第142号  皇紀二千六百六十五年(平成17年) 神無月(10月)

             英 雄 待 望 論

―「敗戦・反日後遺症」克服の民族的潮流 
                中 山 嶺 雄

〈だれが法案を読んだか〉
―衆愚、文盲、無責任「選良」の選択−

 全く異例、異常の「コイズミ・ワガママ・ ジ十リガキ娼婦選挙ー一が終わって略一カ月に なる。「郵政民営化」なる一法案を争点に衆 議院が解散され、総選挙が実施される等、前 代未聞の珍事であり、少なくとも「GHQ反 日占領体制」下の政治的常識から判断すれば、有り得ない選択であった。
 だが、事実は解散総選挙の衆愚茶番劇が展開され、「コイズミi自民党ではない!圧勝」に終わった。所謂「民意」が「コイズミ改革' なるものを支持したとかで、売国奴コイズミ の独断専行が継続している。『靖国神社』に まします英霊の御霊を「心ならずも戦場に赴 いた」等と冒涜する愚劣な男が宰相を務める エセ「日本」、より愚劣、愚昧、蒙昧な大衆 の「民意」なるものに如何ばかりの判断価値 があるのか。所謂総選挙の争点とされた「郵 政民営化法案」なるものの全文を読破した 「有権者」は一体何人いるのか。寡聞にして愚生の周辺には一人も居ない。愚生自身が読んでいない。愚生の怠惰から発したものでは無く、其の法案に眼を通す価値が無いからである。国民の大部分が知悉せぬ法案を巡って総選挙が実施されて選良から支持されたコイズミ、其の勝因は奈辺にあるや。
 大衆を吸引、寵絡、催眠にかけるには、小難しい理論、理屈は必要無い、と言うよりは、論理は却って大衆を離反させる。大衆に執っっ て必要なのは所謂一スローガン・一である難解な論理よりも一言の魅力的、誘惑的な掛声 の方が、何百倍も有効なのである。 今回の其れは「改革」であった。 想起すれば昭和十年前後、当時期待の星であった「軍部」と「新官僚」が呼吹した所謂一スローガン」が「.革新」であった。所謂一,戦後ー社会で「社会党」「共産党」に乗っ取られた「革新」は、本来『愛国派』の政治宣伝用語であったのである。 
 今回の衆議院選挙での「改革」は、同様に大 衆を幻惑する為の語句でしかなかった。

〈次回は、一転逆転の可能性大なり)

 今回の総選挙では小選挙区の特色が極端な 議席差に繋がったが、得票率に然程の大差が あった訳では無いc次回は簡単に逆転する可 能性がある。賢明な選良の投票行動が如何に無責任で移ろい易いものであるか、コイズミ自身が最も知悉している筈である。
 次回の総選挙は二年後に参議院との同日選 挙の可能性もある。争点が「消費税'一の大増 税となれば、政権党は不利であり、「民主党 大勝利」政権交替の状況が出現するかも知れない。
 一貫した信念や論理、確信等を有さぬ(大衆 ダ の情緒的判断に依拠する一戦後民主主.義目一な る衆愚的政治体制そのものが、本来有害無益 なのである。従来「代議制」の仮面を被り乍 ら、実隻的には優秀な官僚機構と勤勉な実業 界が運営して来た所謂「日本株式会社」は、「官僚いじめ」の世相と米国を始めとする国際資本主義に因る「経済侵略」を受けて、最早自主的な一定の指針を喪失している。 船長不在の漂流船に流砂の如き大衆が群がって居るのだ。曾ての「自民・社会連立政権」の様に、一定の動因や刺激さえ有れば、如何様にも変幻する社会に成って居る状況を確認すべきである。

〈民族派よ『英雄』たれ)

此の様な社会的状況下で、所謂「戦後社会‘ に於る「田康被差別集団」として、六十年間に 亙って、圧殺され、黙殺され、其の存在自体 が柱会の表層から消去させられて来た吾等『愛国・維新陣営』は、此の軽依浮薄な世相に在って、存在感を増大させる事は可能である
 衆愚的な大衆社会に在っては、大衆は常に 「英雄」を求める。曾て「決断と実行」を掲 げて「今太閤」と呼ばれた田中角栄!金満腐 敗政治屋iも、「ロッキード事件」迄は、国 民に人気があった白ワイマ!ル・ドイツで政 権を取ったナチス党のヒトラーも、フォーク ランド紛争でアルゼンチンに勝ったサヅチャ i英国首相や蘇連邦を屈服させ崩壊へ追いや たレーガン米国大統領も、「英雄」を求める 大衆心理に乗じて政策を実行した。
 大衆に対し、如何にして自分を売り込むか、 自己宣伝能力に長けた者が大衆社会では勝利 者となる。其の典型がコイズミである。無論 五口等『真正日本人』は精神文化的「乞食」に堕すが如き品性卑しき存在ではない。此処六十年に亙る被差別状況下に在って、五ロ等が堅持護持し来った我『園鰻』『民族精神』の道統が有ったればこそ、汚辱に塗れた所謂「戦後社会」もやっと自主独立傾向が顕著と成りつつあり、屈従と隷属の精神文化的植民地から一i普通の国」に変化しかけているのである吾等が極となる事で、社会の『日本回帰』が進展している。
 だが、純粋な精神だけで政治が変化しない事も事実である。現在の流動的な大衆社会に在って、大衆を動かす「英雄」の位置を民族取加と己円する方句生も、必要である。
 新旧を問わず、民族派隆盛の潮流を構築して行かねばならない。

(『巨星』輝く〉

 神無月二十日、中秋の昼下がり、豊鏡の大 地に秋の気配が満ち満ちていた。
 京都八幡、木津川の堤防で北面し、京洛の地 を術仰しつつ、飲酒を続けていた。
 正面遥かに『明治天皇伏見桃山御陵』を拝し 右手即ち東方に、山科牛尾山、醍醐の山々、 宇治大峰山、南山城の峰々を眺め、御陵から 北方には稲荷山から続く東山三十六峰、そし て比叡山、比良山脈の遠望を楽しみ、左方に は、北山の平準な山並みがのどかに広がり、 鷹ケ峰から愛宕山、水尾、嵐山、西山、天王 山、更には大阪に続く太閤道を望んで、我国の園史を満喫していた。
 飲食終わり、前日届いた郵便物を紐解き、『国民新聞』に眼を通していた時、大きな見出しに驚樗を覚えたc『巨星墜つ』、五ロ等が敬愛する『中村武彦先生』がご逝去との報道正に驚惇の知らせであった。民族派永遠の青年闘士であり、一,死」とは全く関係が無いと思われた先生の突然の計報に、まず驚博、そして深甚な一悲しみが胸を襲った。当『一日会にも深い理解を寄せられ、時折声援の便り存戴いた先生だけに、感慨ひとしおの落胆を営えた。本年に入り、富士信夫先生始め、多く の先輩が亡くなって居られるが、中村先生の 計報には格段の心痛を抱き、思わず天を仰いだ。
 仰いだ秋の天空には一点の曇りも無く、正 に『日本晴れ』の晴天が京洛の上空満天に広 がっていた。何の汚れも無い其の天空を仰い で、愚生の胸中は次第に落ち着いて行った。
  中村先生のご逝去、其れは確かに悲しい、の みならず民族派陣営にとって甚大な損失であ る。だが、考えて見ょう。確かに先生は身体 的に旦つ戸籍上は亡くなられた。然し、予て から主張している様に、人間の根源的な生命 は『精神』にある。愚生の精神的生命が二千 六百六十五歳である事は以前から簡明してい るが、同じ日本民族であられる『中村先生』 も又、『神武天皇』御即位以来連綿たる園史
の中に生き続けて来られたのだ。そして、今後も民族悠久の精神的生命の中に生き続けられる。民族精神を抱く者に執って僅か数十年数年の肉体的、戸籍上の「生命2一等、大した問題ではない。『民族的生命』こそ、人間個人の種族保存の欲求を全面的に満たし、有限に見えるかの人間個人の生命を永久化する唯一の要素であるc人間は、少なくとも『日本民族』は、其れを自覚すれば、永遠の生命を保証されるのである。
 『中村先生』は今猶健在でいらっしゃる。京洛に向い、雲一つ無い日本晴れの天空を仰 いで愚生は思わず先生に語りかけた。
 『先生、御目出度う御座います。やっと先生 も諸々のしがらみから解放されましたね。此 れからは奔々自由、我国全園、・全世界を遁遥 しつつ、邦家邦国の為に天上から従前同様に 尽力されるのでしょうね。取敢えず、来月十 五日には、鬼畜米国の首魁「ブッシュ」が、 売国奴コイズミの招きで京都御所の神聖さを 汚しに入洛します。先生の念力で雷の二i三発も落として戴けたら有難いのですが。』
 天上の中村先生に呼びかけたその時、其れまでにも吹いてはいたのであるが、突知として強風が葦や薄の白い穏を波打たせ乍ら愚生の座していた一帯を通り抜け、傍らの酒瓶に音を共鳴させて行った。
 『巨星墜つ』ではない。正に『巨星輝く』との実感が吾人の胸中を満たした。『日本民族』は永遠に生存する。

祖國日本を護れ
國體、國史、國語
國土、國旗、國歌
國民、國益を護れ

御陵墓の尊厳を護持せよ
宮内庁を督戦し、
御皇室を護持せよ