第147号  皇紀二千六百六十六年(平成18年) 弥生(3月)       TOPへ戻る


  『日本民族』戦勝論                         中 山 嶺 雄



〈「反日派」「普通の国派」の正しい指摘〉
l「反日連合」は今猶現存すl

 平成十八年陽暦弥生十九日朝、フジテレビ の政治討論番組で所謂「靖国神社問題」に関 して愚生が予てから指摘していた認識が、反 日派等から発せられた。
即ち、「児眠党」の反日派加藤〈下等)某が 「靖国神社問題は日中問題から日米問題に移 り始めて居る。遊就館の展示を見ると日本が 勝ったみたいで米国が反発している。」と問 題を提起口其れを受けて、日頃は反中共・反 北鮮派の論客である-評論家の青山〈阿呆山) 某が「小泉首相の靖国神社参拝は賛成だ。だ が、遊就館の展示は問題だ。靖国神社を国営 にして遊就館を排除すべきだ。」と続けた。
加藤は人も知る「反日派」、青山は「反・反 日派」!決して愛国派、民族派とは限らない ーであって、表面的には相反する様に解釈されているものの、両者に共通する認識、判断 の基盤を成す「価値観」と「歴史観」の根幹 を支配するものは「GHQ反日支配体制」と其の価値観の全面肯定、是認、受容である。
謂わば、「GHQ体制」是認の視点から『靖国神社』を見れば、『愛国派の牙城たる靖国神社』が批判、非難、攻撃の対象となるのは当然過ぎる程の当然の論理であって、最近、米国ニューヨーク・タイムズ紙等が「靖国神社、、遊就館非難」を掲載するに至ったのはl無論中共等の謀略が背景にあるもののl五十年も遅すぎたと謂うべきである口彼等「反日勢力」が『靖国神社』を直載的に攻撃するのは、彼等l我等の敵!の立場から視れば「正しい」態度である。
 六十五年前、第二次欧州大戦への介入の為に『日本』を苛めて苛めて苛め抜いて「最初の一発」を『日本』に撃たせる事に成功した米国ロlズベルト政権は、汚濁に塗れた情報戦を展開し、「パターン死の行進」「南京虐殺」等の反日虚構宣伝を全世界に喧伝した。 同じく、反日蘇連邦の手先として結成された 在中華民国間諜組織たる「中国共産党」は、 設立当初から反日派であり、「虚溝橋事件」 等々、数々の反日謀略を繰返し、反日神話の 創造、宣伝、対日攻撃を繰返して来た。
此等、米園、中共、韓国、旧蘇連邦等々が構 成した「反日連合」の「歴史認識」「歴史観し は、六十一年前迄の『清く正しく美しい日本」の全面否定であり、今日迄継続している現反日体制の公然旦つ暗黙の契約である。従って、「反日連合」が創出した虚妄の反日神話に洗脳された偽りの「戦後日本」が、本来の『日本』に回帰する社会現象に反対、阻止する点では、米園、中共等の利害と歴史認識は一致して居り、其の象徴的な事案の一つが『靖国神社』なのである。

〈『日本民族』の未来は明るい) i復活、再生しつつある『日本民族』l

 今回の電視番組で加藤某は反日中共の代弁者を務め、青山某はGHQの反日洗脳を自覚、自省しない侭に「普通の国」の論理から、暴論を唱えた。両者共に「GHQ反日支配体制lの目的、即ち、『日本民族』と其の背後に展関する欧米物質文明反対勢力への精神文化的絶滅を目的にした「反日」謀略諸政策、諸宣 伝の反民族性、反人類性を認識していない。
「GHQ」「コミンテルン」等、反日派の非歴史的反目的洗脳の虚構性、不当性は、所謂 「東京裁判」に見られる如く、本来ならば小 学生でも理解出来る単純且つ一方的な「日本悪玉論」に依拠したものに過ぎず、少し視点 を変えれば、即ち『日本肯定』の側に立脚す れば、誰にでも容易に認識出来るのである。
現在、『国家の品格』なる書籍が大量に購読されていると謂う。読んではいないが、漏れ 伝わる処から類推すると、五口等が此処六十余年問、護持主張し来った論理と略同様である。
今やエセ「日本」社会全体で此の『当然の再 「日本」の真『日本』化iが急速に進展している。加藤、青山両氏も含めて、国民大衆は、此処六十年に亙って継続して来 た「反日暗黒社会」が麓せた精神文化的退廃、 腐敗、混乱等の現実を論理的に認識、自覚、 悔悟、繊悔して、民族派的視点を早急に確立せねばならない。

〈『大東E聖戦』は人類存亡の闘争〉 ー「欧米文化圏」と『非欧米文化圏』の 本質的対決

 現今エセ「日本」社会を、精神的混乱と貧 困に庇めている「GHQ反日支配体制」を打 倒するには、『大東亜戦争』を如何に-評価す るかが最大の問題に成る。
「反日連合」諸国が其れを全面否定するのは 当然であるが、「日本」が本来の独立国『日 本』であったならば、当然ながら全面肯定し て来た筈である。処が、GHQ等に反日洗脳 を受け続けたエセ「日本」では、「十二才」 と瑚笑された反日派が徐々に勢力を伸長させ、 遂には総ての分野で権力を掌握して『日本及 び日本的なるもの』を排除、否定、弾圧する 迄に至っている。だが、前章で指摘した様に、 既に『日本』の復活は始まっているのである。
 そして、何よりも「反日体制」の弾圧を被り乍らも、吾等『愛国派』『民族派』は、『大東亜聖戦』の大義を護持、奉戴して是迄戦い続けてきたのだ。多くの同志、同憂が苦悶を抱きつつ大義に殉じて文字通り『戦死』『裁』して逝かれた。国家が滅亡し、民族共同体が多層多岐に分断された現下エセ「日本」杜会では、正常な民族的確信が時として揺らぐ場合もある。前年も、吾等は島袋、三浦、三沢氏等の自決に際会した。本年も、次年度も多くの『哀しきむくろ』に接するであろう。
だが、『神州不滅』、『日本民族』悠久の大 義に永遠の民族的生命を燃やし続ける吾等は、 『民族と人類』の為に『大東亜戦争』の意義、 大義を栄誉と確信を以て全世界に闇明し続け る使命を与えられている。
 抑、『大東亜戦争』とは誰と誰が戦ったのか。従来『日本』対「米英中」の戦争と見るのが一般的であった。然し、斯る「GHQ史 観」は、歴史の事実に照らせば全くの虚構に 過ぎない。
例えば「日中戦争」等の昭和四十年代以降に 創作された歴史用語は、全く不当である。当 時の国際法に準拠すれば、「官一戦布告」無き 「戦争」は有り得ず、「支那事変」は「戦争」 では無い。然も、同事変では、重慶の反日地 方政権は我国と戦ったものの、南京の中央政 権は『日本』と同盟して米英に宣戦布告して いる。重慶「蒋介石」政権に従っていたかに 見えた山西省の閤錫山政権は、昭和十六年以 後、独自に日本と停戦し、皇軍と共同して剃 共戦l中国共産党掃滅!に全力を挙げ、「終 戦」後も皇軍の「山西残留工作」に努めた。 則ち、我国は支那に於て「戦闘」は行ったが、「戦争」はしていない。日支両国は米英に対して宣戦布告を行ったから「米中戦争」はあったが、南京支那政権は戦闘には参加してはいない。此れに延安の「中国共産党軍閥」地方政権、蘇連邦が造った「東トルキスタン」政府、各地軍閥の動向等を考慮すれば、近年エセ「日本」の教科書に採用されている「日中戦争」なる歴史用語の虚構性が顕著になる。
『一日会』で講演された中村元三氏は、所謂「終戦」後、上海に進駐して来た中国国民党の湯恩伯将軍揮下の支那軍が天秤棒で荷物を担ぎ乍ら、皇軍将兵に前後を護衛されて入市したのを目撃されている。どちらが勝者だったのか。

 GHQ体制下の反日洗脳で『歴史的事実』としての『闘史』を抹殺、排除され、歪曲と 「反日・排日史観」を強要担造を積み重ねたされているエセ「日本」国民大衆に対して、『日本は「中国で戦闘」は行なったが、「中国と戦争」
は行っていない』と正しい歴史認識を教育する社会的義務がある。
ならば、我国は何処の固と「戦争」したのか。
無論、宣戦布告を発した「米英」両国と戦争したのである。宣戦布告当時、ドイツ、イタリア、以外にもスペイン、フランス、蘇連邦、中華民国〈南京〉、満州国、フィンランド、ルーマニア等々、多くの国々が我国の同盟国であった。米国、英国側こそ国際的には少数 派であったD「独蘇戦争」開始が二年遅れて いれば、英国はドイツに降伏していたかも知 れない。
 だが、吾等が当時戦い、今も戦っている相 手は、単に「鬼畜米英」のみなのか。米英と 謂う「国家」〈枠組)よりも、彼等の「鬼畜 性」こそ、五口等が戦い続けている「敵」なの ではあるまいか。
米国は「東京、広島、長崎」三大虐殺で四十 万人以上の無事の同胞を生きた侭焼き殺し、 蘇連邦はシベリアで十万人以上もの皇民のみ ならず、多数の同盟国将兵、国民を技致凍結殺害した。同盟国であったナチス・、ドイツも、ポーランド人やロスケの多くを殺したと謂う。
我国の対戦国たるか否かを問わず、「産業革命」以来巨大な[生産力〈則ち破壊力〉」を獲得した欧米列強諸国に内在する彼等の「鬼畜性」「破壊性」こそ、真に我等『日本人』『人』が戦うべき対象であったと考える。即ち、近現代欧米物質文明が保有する「歴史観」「価値観」こそが、我等『非欧米』諸国、諸民族の真の「敵」であったのである。

〈欧米的歴史観、価値観に編されるな〉 i物量と本能を無制限に肯定する破壊性!

 人間社会は、政治、経済、文化等、各種の 分野に分類して語られる事が多い。だが、全 体を把握するには、社会全体の「価値観」を 認識する必要がある。
低級な米国占領軍に洗脳されたエセ「日本」 では、「民主主義」なる理念が「人類普遍の 真理」等と喧伝され大多数の国民が其れを信 じ込まされている。所謂「国連憲章」なる米 国製国際法にも同様の表現があるが、其れは根本的に間違っている。「普遍性」とは、何時如何なる時代、地域に於ても遍く行き渡っている性格を意味する。ならば、「民主主義」が五百年前に存在したのか、千年前に存在していたか、現代に於ても「民主主義」なるものが、実在しているのは、西欧、エセ「日本」米連邦の一部程度ではないか。
人類の有史以来、大部分の時代は「君主主義」 であったのが『歴史的事実』であり、「民主 主義」を「人類普遍の真理」等と喧伝する事 自体がウソ、虚偽、欺臓なのである。斯るウ ソを前提に成立させている所謂「戦後日本」社会は、米国が強圧的に支配している国際社会同様に、其の根本的価値観が間違っているのである。
 欧米で流布、宣伝されている価値観、歴史 観を政治的に分析すれば、ギリシア・ロiマ の時代に限を転じると理解し易い。即ち、カ エサルに代表される「君主制史観」、彼を暗 殺したブルータスの「共和制史観」、そして、 ロ1マ帝国の剣闘奴隷たるスパルタクスが起 こした反乱を英雄視する「階級闘争史観」で ある。近現代に在っても、欧州での政体は此 等の直系、変種、亜流の域を出ていない。
英国に代表される「立憲君主制」は、君主制 と共和制が妥協した産物であり、「民主主義」 を標傍しているが、エリザベス二世〈君主〉 の君臨する民主制と謂う根本的矛盾〈ごまか し)が存在する。「共和制」にしても、寡頭 共和制、貴族共和制、国民共和制、人民共和 制、直接民主制等、様々な政体が現出した。
 だが、歴史的事実を率直に認識するならば、 君主制が共和制に勝るのは、論を倹たない。君主制が維持された英国では、「名誉革命」以来三百年余り圏内での大規模な内戦、流血は出現しなかった。一方、「フランス革命」で共和制を採用したフランスでは、同革命で三十万人〈国民の一分〉が断頭台で殺され、後の三月革命、七月革命、パリコミュlンでも多数の死者を出し、共和制だけでも五回も政体を変更している。
此等の意味する処は、人聞社会には『高貴な専門性』を保有する支配階級に依る低劣な大衆を支配、指導する体制が必要である事実を示している。大衆の欲望!動物的本能、即ち、食欲、性欲、隆眠欲等lに迎合、或は其れを放任すれば、現今の電視映像に視られる物欲刺激、本能放任、低級劣悪愚劣俗悪な番組の羅列しか粛さない。
「英国資本主義」と「仏蘭西共和制」が、米連邦を通じて全世界に撤き散らしたパンドラ の箱の毒素は、今や、全世界に蔓延、汚染しつつある。

〈誰が正しく、誰が勝利するのか)    ー『日本民族』は時空を超えて勝利する!

 鬼畜米英のロlズベルトとチャーチルは、 「民主主義を守る為」と称して先の大戦を戦 い、軍事的に勝利して支配地に米英的価値観 を強要した。其の精神文化的侵略を最も効果 的且つ全面的に受容したのが、エセ「日本」 であったが、「GHQ反日支配体制」の下で 六十年間も徹底的な反日言論統制、情報、教 育支配が行われて来たにも拘わらず、『日本 民族』が建り始めている。 其の原因は、歴史的事実を回顧すれば一目瞭 然に理解出来る。『暴支唐懲』『鬼畜米英』 の冷徹な認識、『一億玉砕』の高い精神性、 動物的な物量や本能充足を最高の価値観とす る西欧物質文明に対して、非西欧文化を代表 する我等『日本民族』の精神文化が如何に正 しいか、又、正しかったか、其れは歴史が証 明している。我国の自存自衛と被抑圧民族の 解放を意図した『大東亜戦争』は、我国に正 義があり、連合国は不義であった。
 更に、勝敗でも我国は勝利したのである口即ち、「戦争」とは「外交」線上に有り、通常の外交で解決困難な国際問題を戦争で解決するのであるが、米国、英国、蘇連邦、中共等の謀略に因って引きずり込まれたとは雄も、「終戦」後の時点で、亜細亜諸国の独立と謂う形態で、我国は戦争目的の半分を達成した。『自存自衛』に関しては、GHQ体制の全面的支配の下で残念乍ら達成出来てはいなかった。だが、六十五年間に渡って『大東E戦争』を戦い続けてきた吾等の地道な活動も有り、今や「普通の国」を目指す潮流が、日本社会で支配的となり、更には『皇国再興』の機運さえ芽吹きつつある。『皇国日本』の再興、再生が完成した段階で吾等『日本民族』の勝利は確定するのである。
対する欧米反日国家、文明は、植民地を失い、 蘇連邦、ナチス・ドイツの様に国家的価値観 を失った国も多く、「戦争目的」を完全に達 成した国は無い。
独り、超大国たる米国のみが独善的価値観を 全世界に強要して全世界から反発を受けてい るが、「ヴェトナム戦争」で打撃を受け、 「大西亜戦争〈イラク侵略〉」で泥沼に依ま り込んだ米国に勝利は無い。ナチス、ファシ スト、ボルシェヴィキの掃滅i欧米文化圏内 部での戦いーでは勝利したものの、非欧米文化圏には敗北しているのである。
 全人類を破滅に追いやる欧米物質文明と、其の根底に有る資本主義、本能放任主義が、米国に依る「自由と民主主義」の名の下で全世界、全人類に強要される現下の世界に在って、『大東亜戦争』で示された我国の戦争目的、即ち『自存自衛』『亜細Eの解放』『大東亜共栄圏の確立』、そして、其処から発展する『非欧米文化、価値観護持』は極めて、現在的重要性を有している。