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京都北山での鹿猟
人と動物のかかわりの原点を考える   H29-12-15

  

     動 画
檻に猟期初めての鹿が入るが逃がしてやる
2017年12月14日

妻が朝の犬の散歩に出かけてすぐに戻ってきて「家に一番近いオリに小さな鹿が入っている」
今年の狩猟期で最初ですから小さな鹿はオリから逃してやりました。これが猟期外の「害獣駆除期間」なら処分したのですが今は狩猟期間なので趣味の狩猟を楽しむことにしています。スポーツハンテングなどと言ったら今の動物愛護団体だけでなくても非難の声を浴びせられてしまいます。本当のハンターにとって銃でのハンテングは最高のスポーツなのです。だけど今私の住まいのある丹波高原でも鉄砲所持者は高齢化と減少の極みでチームが組めなくなっています。猟犬も本来の猟に使われることはなく我が愛犬も今や番犬に落ちぶれてしまいました。(番犬こそ犬本来の姿ですが)今流行の犬や猫の愛玩動物としてのペットブームは苦々しく思っています。
昔から犬や猫は人間と役割を分担して共生して来ました。
犬は外敵や害獣の侵入をいち早くキャッチして威嚇や攻撃をして家族の一員としての役割を果たしてきました。

番犬のいる家には空き巣が入りにくいといいます。私は子供の頃から家に犬のいない時期はほとんどありませんでした。
猫は人間の主食の米や穀物を食い荒らすネズミを寄りつかさない役割を果たしてきました。
だからか?(役割としての動物の飼い方)犬も猫も老衰しても最後を見届けて埋葬してやっていました。放し飼いにしていた中には死に場所を見られないためか?戻ってこない犬もいました。
多くは雑種でした、今いる猟犬も紀州犬と甲斐犬の雑種です、ペットショップで買った犬ではありません、猟仲間からもらってきました。

犬や猫は家族の一員という言葉の意味をもう一度考えてほしい、家の中で役割を担っていたということを。
単に愛玩動物(ペット)として家族の一員と言っている馬鹿な大人がいますが自分のストレスを癒やす対象としか見ていないのです。
家族には役割があるのです、子供には将来年老いた親の面倒を見るという、そのために子供の時には親に育てられているのです。
「子供には子供の将来がある」と理解を示すような親もいますが利己的な大人にしかなっていないでしょう。
「育てる」と「飼う」は違うものなのです。子供や猟犬は「育てる」ペットは「飼う」の違いがあるのです。
何か?話がまた別の方向に行ってしまいました。(私の愚痴でした。歳のせいか?愚痴っぽくなってしまいました。)
オリに入った鹿の話に戻して、小さな鹿といっても2歳ぐらいの雌鹿でした。放してやって後のオリを見に行ったらオス鹿が入っていました。
明日大阪から病み上がりの助っ人(?)が来てくれるので解体します。
今日は一日中雪がチラついていましたから国道からの3キロが凍結しているかもしれません。
    

     
檻に鹿が入っています   猟銃で仕留めた後、搬出 
      
 
鹿の心臓   鹿の肝臓 
       
   
 部位ごとにナイロン袋に詰めて冷凍   もも肉にパン粉をまぶし、鹿かつ。後は揚げるだけ