第152号  皇紀二千六百六十六年(平成18年) 葉月(8月)     TOPへ戻る

平成十八年八月十五日

ー『日本民族』再興の波濤、一段と高まるー

中山 嶺雄

(「カミカゼ」の勝利)
ー非欧米精神文化の闘争手法としての意義ー

八月十五日『終戦の詔書』奉戴六十一周年早朝、日放協の衛星放送では、外国放送局の報道としてレバノンでの停戦実施を大きく採上げていた。首都ベイルート南部のシーア派地区やリタニ川南部のヒズボッラー支配地域に帰還した人々の声を紹介していたが、廃墟と化した街並みの瓦礫の山を眺めつつ、老若男女を問わずに皆が口にした言葉は「勝利した」「ヒズボッラーは勝った」であった。其の表情には、瓦礫となった我家や死傷した家族への哀咀哀惜の念よりも、「敵イスラエルに勝利した」との宗教的思想的精神的満足感が勝って居るのが看取された。
無論、純軍事的且つ客観的に判断するならば、イスラエル側が圧倒的な攻勢を掛け、レバノンの社会基盤、交通網、ヒズボッラー拠点を破壊、殲滅したのであるから、イスラエルに分が有る。其れを逆手に取ったイラン=シリア=ヒズボッラー「反米枢軸」の「イスラエルはやりすぎだ」宣伝が所謂「国際世論」を動かして停戦に持込んだのである。
だが、イスラエルの攻勢を阻止、妨害したのは、単なるお涙頂戴や逆差別的外交宣伝だけでは無かった。ヒズボッラー勢力の果敢な戦闘と其れを支持するイスラム民衆の圧倒的声援が存在していたのである。
元来、イスラエルは世界で最も効率的な軍事国家であり、同国軍は世界一の軍事的能力を保有している。昭和四十二年の所謂「六日間戦争」では、僅か六日間でヨルダン、エジプト、シリア近隣三ケ国の国軍主力を壊滅し、「エンテベ空港事件」では三千五百粁も離れたウガンダまで特殊部隊を投入して乗取られた飛行機を乗客乗員ごと救出した。イラクの核施設破壊作戦もシリア、ヨルダンの頭越しに行う等、突出した軍事作戦能力を有している。例えばアル・カイダのビン・ラーディン暗殺を行い得る組織は、米国のCIAでは無く、イスラエルの「モサド」であろうと、愚生等も予てから予想している程である。  其の有能、優秀、的確なイスラエル軍が、今回は想定通りに作戦が展開しなかった。使用武器の性能、作戦兵力、索敵能力等々総ての分野で圧倒的優位に有るイスラエルが、何故即戦即決短期決戦ー我国の対米戦争と同様に資源小国勝利への要諦ーの基本原則を実行出来なかったのか。其は、イスラエルが弱くなり、逆に同国の敵が強くなったからである。元より「ヘブライ(ユダヤ)教」と謂う宗教で共通している「ユダヤ民族」は、人種的に多様であり、近年印度、エチオピア等非欧米人種の流入で同国内の矛盾が高まり、国内的結束や団結力が薄れ、価値観の多様化が目立って来て居る。更には、米国型人権思想、個人主義が蔓延し始めてイスラエルは弱体化しつつある。一方「反イスラエル」勢力強化の理由は様々だが、其の基盤、根幹にあるものは「イスラム教」の「聖戦(ジハード)」理念と其の戦術としての「カミカゼ(自爆攻撃)」である。イラクに於ては連日繰返されて居る此種の「自爆攻撃(軍事目標に対するもの)」「自爆テロ(民間目標に対するもの)」が、今回のイスラエル軍レバノン侵攻に際して最も効果的な対抗戦術手法であった。現代兵器での遠距離からの戦闘と異なり、地の利を得たヒズボッラーが「決死」「自爆」の覚悟で近接白兵遊撃戦を展開すれば、イスラエル軍の死傷者が急増するのは当然であり、単に其の構成員のみならず地域民衆の多くの支持がある以上、自爆兵力の供給源は潤沢なのである。
 今回、イスラエルは「一歩引いて五歩進む」戦略で一時撤兵した。戦意の欠如したレバノン政府軍や寄せ集めの所謂「国連軍」にヒズボッラーの武装解除が出来る筈が無く、「国連決議不履行」を口実に次なる侵攻を目指す為である。だが、次回もイスラエルは完全勝利は獲得出来ない。ヒズボッラーに象徴されるイスラム原理主義が「カミカゼ」を放棄する可能性が無いからである。
『大東亜戦争』で我国の精神的文化的伝統の中から自然的必然的に発生した『特別攻撃』と謂う反欧米的戦術と精神が、平成三年米国等のイラク侵攻から始まった『大西亜戦争』でも「カミカゼ」として一般化し、今や西南亜細亜の欧米支配排除の原動力的戦法と成って居るのである。
イスラム世界のみならず、所謂「自爆テロ」の可能性は、十五日当日のハワイでも真剣に検討されていた。即ち日本国内報道では無視されたものの、コンテナ入りの小型核兵器が爆発したとの想定で、多数の市民をも動員して対核テロ訓練が、米国支配下のハワイで大々的に実施されていた。愚生が予てから予測している北鮮に依る「東京湾上コンテナ核兵器自爆テロ」の可能性を、米国では所謂「テポドン二号」発射以後、真剣に対策迄考慮し、演習さえしている。「最悪のシナリオ」を想定して対策を考えるるのが「世界の常識」なのである。無論、北鮮の「自爆(「カミカゼ」)」は、決して我国の『神風』攻撃等と同一ではないが。

(反日売国奴への鉄槌)  ー国民の敵、民族の裏切り者を処断せよー

レバノンでイスラム民衆がイスラエルと背後に在る米国への「勝利」を叫んでいた同日、「日本」でも売国奴への鉄槌が下された。
電波映像報道や新聞報道に依れば、東京の六十五才の「右翼団体幹部」が、自民党「売国三羽烏(河野、山崎、加藤)」のひとり「加藤(下等)某」の実家に火炎攻撃を加えた上で割腹自決を図り入院したとの事。
『赤報隊』や『建国義勇軍』等の継続型組織的攻撃とは異なり、明治時代以来の典型的な個人的義挙である。此に対してマス・メディアは例に拠って「言論弾圧」「異議があれば言論ですべき」等の的外れな寝言を並べている。吾等『愛国派』『民族派』『良識派』の言論を圧迫、無視、圧殺して来たのは現存する「反日マス・メディア」や「反日教団」「反日政治屋」其れ自身では無いか。『国家』を否定し『国益』失い『国民』を反日洗脳させ『民族』の尊厳を傷つけ『日本及び日本的なるもの』の総てを否定抹殺し『日本民族』絶滅を悪辣に策謀、実行して来た「罪万死に値する」反日メディアや内外の反日分子に『國士』を批判する資格は全く無い。
マッカーサー等が「日本」に強要した「占領基本法(所謂日本国憲法)」以下の法規よりも、二千六百六十六年に亙って十億人以上の『日本民族』が國史上で形成して来た『民族法』の方が遥に上位にあるのであり、今回の義挙も「反日売国奴」に対する民族自存自衛を目的にした『民族生存権』に基く『民族法的合法処罰行為』、即ち『天誅』実践の一形態である。
十億『日本民族』滅亡を謀議犯行する「民族犯罪者」共に「言論の自由」処か「生存する価値」其れ自体が全く無い。唯、誅滅処刑される資格を持つのみである。我民族の敵を撃滅せよ。

(小泉首相が『靖国神社』を参拝) ーまだまだ問題は有るがより悪くない結末ー

同日、小泉首相が靖国神社を参拝した。
所謂「公約」を守って「八月十五日」に参拝との事前からの報道を受けて反日売国メディアや同類勢力の圧力が強まる中で、敢て参拝した事実を以て「有終の美」と見做す向きも無い訳でも無いが、「美」と見做すには余りにも問題が多すぎる。即ち『大東亜戦争』を「間違っていた」と否定し、『民族悠久の大義』を確信して散華された『英霊』に対し奉り「心ならずも犠牲になった」等と無礼極まりない認識を公言する小泉は、より悪質な「反靖国」「民族犯罪者ー民犯(みんぱん)とでも呼称すべきかー」よりは「より悪く無い」かも知れないが、決して「より良い」訳では無い。
所謂「戦後」六十一年間、『日本民族』にとって最大の価値観の基準は『日本及び日本的なるもの』を『肯定』するか、其れとも「否定」するかである。小泉は『大東亜戦争』則ち『日本』を否定し、神道形式の靖国神社参拝をも行わないのであるから、本来同神社に参拝する資格は無いのである。唯、『靖国神社』ー其の民族的理念をも含めてーを全面否定する「民族犯罪者」よりは「より悪く無い」と謂う消極的評価を与えるだけである。
問題は、今回の小泉参拝が惹起した内外への影響と反応である。
「反日・売国」の総本山は、既に「反日朝日」から「反日・日放協(NHK)」に移転している。朝日以上に社会的影響力を持つ、此の日放協の報道姿勢、内容をつぶさに検討すれば、「反日・売国派」の傾向と対策が理解出来よう。まず、当日の朝、七時三十分から実に四十五分間に亙って首相官邸から靖国神社、そして再び首相官邸に入る迄の小泉首相の様子を、日放協は淡々と事実関係のみを報道した。他の通常番組を完全に切って「靖国神社参拝」のみを報道しようとする日放協の姿勢には、「何とかして靖国神社を問題化しなければ成らない」と謂う反日的な底意、悪意が看取されたが、敵もさるもので参拝の実況中継では批判がましい言動は殆ど隠蔽していた。 だが、其れ以後は、日放協に拠る「反日・反靖国神社報道」が組織的、計画的に垂れ流され、同放送局の「反日・自虐・売国」体質が露呈された。其の原因は「GHQ反日支配体制」の下で「反日洗脳」を受けた日放協に巣食う「反日派」に執って、此のエセ「日本」が「普通の国(独立国)」に成る事は恐怖の的であり、然も同じく同協会内部の近隣反日諸国から反日行動指令を受けた「女金病」罹患者ー女性、利権問題等で中共・韓国・北鮮等に弱みを握られている売国奴共ーは、ご主人様に絶対服従であって、其の両者が番組編成権を握って居るからである。。      斯て日放協に拠る「靖国神社反対・非難キャンペーン」が、公共の電波を通じて大々的に展開される事に成った。例えば五つの政党から代表を呼んで、各々自党の主張を発言させれば、自民党以外は全て「小泉靖国参拝反対」であるから、放送時間の八割迄が「靖国神社(参拝)反対」と成り、結果的には、「反靖国番組」が自動的に公共の電波を占拠する事態を生起出来るのである。此の有利な立場を悪用して日放協、朝日等が今回の「靖国神社問題」なるもので展開した戦術、戦略は、従来よりもより悪質化した。即ち、従来は所謂「日本国憲法(正しくは占領基本法)」「二十条(政教分離)」違反、所謂「A級戦犯」合祀を批判していたのだが、今回は『遊就館』非難『靖国神社』攻撃『大東亜戦争』全面否定といったより積極的な反日攻撃を仕掛けて来たのである。此の背後には、無論、中共、韓国、北鮮、米国等の反日勢力が物心理論三面で尻を叩いているのは間違い無い。

(だが「民族覚醒」の秋は至りぬ)     ー独立日本民族の未来は明るいー

日放協の「反日・反靖国」非難、攻撃は、十五日夜の実に三時間もの特集番組から本格的に始まった。無論其れ迄にも悪意に満ちた報道はあったが、事前にマスコミ各社の世論調査で「小泉靖国参拝」反対が多数を示していた事から、日放協内部の反日派は安心して視聴者参加番組を設定していた。又、小泉反対の麻生外相を番組に招いて一席唸らせようと画策していた。処が全く想定外の番組展開となった。
まず、「靖国神社」に限定した番組前半の初頭で麻生外相が「こんな番組を作って靖国神社を政治問題化する事自体が問題だ」と司会者に噛み付いた。味方の筈の麻生君にいきなり噛み付かれた司会者のアナウンサーー反日確信犯ではなさそうーは慌ててオロオロする始末。何とか話題を転じて賛否両論を発言させるが会場内部でも賛成派が優勢、視聴者からのアンケート結果でも、事前の世論調査結果が逆転して「参拝賛成」が圧勝、日放協当初の目的である「靖国神社反対番組」が『靖国神社紹介番組』に性格が変わってしまった。
 其の傾向は翌日以降も続き、読売新聞、共同通信の世論調査でも『賛成』が「反対」を大きく上回った。反日メディア、反日諸勢力は、一方的な「靖国攻撃」で一定の戦果を挙げ、更に継続的な追撃戦で「普通の国(独立国)」を目指す「国家回復」『民族再興』の社会動向を圧殺、殲滅せんと大いに期待していた。
だが、六十一年間継続した反日売国体制と其れを背後から支配、指嗾している諸々の反日勢力に対する吾等愛国自尊民族派の根気強い戦いと、度重なる理不尽な反日諸国からの外圧に刺激されて、「反日洗脳」呪縛への疑問、懐疑、反感、反発、闘争に覚醒した、或はしつつある国民大衆の『日本回帰現象』が、「小泉靖国神社参拝」賛成最大の要因なのである。決して一時的な「嫌韓・反中」感情や
「小泉劇場」の大根演技のみに動かされたのでは無く、十億『日本民族』の精神と道統に基く『民族悠久の大義』が、汚濁混迷せる偽りの「日本」社会に清澄純朴にして確固たる指針、方向性を付与したのである。
今や、『日本民族』は独立自尊への大いなる潮流に乗って反日の荒波を押し分けつつ前進している。然し、六十余年に亙る反日、非日洗脳を受けて、殆どの人々が、多かれ少なかれ『清く正しく美しい』我国の國史、國語、伝統、精神を忘却、喪失し、本来の『日本』に違和感を抱く迄、精神文化的病理に罹患汚染されている。例えば今夏の高校野球は国民を熱狂させたが、其の根底に存在する『精神力』を言語として口にした選手、観衆、報道関係者は一人も居ず、「気持ち」「心」「思い」といった低次元的表現に終始した。だが、決勝戦で看られたあの最後迄全力を尽くして戦う態度の根底に存るものは、大東亜戦争に入って東條英機内閣総理大臣閣下が国民に呼びかけた『精神力』そのものであった。
『日本』と謂う『生命共同体』を「個人」に分断し、帰属意識を喪失させて日本民族の精神文化的絶滅を意図した「GHQ体制」ではあったが、自己の帰属する高校の栄誉の為に死力を尽くして戦う高校生の内面には、明確に『特別攻撃』に志願した我同胞と同一の精神力が漲って居た。唯、それを自覚していない彼等に如何にして其れを覚醒するのか。『民族の尖衛』としての吾等の責任は重い。
無論、所謂「ニート」等と呼ばれる有害な社会的「生ゴミ」が数十万名も実在しているのは事実ではあるが、社会全体が健全化すれば、其様な「生ゴミ」や「反日害虫」は、排除、駆除、捕殺、焼却されて、自然に社会的自浄作用が我國土を清め、『國體の精華』が顕現されるであろう。
『一日一動』、今日も全力を尽くして、然も明朗快活健全に『日本及び日本的なるもの』を護る為に戦い続けよう。