第161号  皇紀二千六百六十七年(平成19年) 皐月(5月)     TOPへ戻る

激変する「中共」

ー中共に因る支那破壊工作第六期見聞短報ー

中山 嶺雄

(中国共産党の本質は侵略と破壊)
ー歪曲と捏造で固めた「中共宣伝歴史観」を捨てて歴史的事実の再確認をー

過日、支那「西安」近辺で数日を過ごした。上海程では無いが、中共に因る全国的破壊の波が陝西省に迄、及んでいるのを膚で感じた。元より、「中国共産党」は暴力革命を目的に結成された闘争組織であって既存社会秩序の破壊を自己存在価値としている以上、其の矛先を向けられた対象から視れば、中共は常に「破壊者」である。特に、支那人民にとって、コミンテルン中国支部として結成された「中国共産党」は、「蘇連社会帝国主義」と謂う侵略者の手先に過ぎず、大正末期から昭和初期にかけてボロディン等の支配下で、蘇連邦の国益の為に一部学生、知識人、労働者が蜂起した時も、一般大衆、農民は支持しなかった。
唯、「水滸伝」の世界を夢想した毛沢東等の農山村拠点主義で一時的に「瑞金」に小地方政権を樹立したものの、中国国民党の包囲攻撃を受けて壊滅、数年間の流民逃亡生活ー中共は「長征」と歴史を改讒するーを送る。
其の途中で毛沢東の主導権が確立して陝西省延安に不安定な根拠地を構築したが、実態は地方中小軍閥の一つに過ぎず、支那全国には何の影響力をも持ち合わせては居なかった。
常に国民党の攻撃で殲滅される不安感に苛まれていた中国共産党にとって、欧州方面から効果的な戦術が指示された。即ち、昭和十一年に勃発した「スペイン内戦」に伴いコミンテルン(蘇連邦=スターリン)が決定した「人民戦線」方式の強要であった。妻を国民党に殺された経験を持つ毛沢東は其の方式に反対ではあったが、周恩来等が受容して、国民党支配下の反日軍閥取込み工作を実施、揚虎城を通じ旧満州軍閥「張学良」を籠絡して「西安事件」ー中共名称「西安事変」ーを発生させた。楊貴妃で名高い華清池に面した別荘から裏山に逃込んで捕まった蒋介石は、心ならずも「第二次国共合作」ー中共は「抗日民族統一戦線」等と呼んでいて現在の「日本」教科書にも強要されているーに同意させられた。
此の「反日民族主義」路線の成功に一定の進路を見出した中共は、其れ迄は接点の無かった『日本』を利用して自身の安全を確保し、勢力の拡大を企画実行して行った。即ち「夷を以て夷を制す」の譬え通り、『日本』と「蒋介石=国民党」とを戦わせ、支那の再分裂と内戦状態を再来させた。昭和十二年から八年間の「支那事変」中に、蒋介石が完全に掌握していたのは、四川、雲南の二省程度であって、『終戦』後の支那で「国民党」が「共産党」にいとも簡単に敗北したのは、故無しとしない。
「日支相撃」「日支相克」に活路を見出した中共は、劉少奇率いる特務が北京の学生等を使って「盧溝橋」で日本、支那両軍に度重ねて銃弾を撃込み、「通州」で数百人もの日本人を大量虐殺させ、「上海」でも度重なる対日挑発を行い、遂に、目的通り「支那事変」を惹起せしめた。此の「内戦と混乱」の「共産党毒素」散布こそ、中共が支那全土に強要した全国的加害侵略行為の第一期であった。そして其の「内戦と混乱」即ち支那人民と周辺諸国ー殊に『日本』ーの犠牲と苦難を悪用して、「八路軍」で支配地を拡大し、「新四軍」で国民党軍への浸透を増大させ、自らの出血は最小限に止め、善良な農民を盾として其の影に隠れて農山村民を犠牲にした卑劣且つ国際法違反の非正規戦を執拗に展開した。

(中共に依る全国的侵略破壊活動の継続)   ー破壊、殺戮こそ中国共産党の本質ー

地域的には「中共」の、世界的には「米英蘇」の「反日戦略」に基づく謀略で、予期せぬ希望せぬ世界大戦に誘導、強要された我国は、其の受動性を能動性に転化し、「対欧米戦争」たる『大東亜戦争』に昇華させた。
欧化せし『大日本帝国』が軍事的敗北を経て解体、変容した後も、我『日本民族』の光輝ある『大東亜戦争』は継続中にして吾等真正『日本民族』は、『自存自衛』『國體護持』の大義の下に、現在、猶、闘っている。
一方、「反日」を共通項として寄合世帯を構成していた所謂「連合国」と其の従属勢力は、『日本』の『終戦』の結果、忽ち自国、自勢力の利害得失から対立、相撃する事態を招来する事と成った。世界的な米蘇対立ー所謂「冷たい戦争」ーは、東亜では必ずしも旗幟鮮明では無く、スターリンは毛沢東を余り高く評価せず、むしろ蒋介石との連携と支那侵出を目指していたー蘇連邦は常に強者の味方ーが、「第二次国共内戦」で共産党軍が優勢に成るや、暫くして毛沢東を利用して支那からの米英勢力の完全排除を目指して行く。
此の「国共内戦」と国民党の台湾逃亡直後の混乱期ー民国紙幣の貨幣価値は一億分の一以下に暴落したと謂うーに、支那全土に渡って中国共産党に依る全国的な破壊、殺戮活動が展開された。即ち捕虜の内「将校」級は殆ど銃殺、残敵掃討と地方支配確立の過程で、地主、資本家に対しては、家族ぐるみの大量虐殺で旧体制の一掃を図った。是の徹底した殺戮と弾圧が、中共第二の全国的破壊活動であったが、其れは主として「人」に向けられたものであった。
だが、破壊の後には新なる「建設」を行わねばならない。一見して徹底した破壊に看えた
第二期の全国的破壊活動対象は「階級敵」たる「人」であったが、「偉大な社会主義建設」の制度的確立には農業国支那では、農業の集団化が必要不可欠とされ、中小農民迄、田畑を奪われ、抵抗する農民は虐殺、投獄され、残余の一般農民の総てが強制労働の憂目に逢った。「合作社」強要、更には、続いて行われた「人民公社」化政策をも含めて、昭和三十年代前半の此の「大躍進政策」で殺害され、自殺、餓死を余儀なくされた人口は、実に二三千万人に及ぶと言われるが正確な統計は発表されていない。
後に昭和五十年代のカンボジアでカンボジア共産党(クメール・ルージュ)が継承した此種の「土地改革」こそ、全国的破壊虐殺活動の第三期であった。
第四期は、当然昭和四十年に始まる「文化大革命」であった。其の本質は中国共産党内部の権力闘争であったが、中共らしく「より汚い悪質な手段」を採った方、即ち「毛沢東派」が、「劉少奇派」に勝利した。「紅衛兵」と称する青少年を全面に押出して盾に悪用した毛沢東「四人組」が林彪将軍ー日本の板垣兵団を全滅させたとの反日虚構神話で英雄に祭り上げられたーと同盟し、周恩来の国務院を取込んで、共産党「実権派」を大量に弾圧、追放、投獄、虐殺した。実権派は、元来共産党員として反対派や支那人民を弾圧、虐殺していたワルであるから同情に値しないが、この時、同時に所謂「民主諸党派」と呼ばれ、共産党一党独裁の色を薄める役割を演じさせられていた共産党シンパの多くも粛正された。其の人数数百万人とも数千万人とも言われるが、統計無き人員の被害よりも、支那の文化、文明への完膚無き迄の破壊、抹殺こそ最大の歴史的汚点であった。「造反有理」の破壊理論で洗脳された訳も分からぬ「紅衛兵」共が、旧き文物の総てを手当たり次第に破壊して行く、正に人類に対する文化的犯罪を、高々権力闘争の為に「中国共産党」は犯したのである。
第五期は、人心の破壊である。
毛沢東の死後、既に「林彪」を追放、死亡させて軍事的基盤を喪失していた所謂「四人組」は、周恩来と「人民解放軍(中国共産党軍)」長老達の反撃に会い、毛沢東警護隊の背信も受けて逮捕、投獄され、「登小平」の独裁政治が始まる。「改革・開放政策」の下で「社会主義的市場経済」等と謂う全く矛盾した其れ迄の経済学では有り得ない宣伝用語を発明し、中共は、其の支配する社会の資本主義化を急速に進展、進行させて行った。此れを要するに「資本主義化を認めて人民の労働意欲を増大させ多額の利潤を創出させるが、其の利潤の大半は支配者たる共産党と幹部が獲得する原則を厳守する政治的経済体制」と解釈すれば矛盾無く理解出来る。
だが、此の物質的、金銭的価値観の変更は、従来の東亜的、農村的価値観への抹殺、破壊活動を齎せた。
毛沢東は共産党党員であって一応「マルクス・レーニン主義」や「唯物論」を学習してはいた様ではあるが、都市型の「王明」「李立三」等とは違って、農村的、土俗的、儒教的感性の持主であった。例えば「愚公、山を移す」との小文では、愚直な勤倹力行を勧め、精神主義を強調している。「四人組」にしても「(西)洋奴(隷)哲学」に反対する等、民族主義的論理を主張する事も多かった。
だが、「登小平」は、中国共産党の専制支配下にパンドラの箱を空け、資本主義の毒素を全国に撒き散らしたのである。其の結果、始めは疑心暗鬼であった人民も、「金銭と物質」のみに価値観を置く「拝金主義」「拝物主義」に汚染され、唯でさえ利己的な支那人の誰もが、他人や社会、人類の事に無関心、無頓着、無責任に堕落してしまった。其の過程で所謂「天安門事件」や「法輪功弾圧」等の虐殺事件も多数起こしてはいるが、虐殺された人員数では、従来の数百万人単位に比べれば比較的に少ない。長期間継続している所謂「一人っ子政策」で、社会全体が甘くなっている思潮が背景に有るとも看られる。

(「荒地」のみの再開発と建設)  ー全国破壊活動第六期が現在進行中ー

現在進行中の「中国共産党」に依る全国的破壊活動の中心は「景観と環境」である。「環境」に関しては第五期から深刻化してはいるが、「景観」は支那文明ー非常に多様性を有してはいるがーの外観的否定抹殺に繋がる。
今回視察した陝西省西安市周辺では、所謂「北京オリンピック」「上海万国博」に向けての「破壊ラッシュ」とも表現すべき喧噪が至る処に看られた。明代の歴史的景観ー有名な唐の都・長安は現在の都城からやや南方に在ったーが残る古都西安は、中共に依る第五期の精神汚染攻撃で「拝金主義」の毒素に塗れた結果、「観光で金儲け」を目的に、急速な既存建築物の破壊、排除が観光施設、遺跡、地域、交通関係を中心に進行している。
其れを担当しているのは、陝西省政府は勿論、大学や軍等の権力、組織力、経済力、土地等を保有する勢力であり、共産党幹部や新興成金が絡んで富裕層を形成しつつある。例えば、興慶宮公園の南方に広大な敷地を有する「西安交通大学」ー反日政治屋「江沢民」は上海交通大学出身ーは、旅行社、予備校、各種商店や会社等を多角経営し、小財閥の形態を成している。斯る拝金主義者共が何処迄国家計画や都市計画に絡んでいるかは不明であるが、「大雁楼」「華清宮」「兵馬俑博物館」等の観光地周辺や都心繁華街、道路建設現場等では、既存建築や田園風景は略全壊、撤去され、区画整理が完了、若しくは進行中である。
日本流に言えば、「更地(さらち)」と成っている筈であるが、決して更地では無い。「荒地」である。
日本では、再開発、新築する工事現場は整地して転売、建設を行う。だが、中共では、破壊した後の産業廃棄物ー煉瓦等の再生可能なものは再利用するーは取除くものの、土地そのものは凸凹の侭に放置している。目隠しのトタン塀が無ければ、広大な荒地が何処迄も続く光景が視られる。
建設に向けての外資、国内資本、政府予算が不足しているのか、建設中の建物は数える程度に過ぎなかった。現在建設中の建物現場を視ても共産党支那の性格が看て取れる。
更地ならぬ荒地をやや偏平にして数箇所に基礎を打ち、先ず鉄筋コンクリートの建物枠を建設して、壁材には煉瓦を積上げて完成させるのである。此の工法で数十米、場合によっては百米近い建築物を建てるのだから、仮に大地震でも発生すれば、建物の倒壊、或は数十米の建築物から煉瓦の雨が降り注ぐ事態さえ予測される。以前北支の唐山地震で十万人の死者が出た教訓は、全く活かされていない。今回の、上海から北京に及び、全国に波及している旧き景観への破壊現象は、中共第六破壊活動期の特徴である。此の支那本来の景観や精神文化への破壊は、人民の日常生活にも及び、以前は早朝の日常風景であった公園や路上での太極拳等の気巧は減少して、公園等ではエアロビクス体操や社交ダンスが流行している。「法輪巧」弾圧と支那伝統文化否定政策の結果である。
又、第一次産業でも、上海周辺の農地の多くはビニールハウスに覆われ、其れが西安近郊にも至っている。即ち「麦・高粱」の主食穀物を中心栽培する北支の伝統的農業が、金儲け中心の「園芸・近郊農業」に転化しつつあるのである。其の現象は、西安西北方向三十里程の地点に在る唐代高宗と武后の「乾陵」辺りでも顕著となり、黄土の大地に林檎、李(すもも)、葡萄等の果樹の幼木が植栽され、伝統的な麦畑は減少している。又、高速道路等の並木用の樹木栽培も急増している。
是等「拝金主義」蔓延の背景には、中央政府主導の「西部大開発」の掛声も後援しているかにも見えるが、西安から西方の蘭州ー中共核兵器開発の中心都市ーへ向かう高速道路や国道で目立つのは看板ばかりで、走行中の車両や列車は少なく、其の実質的な経済効果が如何ばかりかは不明である。唯、古き旧き支那の都市、農山村の源風景、景観が、大都市と幹線道路沿いの点と線から次第に姿を消し去られつつあるのは紛れも無い事実である。
建物等の人為的構造物のみならず、自然環境も悪化の一途を辿っている。全国年間十億屯以上の石炭消費量は、全世界的な地球温暖化と環境破壊の主たる原因の一つに挙げられているが、現地でも大気汚染は深刻で、面積、人口比率での車両数や工場数は少ないものの、燃料効率の悪いトラックや昔懐かしいオート三輪車から出す排気瓦斯に黄砂が交じり、視界は常に不良で、我国で視られる『日本晴』の青空等は望む可くも無い。夕刻に成れば、西の方に眼を痛めず小さな夕陽を楽しむ事が出来る。大気がフィルターの役割を果たしているのだ。諸葛孔明と司馬仲達の決戦場であった漢中平原が如何に広大であっても、僅かに十里南方の秦嶺山脈が全く見えない。好天に恵まれても二 三里離れれば山影は視界から遠のく。
西安市内を流れる黄河支流の渭水は、太公望呂尚の時代ー殷、周代ーから支那民族の心の故郷であるが、現在潅漑用に大量の取水が行われ、水量は大きく減少している。黄土高原にも用水路はある程度行き渡っているから、農業生産の増加には寄与してはいるであろうが、自然環境そのものには悪影響を与えている事は間違えない。
人間の肉体的生存に必要な三大要素は、『空気』『水』『食料』である。過去に於て一部に欠ける時代や地域は有ったにしても、全体としては自給可能の社会が支那であった。東亜の季節風の恩恵を受け、「南船北馬」の気象状況に適合した農牧水産林業と生活様式、家族制度等を固守して来た歴史的伝統の中にこそ支那民族生存の知恵が存在していたのである。
処が、今や「大気汚染」「水質汚濁」「主食不足」「農地減少」「砂漠化拡大」「燃料・電力不足」等々、第一次産業や人民の生活環境が蝕まれ、拝金主義の精神汚染も相俟って、さながら中共支配下の全国土、全人民が「荒地化」している。

(亜流「資本主義」の必然的結果としての中共の「バブル崩壊」を期待せよ)
   ー中共王朝の予期すべき黄昏ー

人間とは基本的に楽観論者である。或いは無知故に未来の危機に鈍感である。当面する一日が何とか過ごせたら、其れで好しとする。無論、不平、不満、不安は絶えず意識するが、其れは家族、隣人、友人に相談し、愚痴を聞いてもらえば概ね解消する。而して、自身、家族、一族、地域、職域以外には、無関心、無責任を通し、自然環境の変化にも無神経である。
現在の「自分環境」が永続するとの楽観論と将来何が起こるか分からないと謂う不安観念
が同居しているが、「世の為、人の為、国の為」に尽くすと言う『利他主義』の境地に至る者は「お人よし」の多い日本でも少ない。
まして、利己主義、同族主義で凝り固まった支那の一般住民が、他者、他地域、他国、人類の為に、何か崇高な大事業を行うとは到底考えられない。だが、自身の為、同族の為にならば最大級の努力を払う。現に珠海、深 地区に開校されている全寮制の学校では、自身の学力向上の為に朝から夜中迄の学習に励む生徒が多い。『終戦』後に『国家、民族の大義』を忘れ、ひたすら経済発展ー拝金、拝物、商人根性ーに邁進した昭和三 四十年代の「日本」に相似している。この「日本」での高度経済成長は、やがて「石油危機」ー外国からの悪影響と資源問題ーと「バブル崩壊」ー内在する国内経済矛盾ーで、経済の長期低迷と混乱を齎せたのだが、中共でも同様な現象が必ず招来する。
「日本」の対米貿易黒字と外貨流入を基調にした過剰流動性が、土地、株式等へのバブル膨張を招いた様に、現下、中共でも対米貿易黒字年間二千億ドル、対日貿易黒字年間一千億ドル、金・外貨保有一兆ドル強と言う凄まじい金融資産の内、外国投資に向けられた残余が、中共沿海部と三大都市圏ー上海、北京、深 ・香港ーに集中し、不動産、株式投資の過熱を招き、果ては切手、古銭収集、ペット売買等への投機に迄拡大している。
奥地西安の町角でも開店かなり以前から、証券会社の入口には多数の行列が並び、観光案内人は持株が此の一年間で二倍に上がったと語っていた。此の二月に開催された「全国人民代表大会」ー形式的な国会ーでは「物件法」が成立し、本年秋から七十年の借地権が法律上、保証される制度が出現した。元来全国の土地を「国有」としていた社会主義原則を公式に変更した政策ではあるが、既に十年以上以前から上海等では所謂「マンション」「土地付住宅」が実質的に売買されていたのであり、今回の決定は社会的現象の追認に過ぎない。社会主義土地制度の下では、「土地国有」が原則であったが、既に「土地、建物使用権」が認められ、実質的に売買されていた。今回の決定で「土地・建物占有権」が認められ、相当な対価ー事実上の地価ーの代償なしに、中央、地方政府と雖も強制的に立ち退きを強要する事が、少なくとも都市部では、困難に成ったのである。
歴史を遡上すれば、唐代に「均田制」「公地公民制」が存在していたが、なし崩しに消滅した。「七十年」の「占有」は事実上の「私有」である。現下中共で、バブル期「日本」の「土地神話」ー土地は安全、土地建物・不動産は絶対に値下がりしないーが再現し、不動産は急上昇を続け、上海辺りのマンション価格は日本の其れを上回っている。圧倒的に貧民の多い中共で、庶民から手の届かない不動産が転売されるだけの投機物件として所謂「マネー・ゲーム」の対象になって居り、実際の需要は少ない。一旦、何等かの事情で過剰な不動産が一斉に売りに出されれば、忽ち不動産価格が暴落し、株式も暴落、恐慌状態を呈するであろう。無論、其の逆に株式の暴落が不動産の其れを惹起する可能性も大きい。何れにしろ「北京オリンピック」「上海万国博」前後が最も不安定となる。欧米の「人権外交」等を刺激して、昭和五十四年蘇連邦のアフガン侵攻で「モスクワ五輪」を有名無実化した様に、「北京五輪」を粉砕、妨害できれば、人為的に中共バブル経済崩壊を招来させ得よう。となれば、中共の崩壊は確実となる。
 素より、農村「農奴」ー移動禁止農民ー労働力と都市流入「民工」実質奴隷労働力への資本主義的搾取に起因する過剰流動性は、量的規模が大きい程、其の階級的、社会的矛盾も大きくなる。さほど遠く無い将来、必然的に発生する農奴、農民の自由化、流民化と、民工、都市貧民の階級意識覚醒、暴動、略奪行為の蔓延は、特権支配階級たる「中国共産党」の支那侵略、支配を終焉に追い込んで行くに違いない。歴史は繰返す。
西安西郊の何処までも直線に続く高速道路を疾駆する車上で、秦の始皇帝が建てた阿房宮跡上空や漢の高祖劉邦陵墓等を遠望しながら感慨に耽った。『秦の始皇帝は万里の長城を遺し、劉邦は項羽に破壊された秦都咸陽を復
興した。そして土地を国有化(党有化)した中共は直線の高速道路と鉄道網を全国に張り巡らせた。歴代支那王朝の多くは大土木工事で滅んだ。中共王朝の次ぎには、如何なる王朝が樹立されるのか、願わくば其の王朝が欧米物質文明の傀儡でなからん事を』
幼児期より漢文に遊び、親しみ、或は支那人以上に支那を理解しているつもりでいる筆者の偽らざる感慨であった。