第26号  平成 8年2月                          TOPへ戻る

返せ 竹島   出て行け 韓国軍


中山 嶺雄

(マスコミの犯罪)
平成八年一月二十四日「産経」紙上にて、排他的二百海里経済水域設定に伴い日韓両国間に「竹島問題」の再燃必至、との報道が為されるや、韓国の政府・マスコミ・地方公共団体等は、狂ったかのように反日ヒステリーに自己陶酔し、国を挙げて対日非難・攻撃の大合唱を開始した。この種の異様且つ異常なヒステリー症状は、韓国特有の「精神文化的風土病」と称すべきもので、今更珍しいものではないが、その大騒ぎを黙殺し、殆ど報道しない日本のマスコミの意図こそ大問題である。口を開けば「知る自由」等と公言し、個人の秘密まで暴くマスコミが、今回は韓国の大騒動を極めて小さく扱い、事実上の報道管制を敷いている。何故マスコミは、真実の報道をしないのか。それは、韓国側の余りにもヒステリックで一方的な暴挙・暴論が、我国民の民族感情を刺激し、正論に基づく民族意識が昂揚しては困るからである。従来「日本の敵・外国の味方」であった反日偏向マスコミにとって、日本人が民族意識に目覚める事ほど恐ろしい事はない。そこで、極力控えめな報道に徹しているのである。
斯かるマスコミの暴挙、換言すれば犯罪は、昭和四十年「日韓基本条約」締結の際にも見受けられた。当時、所謂「左翼」勢力に支配されていたマスコミは、日・米・韓の軍事同盟化に繋がると反対していたが、本来、最も問題にすべきであったのは、国交樹立に際して何よりも『領土問題』解決の必要性を主張する事であった。処が、我国益の否定に熱心な日本のマスコミは、我国固有の領土である『竹島』を韓国軍の不法占領に任せたまま、同条約締結を黙認したのであった。それどころか二月十二日の読売によれば、キリスト教系の反日集会で国旗『日の丸』と日本外相の肖像が燃やされたばかりか、『対馬』への領土要求さえ出されたという。これに対しても日本のマスコミは、何も言わない。
従軍慰安婦・強制連行等々、ウソで固めた韓国側の妄言・暴論・歴史歪曲・捏造等々には、無批判に盲従しながら、我日本及び日本人の国益は否定する。今回も又、マスコミの犯罪性が証明された。

(竹島は、竹島にあらず)
我国の領土問題は、ロシアとの間に「北方領土」、中共とは「尖閣諸島」、そして韓国・北鮮との間に「竹島」がある。より厳密に言えば、東南アジア諸国とも「新南群島(南沙諸島)」、米国との間にも「南洋群島」の領土問題の提起が可能であるが、ここでは、『竹島』に重点を置いて論じてみよう。
読者諸賢台の中には、北方領土視察の為に納沙布岬の「北方館」を訪れた方もあろう。其処に陳列されている江戸時代の古地図(写)には、北方領土が我国固有の領土である証明が明記されているが、より精確に読図すれば、何と「竹島」が朝鮮領と明記されているのである。
ならば、「竹島」は朝鮮領か。無論、否である。江戸時代の「竹島」は、現在の『竹島』ではなく、諸々の文献から朝鮮の「欝陵島」を指している事が明白である。従って過去の「竹島」は、今の『竹島』にあらず。ならば、『竹島』は、何時成立したのか。それは、明治三十八年一月二十八日、島根県に編入を閣議決定された時に、新しく命名されたのであって、其れまでは、「松島」「リアンコールト岩」「りゃんこ島」等と呼称されていたのである。中でも、幕末維新に欧米の地理学的知識が入る以前は、長らく「松島」と呼ばれ、山陰の漁民に知られていた。この「松島(現『竹島』)」と、「竹島(現「欝陵島」)」の歴史的呼称の相違を明確に理解すべきである。

(『竹島』の概要)
 『竹島』(旧松島)の概要に関して、地理的には、左の概念図及び資料で、概ね理解できよう。
 則ち、七万坪前後の岩山や岩礁からなる火山島であって、狭い割に標高は最高百五十七米もある急峻で人の居住に不適当な小島であるが、軍事的・海洋経済的価値は巨大である。

(『竹島』ー旧松島の歴史と近況)
「竹島」(欝陵島)の存在は、我国では、平安時代から知られて居た。これは、同時に松島(現『竹島』)の認識に繋がる。何故ならば、隠岐島と欝陵島の航路上に松島が存在するからである。だが、大海の目印程度の岩島が、歴史の舞台に名を記すのは、江戸時代に入ってからである。この島では、毎年春から秋にかけて、「みち(アシカ)」「鮑・栄螺」を主とした狩漁が行われていた。殊に元和四年、幕府による「竹島」(欝陵島)渡海免許発行以後、元禄九年迄、「隠岐島」「松島」「竹島」を結ぶ航路とそれぞれの島々は、米子の豪商達の独占する所となり、彼らによる海産物・林産物採取は、隆盛を極めた。
だが、朝鮮内部の政変の煽りで、朝鮮から幕府に請願が行われるや、時の将軍徳川綱吉は、朝鮮の懇請を受入れ、「竹島」(欝陵島)への渡航を禁止した。     (松島への渡航は禁止されず)幕末・維新にかけて、幕府・新政府の統制力低下に伴い、「竹島」(欝陵島)への日本人渡海・定住者は増加した。明治十六年日本政府は、朝鮮政府の要請を受け、欝陵島に役人を派遣し、在留邦人 二百五十四名を引き揚げさせていた程である。
これに対して朝鮮側は、李氏朝鮮成立初期から、国内反乱対策上、所謂「空島政策」を実施し、実に明治十四年迄、約四百五十年以上も事実上同島を放棄していたのである。まして「松島」(現『竹島』)に関しては、その存在さえ知らなかった可能性が極めて高く、現在韓国が呼称している「独島」なる島名は、江戸時代以前の如何なる史料にも登場しない。初めて現れるのは、明治三十年代頃からである。その語源も幾つか存る。勿論、松島で韓国人が生活していた証拠は全く存在しない。韓国側の流民一千人が逃げ込んでいた等という史料は、欝陵島以外に該当する島嶼がないのは、明らかである。
明治三十八年、島根県に編入後も概ね無人であったが、例年「みち(アシカ)」「鮑・栄螺」採取に数十名規模の漁民が、春から秋にかけて渡っていた。その中には、日本人に雇われて欝陵島から働きに来た朝鮮人の漁民も多く、第二次大戦後、日本人漁民が「マッカーサー・ライン」の内側に閉込められるや、彼ら朝鮮人が勝手に『竹島』へ来て、魚介類を密漁する様になったのである。昭和二十三年には、当時、GHQと占領下「日本政府」の協定で米軍の射爆場とされていた『竹島』に於いて、密漁韓国漁民が米軍の爆撃を受け、死者・行方不明十六、重軽傷六名の被害を出している。
だが、韓国の反日政策の下で、貧しい韓国漁民の密漁は、止まる事なく、昭和二十八年には、我巡視艇が銃撃を受け、翌二十九年からは、韓国警備隊が常駐し、不法占拠の既成事実化を図っている。
戦後の「日本政府」が、通常最低限度の独立国家としての常識を保有していれば、当然実力で侵略者を排除していたはずであるが、「売国・自虐」政府は、その当然の義務を放棄し、「触らぬ神に祟りなし」を決込んだ。そればかりか、昭和四十年の日韓基本条約では、領土問題の解決を棚上げした上に、韓国におき去っていた膨大な日本人資産の請求権を放棄し、更に当時の国家予算の五パーセントに当る五億ドルもの無償援助を与え、その上三億ドルの有償援助さえ供与した。正に「盗っ人に追い銭」である。斯かる偽日本政府の「土下座・謝罪・いじめられっ子外交」は、「いじめ大好き国家」たる韓国及び韓国民の加虐性を大いにくすぐり、最近では、サッカーの「ワールド・カップ」開催地を韓国に譲れと、日本に強要する迄、増長している。
斯かる状況下、日本側からの情報は、極めて少なく、韓国側のそれにたよる他ないが、数年前の在日韓国系「統一日報」記事によれば、「独島 新発見 天恵の秘境」の見出しで、朝鮮日報社後援の下に、釜山水産大学生等三十名が総合学術調査を実施した内容を伝えている。
其れによれば、東西二主島以外の岩島の数が、従来よりも二倍近い六十二・三もある事が確認され、新発見分の地番設定が急がれている、とのこと。又、東西両島の最高峰に各々「天満峰」「青年峰」と命名したとか。同様に各岩島にも命名する予定と言う。警備隊の他にも住民の存在が明記され、東西両島間の海峡に港湾施設建設の可能性を示唆し、「立派な漁業前進基地」の展望を述べている。
此のような韓国側の積極的侵略行為に対し、日本政府の対応は、「怖いものは見たくない」方式で、地番さえ確定していないのが、現状である。

(韓国側の主張)
国際的に合法・当然な我国の退去要求に対して、韓国政府は、逆にこれを日本の侵略等と悪宣伝し、曲解、捏造した「歴史認識」を我国へ強要して来た。
例えば、昭和二十九年九月二十四日付「大韓民国駐日代表部口上書」では、日本側の態度を、「事実を故意に無視し、かつ権威のない物語のみを引用し、ー(中略)ーこの問題を公正な態度で研究する意志を持っていないことを明らかに示すものである。」等と決めつけている。 だが、この言葉は、そのまま韓国政府並びに韓国国民へ叩き返すべきものである。何故ならば、彼等の「歴史認識」なるものは、狂信的な反日洗脳感情教育の結果、極度に歪曲、捏造されたものであり、『歴史的事実』とは無縁の政治宣伝に過ぎない。「日本性悪説」「日本誤謬論」を前提として、「初めに結論ありき」から発した予断と偏見、独善に満充ちた謬論の連続である。ここで詳細を示す紙面はないが、一つだけ、「国際司法裁判所」への日本政府による提訴提案を韓国が拒否した事実を示すだけで十分であろう。勝と分かっていれば、「日本いじめ」を国是とする韓国が、乗って来ないはずがない。負けるのが分かっているからこそ応じないのである。

(旧「竹島」ー現「欝陵島」は韓国領か) 日・韓両国は、旧松島・現『竹島』の領有権のみ論争し、旧「竹島」・現欝陵島が韓国領とされている点を当然の事実として看過ごしている。だが、ここ六百年の歴史を顧みれば、同島を生活の場としてより長く関係していたのは、朝鮮人ではなく、日本人なのである。
李氏朝鮮の初期、太宗十六年から欝陵島は、「空島政策」に依って無人島とされ、八幡船や文禄・慶長の役で日本側の基地とされていた可能性が大きい。加えて、元和四年より、米子の豪商が幕府から 「竹島(欝陵島)渡海免許」を取り、五代将軍綱吉の元禄九年迄、八十年余りも日本人が公式に占有利用していた。しかも、朝鮮は、その事実を知りつつも、殆ど抗議や反発を見せなかった。
所が、元禄五年、朝鮮政変に絡んで、同国政府は幕府に対して日本人の「竹島(欝陵島)」渡海の禁を求めて来た。それに対して、対馬藩始め幕閣の多くは、朝鮮の要求を拒否しようとした。それを抑えて「渡海の禁」を決定したのは、将軍綱吉(犬公方)であった。国内に於いては、犬を始めとする家畜を人間以上に尊重し、外交面では我国民の利益よりも外国民のそれを鷹揚に許容したのであった。綱吉の「逆差別・外主内従政策」は、何と現在の偽日本社会に似ている事か。 明治十四年、朝鮮李大王十八年以来、朝鮮人の欝陵島移住は、本格的に始まったが、明治四十三年の『日韓併合』に依って、同島は正式に日本領となった。帝国主義時代の当時、我日本の領土となった朝鮮半島、なかんずく欝陵島の領有権は、国際法・国内法の何れから見ても合法であり、歴史的に見ても正当である。
だが、韓国は「日韓基本条約」の「無効」を喧伝する。百歩譲ってそれを是とすれば、昭和二十年当時、国際法違反であった連合国軍の日本長期占領と、占領下に我国に押付けられた「サンフランシスコ講和条約」は、それ以上に無効ではないか。当時のGHQ傀儡日本政府は、確かに朝鮮半島と共に、欝陵島をも放棄させられた。だが、それは、占領軍の銃剣による脅迫下に強要されたものであり、国際法上明らかに違反である。同条約が無効である以上、同条約で放棄させられた朝鮮半島等の帰属は、昭和二十年八月の段階に遡及して、改めてその本来の正当な帰属先を考慮すべきであって、旧竹島・現欝陵島の領有権は、歴史的経緯に鑑み、韓国よりは、日本に帰すべき理由大なるものありと、敢えて主張するものである。
(『竹島』隠し、を許すな)
この稿は、如月上旬に脱稿していた。だが、その後の余りにも露骨な偽日本政府とマスコミによる「竹島隠し」を目の当たりにするにつれ、その反民族性に論及しない訳にはいかない。
一月二十四日産経報道以来、韓国の政府・マスコミによる「反日キャンペーン」は、例によって異常・狂乱の様相を見せている。それに対して日本政府・マスコミの対応たるや「黙して語らず」、或いは、韓国側の主張や行動を代弁するのみであり、我国の立場・正論を正々堂々と主張するマスコミは、皆無であった。
むしろ、「住専ヒステリー」や北海道の「トンネル事故キャンペーン」を煽り、国民大衆を集団催眠に懸け、我国民の正常・当然の民族感情を抑圧し、或いは、問題を摺替える有様であった。特に、朝日新聞如きは、当初極めて過小にベタ記事で取扱い、問題が大きくなるや、傍観者的立場で暗に韓国の代弁をするのみである。それ以上に悪質であったのが、NHKである。高々二十名の、それも死亡しているのが明白な遺体発掘作業を、朝から深夜まで延々と放送し続け、天下・国家・民族・国民・主権に関する重大報道を極力無視し続け、国民の眼を、韓国の侵略からそらせる事に、最大の貢献をなした。此れまで、例えば北海道の炭鉱事故で、二百、四百名の国民が生き埋めになった時、斯かる大袈裟な報道が為された事があったであろうか。今回の「トンネル事故キャンペーン」は、反日偏向マスコミと売国自虐政府による「事なかれ主義」「触らぬ神に祟り無し」「怖いものは見たくない」路線に基づく「世論操作」以外の何物でもない。
このような衆愚と怯懦に覆われた偽日本社会で事実・真実を認識し、主張できる者は、吾等民族派を置いて他にない。諸卿、『知行合一』の精神を実践し、
民族の大義護持に向けて邁進せん。