第百七十回『一日会』
    
第百六十九回『一日会』
   
第百六十八回『一日会』

(日時)平成十八年文月二日午後一時より

(会場)大阪府教育会館(たかつガーデン)

(参加者)二十七名

(内容)
第一部 定例会
主宰者挨拶の後、『天業』から明治天皇御製奉読、その後『皇道宣布』『百人斬り訴訟ニュース』『集団自決訴訟ニュース』『伝統と創造の会』設立趣意書、『正論』ー保守政党の指導者たりうるのは誰かー、『橘信(たちばなのたより)』『実践人』巻頭言、『修理固成通信』『世論』『念法時報』『玄洋』を『一日会資料』として提供。
参加者からは『戦中派』『國の支え』『行動』『半島緊急情報』等が配布され、七烈士への『神州正氣の会』祭文、又、東條閣下の遺言等も配られた。最近逝去された『加藤三之輔』大人の文章も紹介され、沖縄教育用の資料も提供された。津村先輩より『東條由布子氏』が新しい遺骨
収集団体を作る意向とのこと、又、西脇市の藤原市議は議場に国旗を常時揚げさせたとの快挙を報告した。村上氏は中共「南京虐殺記念館」の副館長が来日して我軍関係の骨董品を探しているとか、要警戒。山本、行岡両大人そして前田氏は、共に『台湾』に関して積極的に発言された。

第二部 三十分講演
演題   『占領憲法をどのように処理したらよいのか』
講師   『小森義峯先生』(憲法学者)
全国民族派の理論的指導者であられる小森先生から懇切丁寧に憲法問題に関するご高話
を拝聴させて戴いた。以下に略述。
抑、憲法には「成文」「不文」の二種類があり、米国ヴァージニア憲法あたりから「成文」が発生し、現在では多数と成っている。だが、現在でも、英国、イスラエル、ニュージーランド、サウディアラビアの四ケ国は、不文憲法を守っている。本来長い歴史と伝統を有する国家は自然に生まれた不文憲法が好ましい。我国では聖徳太子の『十七条の憲法』『古事記・日本書紀』の神勅、代々の詔勅等を憲法とすべきである。
だが、現実には「日本国憲法」なる成文憲法が実効支配して居り、此れを改変するには、「合法・合憲」と「非合法・違憲」ー(革命、クーデター)ーの二種類の方法がある。
合憲的方法としては、「日本国憲法」九十六条による改憲、同五十六条による場合、即ち昭和二十三年『教育勅語』「無効・失効決議」で実施例がある。又、「非常権限」に基づく方法、即ち自衛隊の防衛出動、治安出動の下で行う事も可能である。仮に自衛隊の出動が時間的に出来なかった場合でも、国土が蹂躙、破壊された時には、諸種の非常手段を採り得る。『大日本帝国憲法』でも処理可能である。即ち、第八条に規定されている『緊急勅令』の『非常大権』や同十三条の『戒厳令』ー「関東大震災」や「二・二六事件」の先例ーで対処可能である。
『終戦の御聖断』や「ポツダム宣言受諾」は『非常大権』によって可能であった。
結局、現行「憲法」を改変するには、吾等や国民の意志、決意次第なのである。
概ね此の様な論旨で、多くの実例等を引用しながら懇切丁寧にご高話を戴き、その後、活発な質疑応答が続いた。
 第三部 懇親会(自由参加)

近隣の支那料理屋で楽しく実施した。
  
   
第百六十七回『一日会』

(日時) 平成十八年水無月四日午後一時より

(会場) 大阪府教育会館(たかつガーデン) 会議室 牡丹の間

(参加者)二十七名

(内容)
第一部 定例会
主宰者挨拶の後、資料紹介。
『天業』七十二号から『明治天皇』御製を拝読、更には、保利神社『乾充宏』宮司に拠る『秋篠宮妃殿下』『御安産祈願詞』を引用した。又、『不二』四月号から巻頭言及び『加藤三之輔大人』の訃報を紹介した。吾等民族派に執って『一献歌』で馴染み深い加藤先輩の冥界入りに哀悼の意を共有、共感した。
東京の中島慎三郎先生から送られた「日本インドネシア協会」機関紙四月号から前駐インドネシア大使飯村豊氏の「最近のインドネシア情勢」全文を引用、「イスラム・ルネッサンス」なる新語が使用されていた。「イスラム・原理主義」の別称である。『皇道宣布』六月号及び『古事記講演会』の案内も紹介された。又、『全有連』についての紹介文書が小森先生ご自身に依って説明された。同時に先般の伊勢大会のご報告も戴いた。
『レコンキスタ』三百二十四号では『神風』卯月号で指摘していた「反米冷戦」の一環としてのロスケ中心の「愛国政党会議」の存在が指摘された。『修理固成通信』二百五十六、二百五十七号も引用、五月三日付「朝日新聞」からは「東京裁判とは何だったのですか」なる記事に朝日の反日偏向軌道修正を看取した。更に、「大紀元時報」四月六日号で、前々回の三十分講演で語られた中共の非人道的人体標本作製や臓器移植の実態が明らかにされた。『念法時報』五月十三日号では「教育基本法改正案」への市民の声を紹介し、青少年問題としては、高校一年生に依る女子中学二年生殺しの「中津川事件」を「週刊新潮」「週刊文春」記事で採り上げた。
津村先生より『戦中派』三百九十五、三百九十六号の提供を戴き、葛目主幹からは『アイデンティティ』二十号を、そして細田氏からは『行動』百九十七号が配布された。又、『大吼』六月号も提供された。『兵庫通信』三十九号と共に、村上氏は、中共方面の情報として経済産業相の二階以下が「親華」派ー即ち売国奴ーとして重視されている資料を示した。又、山本少佐と花川氏より、神戸市再度山大竜寺に平成十一年、建立された緒方醇一陸軍大尉の慰霊碑が紹介された。『飛燕』で鬼畜「B29」に体当たり撃墜された空の勇士である。次いで小倉氏より新刊『ザ・在日特権』が、又、赤田氏より一日会活動の写真が提供された。
その他、南口、美和、高井、吉永、行岡諸氏から、多くの資料、情報、提言等が出されて、第二部に移った。

第二部 三十分講演
演題 鳥取県反日県政・市政を暴く ー時代遅れの同和支配が続くー
講師 前田 一可先生(現代「支那通」)
五月三十日『一日会』『鳥取征伐』について、前田先生の報告を略述する。
鳥取県という地方に安住する鳥取県民及び県庁、市役所等に巣食う公務員の多くは、「異常を異常と感じない」異常感覚に埋没されている。故に外部からの批判、攻撃が必要である。
異常さの例として、全国的に悪名の高い所謂「人権条例」は、同和の親分たる杉根県議の主張に元東大左翼運動経験者と言われる片山県知事が悪乗りしたもので、北朝鮮の対日窓口たる境港での麻薬密輸等も含めて、鳥取県の反日的性格を如実に表している。
県政、市政共に「部落解放同盟」に依る古典的な同和支配の下にあり、特に「教育」分野で其の傾向は著しい。
 県下の高校修学旅行先に韓国を選び、事前に高額の予算を付して製作した副読本で反日洗脳狂育を施しているが、実は最近迄、県下五中学校でも修学旅行先に韓国を選んでいた。其の副読本では韓国側の立場で歪曲捏造されたウソ偽りの歴史が記述され、『日本海』も「東海」と併記されている。同じ事は赤碕の「道の駅」等でも見受けられる。県下名所旧跡全体に諺文(オンモン、近年ハングルと称する)の地名、説明が溢れ、恰も韓国の属地の感さえする。
前年若しくは前々年、片山県知事は韓国へ行き、公費で「安重根」の書を購入して県立図書館に展示した。処が、県民の抗議を受けて「大切な物を壊されたらいけないから」との理由で別の場所に保存した。片山知事は、明治の元勲たる『伊藤博文公』暗殺犯人を熱烈に支持、顕彰し、暗殺という違法犯罪行為を肯定している。
鳥取市の教育行政でも「学習指導要領」を逸脱した悪質極まりない「同和教育」「人権教育」が為されて居り、「はだしのゲン」なる反日不敬違憲マンガが各学校に多数常備されている。又、年間三十五時間の『道徳』授業は殆ど実施されず、逆に一般教科を潰して「人権・同和教育」なるものが強要され、年に一回は児童・生徒が学校外部に強制連行されて同和関係者から「学習」なるものを洗脳される。一部の教員は、御皇室への暴言を乱発し、さながら学校が「反日洗脳機関」「反日宣伝組織」の観を呈している。
 今回の『鳥取征伐』で当方に応対した県職員、市職員は各々六名、当方が名刺を出したのに、先方は全員が名刺を出さず、後刻呼び出した浜坂町の小学校長に至っては「初対面の人には名刺は出さない事にしています」との珍言、迷言、妄言を口にする始末。此れには怒るよりも一同大爆笑。公文書で、県内未成年者人口妊娠中絶率全国第一位を堂々と誇らしげに公表する「常識」感覚も相俟って、「同和=逆差別」勢力に牛耳られた鳥取県が如何に倒錯した「地方分権」勢力に支配されているかが明白になった。此の傾向は、単に鳥取県のみならず、広く「日本」の各都道府県に蔓延しているのではないか。
『前田先生』の講演要旨であるが、良識ある一日会参加者は、一旦、唖然、呆然としたものの、積極的な質疑応答の中で、会場借用時間ギリギリ迄、「鳥取人民共和国=韓国北鮮領飛地」の実態に怒りを募らせた。
第三部 懇親会
近隣の支那料理屋で大いに飲食歓談し、次回の再会を約して散会した。
   
第百六十六回『一日会』
(日時)平成十八年皐月七日午後一時より

(会場)大阪府教育会館(たかつガーデン)

(参加者)二十六名

(内容)
第一部 定例会
主宰者挨拶の後、資料紹介。
『天業』から『明治天皇』御製奉読、『皇道宣布』『修理固成通信』『月刊若木』『郷守人』『レコンキスタ』『兵庫通信』『漁火新聞』『大紀元時報』『大阪行政新聞』『今日の論壇』『ういんど』ー戸塚ヨットスクールを支援する会機関紙ーを紹介。又、『日本』等から岡本幸治教授の論文数編を引用、古賀都会議員の活躍も報告された。「九条(苦情?)の会」の集会情報等が寄せられ参加者からは中山前文科相の講演会案内、反日派、『行動』『政経通信』『兵庫
通信』も配布説明された。又、『別冊正論』(朝日の反日媚中の淵源)等、貴重な資料が小倉氏より提供された。当日の産経新聞で大きく採り上げられた犯罪被害者の友田氏からは、新聞の写しが配布された。ご子息のご冥福を祈りたい。赤田氏は一日会の写真を回覧された。 活動報告等としては、小森先生から『全国有志大連合』第二十五回大会のご案内が有り、参加が促された。山本少佐は『沖縄訴訟』の詳細を報告され、細田氏は『島袋烈士』義挙一周年の集会、示威行進の模様を伝えた。橋本、小西両先生からは「沖縄反日修学旅行」の実情が話された。西出、赤田両氏は本年度の入学式が正常化されつつあるとの目撃情報を寄せた。村上氏は豊富な中共情報と児眠党「二階」某の中共利権に関する話題を提供した。又、「反日派」が支配する鳥取県政、市政糾弾の「鳥取退治」が提案され、三十日に日帰りで決行する事に決定した。その他、多数の報告の後、第二部に移行した。

第二部 三十分講演
演題   「宝塚市長選挙見聞録」
講師   『増木重夫先生』  (国事よろず引受け仕事人)
逮捕されて辞職した前職も知合いであったが、今回知人の県議、市議の依頼を受けて、或る新人の青年を応援したが、世間知らずの候補で、途中から皆去って行ったが、自分は家族ぐるみで支援した。六人が立候補した乱戦で、小池環境相が呼び寄せた官僚候補も立候補を辞退、小池長期入院のオマケまで付いたが、最終的には前衆議院議員の阪上候補が当選した。同候補は、正に「背水の陣」で、四人の子供が手分けして駅に立ち、必死の闘いを展開していた。一方、応援した青年候補は旧態然とした選挙を嫌い「風をふかす」つもりでいたが、自分自身の努力が不足していて結局は「風」は吹かずに落選した。
今回の選挙を通じて、物事全てに基本が大切だと言う事を痛感した。選挙で当選しようとすれば、日々日常の努力を積重ねなければならない。努力もせずに「風頼み」では何事も成就しない。
以上の講演の後、質疑応答に入り、活発な質問、意見が交わされた。 

第三部 懇親会(自由参加)
近隣の支那料理屋で多数の参加を得て快活に談笑して鋭気を養い、散会した。

※ 各論文は、一日会機関紙「神風」よりスキャンしテキストで編集しています。スキャンの誤読をお許しください。