第100回『一日会』

(日 時) 平成十二年神無月一日午後一時より

(会 場) 大阪府教育会館(たかつガーデン) 松寿の間

(参加者) 四十六名(内、六名は懇親会のみ参加)

(内 容)
第一部 皇民 儀礼
イ、皇居、並びに武蔵野の御陵に対し奉り、遥拝。
ロ、国歌 斉唱
ハ、先覚烈士、英霊、並びに戦没者の御霊に黙祷。

第二部 定例会
イ、主宰者 挨拶
ロ、全参加者 自己紹介
ハ、資料 紹介
ニ、各種、活動報告、情報交換
ホ、その他

第三部 記念講演
演題 『民族派の浪漫ー北一輝の
    生き様、死に様』
講師 『岡本 幸治 先生』(近畿福祉大学教授)

第四部 懇親会

(内容 紹介)
百回を迎えた『一日会』は、最高の参加 者を得て、盛会裏に開催された。
まず皇民儀礼を行い、参加各位、心を清め て、定例会に移った。
主宰者挨拶の後、全参加者から自己紹介を 頂いた。多種多様な愛国者の自己紹介それ 自体が、草莽の何物にも変え難い価値を有 し、光輝ある民族の実存を証明している。
 まず、北村氏から『知行合一』の必要性 が主唱され、続いて各氏より各種各様のご 意見、ご提言、ご報告等が提起された。
「天皇家」等の御皇室に関する不敬なる表 現ー民族派の一部でさえも無自覚に使用し ているーを否定、排除すべきとの当然のご 意見、或は帝国陸軍航空隊での体験、又、 「鈴鹿国際大学」の久保教授弾圧を論難し た三重タイムズが、部落解放同盟、三重県 教職員組合等の圧力で廃刊に追い詰められ たものの、「インターネット・タイムズ」
 との名称で再起したとの朗報、又、昨年発 生した航空自衛隊入間基地近くの練習機墜 落事故で、己の生命を捨てて国民の生命を 守った自衛官に感動して『滅私奉公』の偉 業を生徒に紹介した埼玉県立狭山ケ丘高校 校長の学校通信も紹介された。
奈良の志野氏からは、満・鮮国境の視察状 況が報告され、三宅氏からは十月二十四日 に開催される『八尾市戦没者慰霊祭』で、 坪本氏の海中慰霊写真展が同時開催される 旨の説明があった。更に、西宮市長選挙に 大前県会議員が出馬するとの情報が紹介さ れ、参加各位からの応援の声が寄せられた。 その他、『国旗・国歌』問題等々、有意義 な活動報告が相次いだ。
第三部の記念講演では、近畿福祉大学の 『岡本幸治先生』から『民族派の浪慢ー北 一輝の生き様、死に様』の演題で、民族派 の先輩『北一輝烈士』の生涯をご紹介戴い た。
三十年前、米国人『北一輝』研究家の  「北一輝と日本の近代」国語訳を担当して 以来、同烈士への研究を続けた岡本先生に 依れば、松本清張等による「ファシスト・ 超国家主義者・右翼、等」の決めつけは、 的外れなものであり、単なる行動家、実践 家だけではなく、非常に高度な思想家であっ たとの事。それは三冊目の出版となった  「国家改造法案大綱」を紐解けば一目瞭然 である。
佐渡の旧家に生まれた彼は、漢学の塾に 通い、漢文の素養ー特に孟子の影響ーを身 につけたばかりか、文芸作品を多読、乱読 する中で、佐渡新聞、明星等に投稿し、明 治三十六年には「日露戦争」に関する主戦 論を公表。幸徳秋水への敬意を抱きつつも、 社会主義を日本的に咀嚼し、『日本社会主 義者』と自称、独自の理論を展開した。
一方、孫文を中心とした「中国革命同盟 会」の志士との交流も深め、宮崎滔天、宋 教仁等々との交誼の中から、宋に招かれて 支那の武漢へ、宋暗殺の影に孫文ありとの 説をほのめかしたが故に、支那国外退去を 余儀なくされ、帰国。終始一貫して当局か ら危険視されつつも、「支那革命外史」等 を執筆しつつ、国家革新運動の理論的支柱 となり、青年将校等に思想的影響を与え、 『二・二六事件』勃発するや、翌日、警視 庁に身柄を拘束され、翌年主犯として処刑 されるに至った。処刑時にも平時と何等変 る事無く、立会った刑吏に日常会話を交わ した後、刑を執行された。同席した官吏の 多くが『北一輝』の『死に様』に称賛を寄 せている。論語に言う『君子の道に三つあ り、我能くするなし。仁者は憂えず、知者 は惑わず、勇者は懼れず』、即ち『知仁勇』 の徳目を併せ持った行動者故に、従容とし て何の衒いも惑いも無く、刑場の天地に人 生最後の情景を楽しんだのであろう。
岡本先生のご講演の後、会歌『青年日本 の歌』を高唱し、更に『聖寿の弥栄』を津 村先輩の音頭で三唱し、百回の記念を祝い、 且つ今後の決意を各自、心に新たにした。
その後、近隣の支那料理店で懇親の飲食 を共にして、今後の『日本民族再生』『皇 国復活』への鋭気を涵養した。
      
※ 各論文は、一日会機関紙「神風」よりスキャンしテキストで編集しています。スキャンの誤読をお許しください。