第156号  皇紀二千六百六十六年(平成18年) 師走(12月)     TOPへ戻る

民族独立、自存自衛、

人間復活固成の聖戦 大東亜戦争六十五周年

吾等、猶、決然敢然と民族の大義を奉じて敢闘しつつあり
                 


中山 嶺雄


(轟音を立てて崩壊しつつある「反日体制」) ー「不自然・無理」は所詮「徒花・妄想」ー

本年も、此処数年の歴史的変革潮流に依って、内外の「反日・売国・自虐・逆差別」勢力は数々の敗北感、挫折感を味わい、「反日反動路線・政策」の限界と没落を実感し、新たなる「反日」の口実探しと理論構築を模索する迄に追込まれている。
だが、其の反日画策も当初から限界が予測されている。従来、荒唐無稽な「戦後反日神話」が我国内外で横行闊歩した最大の原因は、「エセ日本」即ち「GHQ反日支配体制」の下で、虚偽で固めた如何なる『日本』に対する罵詈雑言、中傷攻撃にもひたすら「平身低頭」「謝罪三昧」であった「エセ日本」の自称「政府、マス・メディア」といった権力機関が、正当な反論、自己主張を一切行わなかったからである。              だが、今や真正『日本』と迄は行かなくても、少なくとも「普通の国」を目指す勢力が過半数を占めるに至った「日本」に於て、一方通行の「反日神話」「反日宣伝」「反日妄動」「反日恐喝」「日本叩き」「日本攻撃」は、広範な日本人大衆の反発、反感、そして『民族的自覚』を覚醒する「呼び水」にしかならない。例えば、北鮮の露骨極まりない日本脅迫工作たる先般の「弾道弾実験」「核実験」が、現実には「防衛庁」の「省」昇格に直結し、中共の『靖国神社』攻撃は、二十五万人と謂う史上最高の参拝者を結集した。
反日諸国と反日勢力に隷従、盲従して来た「眠れる十二才」の日本人大衆が、此迄、服まされ、与えられてきたアメや玩具に潜められた毒素の害悪に気づき始め、辛うじて『主権確立』『民族独立』への道を歩み始めたのである。国内的にも「部落解放同盟」「朝鮮人総連合会」の特権的地位は大幅に制限され、逆差別への国民の怒りがやや率直に表現可能と成った。                無論、此の傾向は、現在可及的に湧き起こった現象では無く、昭和四十年代の所謂『三島事件』同五十年代の『新編日本史』、平成改元以後の『新しい教科書』『北朝鮮拉致被害者救出運動』等々の積重ねの上に開花した『日本民族』の芳花である。人類をも包摂する大地自然は、最終的には『自然』に帰結する。日本人をアメとムチで非日本人、反日本人に洗脳、意識改造しようとした「GHQ反日体制」の「不自然」かつ「不道義」な目的には「無理」が有ったのである。『日本人』が『日本民族』であるのは、『自然の摂理』であって最高に尊重される可きである。
今、其の摂理が証明されつつある。

(真正『日本人』に惑い無し) ー三千年変わらぬ民族悠久の大義ー

「不自然」な反日体制が、現在斜陽化し、所謂「社会民主党」にのみ旧態然とした形態で残るのみとなっているが、さりとて『皇國』が一挙に再現、再興する訳でも無い。むしろ、吾等は、一見して少数に視える。祝日に国旗を揚げて居る家が何軒あるか、国歌を満足に歌える青少年が何人居るのか。「普通の国」では当然正当の慣習が、此の偽りのエセ「日本」では、未だに正常化していない。中学校「公民」の教科書には「一九九九年、国旗は日章旗、国歌は君が代と制定されました」等と記載されている。慣習法的に幕末より『日本国旗』であった『日章旗』、明治十年代より我『日本国歌』であった『君が代』、其れを「屋上屋を重ねて」敢て「国旗・国歌法」として明文化しなければならない程に、心身を病んで居たエセ「日本及び日本人」の病理は重い。本年、最も販売されたとされる「藤原某」氏著作「国家の品格」なる文書でも、昭和十二年以後の我国の対支那政策を「卑怯」と批判している。当時の知識が皆無ではない著者にしても、所謂「戦後」反日体制の「反日洗脳」が完全には抜切らず、『独立日本』の存在と行動を全面的に肯定する決断を下し得ない。即ち、所謂「戦後日本人」の「自主独立限界」と見做す可きか。
だが、吾等は本質的に相違する。
吾等『真正日本人』には、「GHQ反日支配体制」に起因する如何なる洗脳、強要、策術、教唆、脅迫も無意味である。何故ならば、日本民族三千年の國史に基づく確固として不動たる歴史観、価値観を固守、死守して居れば、反日占領軍と諸々の反日勢力が押付けたウソで固めた自称「歴史的事実」の虚妄性と「歴史観」の反価値性が、銘鏡止水の如く判明し、足下に却下、否定、排除出来るからである。
吾等の価値判断は、特に新規の其れを設定、考察する必要は無い。時点を『昭和二十年八月十四日』に設定して、即ち『日本』が真正『日本』独立『日本』であった時点の価値判断に基づいて価値基準を設定、護持すれば、単純明快率直適切正当に解答が得られるのである。
 確かに幕末以後の『國史』には、常に「欧米化」と謂う問題点、批判点が存在していた。だが、与えられた条件の下で、吾等の先人、先達は可能な限り『国益』を考慮して決断と行動を重ねて来たのである。当然、其の最高責任者である宰相は、常に責任を問われ、吾等の先輩達に批判、襲撃を受け、多くの死傷者を出した。だが、世論は、批判、襲撃する壯士と、される宰相の双方を肯定していた。共に、「私利私欲」を目的とせず、『天下国家』の『公利国益』を優先させていたからである。政策判断の相違は有っても『無私無欲』の『滅私奉公』的且つ『國體護持』の価値判断は『日本民族』万民共通の価値観であった。此は、「独蘇」両国に代表された形態的な所謂「全体主義」とは無縁の観念である。悠久三千年の農耕社会が育んだ有機体としての、民族共同体としての自然発生的な『万民統合』の発想であり、「国家」と言う「枠組み」が国民の意識を規定するのでは無く、自然に醸成された民族の意識が国民の価値観を決定していたのである。
吾等、真正『日本人』は、一切の疑念を抱く事無く、此の民族的確信と価値基準、判断を護持し来った。吾等に一切の迷いは無い。そして、移ろい易い大衆心理は、前述の如く、極自然に、吾等の主義主張の方向性に靡いている。彼等「迷える十二才の子羊」に一定の指針を示唆、明示、提示する事こそ、旧来、更には現在、吾等に付与された責務であり、且つ特権、栄誉である。

(『護る為の戦い』に挺身せよ) ー意識有る者は「如何に生きる可きか」を  考え、誠心(こころ)有る者は『如何に戦う可きか』を決意するー

平成十三年、九月十一日、米国紐育市等で所謂「同時多発テロ」なる痛快な事件が発生した。既に黒煙を上げている高層建築の隣接棟に大型の旅客機が突入し、火炎を発生した瞬間、電子映像の担当者は「カミカゼ、オウ、マイ、ゴッド」と叫んだ。筆者は、終夜、杯を傾け、祝宴を張った。当然、燃え落ちる建物に祝杯を挙げた。唯、遺憾であったのは、其れが我が『日本民族』の報復攻撃では無かった点であった。最初に「世界貿易センタービル」の炎上画面を見た瞬間、「嗚呼、オサマ・ビン・ラーディンが又、やったな」と直感的に認識した。まさか二機目が突っ込むとは想像さえしなかったが、「良くやった」と感謝の念で心中一杯であった。
 昭和二十年三月十日深夜、計画的、組織的、非人道的に東京都下町に対し、国際法に違反して無差別爆撃を実施し、無辜の子供、ご婦人、お年寄りを十数万人も生きながら焼き殺
した「東京大虐殺」の下手人たる米国及び米国民に、ささやかながらも報復が実行されたのである。日本民族の手で実行出来なかった悔しさは残ったが、又、民間人への攻撃と謂う『士道』に反する方法論には若干の違和感を覚えたが、国際的な「虐殺魔」たる米国への膺懲として大いに溜飲を下げたのであった。その後、被害者意識丸だしの米国の論調や「米国日本州」の「本国の一大事」的報道には、怒り心頭に発した。「東京大虐殺」「広島大虐殺」「長崎大虐殺」だけでも、生きながらに焼き殺された『日本人』同胞ーそれも幼い子供、ご婦人、お年寄りが主体ーは四十万人を下らない。たった三千人が死んだくらいで被害者意識を喚き立てるな。
此の『日本民族』として当然の感情は、『大東亜戦争』を体験した多くの日本人の、マス・メディアには出ない心情であった様であるが筆者自身が同感、共感の思いを多くの同胞から聴取した。
此の年は、「ビン・ラーディン」の独演場では無かった。彼自身は「イスラム原理主義」者で、「経典の民」では無い『日本民族』と其の信仰には敬意を表しては居ない。現在のエセ「日本」は米国の支配下に在ると見るのが国際的常識であるから、尚更、「日本」を侮蔑して、攻撃対象として宣言もしている。
 だが、我日本は、光輝ある『皇紀二千六百一年』即ち『皇紀二十七世紀』元年、我『日本』の自存自衛と亜細亜の植民地解放、独立に向けて欧米諸国に大義有る『聖戦』を提起、敢行したのである。
歴史的事実としては、欧米反日勢力に因る所謂「ABCD包囲陣」の好戦、向戦圧力に耐え切れずに軍事行動を採らざるを得ない状況に追込まれた結果では有ったが、決して「卑怯、卑劣」な敗北主義には与しなかった。
欧州大戦後に開催された「パリ講和会議」で主張した歴史的事実が語る如く、『人種平等』即ち『植民地解放』理念は、幕末以来多くの日本人が痛感、主張していた民族的主張なのである。昭和十六年時点で、米英好戦勢力の圧力を受けて、自衛上、止むをえず開戦せざるを得なかったとは雖も、『尚武』『名分』を重んずる我国は、『開戦』の『御詔書』にて我国の正義の立場と理念、主張を闡明したのであった。
斯る正義、大義に基づく神聖なる『大東亜戦争』は、当然の勝利で開始された。即ち『真珠湾奇襲攻撃』である。害務省の小役人共の醜態で若干の泥を塗ったとは雖も、其の世界史的意義は些かなりとも減じえない。米国のみならず、蘇連邦も含む欧米植民地保有諸国への歴史的打撃は計り知れないものが有った。
『真珠湾』の大戦果こそが、大戦中の、更には大戦後の亜細亜諸国、延いては亜沸利加諸国独立の決定的要因と成ったのである。
 「同時多発テロ」の平成十三年は正に、『大東亜戦争開戦六十周年』の輝くべき記念の年であった。だが、エセ「日本政府」のみならず、エセ「日本」国内で、『開戦』と『真珠湾戦勝』を祝う式典は、愚生の知る限りでは皆無であった。其れでは『大東亜戦争』に殉じた英霊、並びに戦没、被虐殺された国民同胞に申訳ない。
愚生は、独り、同年クリスト教生誕祭前日、敵国たる米国紐育市に赴き、中央公園の中心に於て、『日本国歌』を朗唱し、『大東亜戦争祝勝祭』を斎行した。其れは単なる自己満足では無い。『大東亜戦争』を戦い続ける『日本民族』の意志と言魂が、「反日、売国、自虐、卑怯、臆病、卑劣」に瀕したエセ「日本人」の内面を救済し、彼等の意識を覚醒して『日本及び日本人』を蘇らせ、更には、欧米物質文明の害毒に因って滅亡に瀕して居る全人類を救わんが為である。

(『皇道』の再興、宣布は歴史の必然) ー全世界御一方の「皇帝」は「帝」に非ずー

所謂「日本語」の解釈にも「反日解釈」と『肯日解釈』の相違がある。無論正規の『国語解釈』が何よりも正しいのであるが、『和食』を「日本食」と呼び『国語辞典』を「日本語辞典」と反日歪曲洗脳を繰返す学術、文化、報道、芸能等の世界に在って、せめても反日では無い英語表記に「エンペラー」なる語彙がある。欧米的観点、視点から認識するならば、古代ローマ帝国の「アウグストゥス」から始まる歴代ローマ皇帝と其の後に形式的に成立した「神聖ローマ帝国」皇帝の称号が其れであるが、古代支那に在って「周王朝」が衰微して各諸侯が「王」を自称した様に、欧米でもナポレオン以後各国王が皇帝を自称する様になる。だが、欧州大戦で「露・独・墺」三帝国が、又、その直前にトルコ・清両帝国が共和制に移行し、第二次世界大戦後には、「皇帝(エンペラー)」と自他称される元首を戴く国家は、『日本』「エチオピア」「イラン」三ケ国に成った。
然し、昭和四十年代、エチオピアでは軍部社会主義革命に依ってハイレセラシェ皇帝は追放され、同五十年代、イランのパーレビ皇帝は所謂「ホメイニ・イスラム原理主義革命」に依って国外に亡命を余儀なくされた。現在「エンペラー」と英訳される地位を保有させられる御方は、畏くも『天皇陛下』上御一人(神)にて在らせられる。
人間世界が「欧米物質文明」の下で「物量と資本」「外面と虚飾」に低劣醜悪化する所謂「近現代」の欧米世界で、「国王」の上に君臨する「皇帝」は、墺、露、仏、独、伯、墨、等々で濫造された。本来は地中海を内海とするローマ帝国で唯一つの地位で在った帝号が複数の自称「皇帝」に僭称されると謂う文化史的合理性に背反する歴史的に「不自然」な事態は、大正七年の欧州大戦終結で自己崩壊を招来し、欧米で「皇帝」は夢消した。流石に古来の伝統を重視する英国は、「大英帝国」と呼ばれながらも「皇帝」は僭称せずに「国王」の地位に甘んじて現状に至っている。 欧州大戦以後の欧米では、「政体信仰」的考察に因れば、「共和制」(資本主義肯定派)と「コムュニズム」(平等空想夢想派)「王政派」(クリスト教的伝統派)がせめぎ合う状況がー無論、妥協し合従連衡を重ね乍らもー継続し、第二次欧州大戦ー世界大戦の部分としてのーを迎えた。
同大戦の主たる戦場は「独蘇戦」であった。其れは、若干の形態と性格は異なるものの、「コムュニズム」同士の軋轢であったと見做し得る。詳述は避けるが、コミンテルン偽装で「ロスケ民族主義」を曖昧化した「ロスケ・コムュニズム」則ち「ボルシェヴィズム」と、「反コムュニズム」「反シオニズム(反資本主義)」「ゲルマニズム」を呼吹した「ドイッチェ・コムュニズム」則ち「ナチズム」との対決であり、米国の介入に依って、蘇連邦の勝利と成った。戦後、西欧は「王政派」協力の下に「共和制」(所謂「議会制民主主義」)が維持拡大定着され、東欧は「ボルシェヴィズム」の支配下に置かれ、所謂「ヤルタ体制」則ち「米蘇両国世界分割支配体制」が確立したかに視えたので在った。         だが、世界は欧米だけでは無い。
第二次世界大戦まで欧米の植民地として非人間的待遇に甘んじて来た亜細亜、亜沸利加、中南米、中央亜細亜、西米利亜等の諸国、諸民族が独立し、或は独自の声を主張し始めたのであった。昭和三十年のバンドン会議での所謂「非同盟諸国会議」は、ボルシェヴィズムの中共が潜入画策していたとは雖も、反西欧、反欧米で一致していた。其れは取りも直さず我『日本民族』が死力を尽くした戦った『大東亜戦争』と『大東亜共栄圏』の現実化の第二弾であった。所謂「戦後」「エセ日本」が、東大曲学阿世教授「宮沢某」の「八月革命説」等で「共和制」(米国)化、「反日化」するのに対して、『日本』から独立を受けた多くの新興国は、欧米と戦った『日本』に敬意と感謝の念を捧げ、例えばボルシェヴィズム国家のキューバでさえも『昭和聖皇』御崩御に際しては、五日間も喪に服したのであった。
今や、「ラスト・エンペラー」と成られた『日本天皇』は、国際的には「エンペラー」であっても、世界史的には「エンペラー」に非ず。
『天皇陛下』は『天皇陛下』に在らせられる。近現代欧米植民地主義、帝国主義が圧殺滅亡させた数々の「皇帝」達。中南米「アステカ」「インカ」の皇帝、英国に帝位を奪われた西北印度のムガールの「シャー」(皇帝)、ロスケに帝位を侵奪された中央亜細亜蒙古民族の「ハーン(汗)」達、国民に帝位を追われたトルコの「スルタン」、イランの「シャー」等々、各々が歴史的に存在意義が有り乍らも、最終的に滅亡した原因は多岐に渡るが、最大の原因は、「政治権力」の集中と「経済的独占欲」「世俗的退廃」及び「外圧」に起因する。
だが、『日本天皇』は、其の『祭政的権威』こそは、至上最高であらせられるものの、「私利私欲」を超克した御存在にてあらせられる。全世界に溢れる、「私利私欲」を求め、スイスの銀行に隠し口座を設定する国王や独裁者とは全く無縁の高貴、高潔な御存在なのである。大正年間、来日したアインシュタイン博士は、「世界連邦」の「元首」として「世界で最も長い家系の日本の天皇陛下」を推戴した。確かに、「長期間」も勿論理由の一つには成るであろう。  だが、然し『日本天皇』に世界の『元首』の地位を御裁可戴く理由は、時間の問題は軽微に過ぎず、本質的には、其の『無私無欲』『滅私奉公』『一視同仁』『万民共存』『万国共栄』を日々大地自然の神々に祈念させられておわします、其の御存在と御公務の貴っときにあらせられるのである。
又、其の高貴な御存在を三千年来、護持し来った『日本民族』の偉大さと其れを育んだ『自然風土』の素晴らしさを実感せずには居られない。
御皇室を奉戴し、日本国民を覚醒し、更には、人類共存共栄、自然愛護の世界構築に全力を傾注しようではないか。
全世界を滅亡に追いやる「欧米物質文明」と其の論理に対して『日本民族』は『大東亜聖戦』を継続、展開し続ける。
歴史的に同じ過ちを繰返えさせるな。 核兵器実験テロ(広島・長崎・東京ー北朝鮮ー)