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回天 菊水の流れを慕う若者たち  500W
 
  
             あ と が き

「回天」との出会いは、随分古い。中学三年の頃、中学一年の愚弟の書棚に毎日新聞社編『人 間魚雷回天特別攻撃隊員の手記』と横田寛『あゝ回天特別攻撃隊』が並んでいるのを見かけたのが初めである。その後、愚弟を通して、回天の概要を知った。特に黒木少佐については繰り返 し話を聞いた。亡くなるまで「黒木少佐はね・・・」と話していた。吉岡勲『ああ黒木博司少佐』の「鉄石之心」や「急務所見」の頁を開いて、「これ全部血書だぜ」と見せたのはいつだったろうか。胸が痛んで言葉が出なかった。もし、愚弟があの時代に生きていたら、おそらく搭乗員に志願し、
散華していたのではないかと思う。私の回天に対するスタンスはここにある。
 黒木少佐がどのように回天を生み出されたのか、仁科少佐が黒木少佐と意気投合され、黒木少佐殉職後、どのようにその御遺志を継がれたのか、そして、「黒木に続け!仁科に続け!」と回天に乗り散華された、多くの至純の若者達の壮絶な生と死の真実を知り得る限り知りたいと思った。
 さらに回天を追う中で、佐久間艇長の御遺志が連綿と続いているのを感じた。
 愚父はかの戦争を戦車隊として戦い、終戦後シベリアに抑留され、復員したのは昭和二十三年十二月十六日であった。祖国を護るために戦った親に育てられた私共の世代が、今、大東亜戦争の真実を知ろうとしなければ、我国の歴史は歪曲されたままになってしまう。これらが執筆の動機である。
 また、今西艦長の誠実で友情に篤く、沈着冷静、責任感の強いお人柄に直に触れて、この上官なら命を預けることが出来ると確信した。これは、戦後生まれの私が、英霊の御遺書や当時の回天関係者の回想を拝読する上で、大きな力となった。
 平成二十二年八月の暑い午後、日本学協会理事永江太郎氏、靖国神社坂明夫氏(亡き弟の親友)とご一緒に靖国神社借行文庫で、白石博司室長のご厚意により、故松平永芳氏が収集された『松納回天資』を拝読する機会があった。
貴重な資料が、段ボール箱三個にぎっしり詰まっていた。蓋を開けた瞬間、圧倒された。松平元宮司の回天に対する熱い思いが大きな自に見えない力となって、迫ってきたような感覚とでもいうのだろうか。
 資料に混じって『黒木少佐に関し見るべき点』という九項目に亘る松平氏の手書きの文があっ
た。昭和二十八年四月二十九日付である。その一部である。
○回天特攻の動機は、航空特攻、其の他の特攻とは根本的に相異がある。主として戦勢の圧迫による激情によって生れ出て、多くの人々によって推進せられた特攻に比し、むろん戦勢の圧迫に原因はあるも、その動機が深い学問の上に在ること、発案推進者が微々たる弱小一大尉であることに注目すべきものがある。
○黒木少佐の行動は崎門の学に基礎を置いた所の、真の学聞に基づいての憂国の行動であり、一切の名利を超越してゐた。
○黒木少佐は一事に徹するの態度で率先躬行、 国運挽回の作戦(航空特攻、人間魚雷特攻等)に先鞭を附けやうとされた。
○単なる一大尉の身であるにも拘はらず、その純粋なる思想と烈々たる憂国の至情、実行力によって常人の企図だに及ばぬ点に着目、遂に中央部、工廠、艦隊等を動かし、人間魚雷を作戦実施に迄発展せしめられた。
○常住坐臥学問(道義の学、技術上の学)の研鑽に励まれた。
○此の真の学聞に基づいた思想を持ち、此の純粋な、名利を超越した態度で大東亜戦争に従軍 た軍人が果たして何人居たであらうか?
○政治家、軍人等が学問を軽視し、古聖賢、先哲の教ヘを学ばうとせず、短い貧弱な自己の経験のみによって政策を議し国民を指導せんとし、部下を統率し、作戦を指導せんとし、且つ日々自己の周囲に発生する大小様々の事態を正しく処理、理解出来ると自負したことが我国敗北の大原因の一つではなかったらうか?

 本書執筆にあたり、この指針は、常に羅針盤として念頭においていた。
 また、幾度も座礁したが、その都度多くの方々の助け船により、再び針路に漕ぎ出すことがで
きた。菊水隊、金剛隊においては、特に疑問点が多く出て、しかも一次史料が入手できず諦めかけたが、軽く流そうとすると必ず、 黒木少佐の面影を感じた。私は県木少佐のみたまは、仁科少佐とご一緒にウルシー環礁に散華されたのだと信じるようになった。同時に山田穣氏の二本の論文が気になって仕方がなかった。だが、私家版のため、なかなか見つからなかった。ある日、何度かアクセスしていた加藤康人氏のホームページでこの論文をメール添付で送って下さるという記事を見つけた。早速コンタクトをとるとすぐに送信して下さった。拝読後また新たな疑問が出てきたが、借行文庫の白石室長のご紹介で、軍事評論家の平間洋一氏から懇切なるご教示を戴くことができた。海洋のこと、環礁のこと戦闘のことなど全く知識のない見ず知らずの人間に、実例を挙げて細かにご説明くださったので、ウルシーでの菊水隊の戦闘の様子が理解できた。そして山田氏の執筆姿勢にも感動した。体調を崩されながらも、散華された英霊に心から慰霊の念を抱かれ、事実に忠実に公正に対峠されようとする誠実な思いを強く感じたのである。また、故小灘利春全国回天会会長の偉業に頼るところも大きかった。
 これらの方々のご厚意なくしては到底完成させることはできなかった。この場をお借りして心より感謝申し上げたい。
 多くの方々に大変お世話になった。お名前をあげて感謝の意としたい。(敬称略)
池田勝武、石井千春、今西三郎、植田一雄、内山勝憲、岡本恭一、加藤康人、北島裕子、小林伴由、後藤ゆみ子、白石博司、鈴木和彦、徳永道男、所功、永江太郎、丹羽教子、橋本秀雄、原田茂、平間洋一、松村二郎、松本紀是、丸岡敦雄、若尾巌、渡辺司郎、御菓子司寿美屋、株式会社はつもみぢ、靖国神社借行文庫、同神社遊就館、防衛研究所戦史史料室、海上保安庁海の相談室、回天記念館、広島県立水産海洋技術センター 靖国神社坂明夫氏には、常に多大なるご教示ご協力、叱陀激励を戴いた。御礼申し上げる。 黒木少佐は「昭和突撃隊の歌」で
  弦月暗ク雲ハ飛ビ 澎湃ノ涛岸ヲ噛ム
  治安和楽ノ春ノ夢 醒メヨ日本ノ朝嵐
と詠われているが、まさに現在の我国の状勢そのものではないだろうか。昭和の困難において多くの至純の若者達が命と引き替えに護って下さった日本を今、私共は、どのように護り、次代ヘ引き継がなければならないのか、一人一人が真剣に考え行動しなければ、多くの英霊を裏切ることになる。そして再び、至純の有為の若者の人生を断ち切ることになりはしまいか。安直に平和を囀り、平和を貧っているときでは無いと痛感するのである。
 また、英霊の御遺書や遺文から、透徹された素晴らしい国語力を感じた。命を賭けた言葉であるが故ということもあろうが、言葉の一つ一つに我国の歴史と文化伝統が込められている。これほど美しく豊かな国語を私共は忘れかけているどころか、知らないのだ。情けないことである。
 以上、筆者の執筆の動機、本書の内容を御理解下さり、出版の労を執って下さった、展転社社長藤本隆之氏、編集長荒岩宏奨氏に御礼申し上げる。
 最後に回天戦で散華された英霊に心から慰霊と感謝の誠を捧げます。

                                     片山利子