第125号  皇紀二千六百六十四年(平成16年) 犀  月(五月) TOPへ戻る

主権無き国家の盲走(めくら、つんぼ、の大合唱)
                     

ー当面、奪還すべき八名とは誰かー

平成十六年陽暦皐月二十二日、売国首相コイズミが、国際慣行を無視して北朝鮮に連続一方的朝貢「害交」の愚を犯し、又も国益を大きく損ねた。
訪鮮以前から『家族会』『救う会』『議連』等から、大いなる懸念、心配が寄せられて居たが、反日無能のコイズミ内閣、就中「害務省」主導の対北朝鮮交渉が『日本及び日本人』の『国家主権』は勿論、利益や安全を擁護、保証するはずが無い。
「児眠党」「貢迷党」の所謂与党は当然として、「社会民主党」「日本共産党」「韓国」「中共」等と言う本質的反日政党・勢力が肯定的評価を下したと謂う事実が、今回「コイズミ訪朝」の売国性を如実に証明している。
だが、『家族会』等の愛国勢力も又、無謬では無い。其の典型的非論理性が「曽我さん」と逃亡米兵を巡る感情的盲論である。「曽我さん」が全面的、一方的「被害者」である事は論を俟たないが、曽我氏の「結婚」は北朝鮮の国家意志の結果であって、本人の自由意志に基づくものでは無く、其れ自体が無効であり、逃亡米兵に関して日本政府・国民は何の責任を持つ必要は無い。より明確且つ露骨に表現するならば、本人にはお気の毒ではあるが、「曽我さん」は、冷酷非情な北朝鮮政府、国家によって逃亡米兵への「あてがい扶持」「御褒美」として与えられた「らしゃめん」の役回りを強制され、担わされた被害者であって、逃亡米兵は、其の「逃亡」が北鮮に依る「拉致」で無い限り、「加害者」の立場にある。北鮮当局は、米兵との接触で北鮮公民が精神汚染を受ける事を嫌ったのである。無論「曽我さん」は日本人女性であって、異郷不遇被拉致被害の劣悪な環境下で誠心誠意「夫」に尽くし、子育てに専心し、「家族」への思い入れは深いものと推測される。だが、其の思い入れは、北朝鮮当局の「拉致」「強制結婚」と言う二重の国家犯罪に因って齎された「国際法違反の家族愛」であって、所謂「ストックホルム症候群」ー犯罪被害者が一定期間加害者と生活を共にする事で共感や愛情を抱くーの典型的発現である。曽我氏の二名の子供は被害者の子供であるから当然我国に奪還すべきであるが、逃亡米兵の自称「夫」は加害者側の一員である以上、其の責任と犯罪性を北朝鮮政府に対するのと同様に追求すべきであって、北朝鮮国家意志の代理人に過ぎない逃亡米兵に来日を一時間も説得したと言うコイズミの愚劣さには、怒りを通り越して、呆れ果てる他無い。逃亡米兵を日本に引き渡させるには、金正日との一分間の交渉で十分であった。即ち「人道支援」で与える「米」を後五万トン増やせば、貪欲な将軍様の満足を戴けた筈である。         被害者同胞への配慮から加害者の逃亡米兵を日本人同様の被害者に見立てる『家族会』の認識は、事実誤認と指摘されるべきである。此の誤認が継続されれば、北朝鮮の謀略に乗せられたコイズミ及び「害務省」が「曽我さん」を北京に送り、其処で北鮮の国家意志を体現した「夫」と子供二人の「泣き落とし工作」に依って、「曽我さん」は「自由意志」で「北朝鮮への帰国」に同意し、北鮮に因る「日本人拉致犯罪」隠滅の大いなる契機となるであろう。これこそ、北鮮朝貢以前に売国奴コイズミが抜け々けと発言した「敵対から友好へ、対立から協力へ」の実現である。「日本」に敵対し対立を深め「東京を火の海にしてやる」とほざいていたのは北鮮の一方的態度であって、「日本人を返さなければ平壌を火の海にしてやる」と発言した勇気ある日本人政治家等一人も居ない。「敵対」と「対立」の総ての原因と責任は北鮮側にあるのだ。北朝鮮問題を冷静に認識、判断する基本は、「加害者=北朝鮮」『被害者=日本』と謂う大前提を常に意識し続ける必要がある。


(「曽我さん」を巡る疑惑)

今回の迷走劇でより鮮明になったものは、此の「拉致問題」でも北鮮の国家意志が総てを支配し、主導していると言う事実、現実であった。
帰国を果たした五名の子供も、残留した三名の家族も、共に北朝鮮の「党と政府」が策定した計画策謀、そして金正日の思いつきに依って一方的に帰国、或は残留が決定されていたのである。此処数年に亙って追い詰められてきた金正日は、今回の所謂「コイズミ訪朝」の事前折衝で、二十五万トンー人口二千万の北鮮人口中百五十万人分の一年間の食料ーの対価として日本側が要求する「八名」帰国を止むなしと諦めて居たに違いない。だが、訪朝前の「日本国内」での異様なマスコミを通じた「取らぬタヌキの皮算用」的帰国期待感を見て、何が何でも一人でも連れて帰らねばならない状況に追い詰められたコイズミの足元を見透かして、「人質」をより高く売る選択肢を獲得した。人質八名全員を帰して、すでに帰還した五名の口から北朝鮮の非道悪辣振りが暴露され、北鮮への悪感情を日本人に印象付けるのに比べ、三名でも残して居れば、一次帰国の親達は、「曽我さん」への配慮から北鮮に依る加害の事実を公表できにくい。
前回、平成十四年の第一次帰国でも、被拉致の五名は自由意志で帰国したのでは無く、北鮮当局の指示、命令で一方的、一時的に帰国させられた。其れも北鮮当局と「日本害務省」の共同謀議に基づく「二週間」の「一時帰国」を前提にしたものであった。エセ「日本」、就中「害務省」の売国性、反日性、柔順性を見抜いて居た北鮮は、二週間経てば必ず五名を北朝鮮に戻すことを確信して、五名を日本に送り込んだのである。だが、送り出した人質が逃亡しない様に、其の子供を人質として確保していた。更に、「朝鮮赤十字」と自称する特務機関二名を監視に付けて置いたが、其れは外部からの監視役でり、事実暫くすると其の役割を放棄せざるを得なかった。 だが、監視役は其れだけだったのであろうか。譬え文化事業であっても、外国訪問団の内部に監視役を秘密裏に付けるのは、旧蘇連邦や中共等の常套手段であって、たった二週間の在日活動でも当然この原則は実施された筈である。
一次帰国に際して、意外だったのは、日本側が要求もせず、其の存在を知っても居なかった「曽我さん」の登場であった。然も彼女は夫の米兵とは英語で会話し、娘とは朝鮮語で話し、日本語は忘れかけて居ると紹介された。にも拘わらず、時折発表される彼女の文章は、五名の中で最も美しく、文学的、感動的であった。国語を殆ど忘れた筈の「曽我さん」が、何故他の四名とは異質の文章表現ができたのか。当時は単に意外性や違和感を抱くのみであったが、今回の「ジェンキンズさん」騒動を通して、前回の「曽我さん」が北鮮から与えられた任務が浮かび上がって来る。彼女は、他の四名を内部から監視する役割を事前に与えられ、一定の事前訓練を受けて居たのでは無いだろうか。当時のぎこちない彼女の所作、言動を想起してもらいたい。
『家族会』や「日本政府」が繰り返し、被拉致被害者の帰国要求や調査要求を出しても応じず、無視して居たにも拘わらず、「曽我さん」だけは日本側が要求もしないのに二週間の「一時帰国」に同行させたのは不自然と言う他ない。他の四名同様に二人の子供を人質に取られて、命令、指示に従う他に無かったとも言えるが、父親は逃亡米兵で「共和国」の貢献者であり、ある程度の安全は保証されているはずである。従って其の子供でもある二人の娘は、必ずしも危険とは言えない。ならば、「曽我さん」は何を恐れたのか。其れは、日本残留が決まった後で、一番気になっている筈の共に拉致された『母親』への言及が殆ど無い点から類推される。「曽我さん」は、其の母親が生存していて人質にとられているか、或は生存していると思い込まされていて、何も言えないのではないか。
 今回『家族会』「日本政府」は共に「八名」帰国を要求した。其の中には反日北朝鮮政府の国家意志を体現している逃亡米兵を含めて居たが、其れは間違いである。『八名』に含めるべきは、「曽我さん」と同時に拉致誘拐された其の母親であるべきであった。曽我氏の実在が其の母親拉致の実在を証明しているのであり、誰にも否定できない此の全面的一次被害者を、同じ一次被害者の子供ー二次被害者ーよりも先に返す様、強力に要求すべきではなかったのか。


(『主権』意識さえ回復すれば、殆どの問題が解決する)
   ー「現状回復」は『主権』回復からー

逃亡米兵に対する「曽我さん」の思い入れは全く個人的な「人道問題」として、将来解決されるべきであるが、此の「日本人拉致」は、「個人」を超えた「国家」間の「主権侵犯」と言う「国際法違反問題」である。即ち、北鮮に依る『日本国』に対する「主権侵害」に関して、「日本政府」がせめて「ふつうの国」として、北朝鮮に主権侵害を認めさせ、謝罪させ、現状回復をさせた上で、加害者として自認させ、被害者への補償と被害国日本への賠償を実施させれば、個人的な問題は自ずから解決する性格のものである。
 此れだけ正邪が明確であるにも拘わらず、解決が長引くのは、「日本人拉致」を国家の『主権侵犯問題』として把握出来ない、或はしたくない勢力ーつまり日本がふつうの国(独立国)であったら困る反日分子ーがエセ「日本」社会の表層を支配しているからである。「朝日新聞」「日放協」等ー時に『家族会』等の被害者もーは、此の大きな国際問題を、矮小な「人道問題」にすり替えて日本民族の独立意識回復を阻もうと画策している。
北朝鮮が狡猾なだけではない。エセ「日本」政府 ・社会が愚劣且つ卑屈なだけである。
あれだけ弱小なレバノンでも、四名の女性が北鮮に拉致された時に、強硬に解放要求を突付けて見事奪還したのである。世界第二位の経済大国日本が、通常の国際感覚、国際常識を有して居れば、既に十数年前に解決していたのが、此の北朝鮮に依る「日本人拉致問題」なのである。「敵は正に本能寺に在り」とは、明智光秀を吟じた漢詩の一節であるが、「日本」の国際問題の大半は、反日勢力が主導権を持つ国内問題に原因を持って居る。
 我国の『國體』破壊『民族』絶滅を究極の目的に策定された「GHQ反日体制」がこの「日本」社会を支配し、多種多様に変容変化し、『日本』に仇なす魑魅魍魎と成って醜悪に蠢き放置され、放任され、蟠居、横行している。此の国内体制こそ諸悪の根源である。反日、排日、侮日、非日、脱日、売国、自虐、逆差別、倒錯の異常社会を招いた「GHQ(連合国軍総司令部)」並びに「コミンテルン・コミンフォルム」及び其の手先共が、此の所謂「戦後社会」で一旦は強圧的に、そして、やがて徐々に『日本及び日本的なるもの』を蚕食、侵食、汚染しているのである。此の「GHQ反日体制」の排除、打倒無くして、「日本人拉致問題」の解決は有り得ない。


(凡愚、暗愚、オッチョコチョイコイズミの罪状)

今回の所謂「コイズミ訪朝」の動機は、誰が考えても夏の「参議院選挙」勝利ー単独過半数獲得ーに向けた所謂「パーフォーマンス」であった。則ち、コイズミ個人の私利私欲、「児眠党」の党利党略に基ずく大義無き暗愚な「売国害交」が「内閣総理大臣」の権限の下に悪用、実施されたのである。
此処数年の日朝関係は「我慢競べ」であって、ジリ貧の北鮮に対しては、日本は総てが枯渇している同国の「根負け」を待つだけの必要且つ十分な外交姿勢を単純に貫けば、総て良好な解決を約束していた。処が、短気無慮無能なコイズミが、拙速の愚を犯し、北鮮の策略に乗せられて、周知の数多い過誤を今回も又、自ら招いたのである。
何よりも「平壌宣言」の順守等の文言は、何を如何に解釈したら出てくるのであろうか。同宣言での北朝鮮に依る核兵器開発凍結の約束が、同国の「核兵器保有発言」で完全に無効になっているにも拘わらず、ひたすら順守を求めるエセ「日本政府」の単純バカ振りは、情けなさを通り越して驚異さえ感じる。人間とは、「反日洗脳」に罹患したエセ政府とは、斯も暗愚、愚劣、劣等、等級外、外道の位置に堕落、転落、没落できるものなのか、と。
所謂「平壌宣言」の唯一最大の項目は、エセ「日本」が「植民地支配」を謝罪し、「経済協力」の建前の下に多額の事実上の「賠償」を支払う事であり、正に売国コイズミ内閣の反民族性を如実に示した愚劣極まりない「売国・亡国宣言」であった。斯る愚劣、醜悪な宣言は、本来「日本」側からは、撤廃を望み、「北鮮」側が順守を迫る性格の宣言であるにも拘わらず、現実にはエセ「日本政府」が再確認を要求し、「北朝鮮」が鷹揚に且つ部分的にーつまり自国に都合の良い部分だけー臣下の懇願を「聞き置く」と言う態度に徹している。斯くの如き暗愚、愚劣な「害交姿勢」を批判、否定しないマス・メディア、全く意識、認識しない賢明な選良達、現下エセ「日本」が精神的「めくら・おし・つんぼ」、即ち反日被洗脳傷害者の社会である事実を露呈している。其の異常社会の象徴的存在が売国奴コイズミであり、其の売国害交の数々である。


(北朝鮮の主張にも正論はある)
ー「連合国」の核兵器独占を許すなー

人さらい国家、強盗国家、キチガイ国家、
反日国家、核兵器テロ国家「北鮮」は、撃滅、粉砕、撲滅すべき敵性国家ではあるが、其の宣伝、主張の中には、唯一「反米」的言辞、論理に正論が見受けられる。即ち「親米売国奴コイズミ」が煎じて飲まねばならない類の「ツメの垢」をあのアホボン将軍「金正日」でさえ持っているのである。
近現代国際法の原則の一つに「平等互恵」がある。或る一国が保有する権利は、他の独立主権国家にも当然付与されるべきであり、特定の国家だけが独占する事は許されない。無論、国際社会は「弱肉強食」の世界であって事実上は「力の論理」「力の均衡」で秩序が維持されている。そして、平成の御代に入る以前には、第二次大戦の戦勝国たる米国、蘇連邦の両超大国が世界を分割支配していたのである。其の「ヤルタ・ポツダム体制」の下で、米蘇両国は自国の独占的地位を他国に強要した。即ち、米国は「ケネディー・ドクトリン」でキューバのミサイル基地建設を認めず、蘇連邦は「ブレジネフ・ドクトリン」でチェコ・スロバキアの西欧接近を圧殺した。本来国際法上、平等に認められていたはずの中小国家の権利は、事実上幾重にも制限を受けていたのである。所謂「国連(正しくは連合国)」総会で一票は与えられるものの、「安全保障理事会」には出席できず、仮に出席できたとしても、其処での五大国の拒否権は、全ての努力や誠意、主張を一瞬にして葬ってしまう。其れ等の現実は決して平等ではないが、タテマエの「平等」は国際社会で尊重されるべきである。特に、欧米的価値観の全世界への強要に因って人類が滅亡の危機に追い詰められている現状では、多様な文化伝統の存在、存続が必要不可欠であって、其の為には、各国固有の文化を維持する為にも独立主権国家間の「平等原則」が国際法的に護らねばならない。 
処が「平等」ではない現実は、人類滅亡さえ予感させる異常事態である。所謂「国連」常任理事国等「核兵器」を保有する国家が、圧倒的破壊力を有し、然も「核兵器拡散防止条約」で通常国家の核武装を厳禁しているのは、明らかに国際法違反であり、「平等互恵」の国際法原則を踏みにじっている。米国が、或いはロシアが核兵器を保有できるならば、全ての国家に核兵器保有の権利が認められるべきである。第二次大戦戦勝国たる五大国に拠る核兵器の独占は、本来の国際法違反であって、「連合国」の世界支配を固定化するものであり、非連合国の我国は斯る違法状況を是認、肯定してはならない。
この点に関しては、北朝鮮の主張する「核兵器を持つ権利」の主張、即ち連合国による核兵器独占への反対は、全面的に正しい。我国に対する敵性国家たる北朝鮮の核兵器保有、使用には断固として反対、撃滅しなければならないが、米国等「連合国」が保有している以上、総ての国家が核兵器保有の権利を有しているという当然の国際法的常識、論理は否定できない。
北鮮とは比較不能の経済大国たる「日本」が、自虐的反日洗脳に罹患して、独立主権国家として当然の核兵器保有の権利を自ら放棄している現状こそ、「GHQ反日体制」支配の現実であり、諸悪、諸異常事態の根源の一つである。真におぞましい事ではあるが、独立国家主権の確立は、北朝鮮に学ばねばならぬ唯一の要素であり、エセ「日本」は、其処まで独立性、国際性を枯渇させている精神文化的最貧国なのである。
核兵器、即ち「欧米物質文明」を否定する為に、敢えて核武装する国際常識を国民に周知徹底しようではないか。