第128号  皇紀二千六百六十六年(平成18年) 葉月(八月)   TOPへ戻る

人類の敵、現代支那文明                       

(チャンコロ・生ゴミをゴミ箱へ叩き込め)

昨今、共産党支配下「支那」で開催された蹴球国際試合に於て、支那人観客の「日本」選手団、応援団に対する露骨無礼、暴戻野卑なる観戦態度、試合後の暴力等が報道され、一部の日本報道機関は、支那側の態度を批判しているが、中南米ならば戦争に直結するであろう此の異常事態を所謂エセ「日本」政府は、他人事の様に論評するのみであり、日本人の安全を中共当局に希う土下座害交を相も変わらず演じて、暴戻支那人や反日中共政府を付け上がらせている。
此の侭では、「支那事変」の直接原因である「通州事件」の再来さえ可能性を否めない。
反日行動の中心は、事変を全く経験、伝聞した事の無い青少年世代であり、昭和二十四年建国後、取分け、昭和四十年代からの「日本」売国勢力の自虐的反日歴史狂育に悪乗りした中共当局の「「反日狂育」で歪曲、捏造された「日本鬼子(リーベン・クィズ)史観」に洗脳された者達である。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな日本が悪いのよ」的「日本性悪説」「日本諸悪の根源説」は、今や大多数の中共大衆の脳裏を支配する固定観念であり、先入観であり、体質、気質迄をも拘束している。
本来ならば高貴、風雅、清澄なる『日本民族』に対して、下品且つ悪質な罵詈雑言の限りを尽くす支那人大衆の低級劣悪衆愚痴鈍の言動は、支那古来の『君子の交わりは淡くして水の如し』の格言には程遠く、並の人間扱いされるに足る要件を根本的に欠落している。因って、現状支那人の多くを『人間』扱いする必要は無く、むしろ、其の様な配慮は奴等を付け上がらせる結果を招くだけであり、吾『日本民族』に執って「猿」以下のペットにさえ値しない反日支那人は、醜悪不快非衛生な生ゴミに過ぎず、直ちにゴミ箱へ放り込んで焼却処分に処するのが、地球浄化の早道である。無論、支那にも人士、人材は居た。
百十年前の『日清の役』に際して、我軍の猛攻に降伏した威海衛の『丁汝昌』提督は、敗戦の責を執り、従容として自決した。清朝武人の鑑であり、古来この種の高雅な人士は支那歴代の正史に輩出した。だが、「人民中国」の低級劣悪な一般大衆に、高次元の精神文化を求めるのは無理であり、エセ「日本」が真の『日本』に昇華した時に、吾人等が有るべき人の道を教えてやらねばならない。


(支那事変は「中国共産党」の陰謀)

前章に述べた反日異常事態を生起させ、恒常化させた東亜世界諸悪の根源は、「中国共産党」である。コミンテルンー蘇連邦に因る世界支配を目的とした国際共産教的組織ーの中華民国支部として蘇連邦に依って創られた同党は、張國濤、王明等のコミンテルン盲従路線を、国共内戦の敗北で民族主義的に路線転換した毛沢東が支配するに及ぶや、「抗日」を最大の宣伝材料として日本と支那の対立、文壇謀略、工作を執拗に継続させ続けた。其は蘇連邦の主敵たる日本の在支権益を脅かし、国民党の共産党攻撃、即ち「剿共戦」の圧力を軽減する効果を齎せ、当時の「中国共産党」に執って最高の戦術であった。無論、日本留学経験を有する狡猾な蒋介石が、中共の「離間作戦」に全面的に乗ぜられる筈は無く、数年間は裏面での謀略工作が続いたが、コミンテルンの「人民戦線戦術」に連動した所謂「西安事件」で蒋介石は生命惜しさに節を曲げ、表面的には共産党掃滅作戦を放棄し、日本とも宥和路線を採り、国内統一と勢力基盤の確立を目指した。「人民戦線」を国民党に逆用されかけた中共は、何としてでも二つの主敵『日本』と「中国国民党」を戦わせ「漁夫の利」を得る為に、若干の影響力を保持していた北支で、学生党員等を使い盧溝橋事件や通州事件を起こして日支両国民に無益な事変を強要し、拡大、延長しつつ、支那人教養階層の民族意識を煽り、「以夷制夷」の戦法で支持基盤を強化させて行ったのであった。
正に、中共こそ「日中両国人民共通の敵」であり、東亜最大の戦争悪用勢力であり、平和の敵であって、「日本軍国主義に侵略された」等、笑止千万、噴飯ものの世迷言である。
今もって、チャルメラで始まる「(抗日)義勇軍行進曲」、即ち「ラーメン国歌」で『日本を挑発し続ける反日中共に一片の恩情を与える必要は無い。


(支那の個人主義、功利主義)

「中国共産党」なる悪魔的反人間的抑圧陰謀組織の実態は、歴史を事実通り認識すれば、一見して理解可能であるが、支那を心底から愛し、理解していた所謂「支那通」と呼ばれた日本人先輩諸氏が殆ど鬼籍に入られた現在、「支那人」の気質、性状に関しては、現在では大部分の「日本人」が、其の本質は愚か、表面さえも知らない。此処で「支那人」の性状や実態を若干理解して置く必要がある。
 一口に支那人と言っても、所謂「中国」人口の九割以上を占める「漢民族」なるものが外国人には理解しにくい。背の高低、顔の大小、肌の濃淡、体毛の濃淡等々の人種的特徴が可成地域的に異なり、話言葉も北京、南京、四川、広東等の地域差が大である。用語も異なり、例えば旅館を中・北支では「飯店」と言い、南支では「酒店」と呼ぶ。所謂「漢民族」に共通なものは「漢字」であって、北京中央電視台の地方取材報道では必ず漢字の字幕が表記される。此の様に発音では理解出来なくても漢字と言う文字では共通理解が可能な人間集団ー独自の言語、文化を保有する少数民族以外ーを十把一からげに「漢民族」と総称するのである。
彼等に共通する特徴は、「漢字」以外に、「同族意識」「同郷意識」の強烈さが挙げられる。世界各地に移住した華僑は、四 五代経っても言葉や習俗を守り続ける。中南米日系移民の三世が母国語を話せないのと対照的であり、其れは「中華思想」ー異文化、異民族蔑視ーの裏返し的現象でもある。
今や「漢民族」の同族意識はユダヤ財閥同様に国際的な華僑財閥を形成し、世界各地の政治、経済に影響力を及ぼし、同郷意識は「福建マフィア」等の裏社会でも顕著であり、時には政治の世界でも見過ごせない影響を及ぼす。例えば「文化大革命」で憲法に毛沢東の後継者と明記された林彪が失脚した背景には、其の出身地が挙げられる。則ち、濁音の多い山東方言でがなり立てる林彪に対して、湖南省出身者が多かった古参軍幹部連が総反発したであろう事は想像に難くない。
古来、支那では「修身・斉家・治国・平天下」と言う。「斉家」の「家」は「同族」を意味し、「治国」の「国」は、春秋・戦国時代の「魯・晋・斉・楚」等々の国、つまり地方政権を指し、「天下」は、支那全体を表現する。そして、「天下」を支配する者は、「天帝」より「天命」を受けた一族に限定され、人間個人や一族の恣意的願望や能力を超越した天の意志に依って決定されると考えられていたのであった。
天命を受けた皇帝(始皇帝迄は国王)は、天意に基づいて天下を支配し、国民に対して強大な権力を持つと同時に、「天帝」に対して封禅等の全面的な責任を果たす義務が生じる。天帝に対する公的な義務ー天下、国家への義務ーは、皇帝一人が負う性格のものである以上、皇帝以外の人民は、天下、国家への義務観念から解放され、ひたすら個人や同族の利益を追求すれば良い事になる。即ち、一般人民は「公」に従うのみで「公」の為に奉仕する義務や責任は無く、許される範囲内で私益を追求して来た。既に「史記」の時代以前に陶朱公范蠡は「巨万(後に億と言う単位が考案される)の富」を蓄えたと記されている。此の支那人特有の『公』意識の欠落と「同族」的功利性は、共産党支配を経験しても本質的に変わっていない。


(「欧米化支那」の二乗的破壊性)

公益、公衆道徳を軽視する支那人の体質は、支那系の街並の汚さや交通機関内での行儀の悪さに象徴されるが、従来ならば彼等自身の社会内部で自己完結して他者に悪影響を及ぼす部分は少なかった。だが、産業革命以来の欧米物質文明が世界各地に伝播し、特に昭和二十四年に「中華人民共和国」が成立するや、共産革命の輸出と社会主義的重化学工業化政策に因って、紆余曲折を辿り乍らも周辺諸国への政治的、経済的、環境的悪影響が出始めた。特に「黒猫・白猫論」の登小平が独裁権力を掌握するや、「私有禁止」を建前とする「共産教」の宗教的禁欲政策から解き放たれた支那人達は、一斉に個人、同族の利益、利権を目指して民族的体質を露骨に開花させ、『公』を無視、度外視して「モウケ」目当てに暴走し始めた。「公害」を出そうが、砂漠化や温暖化を齎そうが、全く意に介せず、共産党、政府幹部自ら率先して金モウケに走り、賄賂、汚職が横行し、死刑判決を受けても裁判官や検察官への賄賂次第で刑が猶予、免除される。歴代支那王朝の姦邪な悪習が、再び支那全土を覆っている。          人間の歴史は本能的欲望を抑える理性、知性、人間性が優越していたが、人間の欲望を抑える宗教を否定する反人類的思想が、「フランス革命」以後、人類の獣的本能を無制限に解き放ち、其の反人間的欲望を現実化する手段を産業革命が齎せた。自然(神々)から生まれた人間が、自己の本能的欲望を充たす為に、自然を支配しようとして衣食住、社会生活基盤の総てを人工的に改造しようとしている。必要以上の衣類を生産するには、膨大な「間接エネルギー」を必要とし、無計画な人口急増は慢性的な食料不足を齎せ、交通機関や住居、建物を冷暖房する「直接エネルギー」は、無機質化する道路、建物等との相乗効果で、自然環境を急速に劣悪化させている。 此の人類や自然に執って最悪な状況を更に加速化させているのが、現在の中共であり、登小平の後継者たる江沢民の「三个代表」理論ー事実上の資本主義化宣言ーで、資本主義の醜悪な「金の為なら何でもする」「金の為なら何をしても良い」との社会的風潮が取分け沿海部を支配している。支那に無知な学者、文化人、政治屋、マスコミ関係者等は、「中国は世界の工場」等と我事の様にはしゃいでいるが、本質的には「中共は世界の公害、生ゴミ人口の発生源」と称すべきである。
然も、其の公害は偏西風に乗って我国の自然に甚大な悪影響を及ぼし、生ゴミ人口は「蛇頭」に見られる様に金満「日本」を金品の強奪対象としか認識していない。


(「米露朝韓中反日包囲陣」を認識せよ)

現代中共の支那人達が「日本」を食い物にしているだけではなく、中共政府其れ自身が、取れる、盗れる相手からは、トコトン迄、搾取、詐取、盗取、収奪、強奪等々手段を選ばずに奪い取る方針であり、事実「政府開発援助(ODA)」だけで三兆数千億円もの巨費を「日本」は奪い取られて来たのだ。金だけでなく『尖閣諸島』『沖ノ鳥島』の領土が狙われ、「東支那(西日本)海」の海底資源が既に強奪され始めている。其処か、中共「人民解放軍ー中国共産党の私兵ー」の所謂「現代化」が進展すれば、『尖閣諸島』への領有根拠と同じ理由で沖縄県及び奄美群島への領有権を主張して来るに違いない。明王朝の時代には、西南諸島は尖閣諸島と同様に明の服属地域として描かれて居るのである。
中共同様に「日本」を食い物にしているのは、「北朝鮮」であり、此の政権も「朝銀信用組合」の破綻を先取りして一兆数千億円もの日本の資金を窃取している。加えて我国の国民を多数拉致誘拐殺害し、一切の反省も無く、居直って「核兵器」に拠る脅迫を継続し、一兆円以上ものおわび金を早急に朝貢する様に要求、恐喝を続けて居る。
北鮮、中共と同根ー反日を最大の建前ーの「韓国」は、GHQの日本占領に悪乗りして、我国固有の領土である『竹島』を不法占領し、更に度重なる内政干渉をヒステリックに繰返し、建国六十年近くも経た今日に居たってさえ猶、「反日法」制定を図って居る。東亜の歴史を「反日ヒステリー史観」で歪曲、捏造しまくり、荒唐無稽な反日被害妄想と親北過剰親近感が、仮想現実に過ぎない事は社会の裏面では分かって居るのに、表面的には、社会の建前とされている。          一方、東亜に帝政以来広大な植民地を領有しているロスケは、蘇連邦の社会主義計画経済が失敗し、中央集権権力が弱体化してから、工業生産力が急速に低下して、流通はマフィアや新興財閥に抑えられ、エリツィン政権以来、隠匿物資や資源の売り食いと外国援助の食いつぶしで何とか糊口を凌いで来た。社会主義の制度下で税金が無かった蘇連時代の意識が強く、税収の少ない不健全財政は軍隊の食料費さえ十分に賄えず、核兵器の管理は出鱈目の限りを尽くし、退役原子力潜水艦の解体も日本の資金に頼って居る。数年前に金価格が一千円を割込んだ直接最大の原因は、ロスケの金大量売却に因る供給過剰であった。その後原油価格の上昇で原材料輸出が好調であるが、老齢の巨象に麻薬を打って一時的に活性化させたのと変わらず、ロスケ連邦は歴史的に遠からず分裂、解体に向う。其の延命に必要な資金獲得対象として「日本の金」を如何に入手するかロスケも又、虎視眈々と日本を狙っている。
東亜の国家では無いが、米国は此の地域に多大な権益と影響力を有し、多くの軍事基地を維持している。何よりも、占領政策が奏功し、精神文化的に米国的価値観や文化の強要に成功した「日本」に最大の利用価値を見いだしている。米国の政治、経済、外交等が好調に推移している間は、対日政策は比較的に寛容であるが、一旦、行詰まりを見せると、米国は、様々な矛盾の解消に「エセ日本ー米国日本準州ー」を利用、悪用しようと図るに違いない。
以上に列挙した五ケ国は、北京で開催されている北朝鮮を巡る所謂「六ケ国協議」の参加国である。最低、最悪、低能「日本」害交は、する必要が無い処か、してはならない反
日国家の会合ー墓穴ーに自ら陥り、更に信じられない事には早期開催を犯罪加害者国家たる北朝鮮にお願いしているのである。
同協議参加四ケ国の目的は、北朝鮮の核武装解除と北朝鮮の崩壊回避の為の現体制維持の二点にある。無論、北鮮は其の第一点を拒否してはいるが、第二点には六ケ国ー「日本」も含むー全体が若干の駆引きは有るものの、概ね賛同している。だが、北朝鮮体制の維持と北鮮経済の建直しには多額の資金と物資、技術が必要不可欠であり、七百兆円近い財政赤字を抱える「日本」も含めて五ケ国総てに其の余裕や意志が無い、より正確に述べるならば無いはずである。だが、世にも不思議な異常国家「日本」では、「過去の負い目=戦争責任、植民地支配責任等々」のウソで固めた反日洗脳に罹患して国際常識を保有していない反日自虐勢力が、体制の主導権を握っているのである。エセ「日本」が如何に尤もらしく大衆を騙して巨額の資金を北朝鮮に供与するかが、「六ケ国協議」での各国最大の関心事である。
然し、此の反日売国妄動は各国の利害対立ばかりか、『日本』への警戒心も有って簡単には進展しない。エセ「日本」も含めた六ケ国総てに共通する最大の恐怖は、光輝ある『独立国=(皇国)日本』の再興である。「六ケ国協議」で一見して「日本」を支持しているかに見える米国も、支持しているのは米国が六十年前に創り上げた「GHQ反日体制」の支配する米国傀儡の反日売国エセ「日本」で有って、過去に米国が大量虐殺、大量破壊を浴びせた独立主権国家『日本』は、出現を許せぬ最も警戒すべき相手である。
平成の御代に入り、「教科書問題」、所謂「従軍慰安婦問題」「北朝鮮日本人拉致問題」等で、やっと日本国民に覚醒の兆しが表面化し、特に平成十四年九月の「コイズミ訪朝」で、其れまで加害者とされていた『日本』が被害者であった事を皮肉にも金正日が確認した事から、多くの日本人が反日自虐洗脳の呪縛から解かれ、「異常」から「普通」の国に変化しつつある。独立主権を回復しようとしている『日本』を取巻く「米・中・露・韓・朝」反日五ケ国と其の傀儡隷属政権たる「コイズミ売国政権」の反日包囲陣に対して、吾人等は、断固として『日本及び日本人』の独立と栄誉を主張して反日勢力を攻撃粉砕撃滅しなければならない。


(古代ギリシア模倣国際競技会・所謂「オリ  ンピック」で『日本』は何故勝ったか)

所謂「戦後日本社会」は『日本及び日本人』を全面否定する「GHQ反日体制」が支配し、「反日・自虐・売国・逆差別」の論理が国民大衆を洗脳していた。『日本』の自己主張や『日本的なるもの』の肯定は、一切排撃若しくは黙殺され、「日本弱体化」「日本民族の精神文化的絶滅」を目的にした自称「日本国憲法」(占領基本法)以下の法制度や反日マスコミ、反日狂育等に因って、日本人大衆は独立国民としての当然の意識や民族的自負、自尊心を抑圧、圧殺されて来た。
自己肯定を出来ない自信の無い国民に、譬え体育面であっても最大、最高の能力を出せるはずが無い。其れでも『終戦』より十九年、真正『日本及び日本人』が未だに健在であった「東京オリンピック」では、『日本』が活躍した。同オリンピックでの国名表示は「NIPPON」ー吾人は敵性外国語表記に反対であったーだった。『日本人』としての自覚と自負が未だ実在していた当時、選手の多くは、「自分(私)の為」ではなく「『日本』(公)の為」に命懸けで戦ったのだ。
だが、同大会の後、徐々に「NIPPON」が「JAPAN」に変わって来る。東京・広島・長崎・大阪等々で日本人大虐殺を行った敵性国家の言語を唯々諾々と受容、採用し始めたのである。「GHQ反日体制」の一般化、日本国民の精神文化的奴隷化が進展、蔓延、定着した結果であった。その後、此の社会的病理は一層自己増殖を重ね、昭和末期『国鉄』が「JR」等と外国語表記に変えられ、本来『農本主義』を護る筈の『農協』さえも「JA」と改称されてしまった。今回の所謂「オリンピック」で日本選手の名札に「JPN」と表記されているが、其れが「JAP(ジャップ」であったとしても、筆者も日本人大衆も殊更違和感を抱かなかったで有ろう予測が成立つ程にエセ「日本国民」は精神文化的に奴隷化、愚民化したのであった。
然し、『神州不滅』『日本民族は消えず』、鬼畜米英、邪鬼露支、生ゴミ朝韓等々の悪逆非道、暴虐無道の反日非行、反日犯罪、反日抑圧が如何に凶悪酸嚊を極めても、清冽、清澄、純粋無比なる『日本人』の精神文化は脈々と実在、継承されているのである。
今回の所謂「オリンピック」に出場した日本人選手の心身には、『日本民族』の道統、伝統、血統が程度の差こそあれ、現存している。其の『日本民族』としての精神の琴線に、此処十余年興隆しつつある日本民族再興、日本国家独立への歴史的社会風潮が邂逅し、『日本精神』と其れを基盤とする『精神力』に目覚めた青少年達が正当な能力を発揮して、今回の戦績を獲得したのであった。
所謂評論家等は、今回の勝因を「外国から技術を学んだ」「選手達が努力した」「政府等の強化策が実を結んだ」等と愚劣な論評でお茶を濁している。だが、其等の方策は此処数十年間継続して来て、然も余り効果が上がらなかったのである。今回の勝利は、経済大国世界二位、人口大国世界八位の日本が「普通の国」ならば当然取れていたはずの所謂「メダル」獲得を正常化させつつある過程にあると断ずべきであろう。「反日教科書問題」「北朝鮮による日本人拉致問題」、そして、何よりも所謂「オリンピック」直前に中共で開催された蹴球試合等での「反日」に対して、『日本人』の自尊心と闘志が覚醒された結果でもあるのである。『日本人』としての自負、自尊心と自信が有れば、誰とでも対等に戦えるのだ。


(共匪支配支那の矛盾を衝け)

前述の如く、支那は既に共産(社会)主義を放棄して居り、「中国共産党」と言う権力独占利権集団が一方的に汚職腐敗支配を行う「共産党王朝」と化して居る。但、皇帝ー王朝の責任者ー不在の集団支配体制を採っている為に、党も政府も無責任に徹していて、或る意味に於て、共産党支配の下で世界一「自由競争」つまり「資本主義」の特色が露骨に現出している国でもある。人口の大部分を構成する農村に住み、移住を禁じられた農奴と、地方から盲流した都市貧民の奴隷に近い「低賃金・長時間」労働、皆無に近い社会保障、弱肉強食社会、拝金主義の蔓延、「アメリカン・ドリーム」同様の「チャイニーズ・ドリーム」ー確立百分の一程度ー成功物語で国民に幻想を与え、反日神話でサンドバッグ的不満の吐け口を用意する。
此処二十年余り継続し、拡大再生産を続けた中共経済は、支配者側に極めて有利な条件で急成長を展開している。
然し、最大の資本家階層を構成するのは共産党と其の大小幹部であって、皮肉にも共産教教祖マルクス、副教祖エンゲルス等がいみじくも指摘した様な、原初的資本主義と産業資本主義が同居しつつ弱肉強食に徹する社会矛盾が、現在の支那には横溢している。
「東高西低」の地域格差、貧富の差の拡大、
「太子党」ー共産党幹部一族ー等の特権階級の横暴、犯罪組織ー蛇頭、青幣等々ーの勢力拡大、所謂「エイズ」、薬物汚染の深刻化、欧米低級文化の蔓延、汚職、密輸の横行、少数民族ーチベット、ウィグル、朝鮮等ーの独立・分離運動、回教過激派の流入、「法輪功」等の信仰集団の反政府化、香港を始点にした西欧型民主主義の浸透、農地現象・農業生産の低下、原油輸入・消費の急増ー今や「日本」を抜いて世界二位ー、各種「公害」の多発・広域化ー東亜全体に拡散ー、不良債権の激増、法律制度の不備、自然破壊に伴う自然災害の頻発、等々、換言するならば、江戸時代末期の英国資本主義社会と、日本の昭和二十年代のヤミ市経済、同三 四十年代の高度成長経済が同居している様な現代中共経済は、矛盾の集合体である。此の様な社会矛盾の現実在は、中共社会の資本主義的「成長」が、同時並行的に社会秩序の変質、解体、崩壊を齎す近未来を予測させている。「共産主義社会の建設を目指す」と言う国家目標を喪失した現在、公益の為を信じて行動する者は殆ど無く、共産党、政府幹部以下全国民が私益を追求する以上、中共国家の隆盛期は過ぎ去って居る。無論、「経済成長」は今後も続くと見受けられるが、私益、私情、私怨を巡る社会的矛盾の深化と、其れに伴う混乱、紊乱は中共の分裂、崩壊を余儀なくさせるで有ろう。
(米国、露西亜、中共、三連邦の解体を)

前章で指摘した様に、歴史的時間空間の視点に立てば、中国共産党政府及び社会は、さ程遠く無い時点に大混乱を起こす可能性が極めて大であり、此の敵政権を撃滅、粉砕する為に、吾等は断固たる決意を込めてあらゆる手段を活用し、『日本』の敵、人類の敵「中共」を可及的速やかに殲滅、撲滅する必要がある。人類の内面には肯定すべき面と否定すべき面の両面があり、精神文化や物質文明にも美的、健康的、建設的な部分と、醜悪、不健全、破壊的側面とが共存している。中共の其れは、正に否定すべき低劣、醜悪、不健全且つ破壊的な性格を露にしたものであり、人類の存続を最大目的とする『人類法』に照らして違法の存在であると断ずべき他無い。
だが、人類の敵、我国への侵略国は中共のみならず、蘇連邦及び其の後継国ロスケも又、現に『北方領土』を不法占領した侭に図々しくも居座って我国への当然の返還を拒絶し、剰え日本領土の不法占領を、原子力潜水艦解体同様、「日本」からの政府資金詐取に最大限度悪用している。過去、現在に亙って我国への悪質極まりない加害者に終始して来たロスケは、蘇連邦と同様に無理矢理現状維持されている「人造国家」である。「人造人間(ロボット)」が一定の衝撃で損傷、停止し、やがて部品に分解される様に、同国も又、民族単位、地域単位に分裂して行くのは、歴史の必然で有り、平成三年十二月の蘇連邦崩壊が其れを証明した。面積を五百万平方キロ米も減少させたロスケは、今猶一千七百万平方キロ米以上もの広大な領域ー其の大半は植民地ーを保有している。ロスケが長期間に亙って植民地にしたウラル山脈以東、ボルガ・ドニエプル以南は、現在ではロスケ人口が少数民族を上回って居る地域も少なくないが、例えば「西シベリア」では厖大な石油、天然ガス、希少金属等が産出され、埋蔵されている。此等の資源は、ロスケ中心部を潤すのみで現地には殆ど還元されないので、国家全体が混乱し、欧州中央サンクト・ペテルブルグの統制が取れなくなった時、米国、中共等の石油戦略に組込まれて中央から分離、独立する可能性が高い。 
世界最強の米国も中共、ロスケと同じく、五十の州(ステート=国家)と属領から成り立つ本来不安定な連邦国家であり、南北戦争の例で認識できる様に常に分離、分裂傾向を内包している。
「自由・平等」を建前に英国から独立したが、其の恩恵を享受するのは所謂「WASP」のみであり、黒人、原住民、東欧、南欧、中南米からの移民は露骨に差別され、多数派の新教系白人が多数決原理ー所謂民主主義ーで「WASP」優位の支配秩序を形成していた。だが、支配階層が独占していた「自由・平等」の原理が建前から本音に変わり、全国民に迄適用されるに至った時、少数者、非差別者、異常者等の「人権」なるものが声高に主張、喧伝され、社会秩序を乱し、少数者の逆差別的特権を拡大し続ける異常な価値観を定着させ、今や、同性結婚ー人類の存続を否定する人類にとって最も凶悪で恥づべき邪悪な発想ーを承認する迄に至って居る。此の様な異常事態を受けて、クリスト教原理主義ー白人優位主義にも繋がるーからの揺り戻し傾向が同性結婚禁止の憲法改正の政治行動を生み、逆にカリフォルニア州では白人人口が半数を割込んで、異常な価値観の自己増殖が進んでいる。此の相反する両者は現状不満勢力であって、やがては連邦離脱、解体の重大な原動力に変化するであろう。

(一民族=一国家、単一民族国家に拠る
相互不可侵世界秩序の構築を目指せ)

南亜細亜の印度も含め、此等の巨大連邦、多民族国家は、常に分裂、解体の方向性を内包している。そして、歴史の必然として歴史的時間を以て計れば、長期間に亙る広大な多民族国家維持は不可能である。前述四ケ国の年齢を歴史的に考察すれば、米国東部十三州が独立してから二百三十年弱、ロスケが所謂沿海州にウラディ・ボストークを建設してより百五十年弱、印度連邦成立以来五十七年、中共政権出現から五十五年、人類の長い歴史からは一場の夢の如き年限に過ぎない。過去に於て多数の文明、帝国、同盟等が、世界史に名乗りを挙げ、やがて消えて行った。平家物語に謂う「盛者必衰」は、歴史の原則である。不自然な欧米物質文明が人類世界を滅亡させようとしている現在、人類を救う論理は、自然への回帰、自然との共存共生を最高の価値と位置付けたものでなければならない。即ち『脱欧米論』『亜細亜回帰論』こそ、現下の混迷せる世界に必要な概念であり、国家の形態としては、一民族一国家の単一民族国家が最も違和感の無い自然なものである。
同一の言語、文化、生活様式を共有する人々が本来の居住地で伝統に基づいて自然と共に単純再生産経済で生き続ければ、人類は可成長期間に亙って存続が可能になるであろう。
但し、多民族国家ユーゴスラビアが民族単位に分裂して民族純化に至る迄、所謂「民族浄化」と呼ばれる殺戮が続いた様に、民族単位に国家が数百も出現すれば、当然国家間の対立、紛争は激増し、些細な紛争、戦争が頻発する様になる。むしろ、「ヤルタ・ポツダム」米蘇世界分割支配体制の様に、「核抑止力」に基づく「力の均衡」で緊張状態を持続させ、大小国家の上下関係で秩序建てた方が、表面的には国際社会は安定して見える。だが、アフリカのツチ族とフツ族の紛争の様に、鉈や蛮刀で虐殺し合っても人類は滅亡しないが、米露、米中が本格的な核戦争を始めれば、人類は事実上滅亡ー全員が死亡する訳ではないがーするのである。戦争では無くても、欧米物質文明の害毒は、現在進行形の環境異変を招き、人類を滅亡の瀬戸際迄追いやって居る。 人類にとって至上の目的が永続的生命の追求、即ち『人類の存続』に有る以上、滅亡を前提にした安定よりも、存続が約束された混乱の方が、より肯定すべきで有ろう。無論、混乱はより少ないに越したことは無い。故に「小国乱立」の国際社会をより安定させる必要があり、其の為には「連合国(所謂国際連合)」とは全く異なる国際秩序維持組織を構築する必要がある。そして、其の組織の基本理念は、『人類の存続』と謂う共通目標と、『内政不干渉』即ち多様な価値観の相互是認に設定せらるべきである。人類の生存と存続に危険な国家、宗教、思想、等を排除する以外には、各民族国家が自国を如何に統治しようと、其の国家形態、統治内容には他国が干渉しないと謂う原則を相互確認、相互保証する事で各民族は、物心両面で最も自然な充足した生活が可能となるのである。
一般の動植物と異なり、『人類』は、精神文化と物質文明を保有したが故に、物理的功利性と精神的快楽を享受する事になったが、反面、多数の自殺者、交通事故死者、精神異常者出現等の否定的現象が日常的に多数発生する不健康な社会を齎した。其の多くは「欧米物質文明」の所産であり、人類個人が人間らしく生きる為には『脱欧米』が必要なのである。現在進行中の「グローバリズム(世界統一基準化=実態は米国化)」は、米国の価値観の強要である為にイラクを始めとして全世界で熾烈な反撃を受けて居る。「人類」と言う名の生活主体は無く、人間個人は、各々千を超える全世界の各民族の中で各々の価値観に基づいた生活しているのであり、其は当然の犯されざる権利である。各民族固有の伝統的生活様式と精神文化を保証する新たなる国際秩序の確立こそ焦眉の急務である。