第124号  皇紀二千六百六十四年(平成16年) 卯月(四月) TOPへ戻る

「十二歳」からの脱却
     


ー「外圧」(実は内圧)がエセ「日本」を蘇らせるー

(「十二歳未満」少年の自演茶番劇)

平成十六年四月八日、西南亜細亜イラクに於て日本人三名が、イラク武装勢力に拉致誘拐され、「自衛隊」の三日以内の撤退ー物理的に絶対に不可能ーを要求されたとの報道が流布された。
カタールの「アル・ジャジーラ」が「独占」放映したその画面を視た瞬間、『此れは狂言だ』と思わず呟いた。他の人質誘拐事件の際に視られる緊迫感、緊張感、悲愴感、恐怖感等々の心理が全く感じられず、自称「人質」は皆落着き払って居り、一名の女子に至っては身振りを交えて自己主張を行っている。本当に拉致誘拐されたならば、恐怖に打ちひしがれ、緊張感で強ばった表情を浮かべるものであるが、件の三人には全く其の様な落ち込みの様子が看られず、只、平穏無事に落着いて淡々と被写体の役回りを演じて居た。
自称「ジャーナリスト」の男性はともかく、高校を卒業したばかりの青年や女性が拉致誘拐され、「生きたまま焼き殺す」と本当に脅されたならば、或は小銃を突き付けられたならば、恐怖に脅えて顔を震わせ、悲鳴を上げ、泣きじゃくるのが当然である。処が、何の恐怖感も見せない三名の自称「人質」は、一見して被害者では無く、誘拐犯人の協力者、若しくは「共犯者」に過ぎない事が第一報で明白に看取された。到底、観衆、聴衆の観劇に耐えないマッカーサー指摘した処の「十二歳」にさえ至らない少年「共犯」共の見え透いた茶番劇は、無視、或は放置すべき性格の非行、愚行に過ぎなかった。


(自称「被害者」は絶対的優位者)

「アル・ジャジーラ」最初の映像で無視、放置すれば良い自称「人質」日本人三名を、エセ日本のマス・メディアは、「平和」と「人道」の守護神として奉り、其の軽薄幼稚な、そして特定の思想活動ー「(反日)・反米」を、恰も崇高な人類的目的遂行の為の殉教者の如く報道し、其のマス・メディアの報道の影響も有り、エセ日本政府も又、同様に件の三名を「被害者」として対応した。
「狂言」「自作自演」「やらせ」「共犯者」の容疑が当初から濃厚であったにも拘わらず、一旦メディアが「被害者」と報道すれば、余程確固とした証拠が無い限り、所謂「北朝鮮不審船事件」で不審船を「スパイ船」と断定出来なかった様に、落着き払って全く動揺さえ見せない自称「人質」を「被害者」と認定せざるを得なかったのである。其ればかりか、自称「被害者」及び其の「家族」から、エセ「日本政府」は非難、糾弾されるのみで、反論する処か、真実の追求、解明は全く進展させようともしなかった。又も、「自称被害者」が最強の勝者と言う「倒錯の論理」がエセ日本社会を支配したかに見えた。


(大根役者の素人演技に流石の日本国民も呆れ果てた)

「自称人質=共犯説」をわざわざ一々論証する必要も価値もない程の茶番劇に多くの日本国民が気づいたのは、所謂自称「人質」が「解放」されたと言う「朝日新聞的」国民的慶事報道であったろう。「日放協」の「アナウンサー」が北鮮「中央TV」の「金正日」報道アナウンサー同様の作り笑いを浮かべて「人質解放」を祝った其の報道自体が、同事件の異常性、欺瞞性を明白に露呈していた。
「拉致誘拐」された時と総てが全く変わらず、服装はホテル住まいと同様汚れも見せず、全く憔悴した様子は無く、逆に解放感も喜びも見せず、果汁に入っていたのであろう氷らしきものを口中でなめ回したバカ女は、興味の無い授業が終わった生徒の様に一言「アーア疲れた」。流石に反日「日放協」は、此れではマズイと考えたのか音を消し、その後、件のバカ女が泣いて居る場面を繰り返し流した。だが、後に其の涙の原因はイスラム教の僧侶からイラクの子供へのボランティア活動を感謝された事への感激の涙であって、「解放」の喜びや誘拐の辛苦、日本国民への感謝の涙では無かった事が判明した。高校を出たばかりの爬虫類的目付きの男も何の苦痛も感動も示さず、下手な役どころを演じて居た。
拉致誘拐拘束に何の苦痛も抱かず、逆に「解放」されてから精神的に動揺、混乱して記者会見さえ出来ない三名の実態は、正に共犯であった事実を物語って居り、朝日新聞と其の御用文化人以外の国民は、程度の差こそあれ此の狂言の大根役者への同情を放棄したのである。


(『日本』が見えない)

三名を共犯と断定する勇気あるメディアは無かったが、少なくとも「自己責任」ー所謂戦後日本で否定、無視されて来た論理ーを追求する意見、主張は雨後の筍の様に輩出した。だが、本人達への取調べや記者会見が無い侭に犯人の追求や捜査は殆ど行われて居ない。
後で指摘するが、エセ「日本」政府も可成共犯性が高いのである。従って此の侭、「お蔵入り」を望んで居ると考えられる。
社会を騒がせ、多額の公金を浪費させた悪質極まりない今回の事件は、エセ「日本」社会の脆弱さを又も露呈した。恥ずかし気も無く「自衛隊を引き揚げろ」と、脅迫に負けて無責任な幼児論を繰返す「十二才」にも達しない朝日的文化人、「反日・反米」勢力と、彼等に振回されるエセ「日本」政府。阿呆と馬鹿の猿芝居、視るに耐えない田舎芝居が続いた。ブッシュ・チルドレンと呼ばれる「十二才」のコイズミは、最初に結論ありきで自衛隊撤退を拒否した。脅迫に屈しなかった訳では無い。自衛隊派遣以前から米国の国益を第一に優先させていたコイズミは、米国の為に撤退しなかっただけである。反日・反米勢力も又、イラクの為、反米の為、共産(社会)主義の亡霊の為に撤退を要求するのみであり、『日本(日本人)の為に』と言う視点や価値観は、双方の何処にも見受けられ無かった。
筆者は、平成二年のイラクに依るクウェート進攻以後今日迄の西亜細亜に於る戦乱を、鬼畜米英の侵略に対するイスラム勢力の『大西亜戦争』と規定し、「米国の為の」自衛隊派遣に反対して来た。だが、今回の様な茶番劇で撤退するのは絶対に容認できない。愚にもつかぬ八百長脅迫劇で逃げ帰ったとなれば『日本人』の名誉は棄損される。『日本』の為に今、自衛隊ー外国では「日本軍」と見られているーを動かす事は出来ない。


(事実は語る「アル・ジャジーラ」の関与)

今回の不愉快な事件は、アル・ジャジーラが放送する前から一定の脚本が策定され、配役や役割分担も決められていた。
放送直後からイラク・ヨルダン、日本等で急速に展開された「人質解放支援」「自衛隊撤退要求」の活動は、短期間に準備出来るものではない。ならば誰が脚本を書いたのか。
幾つもの集団や組織、勢力が関係しているので、特定の個人や組織を上げる事は出来ない。即ち、特定の司令部から上下関係の命令系統で指令、命令が伝達され、作戦が実行されるのでは無く、幾つかの反米勢力が所謂「ネットワーク」を構成し、各々が役割分担を行い今回の事件を起こしたと考えられる。
其の中心的役割を果たしたのは、断定する証拠は無いが、「アル・ジャジーラ」と其の関係者である可能性が高い。所謂「人質解放」の段階で誰も疑問を呈しなかった事実がある。「解放」の段階で「クベイシ師」が語った内容は、実行犯から電話がかかり、指定したモスクで「人質三名」が「解放」され、「ムスリム聖職者協会」に連れて来て日本大使館に連絡、三名は直ぐに大使館へ収容されたとなっている。「アル・ジャジーラ」の「ア」の字も出てこないが、実際には「解放」直後の決定的な映像を「独占」的に取材しているのである。つまり、「アル・ジャジーラ」は、事前に「人質解放」を知っていて取材の準備を完了していたと言う事になる。同放送局は何故其の情報を取得出来ていたのか。「人質拘束」の「独占」第一報も「アル・ジャジーラ」で「人質解放」の「独占」取材も同局である。同放送局関係者が最初から最後迄関わって居た事は事実が証明している。
三名の「人質」「解放」交渉や段取りが手間取る中で、第二陣の日本人男性二名ーこれも「ジャーナリスト」と「反日・反米活動家」の組合わせーが拘束され「ヴィデオ」ー結局必要が無くなり交渉材料にされなかったがーを撮られた後で「ゲスト」扱いされ、声明文も無い侭に、三名の「解放」後に「解放」されたが、其の際には欧米の通信社が記者会見している。イスラム教スンナ派の武装集団が「ゲスト」として迎えた「人質予備」の二名には価値が無くなったからだと推測される。第二陣の「解放」から逆に類推すれば、事件の目的が明確に成って来る。
因に「クベイシ師」の発言も余り信用出来ない。スペイン、マドリードでの列車連続テロの犯人の残党が、同市のアパートで治安部隊の急襲を受け自爆した原因は、事件時以来使用を続けて居た携帯電話の発信先を人工衛星から捉えて潜伏先を確定、包囲したのであり、クベイシ師の携帯電話も米国が完全に盗聴している筈である。其の電話を使用して武装勢力と連絡したと言う話はおかしい。

(語られなかった「金」の存在)

エセ「日本」首相コイズミは、拉致誘拐第一声明文で要求された「自衛隊の撤退」には、明確に拒絶した。だが、自称「人質」の「解放」は、早急に進める必要があった。仮に、「人質」の安否に問題が発生すれば、七月の参議院選挙に多大な影響を与え、延いては自衛隊撤退問題にも繋がる。
第一声明文翌日、ロスケのRTRは「日本が特殊部隊をイラクへ派遣した」と断定的に報道したが、無論「日本」は其のような「普通の国」では無い。武力に依る「人質奪回」が不可能なエセ「日本」政府にとって出来る事は、理解と懇願を求めるだけであるが、国際社会は甘いものでは無い。謝罪や懇願には、当然の対価として「金」が要求される。
既に、自衛隊のイラク派遣にあたって、自衛官の安全の為にアル・ジャジーラでコイズミが出演し、其の虚構の理由を説明したが、多額の「害務省」機密費を浪費したであろう事は論を俟たない。通常ならば金と時間をかけて取材する首相インタヴューを、逆にお土産付きで感謝された「アル・ジャジーラ」及び其の関係者が、「柳の下のどじょう」を狙ったとしても無理は無い。事実「クベイシ師」は、三名「解放」後に「日本政府からお金の申し出があった」と語ったとの報道がなされた。確かに、「日本」政府は、現地スンナ派の武装勢力に直接的には「金」を渡して居ないかも知れない。だが、民間放送局たる「アル・ジャジーラ」に対して「宣伝・広告・人質救援協力費」等の名目で多額の「機密費」を渡して居るのはほぼ間違えない。つまり、同放送局を「トンネル会社」「ダミー会社」とし、逆「資金洗浄ー所謂マネー・ロンダリングー」機関として利用し、金に群がる亡者共に悪用されたのである。即ち、国民の血税を「アル・ジャジーラ」を通して「人質解放」の身代金に転用したのである。同放送局は、潤沢な「日本」政府資金を各所各員にバラ撒き、晴れて自称「人質解放」の佳き日を迎えた。無論、最も「ジャパン・マネー」を食ったのは、「アル・ジャジーラ」自身であった。日頃「アル・カイダ」等の代弁を勤める「アル・ジャジーラ」は、米国に目の敵にされ、記者を殺害された事さえある。米国が裏面で最も効果的な同放送局への攻撃、つまり、経営資金面での締め上げを図って居たのは間違いない。「アル・カイダ」への資金凍結作戦同様に資金面で追詰められた「アル・ジャジーラ」にとって、「十二才」の「日本」政府は、「金の成る木」であった。


(「黒幕」は誰か)

以上に推測した様に、此の事件の構図は、
連携の弱い所謂「反米ネット・ワーク」に群がる各種勢力が、各々の思惑で参加した「(反日)・反米狂言」であった。自称「人質」及び国内の反日・反米勢力、更に朝日、日放協等は、自衛隊のイラク撤退を求め、イスラム教スンナ派武装勢力は、スペインに続く「日本軍」の撤兵と軍資金獲得を目的にし、「ムスリム聖職者協会」はシーア派に対抗して、所謂「イラク復興」での主導権確立を目指した。何よりも全体の潤滑油の役割を果たした「アル・ジャジーラ」は、潤沢な資金と「日本」政府との太い「コネクション」確立に因る経営基盤の強化を願い、実際に其れを実現した。
其等の各種勢力に群がる関係者は「金」や「売名」「地位」等々を求め、「日本」政府や国民を困惑させ愚弄し続けた。
だが、真の「黒幕」は、反日「日本」政府其れ自身であった。
当初、「アル・ジャジーラ」が取得ー製作ーした七分間のヴィデオ映像に所謂「やらせ」画面が映って居り、「狂言」である事が始めから判明していたにも拘わらず、極僅かな「拉致・誘拐」の可能性に脅えた怯懦の「日本」政府が「人質誘拐事件」と断定して、一連の愚劣極まりない展開を齎せたのである。
最初のヴィデオに映っていた画面、即ち、高校出たての爬虫類男の首にナイフを押付け、自称「ボランティア」のバカ女が顔を覆い、危機感を煽る場面で、爬虫類男に「言って言って」との助言が横からなされた事実は「解放」後かなり経って、明らかにされたが、「日本」政府は当初から知って居たのである。にも拘わらず「事件」と敢えて誤認したのは、既に反日マス・メディアが「事件」として報道し、既成事実化していたからである。『竹島』『尖閣』等の領土問題と同様である。「もし何かがあったらば」と言う女々しい、怯懦の不安感に支配された「反日・親米」エセ「日本」政府の存在こそ、諸悪の根源なのである。更に、其の論理を敷衍すれば其の様なエセ政府の存在を許して居る「GHQ反日体制」社会で「反日洗脳」に罹患している多くの日本人大衆が目覚めない限り、今回同様の事件は再発するであろう。


(やっと「十二才」からの脱却が始まった)

今回の事件は、吾等『愛国・反米』『真正日本人』の主張に「日本」社会が近づいて来た傾向を示した。
被害者意識で「日本」国民を催眠に掛けようとした「十二才以下」の事件参加者は、国民の批判、非難を浴び、「十二才」のコイズミ以下「日本」政府関係者は、何とか「十二才ーGHQ精神年齢ー」の発達段階に於る国際常識を守り、不十分ながら「普通の国」を指向する態度を示した。
『皇国再興』には程遠いものの、エセ「日本」社会全体の中で、『日本』と『独立』への回帰を目指す大いなる潮流が現出している。
「米国日本州」からの独立傾向が部分的にではあるが顕在化している。
吾等草莽は益々行動を活発化させ、心情を昂揚させねばならない。