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「沖縄県平和記念資料館」その真実  500W
 

「まえがき」より

私は、今でも昭和十八年十月二十一日の、あの学徒出陣壮行会を思い出すたびに胸がつまり涙がこみ上げてくる。 昭和十八年四月、ブーゲンビル島方面における山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、同年五 月アッツ島守備隊の玉砕等々、戦局はますます厳しく、毎日が悲壮な思いであった最中、いよ いよ最後の学生さんに召集がかかった。神宮外苑の広場は折からの雨の降りしきる中、学生服 から軍服に着替えゲートルを巻き銃を一屑に雄々しい姿の学徒を十万人がお見送りした。 私は当時、女学校五年生だった。「武運長久をお祈りいたします」「銃後は私たちがしっかり 守ります」と学徒のご無事を祈り、心に決意した。しかし、学徒の三分の二は戦場に散華されたのであった。この尊い犠牲の上に今日のあることを忘れてはならない。
昨年の秋(平成二十一年十月)、講演のために沖縄を訪れ、一泊して戦跡を巡らせていただきたい旨、そう主催者に伝えていた
大田実中将の決別の電文で有名な海軍壕司令部(豊見城市)や陸軍第二外科病院壕跡(南風原町)などを案内して頂いた後、沖縄県平和祈念資料館を拝観した。その時、私は驚きと悲しみと、表現しようの無い怒りと申し訳ない思いに、このままでいいのか・・・・やりきれない思いが込み上げてきた。
二階の展示はどれも、「日本軍悪し、日本軍悪し」の前提で展示されているのである。 折柄、中学生、高校生の修学旅行生が大勢、来館していた。将来の日本を担って行くこの子 供たちが、この展示を見て日本をどのように思うのだろうか。この展示からは、郷土愛も、日 本人としての誇りも、愛国心も生まれはしないだろう。 何故なら、この資料館には、沖縄県民が旧日本軍と共に郷土と祖国のために如何に戦ったか という視点は、何処にも無いからだ。はたして、この展示は、検証を充分に行った上での内容 になっているのだろうかと強い疑念が湧いた。
この資料館は新築移転されてから十年を迎えるという。来館者は昨年十一月に四百万人に達 したという。
この間、この状態を放置してきたのは何故なのか。誰も正そうとしなかったのか。
私は日本人として悲しくなった。
いわゆる「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」、そして「沖縄県平和祈念資料館」。何処まで日本を庇めるつもりなのだろうか。
この資料館の偏向を札す人がいないのであれば私がやろう。八十三歳になる私だが、人生最後の仕事として取り組もう。それは、私は「日本が大切だ」「日本を失いたくない」「日本を失つてはならない」と思うからである。
私がそのように決意するのを知っていたかのように、私が幹事長を務める「建て直そう日本・女性塾」の沖縄県支部が間もなく結成され、沖縄戦に詳しい作家や郷土史研究家、沖縄戦の証言者が瞬く聞に協力を表明して下さった。 翌月から沖縄通いが始まった。資料を集め、証言者に会い、協力者らと検証作業を繰り返し た。この調査によってこれまで語られてきた沖縄戦には、恣意的な誤りがあることが明らかとなった。また、沖縄戦を記録した体験談集や出版物には、編集者による改ざんや偏向した編集 がなされていることも突き止めた。 祈念資料館の展示では、手法に巧みな印象操作が施されていることも、館内にある証言はその内容が事実であるかどうか検証されないままの公開がなされていることも明らかとなった。 この祈念資料館の展示のコンセプトは「住民の目で捉えた沖縄戦」であるという。 ところが私の感想からいえば、この展示内容は現在ではデマゴーグとまで酷評される沖縄タイムス社編『鉄の暴風』そのものである。
当時米軍が行った爆撃は、日本軍と一般住民を区別しない無差別爆撃であったし、避難民を承知での機銃掃射もしばしば行われたことも、この資料館では批判の対象となっていない。
住民を守り、食糧を提供し、米軍に対し圧倒的な劣勢にありながらも、一体となって勇戦した兵士と民間志願者、さらには本土から数時聞を要して航空特攻に散華された青年たちのことも、この祈念資料館の展示には、加えられていない。
むしろ戦傷病者戦没者遺族援護法の一般住民への適応をめぐって歪められた日本軍による「食糧の強奪」「壕の追い出し」「スパイ容疑での虐殺」「集団白決の軍命」が強調される展示となっている。 このような検証結果をまとめた本書は、沖縄に散華された英霊の叫びであろうと思う。
私が提示した各項目の疑義を読者に精査して頂き、これまで左翼運動家等の独壇場だった「沖縄戦史」に光明を当て、覆わされていた怨念の闇を去らせる運動を喚起頂ければ幸いである。
出版までの間、協力頂いた皆様に心より感謝を申し上げるとともに、多忙な仕事の合聞をぬって編集に協力頂いた豊田剛氏と錦古里正一氏、制約され期限を校正と出版に尽力頂いた展転社の藤本隆之氏に心より感謝を申し上げたい。

平成二十二年八月吉日

伊藤玲子