第144号  皇紀二千六百六十五年(平成17年) 師走(12月)


  國士 西村眞悟  を断固支持せよ
                                     中 山 嶺 雄

(法律は「現行法」だけか)

古代ギリシアの奴隷賢人アリストテレスは、「人間はポリス的動物である」と看過した。
明治の本邦賢哲は、此れを「社会的動物」と意訳し、より抽象的価値を其の一言に添えた。蓋し名訳である。人間は「社会」即ち何等かの共同体無くしては誕生せず、社会から隔絶して生存は不可能であり、次世代の肉体を其の遺伝子を通して残し、墓所に葬られ、残滓を消して自然に回帰して行く。
此迄繰返して述べて来た様に、精神文化を共有する民族共同体の一員としての精神的生命は、『民族』が存在する限り永遠である。だが、現象面で視れば、固々の肉体は一定の年限で消えて行く。多くの人々は、其の消え行く肉体的年限を「一生」と捉らえて「死」と見做す。其の同時代的せいぜい数十年の年限で眼前の社会を拘束する規範、規則、法令を多くの大衆は絶対視して、所謂ソクラテスの弁明「悪法も又、法なり」の遵法精神に何の疑念も抱かずに一生を経過して送る。
 確かに、社会的動物たる『人間』には、必ず其の所属する社会に一定の規範が存在する。其の「社会的」「ポリス的」社会規範が「規則」であり「法律」「憲法」等であって、其れは社会秩序を維持する為に最大限度に尊重されるべきであるが、其の社会的規範は全て対等では無く、規範相互の軽重が存在し、上部の其れが、より多く、より大きく尊重されねばならない。所謂「現行法」の体系でも、「憲法」の下に「法律」が置かれ、其の下に内閣が出す「政令」があり、更に其の下に各省庁が出す「省令」が位置し、其の様々な細則として「規則」等数限りない規範が制定されているが如きである。無論、現状では、其の体系を無批判に受容は出来ない。「日本国憲法」なる「占領基本法」には、厚かましくも「日本国憲法」なるものを「最高法規」等と規定して自画自賛している。正に「夜郎自大」「井の中の蛙」の寝言である。『日本民族』が唾棄すべき反日売国最悪の害毒たる「日本国憲法」なるものを「最高」と自称して恬として恥じない「GHQ反日体制」の「占領基本法」「反日基本法」を「最高法規」と見做す愚劣且つ傲慢な発想、認識を吾人等は断固全面的に否定、糾弾するものである。
だが、百歩譲って「日本国憲法」なるものを「最高法規」と位置付けても、其は飽くまでも「現行通用法規」の範囲内での「最高」でしか無い。過去に於て無数に存在し、未来に於ても多数出現するであろう法令、法規、社会規範は、「反日・占領基本法」とは全く無縁に当時の人々を拘束、支配して往時の社会秩序を維持し来ったのであり、未来にも当然同様な現象が現出するに違いない。
則ち、所謂「現行法」しか視えない衆愚な大衆ー所謂「(反日)・知識人」を含むーには、時間空間、歴史的空間を超越したより高度な重要な『法規・法令・規範』の実在が、認識不可知、不能なのである。

(『非理法権天』)

時間空間、時代を自由自在に飛翔する時に、我日本民族の『國史』上、多くの偉人、英傑が顕われ、天下、国家、民族等の為に尽力、貢献した。特に時代が変革する際には多くの人材が輩出した。彼等の行動は、当時の法令から看て決して「合法」とは言えない場合が多かった。
源頼朝挙兵は太政大臣たる平清盛への反逆であり、楠木正成の義挙は鎌倉幕府への反乱であった。織田信長の十五代将軍足利義昭追放は弑逆に近い暴挙であり、慶応三年『王政復古の大号令』も「幕藩体制」の江戸時代的秩序から見れば、薩長両藩の幕府秩序への反逆であった。だが、其等の秩序破壊、反逆を後世の日本人は否定しない。唯、彼等が勝利して権力を奪取したからだけではない。
其等の背景には、懼れ多くも『天皇陛下』『御皇室』『朝廷』の御意志、則ち『大御心』が存在していたからである。時間空間を超越して、各時代の「現行法」の上に立つ『日本民族』の存在基盤を成す『民族法』の実在が、何時の時代にも『民族共同体』暗黙自明の理として存在して来たが故に、皇朝二千六百六十五年の永きに亙って『皇國日本』が此の『豊葦原瑞穂之國』に存続、繁栄ー飽くまでも自然と共生しつつ文化的にーして来たのである。
『大楠公』『楠木正成公』は、『非理法権天』を籏にしたと伝えられているが、一介の地方武将に過ぎなかった『正成公』が『國史』に名を遺したのは、正に其の籏の意味する処を実践されたからに他ならない。
『非は理に勝てず。さりとて理非曲直も法に依って決定されるものであり、其の法は権力者が策定するものである。所詮現実の世界は権力者が支配する。だが、日常を超越した時間空間を越えて実在する民族悠久の大義、即ち天、天命(民族法)、つまり尊皇愛国愛民の民族的概念は、権力者と雖も左右出来ない』此の民族的大義、真理は、『大楠公』自決後、六百余年経ても、日本民族の精神的基盤、根幹と成って『七生報国』の民族精神を支えているのである。

(断固『愛国無罪』「反日有罪」を主張せよ)
一見して、国家(政府)への反逆と見える大罪さえもが、天下、国家、民族を思う『民族悠久の大義』に基づく至純の清澄な民族精神の発露であれば、栄光の國史上、正当性が与えられる。本年中共当局の対日謀略として計画、実行された所謂「中共官製・反日デモ」で呼号された「愛国(反日)無罪」は、エセ「日本政府」が少し強気に出れば忽ち根絶されるが如きエセ宣伝、謀略に過ぎなかった。中共は、国家ぐるみで「反日犯罪」を犯しているのである。だが、此の件で多用された『愛国無罪』の語彙は、反日宣伝を無視すれば、有効な民族派愛国陣営の『民族法的論拠』と成り得るのではないか。        
 例えば、『西村眞悟代議士』が「弁護士法違反」なる微罪容疑で逮捕されたが、其れは喧伝されるが如き大罪か。氏が保有する弁護士資格を身近な者に利用させ収入を折半していたと謂う。其れは、確かに所謂「現行法」では法律違反である。だが、氏への捜査、逮捕を見て証拠隠滅に走った弁護士出身の国会議員、地方議員は数十名、或は数百名にも及んだに違いない。凡そ「名義貸し」等は、特殊資格の必要な業界では日常茶飯の常識である。弁護士、医師、薬剤師、栄養士、看護婦ー敢て看護師とは呼ばないー等々、厳密に摘発すれば、現実の医療行政等、崩壊してしまうであろう。ならば何故、『西村代議士』だけが標的にされたのか。其れは「出る杭は打たれる」の諺通りである。此の低劣な「GHQ反日体制」に正面切って戦った愛国派に対して、売国派が「金」という所謂「ダーティー・イメージ」を悪用し、其の社会的生命と民族的主張の圧殺、抹殺を企んだのである。
 今回の「西村非難、攻撃」で目立ったのは在阪「産経新聞」の突出した姿勢であった。「反日朝日」よりも強烈な糾弾姿勢は、警察、検察当局に「組織犯罪法」適用を決意させた大きな動因の一つであったと思われる。『東京産経』と違って、反日の土壌が強い京阪神の政治、思想風土に迎合し、猶且つ特定の政治的勢力からの要請、圧力乃至影響を受けたと推測される「大阪産経」は、執拗に「西村攻撃、追求」を続け、捜査当局の過剰起訴を誘因した。同じく逮捕された二名の秘書が起訴猶予となった事実は、本件の動機が奈辺に存るやを如実に物語って居る。
「産経」は、所謂「戦後保守」と「戦前保守」が社内で拮抗している新聞であるが、当然、近年コイズミ的時流の中で、所謂「戦後保守」即ち「親米親日」が主流と成っている。無論、凡そ『日本』を素直に愛する者ー西村代議士を含むーであれば、当然、米国に依る「東京・広島・長崎三大大虐殺」を全面否定する立場を採らざるを得ない。大阪産経と其の背後に潜む勢力は、西村氏の『愛国独立、即反米』の姿勢ー特にマス・メディアに多く出演ーに危機感を抱いたに違いない。無論、朝日、共同等、他の反日メディアも本来同氏の思想傾向に好感を抱いては居らず、産経路線に悪乗りした。
更に、背後には、地元選挙区や自民党中央からの国会追放圧力や謀略が想定される。弁
護士法違反容疑だけでは「罰金刑」以下の判決が下される可能性が高い。国会議員も含めた公務員の欠格事由の一つに「禁固以上の刑が確定した者」と謂う項目がある。罰金刑では罷免されないのである。其処で警察、検察ー共に中央自民党政府の支配下にあるーは、暴力団等に適用される「組織犯罪法」なる網をかけて、何が何でも「禁固刑以上」の判決が出る様に畳みかけて来た。明らかに「始めに結論ありき」の上から指示を受けた「西村打倒、追放」謀略である。
 斯くの如き「民族の敵」側の政治的攻撃、謀略に素直に従う事は、独立自尊の立場からは決して許されない。西村代議士が此迄実践して来られた、又実践されるであろう数々の民族的功績は、一片の現行法的微罪如きで否定されるものでは無い。譬えて謂えば、等伯の『松林図』に僅かのシミが付いたとて、其の芸術性が薄れる訳でも無く、大阪城の石組みの小石が一つ落ちたとて石垣全体が崩れる訳でも無い。
枝葉末節の政治謀略に翻弄される事無く、本末転倒の批判、非難に惑わされる事無く、純粋に『愛國無罪』を確信すべきである。

(西村代議士、辞める可からず)

世の混濁に絶望し、汨羅の渕に身を投じた楚の王族、國士『屈原』は、其の至誠と熱情で後世に名声を遺した。だが、楚の國は滅亡した。
今、「滅亡」か『再興』かの岐路の立つ『皇國日本』に求められている人材は、多種多様存って当然であるが、『屈原型』ー三島烈士如きーよりも、清濁併せ持ち、粘強く闘う志士が、より多数必要である。
無論、従来『西村代議士』は『井戸塀』の清貧な政治家として実在して来られた。其れは事実その通りであったが、「西村攻撃」の謀略で、所謂「清貧イメージ」は欠落した。だが、世間の「床屋政談」次元で『國士』が左右されて良い筈が無い。苦難と逆境に際会した現在こそが氏の本領を発揮すべき秋であ
る。本来「日本」が普通の独立国家であったならば、国会議員を辞職せねばならぬ国賊、売国奴は山程居る。共産支那の女スパイと情交して国益、国家機密を垂流した「橋本龍太郎」、中共、韓国に指示されてコイズミの靖国神社参拝妨害に狂奔した「河野洋平」、米国の要求に諂い現地民間人に守ってもらう「陸上自衛隊(国際的には日本軍と看られている)」をイラクに派兵して恥を世界に晒したコイズミ等々。枚挙に暇の無い程の国賊、犯罪者共が自称「政治家」として国会の赤絨毯を擦り減らしているでは無いか。西村代議士が微罪や謀略ー例えば堺市議会の辞職要求決議ーで辞職せねばならぬとすれば、其の前に辞職すべき国会議員は数十名はいる。
 曾て所謂『三島事件』追悼の慰霊祭が、京都市議会議長木俣秋水氏の主催で挙行された時、京都市だけで三千人もの同憂同士が結集した。所謂「戦後」二十五年の時点では、『日本』を知り、愛し、大和心を共有する人々が、國内外に其程多数健在であった。だが、以来三十五年、愚生も含めた民族派の怠惰と怯懦故に本来の『日本』は限り無く減少、滅亡への道程を辿っているかに見える。其の様な状況下、吾等真正日本人は如何に『泥に塗れても、石に齧りついても』戦闘を継続、発展させて行かなければならない。『潔く辞職する』との表現は、確かに美辞麗句ではある。だが、吾等に其の様な余裕は無いのだ。
幸い、現下「日本」社会では「普通の国」を目指す潮流が主流になりつつあり、「反日売国自虐」勢力が急速に影響力を低下させている。「GHQ反日体制」の思想的基盤が変化しつつあり、『日本及び日本的なるもの』が各所で出番を待っているのである。遺憾乍ら猶『真正日本』は、社会の表層からは圧殺、抹殺された侭ではあるが、西村代議士等、発言可能な状況も随所に顕在化している。
 西村氏は決して辞職すべきでは無い。むしろ、今回の西村追放謀略を逆手に活用して発言の機会を増やし、『愛国自尊思想』の宣伝布告に努力すべきである。国政調査権、不逮捕特権、歳費受給等々の「国会議員特権」は、愛国活動者として断固として手放すべきでは無い。謀略側が想定強要した「禁固以上の刑」が最高裁で確定する迄には少なくとも五年以
上はかかるであろう。其迄には今回の衆議院任期は過ぎている。任期一杯は、国会議員として愛国運動に挺身出来るのである。無論、「組織犯罪法違反」は、裁判で抗弁すれば、認定されない可能性もある。
 三十三年前にグアム島から帰還した皇軍下士官横井庄一氏は、『恥づかし乍ら』と言いつつも『陛下からお預かりした』小銃を持参する日本精神を忘却していなかった。現下、混濁愚劣醜悪なエセ「日本」社会に在って、『祖国復活』『皇國再興』に向けて多少なりとも活動している吾等民族派は、己等の無力さを痛感しつつ常に『恥づかし乍ら』、其れでも精一杯に生抜き、戦い続けて居る。
西村代議士の一層の敢闘に期待する。