵暴きー」なる暴挙を行う当局を断固糾弾し、多数の資料を獲得、民族の正気を示した。又、細田氏も資料研究等の成果を提供した。
活動報告を交えた後半では、各位の活発な行動や意見が出された。現職中学校教諭から今春の卒業式の実情が報告され、津村先輩からは公明党の反日偏向が指摘され、『関西防衛を支える会』の高橋季義会長からも公明党への懸念が表明された。同氏は更に『防衛協会』の意義を強調され、台湾問題についても陳総統との会見の様子等に言及された。
西村氏からは『尖閣諸島』問題への憤懣が発言され、佐野氏は『戦艦大和』艦頭の『菊の御紋章』回収の動向に言及した。
細田氏からは、三月十四日大阪で実行された反中共示威行進が盛況てあった事が説明された。又、『尖閣諸島』問題で中共総領事館への糾弾活動を継続している旨の報告がなされた。その他、有意義な活動報告が相次いだ。

第二部 三十分講演
演題 『軍歌の歴史と意義』   ー古典音楽としてー
講師 新川 貞敏氏(関西防衛を支える会広報部長兼機関紙発行人)
今回、近年意図的且つ急速にエセ「日本」社会から抹消されつつある『軍歌』に関して、此の分野の第一人者たる『新川貞敏』先生から詳細にご高話戴いた。同先生は、簡潔明瞭な纏めの文書と『丈夫の歌十選』の資料を基に、時に軽妙な話術や唱歌を交え、参加者に啓蒙を与えた。以下に略述する。
『軍歌』は日本の所謂近代化の中で、自存自衛の為に戦意高揚すべく自然発生したものであり、我日本民族の血と涙と汗の物語であり、叙事詩である。
黎明期は官軍東征に際して大村益次郎が作曲したと言われる『宮さん宮さん』に始まり、明治初年には陸軍、海軍に各々軍楽隊が編成せられ、国歌『君が代』の制定、『抜刀隊』『海ゆかば』『国の鎮め』『皇御国』等が次々に作曲され、国民に口承され広まった。此れは同時に西洋音楽の伝播普及をも意味していた。『日清戦争』『日露戦争』前後は軍歌の「第一次黄金期」とも言われ、『敵は幾万』『元冦』『水師営の会見』『戦友』等々が流行し、『軍艦行進曲』も作曲された。
だが、大正に入ると「軍歌不毛期」になったが、海軍兵学校創立五十年を記念して校歌『江田島健児の歌』が発表され、『陸軍士官学校校歌』も創られた。
昭和の御代には『青年日本の歌』が創られ、支那事変から大東亜戦争にかけて「軍歌・戦時歌謡の全盛期」を迎えた。『同期の桜』『愛国行進曲』『加藤隼戦闘隊』『若鷲の歌』『ああ紅の血は燃ゆる』等、多くの名曲が人口に膾炙した。
所謂「戦後」になっても『異国の丘』『モンテンルパの夜はふけて』等は、軍歌と言っても良い。「歌は世につれ」と言うが、軍歌は正に民族の叙事詩であり、民族精神の現れであって、家庭でも子供に歌い継いでいる。今後も軍歌継承、啓蒙に努めて行きたい。
新川先生からは概ね以上の様な講話を拝聴した。その後質疑応答に移ったが、老若男女を問わず、軍歌を過去のものとしてでは無く、現実の生活の中に息づかせている同志ばかりなので話が弾んだ。
第三部 軍歌大演習
新川先生の講演で意識を更に高めた参加者は、凡そ一時間以上に渡って軍歌、寮歌、浪歌等を歌い続けた。
まず、山本少佐より『陸軍士官学校校歌』を、そして高橋会長には母校たる『海軍兵学校』の『江田島健児の歌』を熱唱して戴いた。戸籍上の年齢に拘わらず『万年熱血愛国青年』のご両者は、天下を睥睨する気迫で独唱された。「日本」が真正『日本』であった頃の『日本男児』は、皆この気迫、気概を心身に包懐して居たのである。
続いて、参加者各位が独唱、斉唱を行い、日本民族の志情、熱情の篤き想念に十分浸った。上階に反日「日狂素」「全狂」が巣くう
最悪の環境である会場で、吾等の室内だけが民族の故郷の雰囲気を醸し、清澄な聖域と成った。特に年配の方々は、青年達が軍歌を良く知って居る事に感謝、感心され、一方青年達は、津村、行岡両先輩始め年配の方々があの長い『戦友』を最後まで記憶されておられた事に敬意を表していた。
名残は尽きねど時刻となり、恒例の『青年日本の歌』で散会した。

第四部(自由参加)
近隣の支那料理屋で、新川先生を囲んで再び軍歌談義等で盛上がった。
※ 各論文は、一日会機関紙「神風」よりスキャンしテキストで編集しています。スキャンの誤読をお許しください。