大阪府立阿倍野高校 魑魅魍魎はどこに?
大阪府の公教育を考える府民の会
松木 寿美
平成16年5月中旬、いっしょに拉致問題の運動をしている増木氏より、一冊の本を渡された。「月曜評論」と題されたそれは、薄い冊子であったが、薦められたページに愕然とした。「同僚教師を実名で告発する」大阪府立阿倍野高校教諭 南口龍一氏の論文である。
私は広島県世羅郡に生まれ、高校卒業後、進学のため大阪に出てきて以来、この地で家庭を持ち、夫と2人の子供と暮らしている。
1999年2月、衝撃的なニュースがあった。私が中高生だった当時は「名門」であった「世羅高校」の校長自殺。「卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱」を巡って、教育委員会と教職員の板ばさみになった校長が、追い込まれ選択した結果であった。世羅高校校長の自殺がきっかけになり「国旗、国歌法」が、同年8月に制定された。
日の丸・君が代は慣習法にもとづく正真正銘の国旗・国歌で、本来ならば、国旗・国歌法といった新しい法律を作るまでもないことだったと思う。この国に生まれ、育んでくれた家族や郷土への愛が、国家への愛であり、日本人の誇りとして、自然と身につくものではないだろうか。どこでどう曲折し、この国の国旗国歌に誇りの持てない日本人が輩出されてしまうのだろうか。
南口教諭の論文には、教育現場(職員会議)での遣り取りが、実名で公表されている。
本来ならば「法令法規」を遵守し、国民として、人間としての義務や責任、道徳を生徒に教える立場にあるはずの教育公務員が、公的な「職員会議」で法を蔑ろにし、学習指導要領を否定するかのような発言を繰り返している様が見て取れる。
紛糾した職員会議のテーマであった、生徒達の門出である卒業式でも、主役である卒業生や保護者への配慮もなく、個人的な価値観(思想信条と言うべきか?)で式典を台無しにしている。
5月28日、私たちは「これは放っておけん!!」と急遽「大阪府の公教育を考える府民の会」なるものを結成した。じつはこの阿倍野高校、2年ほど前に拉致問題を否定的に捉えていたことで救う会大阪が抗議したことがあるのだ。早速私たちは大阪府立阿倍野高校 片平校長を訪問した。
今年の卒業式で、国歌斉唱時に起立しない教諭が多かった点を、校長に質問した。国歌斉唱に関しては、学習指導要領に則り、且つ大阪府教委からの通知に従って行うはずである。なぜ、これが守られないのか。
校長の答えは「校長から指導をさせていただく。」いきなり話の穂先を摘む様に感じる発言であった。「指導します。」の一点張りの校長。校長は、今年2月の卒業式当日の教職員の失態を、失態とは捕らえていらっしゃらないのだ。その場しのぎの逃げ口上で、この場を押さえられれば、それでよいらしい。
阿倍野高校の「職員会議規則」に、
【5 校長は、会議の決定を最大限尊重する。】という条目がある。
阿倍野高校の現状では、職員会議で決定された事項は、例え法令法規に反することであっても、校長はその決定を、最大限尊重しなくてはならない立場にある、ということだ。
強固な思想家で声の大きな職員がいれば、例え法律違反であっても学校では条例化してしまう。学校内で最高権力者であるはずの、校長の権限が及ばないところでの決定事項が、府教委からの通達も、学習指導要領をも眼下に置き、大手を振って罷り通っているのである。阿倍野高校は「職員会議規則第5条」があるために、まさに「治外法権化」してしまっているのが実状である。
この「職員会議規則」に、校長の専決事項を尊重するという事項を織り込む改正を提案してみた。校長は「教育委員会と相談して・・・。」と言葉を濁す。「職員会議規則の改正は、校長の権限ですよ。」増木氏が応酬する。増木氏と校長の遣り取りを真横で見ていた私は、校長は具体的な指導方針を何ら持ち備えていない、というのは本当だと痛感した。いつまで経っても話は噛み合わず、押し問答の末、私たちは6月11日の回答期限を設け、
@早急な「職員会議規則」改正
A卒業式での国歌斉唱を先陣を切って反対した教諭、国歌斉唱を式次第から外せと発言し
た教諭への面会
B卒業式での国歌斉唱のとき、着席したままだった教諭の処分を府教委に進言してほしい
上記3項目の要請をした。
最後に、前川氏が「以前のように名門の阿倍野高校に戻ってほしいですね。」と発言したときに、「無理だと思います。」校長の口からサラリと飛び出した言葉に、また私たちは我が耳を疑った。校長は、卒業生、在校生、今後入学してくる生徒たちのことを考えたことがあるのだろうか。学校の最高地位、最高責任者である校長自ら、阿倍野高校に誇りを持とうとしていないではないか。これでは、教諭に対して熱心な指導は期待できるとも思えないし、生徒や保護者に対しては、ひどく無礼な発言ではないか。
7月3日、増木氏からの連絡で、阿倍野高校職員会議規則が改正され、7月1日より施行される運びになっていることを知った。私は片平校長の迅速な対応に、心から敬意を表したいと思った。しかし、送付されてきた「職員会議規則」改正版には、私達の要望に充分適うだけの文言以外に
【第17条:職員会議構成員は自由な討議を保障するために職員会議での個々の発言内容、
発言経過を会議の外に漏らさないよう留意する。】
という、新たな条文が増えていた。これは、南口先生への当て付けなのか? 私達「会議の外」の人間への牽制なのか? この条文の真意はいったい何なのか? 増木氏は「質問状」を作成し、阿倍野高校校長宛に送った。
片平校長から寄せられた回答は、「生徒個人のプライバシー保護のため」という、当たり前のことを大義名分にしたものであった。あきらかに論点が摩り替えられている。私達が抗議したのは、教育公務員が法規法令を遵守せず、個人的な思想信条を「職員会議の場」
に持ち込んだことに対してであり、生徒のプライバシーに触れることではない。違法行為を外部に漏らすことを禁止するとは、どういう考えなのか?
再度、質問状を提出した。今度は17条の削除を要望し、「削除されない場合は校門前で、阿倍野高校の実態をビラにして渡します。」という攻防も織り込まれたものだった。
残念ながら片平校長は、学校の面目よりも、ご自身の面目、プライドのほうを重要視されたようであった。自分が一旦決めた第17条の削除には応じられないと返答があった。
この返答は、非常に残念なものだった。「名門に戻って欲しい。」と言ったとき「無理です。」とにべもなく言われた校長らしい返答であった。校長にとって、阿倍野高校の生徒たちは何なのか? 一番、教育者としての資質に欠けているのは、判断力の無い校長ではないか。
9月3日、有志6人で阿倍野高校正門前で、実態を記したビラ配布を行った。日本国民が日本の法規法令を遵守するのは当然のことであり、教育公務員の立場にありながらこれに違反する職員を擁護する校長の姿勢を、世に問うためのビラであった。
国旗国歌法が制定されたのは、何が原因だったのか? 何のために制定されたのか?
健全な日本国民としての精神を持ち得ない、およそ教育者として相応しくない左翼思想の教師が、この国を賎しめ、歴史を賎しめ、日本人としての誇りも愛国心も持たないように、育たないように子供達を教育し、謳歌してきたからではないのか?
間違ったことを「間違っている。」と指摘できる教員がいなかったら、阿倍野高校はいったいどうなっていくのか? 校長に気づいていただきたかった。
数日後、「条文17条と16条、この二つを削除することに決定した」と
増木氏のもとに片平校長から連絡が入った。10月、「職員会議規則」は、再度改正され施行された。10月16日、校長より、「14日の職員会議で説明、決定した。」と、新しい「職員会議規則」が届いた。大阪府下のどの高校にも負けないほど、立派な条例規則となってスタートを切ったようだ。
この改正の目的が「校長の権限の確保」であり、ひいては「生徒達の健全な精神を養う」ための、教職員の指導に反映されることを願う。生徒たちが阿倍野高校で過ごす3年間を、粛々とした入学式で迎え、粛々とした卒業式で送り出してやっていただきたい。
教職員の身勝手な信条で、生徒達にとって大事な節目の式典を台無しになどされたくない。
愛校心、郷土愛を持った人間に育てられるのは、どのような教育者なのか、今一度考えていただきたいものだ。それが、教育者自身の誇りに繋がるのではないだろうか。
【第16条:発言については思想および表現の自由が保障される。】
私たちの夢はNHKプロジェクトXに出演すること。「大阪の公教育を立て直した人たち」・・・・これは冗談!!
。
阿倍野高校教育正常化への思い
百人の会事務局 増木重夫
今回の阿倍野高校教育正常化作戦に関しては、まあまあ仕事きっちり、100点満点だったと自画自賛している。私がこの阿倍野高校問題に取組んだ動機はは一重に、南口先生だけに「エエカッコ」させへんで・・・。冗談はさておき、南口先生の胸中、孤軍奮闘が手に取るようにわかるからである。月曜評論を見たとき、「あ〜〜〜あ〜〜〜〜やっちゃった。!」と思った。というのは実名を公表をする場合、名誉毀損で訴えられる危険性が伴うからである。皆、「裁判になっても勝てる勝てる!」という。これは裁判の経験のない人の言葉で無責任の極み。「勝つ」って何? どういうこと。そりゃ判決では南口先生が勝訴するかもしれない。しかしそのためには弁護士に事件を委ねなければならない。この手の訴訟は金銭貸借とは違い、素人が扱えるものではない。下世話な話で申しわけないが、弁護料は100万、控訴、上告となればさらに50,100万。要は、裁判になれば判決がどうあろうが、資産家でない限り裁判になったことそのものが負けなのだ。たいへん失礼な話だが一介の教師に100万,200万は右から左に出せるお金とは思えない。南口先生が大地主の息子だとも聞いていない。彼はこのようなことを知ってか知らずかは知らないが、訴えられるリスクを背負ったことだけは間違いない。彼の気性から、校内での「いじめ」は耐え抜くであろう。しかし・・・・・・前もって相談くらいしろよ、ブツブツブツ・・思い切ったことを!!
彼の屈託のない笑顔を思い浮かべるのと同時にこの問題が他人事ではなくなった。この事案を全面勝利にしないと南口先生が潰される。私はこう考えた。そしてそれは大阪の公教育正常化が10年遅れることを意味する。そこで根屋さん(教育連盟支援者)、前川さんグループ(豊中オンブット)、松木さん(救う会大阪)達に助っ人を頼んだ。ああだからこうだから、だから応援してほしい。と説明したわけではない。以心伝心というのだろうか。即、馳せ参じてくれた。南口先生のファンクラブの結成だ。「南口先生ファンクラブ」では書面も出せないので、一応「大阪府の公教育を考える府民の会」とそれらしい名前にしたが。
さて、学校との交渉開始。校長に面談するも埒があかない。平行線のままである。私たちは、校長に直談判。公開質問状を送付しビラ撒きもした。さらに抗議計画を示し実力行使を予告した。さすが校長もこれにはこたえたみたいで我々の要求に応じてきた。
つれづれに愚痴を少々
みんな、「行動的」「さすが」と賞賛してくれる。確かにこの方法は効果覿面。でも問題がないわけではない。あまりにも強引な手法ではないか。やった本人たちが一番感じている。「脅し」と思われても仕方がないのだ。今さら「品位」でもないが、しかしあまり下品なこともできない。ここまでやらないと考えてくれない学校が悪いのか、ここまでやるのはやりすぎなのか。屁理屈を承知で「教育100年のための緊急避難」と言わせていただきたいのだが・・・・。「正義観」「倫理観」「私の座標軸って正常? 狂ってない?」たえず自問自答している。