第148号  皇紀二千六百六十六年(平成18年) 卯月(4月)       TOPへ戻る


「冷戦」の復活                         

ー「米蘇冷戦」から「反米冷戦」へ

  中山 嶺雄

(「イラン(イスラム)の挑戦」)ーイスラム原理主義が「米国一極支配」の違法、矛盾、非力を暴くー

 陽暦四月十一日、イスラム原理主義者たるイラン大統領「アフマディネジャド」は、ウラン濃縮の成功を誇らしげに公表した。
「核兵器拡散防止条約」に真っ向から挑戦した此のイランに依る宣言は、正に「米国一極支配体制」への決別を明確化する歴史的事件であった。
所謂「核防条約(NPT)」そのものが、第二次世界大戦「連合国」の「核兵器独占支配」を保障する極めて不平等、不公正な条約であって、吾等は昭和四十年代から其の成立に反対していたのである。だが、「GHQ反日支配体制」下に在るエセ「日本」は、『民族自決』『主権対等』『平等主義』等、国際法の原則に違反し、或は知らずに、連合国の圧力に屈して此の条約を批准した。即ち、改めて連合国に隷従する誓約を表明したのである。
国際法が存在するとは雖も、国際社会の原則は「力の支配」であって、「力の均衡」で一定の秩序が保たれる。「力」には「経済力」「政治力」「文化水準」等も有るが、決定的なものは「軍事力」である。其の最大の源泉が現代に在っては「核兵器」であって、其の保有の有無は、国際政治の力学で決定的な意味を齎す。所謂「冷戦」下に於て米蘇両国が、各々「北大西洋条約機構」「ワルシャワ条約機構」の盟主として、世界を二分割した決定的要因は、此の圧倒的な核戦力保有にあった。 だが、平成元年の蘇連対米降伏と同三年の蘇連邦崩壊に依って、蘇連の核兵器及び関連人員は、ロスケのみならず新興離脱国国内で散逸し、老朽化して、北朝鮮等の全世界各地に流出した。其の事件は、一方で五大国の核独占に反発し、極秘に核兵器開発を進め、或は秘密裏に核保有していた諸国に有利な条件を提供し、現在、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮に核拡散が進行し、カザフスタン等のCIS諸国にも残存している。
此の現実は、所謂「イラク戦争(侵略)」で身動きの採れなく成った米国の軍事外交を拘束し、対中共牽制の必要も在って、遂には本年インドの核兵器保有を是認する核拡散防止への二重基準を採用する迄、米国が国際的に追詰められた。
国際社会は、基本的に「弱肉強食」である。米国の弱みに対して、北朝鮮は居直りを続けーマカオ経由の金融問題では米国に泣きを入れたもののー、イランは全面的に反転攻勢に出たのである。
米国のイラク侵略での一時的な圧勝が、リビアの核兵器開発を挫折させたのは事実であるが、イラン(イスラム原理主義者アフマディネジャド)の公然たる核兵器開発への動向ー現在の所は「平和利用」と主張してはいるがーは、総てのイスラム教国家に多大な影響を及ぼす。リビア(カダフィ)も再開発の可能性が有り、一時は米軍の侵攻を恐れていたシリアも核開発に乗出す可能性がある。人口二千万人のイラクに手を焼く米国が、人口七千万人のイランに軍事侵攻ー局部的空爆は有ってもーする能力は無い。イランの核兵器開発の可能性が国際社会に与えた影響は、「第三次石油危機」の増進以上に大きく、「世界戦国時代」に「反米」と謂う一定の目標と方向性を与えた点を重視すべきである。

(「米国」対「反米」冷戦) ー世界は「いじめっ子」米国を嫌うー

平成元年の所謂「冷戦終結」を「世界戦国時代」の始まりと指摘して二十年近く経つが、此処数年、一定の世界的傾向、潮流が顕在化して来た。其れは、所謂「グローバライゼーション(世界統一基準化)」と称する事実上の「米国化」圧力と其れに抗する、反する勢力との対立の図式である。
更に其の背景を考察すれば、「近現代欧米物質文明」と「非近現代欧米物質文明」則ち「人類精神文化」との対決が其の本質に横たわっていると見做す可きである。
米国は近現代欧米物質文明の諸矛盾が最も濃縮された競争社会である。凡そ、異質の人種、民族、宗教は、自然状態では、互いに排除し合うのは、当然の生物的、人間的心理である。其の「当然の心理」に反して、多人種、多民族、多宗教、多文化、多言語が、幾重にも輻輳して無理矢理に成立している米国の如き「不自然国家」が統一するには、非常に強固な「強制力」が必要になる。此の強制力が国内に適用されるのは、国内問題に過ぎないが、外交にも表出すると、所謂「人権外交」等の内政干渉を惹起する。
米国は、国内統一の為に、国外にも原則を提示する必要があり、「世界の警察」「世界の憲兵」たる役割を演じねばならない。だが、高々四百年足らずに過ぎない米国の未開、低級、稚拙、劣悪、下品な文化に対して、世界各地には、千年を超える高度の精神文化が実在し、或は米国とは異質の文化、文明、慣習、宗教、政体等が存在する。彼等は、当然其れなりの「生存権」を維持し、主張している筈であるが、米国は自国の価値観に違背する総ての文化、伝統、慣習、制度等を否定して、其の低級な価値観を諸外国に強要する。
エセ「日本」の様に、「十二才」と小馬鹿にされ乍らも米国占領軍が押し付けた所謂「民主化」ー実態は日本弱体化、衆愚化ーを受容した国家は、極めて少数であり、多くの国家、国民、民族、宗派は、態様の差異は有り乍らも、米国の強要、ゴリ押しに反発、反対し、抵抗、抗議、反撃、糾弾を強めている。逆説的に考察するならば、米国の主張、政策を全面的に受容している国家は、エセ「日本」、英国、豪州等数カ国に過ぎず、他の圧倒的多数の国家は、米国的価値観、主張と可成の、或は一定の距離を置き、又は、全面的に対立しているのである。其の「反米」は、必ずしも我等の発想、価値観と同一で有るとは限らない。寧ろ、多様な立場、価値観が、「反米」と謂う共通項で混在しているのが実情である。 米国の曾ての敵国ロスケは、其の生活、産業基盤たる国内資源ー石油、天然ガス等ーを米国国際資本から守らずを得ず、中共は、米国「人権外交」から共産党支配体制を維持する必要に迫られ、北朝鮮、イラン、シリア等の米国に依って「テロ支援国家」と名指しされた国は、直接的な爆撃、経済攻撃の危機を実感している。
比較的に米国に近い欧州連合(EU)諸国にしても、環境問題では米国の二酸化炭素垂流しには明確に反対し、ドゥ・ヴィルパンの如き「イラク侵略」に反対した政治家も多い。
無論、イスラム国家は、民衆段階ではイスラエルを支持する米国に対して総て「反米」で固まり、自爆テロ要員の際限なき供給源となっている。宗教のみならず、米州に於てさえ、キューパのカストロ、ベネズエラのチャベス等々、反米の罵詈雑言を声高に叫ぶ政治家が大衆の支持を獲得し連携を保っている。
二十億人近くの現旧「社会主義」諸国民、十億人を超える「イスラム教」教徒、四億人を超えるラテン・アメリカ人の多く、今猶カースト社会に固執する八億人に近いヒンドゥー教徒等々、必ずしも横の連携は少なくても、何れも米国の圧力に反発、反対し、米国的価値観の強要を拒否、否定して、各の立場から「米国との冷戦」を闘っているのである。
其の契機の一つが、米国国民を震撼させた平成十三年九月十一日の「アル・カイダ」(砦)に依るニューヨーク、ワシントン同時攻撃であり、今回イランに依るウラン濃縮成功発表ー事実上の核兵器開発宣言ーである。世界各地に雨後の筍の様に現れる「反米」の嵐は、止まる処を知らない。
本来、米国民の出身地である欧州でさえも、近年「反米」の動向が顕著である。所謂「左翼」「右翼」のみならず、「緑の党」等の環境保護勢力や近年急増しているイスラム教徒の多くが反米であり、平成十五年の米国に依るイラク侵略の前後には、カトリックの神父からボーイスカウトまで千万人を超える人々が反対示威行進に加わった程、欧州での反米感情は強い。
米国が独善的に良かれと思って強要した論理や制度ではあっても、受け手から見れば、いじめっ子たる米国の独りよがり的な価値観に過ぎない。ギリシア・ローマ以来二千年の、伝統を誇る欧州人が素直に受容する訳では無い。

(「日本」は当然「核武装」すべし) ー核兵器廃絶の為の核保有と核攻撃抑止の為の核武装ー

 国際法の原則の一つに「平等主義」がある。「連合国(所謂国連)」常任理事国五大国のみが「核兵器」保有を独占出来ると謂う「核兵器拡散防止条約(NPT)」は、明らかに国際法違反の不平等条約である。本来、国際法に違反し、然も、欧米物質文明の齎せた最大の破壊力を持つ反道徳的な兵器たる核兵器は、人類の為に確実に廃絶せねばならないが、開発以来六十余年、「核防条約」より三十年、今猶多量に現在し、非欧米諸国では開発、生産が増加して、米国でも「小型化」等の性能向上が進展して居る。兵器としては効率の良い核兵器ー中性子核も含めーは、一旦保有すれば容易に手放せない利点を有して居る。 
数十隻の艦隊も、数百両の戦車軍団も、唯一発の原爆で殲滅出来るのだ。米国が「同盟国」の老若男女を生きながら焼殺した「東京」「ドレスデン」等の大虐殺にしても、核兵器を使用すれば、大量の航空機等を使用する事無く、「広島」「長崎」の様にたった一機、一発の爆撃機や弾道弾で作戦可能なのである。結論から言えば、核兵器保有国家は、非保有国家に決して敗北する事無く、核兵器保有国家に対しても核抑止力に基づく安全保障を担保出来ると謂う特権を獲得出来る。
 此の「世界戦国時代」に在って、米国対非米・反米「冷戦」が激化する国際情勢の中で、世界各国各民族が存続、生死を賭けた闘争を繰広げている。イラクを巡る内外の複雑多難な情勢や高騰する石油価格の上昇に代表される資源問題等を一見すれば、「資源小国」「食料自給率」先進国中最低の「日本」が、国際的少数派たる米国の「核の傘の下」に安住している実態が如何に危険な事かは、一目瞭然であろう。
「日米安保体制」に安住する事で確かに蘇中鮮韓の対日直接侵攻は阻止出来た。だが、「日米安保条約」そのものが米国の対日占領継続、対日反日洗脳の為に米国の利益を目的として策定、強制されたものであり、表面的にはエセ「日本」を守る形を採ってはいるものの、実態は真正『日本』を護る処が、内部から『日本及び日本的なるもの』の総てを滅亡させる究極の毒素を内包している。「GHQ体制」そのものが本質的に「反日」なのであるから、当然である。確かに衣食住等の外面的、物量的、動物的欲求は充足させられた此処五十年ではあった。だが、人はパンのみにて生きるものに非ず、民族の独立と尊厳を護持し得て、初めて『人間』としての自覚を抱き、高次元の精神文化的充足感を得るものである。米国に隷従して得られた「安全」等、全くの虚構に過ぎない。十数年以前であったか、大阪の天王寺動物園の象亀が体調を崩した。或る事に気づいた飼育員が甲羅を開いて見ると、その中から無数のゴキブリが陸続として群がり出て来た。飼育員は、象亀の体内から数匹のゴキブリが出入りしているのを見て、異変に気が付いたのである。幸いに象亀は治療されて回復したのであるが、厚い甲羅の外観の中で象亀が生きながらその肉をゴキブリに食われて居たのは凄惨と言う他無い。だが、此の事例は、所謂「戦後日本社会」そのものでは無いか。一見して「経済大国」と謂う象亀の甲羅に保護されているかに見えても、甲羅の中では「GHQ」の「反日毒素」に高貴な血肉を汚染、簒奪され、瀕死の瀬戸際に在り続けて来た。
 今こそ、清く正しく美しい『真正日本』『皇国日本』に復帰、回帰すべき秋であり、其の為には全世界の国家と対等の地位を要求、獲得しなければならず、其の為には「核兵器保有」は必要最低条件である。国際社会への発言権確保ー例えば「核兵器廃絶要求」等ーには、「普通の強国」としての核保有が必須条件であり、猶且つ北鮮、中共、ロスケ、米国等からの「核攻撃圧力」を抑止するには、核武装に依る報復力確保に基づく「核抑止力」確立が必要である。

(『皇道』宣布に拠る人類救済) ー『世界宗教』たるべき『日本教(皇道)』の確立、布教をー

生物学的人類が『人間』として一般生物と異質である理由の一つは、自己の動物的本能を自制する形而上的思考、認識、概念を保有し、其れを『宗教』的意識を涵養する事で社会に一般化して定着させて来た点に有る。
人間にも出来不出来の能力較差が現在し、一部の優秀有能且つ真摯なる人士は、深い洞察、考察を経て、人間社会を領導し、一般の大衆に一般の動物的生物的本能から遊離した『人間』独自の高度な精神的、知的生活慣習、意識、規範、理念等を与えて来た。其れが『宗教』である。               即ち「自然神」『神々』「絶対神」への畏怖、敬意、尊敬、尊崇の観念が、人を人たらしめてきたのであるが、近現代欧米物質文明と資本主義の成長、支配が「拝物主義」「拝金主義」に基づく反宗教的社会傾向を齎せ、増長させて来た。就中「産業革命」以来急成長し、物量的拡大を遂げた「生産力」が、其の侭「破壊力」に転じて、『人間社会』の宗教的束縛、抑制力が欠如或いは減退した結果、謙虚さを失った野放図な環境破壊に因って、人類世界を滅亡の危機に追いやっている。 現下「戦国時代」的国際情勢の中で、「反米冷戦」の宗教的主導勢力は「イスラム教」である。最も宗教的「一神教」たるイスラム教が、最も宗教的に堕落した米国の低級劣悪な動物本能丸出し文化を全面的に否定、攻撃するのは当然である。
だが、人間世界の歴史を回顧すれば、米国の低劣な物質文明も「清教徒主義(ピューリタニズム)」を基盤とし、其れは仏蘭西人カルヴァンの解釈した「カルヴァニズム」から派生したものであって、其等は総て「一神教」たる「クリスト教」に起因するものである。更には、『多神教』の吾等から客観的に判断するならば、「イスラム教」もクリスト教の分派に過ぎないー教義、聖人、聖地等の共通点が多いーのであって、一神教から発生した問題点を、同じ一神教たる「イスラム教」が解決する可能性は最終的には少ないと看るべきであろう。ならば、誰が、何が、世界、人類を救済するのか。
凡そ人間、民族は、其の生育環境から決定的な影響を受ける。精神文化的には、歴史的、宗教的影響も多大なるものが有るが、生物的基盤に決定的影響を与え、民族的文化を構成する要素は、自然環境、自然条件である。
例えば、エジプトのピラミッド(アル・アハラム)の蒸し風呂の様な内部から外へ出た時、皆一様に「涼しい」と口走しった。外気が摂氏三十五も有ってもである。此の様な苛酷な自然を象徴的に表現する標本が大英博物館に展示してある。手を虚空に差伸べた天然ミイラ(木乃伊)である。エジプトの砂漠で行き倒れになれば、自然は、自動的に人間をミイラに変貌させる。
或は、北満からシベリアの人々は、冬季、決して素手で金属には触れない。触れれば忽ち手が金属に凍結接着して離脱しなくなり、凍死、又は手が壊死してしまう。
斯かる地域で生育した人々や彼等が育成した文化は、自然を「敵」「征服すべき対象」ーヨーロッパ・アルピニズムの様にーとして把える。其故に、旧蘇連邦では「自然改造」の名の下に大規模な「自然破壊」が計画ー例えばバイカル湖温水化計画等ーされ、可成の計画が実施された。我国と日本海を挟む沿海州の温暖化を計って樺太とシベリアの間に建設された堰堤は、日本海に流入するリマン寒流の流量を著しく減退させ、日本海の温暖化を齎せ、其の結果、曾ては存在しなかったマグロが日本海で大量に水揚げされる様に成り、日本海沿岸の漁師は、漁網を一新させた。
曾ては世界四位の面積を占めた中央亜細亜の「アラル海」は、流入する河川が潅漑の為に流量を減少させられ、今や其の三分の一以上が荒涼の荒野と化している。
此の様に計画的な自然破壊以上に問題なのが、欧米物質文明が必然的に齎す処の所謂「地球温暖化」であって、百年後には、あのアマゾンの熱帯雨林が草原化、若しくは砂漠化するかも知れないとの予測さえ論議されているのが現状である。
此等、人類滅亡の傾向は、『民族生存権』『人類生存権』の観点から深刻に受止め且つ逆転、逆流させねば成らぬ。
だが、此の破滅への潮流は、欧州ーとは言っても西欧中心ーでは認識されつつも、米国では国民的関心は薄く、「地球環境」破壊の原動力たる中共、印度では全く無視されている。即ち人類は滅亡にひた走っているのが現状であるが、無論、六十五年に亙って『大東亜戦争』を戦い続けて来た吾等『真正日本民族』は、民族の自尊自衛独立と被抑圧民族の解放独立、更には人類救済の為に持てる力量を闡明、発揮しなければ成らない。
前述の如く、人間は自然環境から多大の、否、決定的な影響を受ける。そして、其の影響が、各民族固有の伝統文化と価値観を養成、熟成するのである。人類が生まれた大地自然を「敵」として、或は「征服対象」と見做す文化、文明には、常に人類滅亡の方向性が内包されている。従って、其の種の欧米物質文明の世界支配は、断固として拒絶、排撃しなければならない。
逆に、大地自然と共存共栄共生する文化、価値観は、人類のみならず、世界の自然を救済、維持するのに必要欠くべからざる要素である。そして、其の最たる高貴、高雅な人類文化が、我国の伝統文化と現実の生活に今猶息づき、且つ光輝を発している。
其の中心に在らせられ給う御存在が御皇室であり、『天皇』陛下で在らせられる。    四季折々の大地自然が齎す豊饒の恵沢に満ち満ちた我国の情景、則ち、日本晴れの天空の下、山紫水明の山河と白砂青松の海岸、広大な海原は水平線の彼方に続き、其等の大地から必要にして十分な生産を享受して、生活そのものを和歌等の文化に表現する民族的道統。人々は相和し、礼節を弁え、他者への迷惑を避け、日々の日常生活を心から楽しむ。
此の『日本民族』本来の人生と生活こそ、人類にとって必要且つ十分なる、そして、有らねばならぬ生活形態ではあるまいか。
然し、全世界の諸民族も、異質な文化には拒否反応を示すのは必然である。故に、クリスト、イスラム教の如く、我国の伝統文化を宗教的なものに位置付け、例えば『日本教』として、全世界に闡明、宣布する事が必要となる。
諸卿、我豊饒の大地自然、沃野に全世界の人類を招き、人類存続の宗教的指針を与えん。