第123号  皇紀二千六百六十四年(平成16年)  弥生(三月) TOPへ戻る

『小東亜戦争』戦時下の現状を直視せよ!                 


−北京、平壌、京城、反日利権枢軸の醜悪な  反日狂育、反日宣伝を撃滅粉砕するぞ−

(「反日キチガイ」大歓迎)
ーアホ・ボケ、バカ・ダメ コイズミ無閣ー

平成十六年三月二十四日、我国の神聖且つ固有の領土たる西南諸島『尖閣群島』に、共産支那から七個の粗大生ゴミが不法投棄された。ゴミを処構わずに捨てまくる支那と違って、勝手に生ゴミを捨てて行くのは我国では犯罪である。犯罪船舶を拿捕せずにそのまま放任したエセ「日本政府」に独立国家の矜持処か遵法精神の片鱗さえ見られない。更に驚くべきは、放置されて反日言動を喚き散らし、施設を破壊した粗大生ゴミたる反日キチガイ犯罪者の一群を、沖縄県警は逮捕しながらも、コイズミ売国内閣の指示で送検せず、中共政府に脅される侭に「即時無条件釈放」ー明確な違法行為ーした上で、懇切丁寧に本国へお送り申し上げたのである。正に「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」の異常性が、又も露にされた最低、最悪の外(害)交事件処理であった。中共の反日キチガイと中共政府に、「毎度、ご来国(ご来犯)を楽しみにお待ち申し上げております。次回も、懇切丁寧に送り返させて戴きます」と密入国ー不法侵略、主権侵害ーを助長、奨励しているエセ「日本政府=コイズミ内閣」こそ、正に国際法違反、国際常識無視の違法キチガイ集団と言う他無い。その場逃れのコイズミ、フクダ等の異常者共に国際常識や遵法精神を説教した処で「馬の耳に念仏」の譬通り、高知競馬で連敗を重ねる「春ウララ」並に成績改善は一向望めない。
「反日偏執狂国家=中共」に媚び諂い、ひたすら「事勿れ主義」に逃げ回るエセ日本政府の態度は、更なる対日侵略、主権侵害を招く
売国的、国賊的愚行でしかない。


(「中共」に「民間」は無し)
ー尖閣諸島上陸犯人は中共の間諜だー

今回の中共に因る尖閣諸島侵略策謀の一件で、又も露呈された事実は、エセ「日本」に「中共」を知る者が如何に少ないか、であった。「日本(にほん)」が正しい『日本(にっぽん)』であった頃、『支那通』と呼ばれる支那を熟知して豊富な支那人人脈を有する人々が存在し、適切な認識と判断、助言を行っていた。有りもしなかった所謂「南京事件」の責任を取らされて虐殺された『松井石根大将』も其の一人であった。支那人への理解と共感を抱く大将は、我軍の大なる被害を敢えて甘受し、「中山陵」への重火器に依る攻撃を許可せず、同市陥落後は、日支両軍戦没者の慰霊祭を行い、慰霊碑を建立したのであった。
其の様な『支那通』の発言権が完全に抹殺された「GHQ反日体制」下のエセ日本で、所謂「中国」への認識は、無知と誤解、過大評価、加害者意識等で歪められ、「限りない発展を約束された善意と寛容な被害者大国」との心象が、エセ「日本」の「反日狂育」と「反日マス・メディア」に醸成され、日本国民の意識を洗脳してしまった。
其の結果、今回の中共に因る『尖閣諸島』侵略は、中共民間人に依る自発的な愛国的活動
でインターネットを利用した世論に配慮して中共政府も敢て強硬な態度を採らざるを得ないのだ、等と言う愚論がマス・メディアを覆い、エセ「日本政府」も、其の様な暴論を背景に、中共政府の要求に屈服して七個の粗大生ゴミを丁重に「送還」したのである。
 だが、中共に「民間」や「世論」が在るのならば、「全国人民代表大会」代議員の数分の一は「法輪功」の活動家になっているはずである。処が、あの巨大な人民大会堂に参集する二〇〇〇余名の代議員中「法輪功」は一人もいない。一時当局に拠って一億とも五千万人とも言われた同組織の代表が一人も居ない事実は、「中共」には自由主義世界での「民間」も「世論」も全く存在せず、総ての言論、活動、行動が「中国共産党政府」の指示、指令に基づいて行われて居る事を証明しているのである。当然所謂「活動家」と中共政府は表裏一体であって、「活動家」なる粗大生ゴミが中共の港を出港出来たのも、尖閣諸島海域に到達出来たのも、同諸島に上陸したのも、北京の日本大使館前で示威活動を行ったのも、我国旗を踏みにじり、焼却したのも、総て中共政府の許認可と指示、支援、共謀に依るものである。中共政府からの「民間」を隠れ蓑にした露骨な「対日侵略」「対日侮辱」に対しては、「普通の国」ならば「国交断絶」で対応するのが当然であり、其れが出来なくても中共大使の追放、或は駐中共日本大使の帰国等の対抗措置を採るべきであり、準公務員として我国領土に不法侵入した自称「活動家」は、間諜(スパイ)として重罪に処すべきである。にも拘わらず、中共に脅される侭に超法規的違法処置で「即時無条件釈放」した「日本政府」の「害交」には、怒りを通り越して唖然、呆然、驚愕する他ない。人間は斯く迄も愚かに成れるものなのか。斯く程、卑屈に隷属出来るものなのか。誇り高き『真正日本人』から見れば、コイズミ、フクダ、反日マスコミの類は、異星人、宇宙人、はたまた餓鬼草紙で醜く這い回る餓鬼の群にしか見えない。尖閣諸島を侵犯した粗大生ゴミとそれを遠隔操作した中共政府に全面屈服した醜悪な餓鬼が支配するエセ「日本」社会では、エセ政府の要請に応じたのであろう、日本国民の民族意識覚醒を恐れた「尖閣諸島隠し」が露骨に行われ、たった一人の子供が死亡した「回転扉」事件を大々的に取上げて、単なる些細な「事故」を、『主権』『領土』以上に騒ぎ立て、国民の眼をそらせる事に成功した。


(「中国共産党」こそ支那人に対する侵略者、圧政者、加害者である)
ー中国共産党は「日中両国人民の敵」ー

大正七年の所謂「ロスケ十月革命」で暴力的に政治権力を握った「ボルシェヴィキ(多数派を自称する少数派)」は、国内で反対派に対する残虐極まりない内戦を続けると同時並行して、全世界に共産主義革命の輸出を行った。当初は一定の理想に基づいた活動ではあったが、無論「蘇連邦」成立以後も社会主義国は一国も出来ず、世界各地の共産党は、総司令部たる「コミンテルン」の指令を受けて、本国蘇連の為に全世界の国内混乱を担当する売国政治勢力としての存在意義しか持たなかった。
所謂「中国共産党」は、周恩来等を中心に蘇連邦成立前後にパリで結成され、コミンテルン=蘇連邦の支那支部として軍閥割拠の新生「中華民国」に混乱を齎せた。フランスの
アンドレ・マルローがその頃の南支広東辺りの状況を小説に書いて居るが、正に一揆主義、一発主義の見通し無き暴力蜂起の連続で悉く失敗した。だが、都市中心から農村中心に基盤を移した「毛沢東」の現実路線と、蘇連=コミンテルンの独裁者「スターリン」の狡猾な「人民戦線」方式ー敵の弱い部分を取込み、敵同士を戦わせるーに依って、「中国共産党」は陝西省から山西省の一部、北京の知識層等へ支配地域を拡大し、昭和十一年の「西安事件」と「第二次国共合作」、更には同十二年の「盧溝橋事件」「通州事件」で日本・支那両軍の戦闘を惹起、拡大させ、「漁夫の利」を獲得、国民党に因る殲滅の危機から脱出したのであった。その後「支那事変」の長期化を悪用し、日支両軍の間隙に乗じて支配地域を拡大させ、我軍が大陸から撤退するや、国民党を圧迫、攻撃して、昭和二十四年十月に「中華人民共和国」を成立させたのであった。 此れだけならば単なる政権交代に過ぎない。だが、「中国共産党」政権の支那支配及び周辺諸国支配が、其の地域に居住する人民に如何に多大な正に「筆舌に尽くし難い」苦痛と惨禍を齎せたかは、内戦中、政権樹立後の支那等で発生した歴史的事実を素直に振り返れば明白になる。国共内戦時期から地主階級への家族ぐるみの大量虐殺は行って居たが、政権樹立後には、特に南支を中心にした組織的大量虐殺が「人民裁判」の名で多発した。如何に少なく見積もっても数百万人は虐殺されている。香港や周辺諸国に逃れた数百万の人々は、其の虐殺からの生残りである。
此の昭和二十年代の直接大虐殺に続いて、同三十年代には農村の社会主義化に伴う所謂「大躍進政策」の失敗で二 三千万人もの農民が餓死を余儀なくされたと言われて居る。続く昭和四十年代の所謂「文化大革命」でも、「実権派」「走資派」として数百万人の共産党幹部、知識人、宗教関係者等が引き回されて殺害、或は自殺に追いやられた。平成元年の所謂「天安門事件」等は死者数が三千人足らずとされ、それ程の虐殺では無いが、当時「登小平」が「百万人ぐらい殺しても構わない」と発言したのは、此等の血に塗れた「中国共産党」の虐殺史を背景にして初めて理解出来るのである。
現在、チベット等の周辺諸国でも、猶繰り返されて居る此種の人民弾圧、拷問、虐殺等、蛮行の数々は、「中国共産党」の非人道性、非人間性、破壊性、侵略性等、の本質を余す所無く暴露している。例えば所謂「文化大革命」で数千年来の伝統文化を徹底的に破壊、根絶を企画、実行した事実からも認識、理解
出来る様に、「中国共産党」及び其の政権は、支那及び周辺諸民族に対する最大最悪の侵略者なのである。


(中共の実態)
ー社会主義的市場経済の矛盾的整合性ー

「中共」ー共産党支配支那ーの本質を知らない者に執って、「中共」は理解し難い社会である。「社会主義的市場経済」なる文言を発案したのは共産党第一世代最後の独裁者「登小平」であったが、「市場経済」とは「資本主義経済」そのものである。即ち「社会主義的市場経済」とは「社会主義的資本主義経済」と言う二律背反する精神分裂症的表現であって、「私有制度」を否定する「社会主義」と肯定する「資本主義」を同義とする
論理は、常識的には有り得ないはずである。
だが、目的の為には「何でも有り」が支那社会の伝統的発想である。「黒猫でも白猫でも鼠を取る猫は良い猫だ」との「黒猫白猫論」で文化大革命時期に批判された「登小平」は、実利の為には建前を糊塗しても何の心の痛みをも感じない老獪な革命屋であった。
其れを継承して更に資本主義化を進展させ、全支那に「拝金主義」を齎せたのが「江沢民」の「三個代表」理論であった。「眠られない時に読んだら良い」と揶揄された長大かつ難解かつ無内容の論理は、「社会主義決別宣言」と理解したら良い。此の結果、資本主義国家「中共」の高度経済成長が発生して、今や日本経済でも「中国特需」なる経済用語さえ生まれている。
平成十五年度に九分 、十六年度も七分とされている「経済成長」の実態は不明である。中共の公式発表等には何の信憑性も無く、資料的信頼性も低い。但し「西低東高」の中共経済地図に在って、上海、北京、深 、広東等沿海部大都市での生産増大と収入増加、そして貧富の差の拡大が急激に進展しているのは確かである。例えば上海の場合、此処数年で年収二 三十万円から五 六十万円に増加したとも言われている。だが、其れは飽くまでも大企業や優良企業、外資系企業の被雇用者であって、地方から「盲流」ー無許可移転ーして来た農民達の中には月収一万円以下の者も多い。奥地に在っては、未だに年収一 二万円と言う超低所得地域も残存している。斯かる貧富の差は「資本主義」の必然的社会現象であり、資本主義化した事実を公言すれば良い様なものであるが、其れは出来ない。何故ならば、資本主義宣言を行えば、過去の「中国共産党」の論理、政策、歴史等の否定に繋がり、現共産党幹部、党員の政治的、経済的既得権益、利権の喪失を齎せかねないからである。一旦獲得した特権を自ら放棄する程、共産党支配階級はヤワでは無い。
つまり、「社会主義的市場経済」の文言は、論理的には矛盾の塊であるが、中国共産党が都市での実質的奴隷労働と農村部での実質的農奴労働からの搾取収奪で既得権益を維持確保して行くと言う意味に於ては十分な整合性を保有しているのである。


(国内支配手段としての「反日」政策)
ー国民の不満と疑心を『日本』に向けるー

東亜周辺諸国共通の政治的手法は「反日」宣伝の徹底的悪用である。所謂「戦後日本」が、せめて「普通の国」であったのならば、斯かるウソ出鱈目の非難、誹謗、讒謗には断固たる反論、反撃を行い、相手国も引下がったに違いないが、国際法違反の侵略や内政干渉、侮辱等に対して一切の反論、自己主張を行わなかったエセ「日本」のいじめられっ子体質が、より大きな対日いじめ、反日攻撃を産んで、周辺いじめっ子諸国の国内不満解消装置の役割を担わされて来た。
昭和二十年代、韓国を独裁支配した李承晩は、国際法違反の所謂「李ライン」で我国固有の領土たる『竹島』を強奪し、徹底的な「反日狂育」を国民に強制した。近くは平成の御代に入り、「中共=江沢民」の採った剥出しの反日狂育、反日宣伝、反日政策は露骨且つ異様なものであった。資本主義化して崩れ行く「中国共産党」の全面的支配体制を何とか維持する為には、国外に国民共通の「敵」を設定して国民の不満や不信を向けねばならない。と同時に経済発展に向けての資金、技術を恐喝、強奪するには「対日いじめ」に限ると単細胞的反日攻撃を継続し、其れは土下座害交のエセ「日本」に対して、常に一定の利益を保障したのであった。


(東亜内部の「小東亜戦争」不戦連敗)
ー勝ち知らずのエセ「日本」だがー

「日本」を諸悪の根源と見做す事で、国内外の秩序を維持確保して来た周辺諸国に執って、平成元年の「冷戦終結」迄は、「米・日・韓」対「蘇・中・鮮」の対立構造が、或程度反日攻撃を緩和する役割を果たしていた。だが、蘇連邦崩壊を受け、対立軸の喪失した東亜社会に於て、「日本」と言う格好の「いじめ相手」「恐喝相手」は最高のサンドバッグ
となった。のらりくらりと逃げ回るだけで、叩かれても蹴られても一切抵抗も反撃もせず、土下座して謝るだけでなく、どんどん金を差し出す「日本」。いじめる側から看れば、「日本」とは、征服欲、支配欲を満喫し、莫大な利益を吐き出す旨み最高の「眠れる不戦連敗ブタ」でしかなかった。
其のバカブタの頂点は「細川バカ殿内閣」であった。栄えある『大東亜戦争』を、他人事の様に「侵略戦争」といとも軽く断言した国賊ホソカワの妄言で、周辺諸国からの組織的、計画的「日本叩き」が加速度的に増大し、「北京、京城、平壌反日枢軸」が日々「反日攻撃」の機会を伺い、監視し、適当な口実を創っては言い掛かりを付ける態勢が整った。何の正当な論拠、根拠も無く、周辺諸国が「日本」に内政干渉し、する必要の無いことを強要し、膨大な資金を奪取るのであるから、此れは事実上の戦争である。少なくとも「普通の国」ならば、国土と主権、国民を守る為に、自衛戦争を発動しているに違いない。
然し、所謂戦後数十年間「反日自虐加害者意識」を擦り込まれて反日洗脳に陥って居る多くの日本人は、暗愚、怯懦、怠惰の劣悪な性情に支配され、正論を語る処か認識さえ出来なかった。                だが、『日本民族』は絶滅した訳では無かった。平成八年頃から盛上がった「教科書問題」では、民族精神を死守している吾等のみならず、「普通」の「国民意識」を抱いて居る老若男女が正常化運動に立上がり、参加した。其の反日自虐否定の動向は、平成十四年九月の「コイズミ訪朝」に伴う金正日の「日本人拉致事実確認」に因って確定的になった。即ち、過去、現在、未来に渡って日本人は常に加害者(悪者)であって、日本以外の外国及び外国人は公正で信義溢れる被害者(善人)であると言った「反日洗脳」の呪縛が、可成多数の人々の脳裏から雲散霧消するに至ったのである。
今回の中共政府及び其の配下の反日活動家に依る露骨な対日侵略に対しても、沖縄県警は一応は逮捕し、日本国旗への侮辱に関しても害務省が一応抗議らしい申し入れはしている。数年前、尖閣海域で勝手に海に落ちてくたばった香港の生ゴミの葬儀に、在香港日本総領事が愚劣最悪にも弔いに行き罵声を浴びた幾重にも異常な救い難い害交に比べれば、低劣では有っても格段の進歩が看られる。又、マス・コミの対応も可成マトモに近づいて来た。例えば、『一日会』で「日本放送協会」へ乗り込み、常に指摘していた「日本と中国、台湾が領有権を主張している尖閣諸島」の文言が、「日本の領土である尖閣諸島」と説明冠詞が改善、是正されたのである。
従来不戦連敗であった東亜の最弱国「日本」がやっとささやかな自己主張を出来る迄に立ち上がってきた。後僅かの努力と年月で「普通の国」に成れる。『大東亜戦争』同様に『小東亜戦争』も戦い抜こうではないか。