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朝鮮総連関連施設固定資産税減免問題

  
大阪朝鮮総連関連施設、固定資産税減免住民訴訟 控訴審準備書面1〜3 
                                            平成25年10月3日

読まれる前に、先ず「気合い」を入れてください。
朝鮮総連が何を考えているのか、すべて御理解いただけるものと思います。  増木


準備書面1では「チュチェ思想」のことをまとめました。朝鮮総連が自らの活動の指導指針としてあげている「チュチェ思想」がどんなにとんでもないものか。これを指導指針とする朝鮮総連の活動は、「チュチェ思想」の実践という位置づけになり、その結果、金正日将軍様を礼賛し、隷従するのは当然ということになる。
準備書面3は各施設のことですのでどうでもいいかも知れませんが、実際の裁判ではこれが中心的な争点となっています。
朝鮮総連の性格付けも大きな争点です。朝鮮総連は自分たちを同胞の生活や利益を守る人権擁護団体であり、その支部活動には公益性があるといっています。
こちらの主張は、朝鮮総連は、北朝鮮労働党直属の政治工作機関としての性格も併有しており、その活動は、北朝鮮の国益を目的とするものであって日本の公益を目的とするものではない。というものです。そうした観点からまとめた準備書面としては、準備書面2がまとまっていて読みやすいと思います。

徳永



平成25年(行コ)第15号 
固定資産税及び都市計画税減免措置取消請求控訴事件(住民訴訟)
控訴人   大阪市           
被控訴人  ●●●●         
控訴人補助参加人 在日本朝鮮人総聯合会大阪府生野西支部 外10名
                
準備書面1(被控訴人)
                
     平成25年7月1日
(次回期日:平成25年7月3日)
大阪高等裁判所第1民事部E係 御中  
  被控訴人訴訟代理人 
弁護士  コ  永  信  一


    
序説 朝鮮総連の二重構造−その本音と建前−  ………… 2 
第1 朝鮮総連の指導指針−主体思想とは何か−   ………… 6
 1 原判決  ………… 6 
 2 主体思想の登場−主体演説、自主独立路線、権力闘争− ………… 6
 3 首領独裁論−唯一思想体系の十大原則− ………… 9 
 4 社会政治的生命体論−主体思想の宗教化 ………… 12
 5 朝鮮総連の疑似宗教団体化 ………… 14 
第2 朝鮮総連の人権擁護活動について ………… 15 
 1 朝鮮総連の権利獲得運動 ………… 15 
 2 北朝鮮と朝鮮総連の「人権思想」の正体 ………… 20
 3 帰国事業 ………… 20 
 4 指紋押捺拒否運動等 ………… 22 
 5 国籍条項撤廃要求運動と「共生」の発想 ………… 23
 6 地方参政権要求運動 ………… 25 
 7 日本人拉致事件  ………… 26  
 8 朝鮮総連による人権侵害 ………… 29
 9 朝鮮総連の公共性と政治性−不特定多数と政治的中立性− …… 34
序説 朝鮮総連の二重構造−その本音と建前−   
   朝鮮総連という一つの巨大な組織について二つの全くことなる理解がある。一つは民族差別と闘い、在日コリアンの権益を守る人権擁護団体      という理解、もう一つは、北朝鮮労働党に直属し、北朝鮮の軍事独裁政権の利益を図る政治工作組織という理解である。いうまでもないが、前者は補助参加人自らの、そして後者は原告の主張している朝鮮総連の姿である。原告からみれば補助参加人らの主張は政治的マヌーバーとしての欺瞞そのものであり、補助参加人からみれば原告の主張は偏見に基づく民族差別ということになる。 
   『朝鮮総連−その虚像と実像』の著者・朴斗鎮(元朝鮮大学経済学部教員の経歴を持つコリア国際研究所所長)は、二つに分裂する朝鮮総連の相貌は、朝鮮総連の二重構造に由来するという。民族権利擁護団体の中に金日成と金正日の野望(それは韓国から米軍を撤退させ韓国を支配することにある。)を実現する「非公然組織」が組み込まれた組織であり、その二重構造は、北朝鮮が米国を不倶戴天の敵とみなし、米国と同盟を結ぶ日本を「敵地」と規定することに因るものである。「敵地−日本」で活動する朝鮮総連は朝鮮労働党の別動隊と位置づけられているのである。「だからこそこの組織は、建前と本音が異なる二重構造の『閉鎖的組織』となっているのである」。(甲14p4)
   朴斗鎮の用語に倣えば、原告の主張は朝鮮総連の本音に基づく実像であり、補助参加人らの主張はその建前であり虚像である(その逆も真なり哉)。いずれにせよ、朝鮮総連は二重構造の『閉鎖的組織』だということが、疑いえない事実として浮かび上がってくる。   
   朝鮮総連の本音(或いは建前)は、自らが掲げる「活動方針」と「綱領」、そして「規約」の中に鮮やかに表現されている。  
原判決が認定しているように朝鮮総連がそのホームページで掲げている活動原則には、「朝鮮総連は、人民大衆の世界観であり、愛族愛国の思想であるチュチェ思想を指導指針としてすべての活動を繰り広げている」「朝鮮総連は、チュチェ思想にもとづいて主体的力量を強化し、それに依拠して運動を展開している」とある(甲17の1)。
朝鮮総連の旗印である《八大綱領》は、その核心条項である第1条において、「われわれは、すべての在日同胞を朝鮮民主主義人民共和国のまわりに総結集させ、同胞の権利擁護とチュチェ偉業の承継、完成のために献身する。」としている。ここにいう「チュチェ偉業」とは、チュチェ思想に基づいて金日成が築いてきた愛族愛国の偉大な業績のことをいう。  《チュチェ思想》こそが、朝鮮総連の組織と活動の性格を正しく認識するうえでのキーワードとなる。   
   また、朝鮮総連は綱領を実践するため、全10章53条及び付則からなる「規約」を定めている。第1章総則第2条は思想・信条について次のようにいう。「本会(朝鮮総連)は、思想・政見・信仰および社会的地位を問わず、本会の綱領・規約を支持、賛同する在日同胞の各団体と人士をもって構成する統一戦線体として全同胞の意思と利益を代表する」としている。一見、思想信条の自由を説くかのようであるがそうではない。「これはあくまで綱領1条で規定した北朝鮮政権を支持する(金日成・金正日を崇拝する)条件の下で有効なもので、われわれが一般的に理解する民主主義における思想・信仰の自由とは全く違ったものだ。金日成や金正日に対する批判は許されない。」(甲14p50)    
   1990年1月、東欧諸国における複数政党制の導入に対応して朝鮮労働党が打ち出した主張は、朴斗鎮の上記指摘(金日成や金正日に対する批判は許されない)を裏付けるものである。それは次のようにいう。「社会主義社会において人民大衆は、運命をともにする一つの社会政治的集団を形成しており、社会主義・共産主義を志向するかれらの根本的要求と利害関係は一致している」「資本主義社会では、人びとの要求と利害関係が対立しているために社会の思想的統一については考えることはできないし、またそのことが重要な問題として提起されもしない」「社会主義社会と資本主義社会のこの根本的な差異を見ることができないで、社会主義社会で思想の自由化を許容するならば、人民大衆の思想政治的統一を破壊して社会主義社会自体を瓦解させる重大な結果を招来することになる」(「帝国主義者の策動を退け、社会主義の道を力強く進もう」−『朝鮮資料』90年2月号所収)。(甲36の2p13)。   
朝鮮総連は、八大綱領の第7条で、「われわれは朝鮮民主主義人民共和国を熱烈に愛し擁護し、・・・国(北朝鮮)の富強発展に特色のある貢献をする」(甲17の1)と謳っているように、北朝鮮の国家体制と政治思想を所与のものとしてこれに賛同している。朝鮮総連においては、本国と同様、金日成と金正日は忠誠と崇拝の対象であって一切の批判は許されないのである。             
こうした思想統制に加え、朝鮮総連に独裁を招きいれたのが、中央集権の組織論である。「規約」第1章総則第4条の「民主主義的中央集権」がそれである。  かくして「朝鮮総連は本部・支部・分会の基本組織と、青年団体、女性団体、学校、信用組合、商工会、科学者団体、芸術家団体、宗教家団体など、さまざまな団体を網羅した連合体の形をとっているが、その実体は、中央集権化された独裁権力によって運営される組織」(甲14p48)となったのである。      
北朝鮮政権の強力な後押しを受けて民対派などの対抗勢力を粛清し、長らく朝鮮総連を牛耳ってきた初代朝鮮総連中央委員会議長・韓徳銖(元北朝鮮最高人民会議常任委員)、第二代同議長・徐萬述(元北朝鮮最高人民会議代議員)、そして2012年5月に第三代朝鮮総連中央常任委員会議長に就任した許宗萬(北朝鮮最高人民会議代議員)による朝鮮総連の独裁は、日本の中の北朝鮮とよばれるように、世襲とを除けば本国のそれと瓜二つである。   
金日成と金正日父子を神格化し、三代目の金正恩に対する絶対的忠誠を要請するものこそ、金日成が提唱し、金正日が完成したとされる北朝鮮独自の「主体思想」である。では、主体思想とは一体何であろうか。朝鮮総連の本音に迫り、その実像を正しく認識するうえで、この問い−《主体思想とは何か》−を避けてとおることはできない。   
                       
第1 朝鮮総連の指導指針−主体思想とは何か− 
 1 原判決       
原判決は、朝鮮総連の性格について、「北朝鮮の国家的な政治体制や政治思想を所与のものとしてこれに賛同し、北朝鮮の権利利益を擁護しつつ、在日朝鮮人の民族性を保持し、民族教育を行い、民族的差別と迫害行為に反対するために活動団体」であるとしている。  
   朝鮮総連が「所与のもの」として賛同している北朝鮮の国家的政治体制とは、金日成、金正日、金正恩と続く三代世襲による首領独裁体制であり、神格化された首領に対する絶対的忠誠を人民に強いる全体主義であり、すべてに軍事が優先する先軍政治という超軍国主義であり、人民大衆の自由な営みと個人の権利を認めない統制経済社会である。  
   そして朝鮮総連が「所与のもの」として賛同している「政治思想」とは、主体思想に他ならない。主体思想こそが北朝鮮の奇怪な政治体制を造り上げ、人民を抑圧し、これを正当化しているものである。    
   ところで原判決は、主体思想の内容については踏み込んでいない。しかし、原判決の判示するところが正しいものか(或いは、補助参加人が控訴理由書(1)でいうように「予断と偏見に支配されている」ものか)を検討するうえで、《主体思想とは何か》に答える手間と努力を省くわけにはいかない。         
2 主体思想の登場−主体演説、自主独立路線、権力闘争−   
? 主体思想の誕生   
朝鮮学校では、『現代朝鮮歴史・高級2』(甲29の2)で、のちの主体思想の原型となる、いわゆる「主体演説」について次のように教えている。「敬愛する主席様におかれては、1955年12月に、党宣伝煽動活動家たちの前でなさった演説『思想活動において教条主義と形式主義を退治して、主体を確立することについて』で、主体が打ち立てられない現状を批判なさり、党の思想活動で主体はまさに朝鮮革命であり、したがって思想活動すべてを朝鮮革命の利益に服従させなければならないとおっしゃった」「この時期に、国際共産主義運動の中に現代修正主義が台頭して、大国主義者たちは共和国に『セブCOMECON』  に入れと圧力をかけ、彼らの指揮棒に従って動くよう強要した」「そのため崔昌益、朴昌玉など宗派分子たちは、外部勢力のバックを得て武装暴動まで試みた。 」(同p17)  
1965年4月にインドネシアを訪問した金日成は、「朝鮮民主主義人民共和国における社会主義建設と南朝鮮革命について」との講義を行い、「一つの国が真の意味での独立を維持するためには『思想における主体』、『政治における主体』、『経済における自立』、『国防における自衛』が確立されなければならないとし、それは北朝鮮が一貫して堅持してきた立場であるとした。」そしてこれこそがまさに「主体思想」であるとしたのである。主体思想との文言が使用されたのは、このときが初めてであった。(甲28p77) 
  ? 中ソ対立と自主路線−安全装置としての主体思想−  
朝鮮半島の解放直後、若い金日成が北朝鮮の中心にいるためには、ソ連、中国の影響力が必要不可欠であった。しかし、いったん権力の中心に座った金日成が自らの権力を安定的に維持するには、今度はソ連、中国の北朝鮮に対する影響力をいかに排除するかが大きな課題となった。ソ連、中国の「内政干渉」の危険性は常につきまとっていたし、  さらに国内の挑戦者たちはソ連、中国を後ろ楯としていたからである。金日成は社会主義陣営を貫徹するイデオロギーの独自解釈と折からの中ソ対立を巧みに利用しながらその座を獲得する。これが「主体」の確立である。すなわち、当時の社会主義陣営で貫徹されていたマルクス・レーニン主義に独特な解釈を与え、それを利用しながら中ソに向き合っていたのである。いずれにせよ国内政治が国際関係の影響を受けない構造を作りあげたことを意味する自主路線は、真の意味での金日成の権力基盤確立を宣言するものであった。(甲28p80〜82)
? マルクス・レーニン主義とチュチェ思想
 当初のチュチェ思想は、「マルクス・レーニン主義の根本原理とまったく合致するものであり、国際共産主義運動の新しい発展段階とその必然的な要求を反映して生まれたもの」とされており、1972年憲法には「マルクス・レーニン主義をわが国の現実に創造的に適用した(第4条)」ものとされていた(甲27の5:北朝鮮事典『憲法』)。
  しかし、マルクス主義の唯物論哲学からは、マルクス主義が強調した下部構造が上部構造を一方的に決定するとする、客観的で物質条的件を重視する科学的歴史法則に対し、それを真っ向から否定し、人間があらゆるものの主人であり、すべてを人間が決定するという人間中心の世界観を展開したと批判されている。(甲25:現代アジア事典)。 
主体思想が唯一思想体系とされ、金日成から金正日への権力継承を正当化する理念としての性格が前面に出るようになるとチュチェ思想は次第にマルクス・レーニン主義との関係を整理していく。
1992年憲法では、マルクス・レーニン主義への言及が削除され、主体思想は「人間中心の世界観であり、人民大衆の自主性を実現するための革命思想(第3条)」とされ、北朝鮮ないしはその主体思想を超越したものとして語られるようになった。
ちなみに、現在の北朝鮮では、マルクス・エンゲルス全集やレーニン全集は「有害図書」に準ずるものとして、図書館などでは自由な閲覧ができず、貸出許可制が採られているといわれている。(甲27の7:北朝鮮事典『マルクス・レーニン主義』) 
3 首領独裁論−唯一思想体系の十代原則−  
 ? 首領独裁論と唯一思想体系       
   首領独裁論は1967年に打ちだされた「革命における首領の決定的役割論」をもとに作りあげられた独裁論である。それは、「歴史上において、いかなる階級も自己の階級闘争を組織し、その階級を組織し領導することができる自己の先進的代表者たち、首領を持たない場合には、支配権を確立することができなかった。労働者階級と勤労大衆は、自己のすぐれた指導者をもって革命闘争において勝利することができる」(金炳植『金日成首相の思想』読売新聞社刊、109頁)というもので、スターリンの個人崇拝を北朝鮮流に改悪強化したものである。(甲14p65) 
   また、1967年の労働党中央委員会で金日成は、「資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリア独裁について」とする路線提起を行い、これが唯一思想体系として採択され、これによって急速に金日成の個人的独裁化が進み、制度化されていった。 
   独裁化を集大成したのが70年11月の第5回党大会であり、そこで金日成の主体思想こそは労働党の唯一指導思想であると公式に宣言された。(甲26の10)  
 ? 唯一思想体系確立の十大原則−統治の道具としてのイデオロギー− 
   金日成の長男である金正日は、1974年2月13日の朝鮮労働党中央委員会第5期第8次全員会議において、政治委員会委員に選出され、翌14日に後継者として「推戴」された。  
後継者に決定した金正日は、1974年4月14日に、「全党と全社会で唯一思想体系をよりしっかり確立しよう」との演説を行い、これを「党の唯一思想体系確立の十大原則として整理する。 (甲28:『北朝鮮−変貌する独裁国家』p93〜95)  
その要旨は、
@ 偉大な首領、金日成同志の革命思想で、全社会を一色化するために生命を捧げて闘争しなければならない。
A 偉大な首領、金日成同志を忠誠をもって敬愛、崇拝しなければならない。
B 偉大な首領、金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
C 偉大な首領、金日成同志の革命思想を信念として受け入れ、首領の教示を信条化しなければならない。
D 偉大な首領、金日成同志の教示執行においては、無条件の原則を徹底して守らなければならない。
E 偉大な首領、金日成同志を中心とする全党の思想意思的統一と革命的団結を強化しなければならない。
F 偉大な首領、金日成同志に学び、共産主義的風貌と革命的活動方法、人民的活動手法を所有しなければならない。
G 偉大な首領、金日成同志から付与された政治的生命 を大切に守り、首領の大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術に立脚した忠誠心をもって報いなければならない。
H 偉大な首領、金日成同志の唯一の指導のもとに、全党、全国、全軍が一体となって活動できる強い組織規律を確立しなければならない。
I 偉大な首領、金日成同志が開拓された革命偉業を、代々受け継いで最後まで承継し完成しなければならない。
   である。(甲26の10) 
  ? 統治の道具としてのイデオロギー
そこで表現された主体思想は、かつて金日成が「もはや中国式でもソ連式でもない、我々式を作るときがきた」と宣言したときの中国、ソ連からの自立や、中ソそれぞれを背景とする北朝鮮内のライバルたちの動きを牽制するための「主体」とは別物であり、金日成に対する絶対的忠誠を確立するためのものとなった。主体思想が唯一思想体系とされたことで、北朝鮮にはもはやイデオロギー論争の形態をとるいかなる権力闘争も発生しえないことになる。したがって主体思想は、金日成・金正日への忠誠を要求する、統治のためのイデオロギーへと完全に変質したのである。(甲28p95)。
関西学院大学国際学部の平岩俊司教授は、この段階で主体思想は、「権力闘争の道具としてのイデオロギー」から「統治の道具としてのイデオロギー」に変貌したと捉えている。(甲28p117)
4 社会政治的生命体論−主体思想の宗教化−  
 ? イデオロギー解釈権の承継 
   「1966年に自主路線を宣言した金日成は、甲山派の粛清によって自らの権力を磐石なものとした。その結果、イデオロギー解釈権を独占し、唯一思想体系を確立することにより、論争の形態をとる権力闘争を封じることに成功した。」「金日成は長男金正日を後継者とし、ありとあらゆるものを動員して金正日後継を正当化した。それは自らが社会主義陣営内と北朝鮮国内の両方をにらみつつ確立した『主体』に、朝鮮の儒教的な伝統を共鳴させることを意味し、本来の『主体』を著しく変質させるものであった。」「金正日はマルクス・レーニン主義の朝鮮革命における解釈権、というよりもむしろ主体思想の解釈権を独占しうる立場にあった。」(甲28p112〜113)
? 「社会政治的生命体」論 
   1980年の朝鮮労働党大会において金日成の後継者であることが明示された金正日は、自らの権力基盤を固めるためにも、金日成の権力基盤を固めるためにも、金日成の神格化を進めた。(甲27の2)
1986年7月15日、金正日は「社会主義教養で提起される若干の問題について」の談話のなかで、「社会政治的生命体」論を展開して「我々(北朝鮮)式社会主義」の優越性を強調した。
   社会政治的生命体論は、ある種の国家有機体説であり、首領を脳髄、党を神経、人民を細胞にたとえて北朝鮮を一つの生命体とした。そして、人民はこの社会政治的生命体に参加することによって、永遠不滅の政治的生命が首領から与えられる、とされた。人間が本来有している有限の肉体的生命に加えて永遠不滅の政治的生命を持つことができ、それを首領が付与する、という考え方はすでに1974年頃から宣伝されるようになっていたが、金正日はこれを国家の次元にまで拡大し、国家全体を一つの生命体と見なしたのである。(甲28p118) 
? 主体思想の宗教思想化  
   社会政治的生命体論によって、金日成は、北朝鮮国家における事実上の神の地位を獲得した(甲27の2p53)。名著『北朝鮮事典』を著した内藤陽介は、「1986年、首領を脳髄、党を神経とし、人民を手足とする三位一体の有機体国家論を提唱。ここに、主体思想は存在論を備えた宗教思想として、一応の完成をみた」としている。(甲27の6)
   金賛汀は、「チュチェ思想は共産主義思想が唯物論に依拠しているのと違い、日本共産党が指摘しているように観念論で、宗教思想と同様、唯心論であり、共産主義思想とはその核心部分で異なっている。金日成主義とは金日成を教祖に祭り上げた宗教思想と理解したほうが分かりやすいのだ。」と言っている。(甲15p97)
また、第5回樫山純三賞を授賞した『現代アジア事典』は、社会政治的生命体論に至ったチュチェ思想について次のようにいう。(甲25) 

    そこでは個別的人間の自由はまったく存在せず、あくまでも国家、そして首領あっての個人であるに過ぎない。まさに首領にとって都合のいい論理であり、個人崇拝を正当化することになる。(長谷川啓之・アジア近代化研究所代表、日本大学名誉教授) 
       
 5 朝鮮総連の疑似宗教団体化      
主体思想について朝鮮総連は、「人民大衆中心の世界観であり、愛族愛国の思想である」としているが、実際には「人民大衆中心の世界観」とはほど遠いものである。自主独立路線と権力闘争の道具としてのイデオロギーだった初期の段階ではともかく、金正日によってチュチェ思想が「唯一思想体系」となり、「社会政治的生命体論」に改変され、完全に統治の道具としてのイデオロギーとなってからは、金日成を教祖と仰ぎ、忠誠と服従を誓う疑似宗教思想というほかはない。       
さらに、チュチェ思想の宗教思想化の過程において金日成と金正日の神話が捏造されていった。教祖様には神話が必要なのである。金日成は1930年頃から革命運動に参加し、34年に朝鮮人民革命軍を創設、その部隊を指揮して満州で日本軍と果敢に戦い、45年8月ソ連軍と共に朝鮮を解放したという神話が作られていった。そして金正日は満州の密林に秘密の基地を設け、小部隊による政治工作や武装闘争を続け、金正日はそんな秘密基地の一つである、白頭山山麓で誕生したことになった。  
『朝鮮総連』の著者・金賛汀は、中国東北部、ソ連領中央アジア、沿海州を駆けずり回り、関係者の証言と記録をもとに金日成神話の嘘を暴き、金日成がソ連基地で誕生した事実を発表した。金賛汀は、「そのことから、私は金日成神話を否定したことになり、総連から『民族叛逆者』の烙印を押されることになる。さしずめ教祖様を冒涜したということなのであろう。」    
「いずれにしてもチュチェ思想と金日成神話の組み合わせを思想的な『理念』とした朝鮮総連は、共産主義者の組織から疑似宗教組織に変質していったのである。」(甲15p102)     
    
第2 朝鮮総連の人権擁護活動について    
 1 朝鮮総連の権利獲得運動       
  ? 朝鮮総連の権利獲得運動に伴う政治性  
  朝鮮総連の権利擁護運動が、北朝鮮の「国力強化(革命基地強化)」と「統一活動(対韓工作)」に従属していることは、結成以後行われた権利運動の内容を見ればよく分かる。    
  1950年代の「北朝鮮への帰国運動」、60年代の「韓日条約に対する反対運動」と「朝鮮学校認可獲得運動」、60年代から70年代にかけての「北朝鮮への自由往来運動」、80年代の日本の「国際人権規約と難民条約批准」に合わせた権利確保運動などである。
これらの運動どれ一つとっても、北朝鮮の国力強化と対韓国工作強化につながらないものはない。もちろんこの過程で在日朝鮮人の生活に関わる処遇改善も行ったが、『日立就職差別訴訟』の際の冷淡な対応に見られるように、自らの政治目的と組織防衛に合致しない運動はほとんど行っていない。 (甲14p164〜165) 
  ? 「在日本朝鮮人権協会」のダブルスタンダード                
    朝鮮総連は、自己の権利を主張する時には国連の「世界人権宣言」や「国際人権規約」を持ち出す。特に76年に国連で国際人権規約が発効し、79年に日本の国会がそれを批准した後、この規約を利用した主張が目立つようになった。
    また94年2月には新たに「在日朝鮮人人権協会」を結成し、「人権擁護団体」の体裁まで整えた。 
    しかしこの「人権協会」は「国際人権規約」を遵守する義務を放棄しているたとえばアムネスティが2008年5月28日に、07年から08年1月までの世界の人権実態をまとめた「2008年報告書」を発表し、北朝鮮について「死刑、拷問、政治的あるいは恣意的な拘禁など、組織的な人権侵害が相次いでいる」と指摘したが、こうしたことには何の反応も示さない。    
    アムネスティが指摘するような「組織的な人権侵害」は、北朝鮮のように極端ではないにしろ、朝鮮総連の中でも行われている。朝鮮総連内部では「世界人権宣言」や「国際人権規約」が規範とならず、金日成や金正日の権利擁護が最優先されるからだ。活動家や職員の基本的人権はないがしろにされ、名誉毀損、思想弾圧、生活権の侵害など、さまざまな人権侵害が横行している。だがこうした人権侵害に対して「人権協会」は問題提起すらしない。また、北朝鮮の強制収容所撤廃運動にも興味を示さず、金日成の「先軍政治」で虐げられた脱北者に思いを馳せないばかりか、敵視さえしている。  
    「在日本朝鮮人人権協会」とそれに追随する一部の在日朝鮮人弁護士や日本のいわゆる「人権派弁護士」は、朝鮮総連の言いなりになることが人権擁護であり権利擁護であると錯覚し、朝鮮総連内部で繰り広げられている数々の権利侵害には目をそむけ、彼らの「人権侵害」に無意識のうちに加担している。(甲14p166〜167)
? 脱北者に対する非人道的対応       
    朝鮮総連は、北朝鮮に送った在日朝鮮人に対して謝罪もせず、「九死に一生」の思いで朝鮮を脱出した人たちを敵視し排斥している。
03年2月、朝鮮総連は、「拉致謝罪」で揺れ動く在日朝鮮人を「説得」するため「問答集」なるものを発行したが、そのなかで「『脱北者問題』をどのように見るべきか」として次のように主張した。
@「脱北者」とは、95年以後、大自然災害で経済的な困難を受けたために中国にわたり、中国の朝鮮族によって助けられている人たちだ。
A「脱北者」という言葉自体に、共和国を誹謗中傷し崩壊させようとする、極めて陰険な意図が隠されている。歴史的に縁が深い中国東北地方に渡った人たちを、共和国から逃げ出した、あるいは亡命者ととらえ「脱北者」と呼ぶのは正しくない。「北朝鮮難民」という言葉も使っているが、これも妥当ではない。
B「98年以後、食糧危機が少しずつ緩和される中で、中国に渡った人たちが、故郷に帰っているという。経済難で一次的に国境を越えたが、再び故郷に帰ってきた人たちを、わが国は法的に追及せず、寛大に迎えている。
C 南朝鮮に行ったいわゆる《脱北者》は、共和国の崩壊を狙った内外反動の悪辣な策動による産物である。ソウルに入ったいわゆる「脱北者」は、95年以後、ほとんどが何年も中国に住んでいて、南朝鮮の多くの工作機関、正体不明のNGOなどの工作で南朝鮮に行った人たちである。「北韓離脱住民」が1000人近くなるや南朝鮮当局は、これ以上は国家的予算がなく受け入れることができないと悲鳴をあげている(08年現在すでに1万5000人を超えている)。
D 特に最近、国際反動らのけしかけによって「企画亡命」がアメリカ−日本−南朝鮮の間で連携され、「国際的な規模」で進行している。
    人道的立場のかけらもない「問答集」である。このように、虐げられた人たちや同胞を「敵視」する組織が、「国際人権規約」や「子どもの権利条約」を口にするなどは笑止千万である。この人権感覚のなさは、朝鮮総連の指導的幹部たちが普遍的人権思想や民主主義思想を一度も学んだことがないこととも深く関係している。
権利主張時には人類の普遍的権利規範をかかげ、義務履行時には北朝鮮式規範に従うこの二重基準こそが朝鮮総連式権利擁護運動の本質を示すものである。(甲14p173〜175) 
  ? 原判決の正当性  
朝鮮総連の旗印である《八大綱領》の第1条は、「われわれは、すべての在日同胞を朝鮮民主主義人民共和国のまわりに総結集させ、同胞の権利擁護とチュチェ偉業の承継、完成のために献身する。」としており、確かに「同胞の権利擁護」を謳っている。しかし、朝鮮総連の活動原則において、「朝鮮総連は、人民大衆の世界観であり、愛族愛国の思想であるチュチェ思想を指導指針としてすべての活動を繰り広げている」とあるように、権利擁護活動もまたチュチェ思想を指導指針としているということであり、そこにはチュチェ思想(唯一思想体系確立の十大原則、社会政治的生命体論)に反することができないばかりか、人権思想そのものが変容されてしまっている。北朝鮮の国力強化と統一活動(対韓工作強化)につながらないものは人権問題として扱わないということである。 
すなわち、朝鮮総連の人権擁護活動はあくまでも北朝鮮の首領独裁政権を維持するための手段であって、同胞の人権擁護それ自体を目的とするものではないということである(そのことは次項「北朝鮮と朝鮮総連の『人権思想』の正体」を知れば容易に納得できよう)。 
原判決は、朝鮮総連について次のように認定した。
「朝鮮総連は、北朝鮮の国家的な政治体制や政治思想を所与のものとしてこれに賛同し、北朝鮮の権利利益を擁護しつつ、在日朝鮮人の民族性を保持し、民族教育を行い、民族的差別と迫害行為に反対するために活動する団体であり、我が国やその地域社会の利益と直接結びつく活動を行っているとは見受けられない」
朝鮮総連の人権擁護活動が、北朝鮮の権利擁護という明確な政治性を有しており、在日朝鮮人の利益獲得については、「人権すなわち国権」であり、「人権政治の標本は先軍政治である」とする朝鮮総連の人権理解(次項参照)からすれば、原判決の前記認定は朝鮮総連に対して甘く控えめな認定といってよい。 
2 北朝鮮と朝鮮総連の「人権思想」の正体
   2007年8月17日付『労働新聞』は「帝国主義の《人権》攻勢を断固として踏みつぶそう」という題名の編集局論説を掲載した。これは金正日政権の「人権」に対する見解を表明したものである。この論説の要旨は次のようなものである。 
   
    世界のすべての国々に全く同じように当てはまる唯一の人権基準というのはありえない。人権は国家自主権により保障される。人権すなわち国権である。国家自主権を離れた人権について論ずるのは机上の空論に過ぎない。先軍は真の人権を擁護するための政治であり、帝国主義者たちとの人権対決における無敵の保険だと言える。先軍はすなわち人徳であり、愛民である。自主政治、人権擁護政治の標本は先軍政治である。
   
   「人権すなわち国権」に表れた普遍的人権に対する論説の「無知」は批判するにもあたらない。極めつけは、「先軍政治」こそ「人権政治」だと論じていることだ。軍国主義独裁政治こそ人権政治だと主張しているのである。      
   「こうした思想が国際人権規約とは正反対の思想であることは明白だ。彼らは世界が認める『普遍的人権思想』や『民主主義』に対して、『帝国主義の思想』として『敵視』さえしている。それゆえ北朝鮮の国民を育てる朝鮮学校ではこうした『普遍的人権思想』や『民主主義思想』を教えないのである。」(甲14p178)  
 3 帰国事業           
   帰国事業について控訴人補助参加人らは、2013年7月3日付け準備書面(2)で、「在日朝鮮人は、強制連行や植民地時代の祖国の経済破壊その他により来日し、戦後の混乱期において帰国の機会を得ることができなかった、という側面がある。従ってその後であっても、在日朝鮮人が帰国することは当然の権利の行使であり、その帰国を援助するということはなんら非難されることではない」という。
   帰国は在日朝鮮人の当然の権利行使であり、その帰国の援助はなんら非難されることではない・・・ですか。
「北朝鮮帰国事業は朝鮮総連のもっとも輝かしい愛国事業であり、同胞の権利権益擁護の象徴のように美化されていた「実績」であった。そのため朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と持ち上げ、宣伝にこれ務めた。北朝鮮の現実、人々の悲惨な状況の報道などもってのほか。なんとか隠蔽するため、その記事を「封印」しなければならなかった。」金賛汀は1984年4月になされた朝日新聞に対する抗議活動のことを書いている。「週間朝日」84年4月20日号に掲載された「ついに在日肉親が語り始めた北朝鮮帰国者10万人の『絶望』」という見出しで北朝鮮の実情と帰国者の境遇を暴露した記事に対する抗議活動に居合わせた。「週間朝日」に「記事の間違い」を認めさせるため大衆を動員して抗議を行ったのである。「真実が広く知られることをおそれて、マスコミが嫌がる大量の抗議団を送り込み、圧力をかけるといったことを平然と行う。それが反社会的な行為だという認識が朝鮮総連にはない。自らの綱領に謳った言論出版の自由や民主主義的な手続きによる抗議など、全く顧みられることはなかった。少しでも、北朝鮮の反人権、反民主主義、反民族的行動が暴露すると、それらを報道し、非難するマスコミを大衆を動員して威圧する行動をとるようになる。この「週間朝日」記事抗議騒ぎは、マスコミへの威圧行動の最たるものであった」(甲15p166〜172)
北朝鮮が「地上の楽園」ではなく「荒廃した凍土」であり、帰国した在日同胞は自由のない彼の地で在日という身分差別を受け、極貧のなかで塗炭の苦しみを受けることになることを知らせず、北朝鮮当局から与えられる帰国者数のノルマを達成する機械となって同胞を騙して帰国(北送)させ、今度はいわば「人質」となった帰国者の境遇のため朝鮮総連に忠誠を誓い、多額の支援を行わざるおえない帰国者の親族に対する支配の道具としてきたことが問われているのだ。 
帰国者が置いていった財産はすべて朝鮮総連の懐に入った。「結果から言えば、朝鮮総連は10万人の同胞を地獄に突き落としたうえで、その私財を収奪したということになる」(甲37p81)。北朝鮮の現実を知らなかっただけでは済まされない問題である。 
 4 指紋押捺拒否運動等
   朝鮮学校の教科書『現代朝鮮歴史 高級3』では、80年代から顕著になった在日同胞の変化と多様な権利獲得要求について次のように教えている。 
   「一方、在日同胞の中では指紋押捺拒否、就職差別反対、日本の学校に通う朝鮮人生徒に対する差別に反対する運動など、多様な権利獲得運動が起こったし、同胞たちの要求も多様化していった。」「総連と在日同胞の前途には、変化した現実と環境に合致した愛国愛族運動へといっそう改善強化する問題が重要な課題として提起された。」としている。
   原告は、これまで指紋押捺拒否、就職差別反対運動(日立製作所採用取消事件)、日本の学校に通う朝鮮人生徒に対する差別に反対する運動にも朝鮮総連が携わってきたものと勘違いしてきた。
しかし、朝鮮総連の支部組織である控訴人補助参加人らは、準備書面(2)で、「総連は、指紋押捺『拒否』運動を推進したことはない。」という。原告は、改めて朝鮮総連の人権擁護活動が有する特殊性を思い知らされた。
指紋押捺拒否運動は様々な運動体によって担われ、全国的な規模で発生した。新聞で報道されるや全国的に運動が広がり、日韓政府間の政治問題に発展し、全斗煥大統領訪日を機に指紋押捺制度廃止へ圧力をかけ、改善措置をとるよう韓国側から要求がなされ、1992年5月に法改正がなされるなどして改善されていったという経緯がある。原告は、韓国民団が主導する在日同胞の権利獲得運動に対し、朝鮮総連は、常に政治的に反対してきたことを忘れていたのだ。(甲44)   
日立製作所採用取消事件について朝鮮総連が冷淡な態度をとったことは前述した。「共生」の道を選択し、朝鮮学校ではなく日本人学校に通う在日同胞の子女や日本企業に就職する者に対する差別などは、北朝鮮の在外公民組織である朝鮮総連の取り扱う人権課題ではなく、日本の課題であるから「内政干渉」となるとの態度をとったのだった。   
   畢竟、朝鮮総連は在日同胞の人権擁護より、北朝鮮政権の利益を上位においてきたのである。朝鮮総連の人権擁護活動なるものに我が国における公共性があるということができない所以である。     
 5 国籍条項撤廃要求運動と「共生」の発想      
   「朝鮮総連は、日本に定住して日本市民化することを志向する在日同胞の権利獲得運動に対し、それが同化を促し、北朝鮮支持離れを促進するという認識から、むしろ、その努力に反する行動をとるようになった。
   1980年代に入ると地方公務員採用の国籍条項の撤廃を要求する声が在日の中で高まったが、朝鮮総連はその要求を無視したばかりか、国籍条項を撤廃した地方自治体の採用試験に1980年代初期に合格した、在日の青年の行動を、当時、朝鮮総連副議長であった李珍珪(リ・ジンギュ)は「売民族的行為」と非難した。
   このような朝鮮総連の体質は民族教育でも顕著に現れている。金日成、金正日親子に対する忠誠心教育が強調され、基本的人権と民主主義的な理念を教える教育が欠落していた。このような「民族教育」が日本社会の現実に対応できず、日本社会で生活する上の障害となると考える在日の父母たちの失望を招き、在日の人々は朝鮮総連系民族学校に子女を送らなくなった。    
   また、1990年初頭までに在日同胞のなかで『日本社会との共生』という新しい考え方が芽生えてきた。朝鮮総連のように北朝鮮に忠誠を誓い、北朝鮮の政策遂行を最大の組織活動と規定する団体には日本社会との『共生』という発想は生まれない。また、いずれは朝鮮半島に帰る、日本は仮の住まいであるという考え方のもとでは、日本社会の繁栄と建設に日本人とともに積極的に参加していくという『共生』の発想は生まれない。『共生』の発想は日本に定住して日本社会を支えている理念、民主主義、人権の擁護、自由という理念を共有して、今後も日本社会で生き続けるという確固とした意思のもとでしか生まれない。このような在日の未来のあり方を模索する在日諸団体に対して朝鮮総連は協力するどころか、敵対的に対応してきた。」(甲15p189〜191)
   朝鮮高級学校の教科書『現代朝鮮歴史−高級2』は、1985年の「新国籍法の改正を、在日同胞たちの「帰化」を促進させる契機になったとする。「日本当局の弾圧 と『同化』政策が強化なされる中で、1980年代に入り、日本国籍に『帰化』する在日同胞が年々増加していった。この時期、在日同胞構成の上で圧倒的比重を占めるようになった2世、3世同胞の中で、民族性が希薄になっていった。」
「一部の同胞の中では、社会主義国と総連組織から距離をおく『在日論』(原注:「在日」という条件や「国際化時代」をうんぬんしながら在日同胞たちを日本社会の構成員とみて、祖国や組織から距離を起きながら日本社会との関係のなかで共生の道をさぐらねばならないとの主張をいう)まで出てくるようになった。」(甲29の3p41)として「共生論」に対して露骨な 否定的評価を行い、生徒達に教え込んでいる。
6 地方参政権要求運動
  朝鮮総連を除いた在日社会は、「共生社会」の実現のための具体的な活動方針として、地方参政権の獲得や住民投票への参加を決定した。在日韓国人たちの地方参政権を求める訴訟では、1995年、日本の最高裁判所が外国人の地方参政権は「専ら国の立法政策にかかわる事柄」との判決を下し、国会で立法化されれば実現できるとし、地方参政権要求運動は在日社会において俄かに盛り上がった。
  しかし、「この在日社会の地方参政権要求運動に朝鮮総連は激しく反対した。その反対理由は、在日朝鮮人の日本人への同化を促進させるとか、日本の内政干渉になるとかの愚にもつかないものであった」(甲15p194)
  事実、控訴人補助参加人らは、準備書面1で「外国人地方参政権については、現在も在日朝鮮人の中で見解が分かれる問題である。総連が祖国の統一を求め、その統一が回復されるまでは共和国の公民としての立場を優先し、同化につながる外国人地方参政権を求める運動に賛成しなかったことは事実である。このように見解が分かれる問題について一方の立場をとったことが、総連が日本社会の中で現実に行ってきた権利擁護活動の公益性が否定されることにはつながらないことは当然である」と述べている。
何がいいたいのかさっぱり分からない。
  住民投票問題もまた同じである。 
1990年代に入り、各自治体では原子力発電所の建設や産業廃棄物処理施設の建設など地域住民の生命と生活にかかわる重大な問題を、住民の賛否による住民投票で決定する傾向が強まってきた。当初、「住民」から除外されていた在日同胞の間で住民投票の権利を要求する声が高まった。
「しかし朝鮮総連は原子力発電所建設のような政治色の強い問題に、賛否を表明することは内政干渉であると住民投票への在日同胞の参加に反対した。」(甲15p194)  
  「地方参政権問題、住民投票権問題に表れているように、朝鮮総連は在日同胞の権利、権益を守る団体から権利権益を阻害する団体へと完全に転落してしまったのだ。」(甲15p196)
 7 日本人拉致事件      
   ? 2003年9月の小泉訪朝の結果は、在日社会に強い衝撃を与えた。小泉首相との会談でなされた金正日総書記の発言に、在日社会は驚愕
した。それまで激しく日本のデッチ上げだと否定し、日本のマスコミを非難し続けてきた日本人拉致を、金正日は北朝鮮の仕業だとなんなく認め、日本に謝罪したからである。
総連はそれまで北朝鮮政府の立場を代弁して、日本人の拉致などありえない、これは日本の反北朝鮮政策の謀略だ、悪質な誹謗中傷だと再三にわたり主張し、拉致報道を続けたジャーナリストに対して非難を繰り返し行ってきた。しかし、金日成が拉致を認め謝罪してしまった以上、過去の主張と行動に対して何らかの釈明が必要である。だが総連はきちんとした釈明もしなければ、謝罪することもなく、日本国内の猛烈な批判にさられた。
11月になり、ようやく副議長が記者会見し、「総連が組織として関与した事実はない」総連とのかかわりを「(内部で)調査する必要は感じていない」との問題のすり替えと開き直りとも言える声明を発表した(甲15p197〜199)。
? 朝鮮総連指導部に対して在日朝鮮人の怒りは爆発した。02年11月には神奈川から広島に至る若手幹部ら23名が実名連記による意見書を指導部に提出した。こうした動きは許宗萬退陣を求める動きとして在日朝鮮人の中に広がっていった。こうした動きに慌てた許宗萬指導部は、02年12月7日に都道府県本部委員長会議を開いたが、内部の意思統一が難しいと見た指導部は、同意しない幹部の排除に乗り出した。県本部委員長に対する締めつけを強める一方で、意見提起した若手幹部に対する個別的切り崩しを進め、見せしめとして指導部の意向に従わない大阪府本部の呉秀珍委員長 を「女性問題」にかこつけて解任した。また、朝鮮学校の民主化と真の民族教育化を求める教育関係者を次々と排除した。(甲14p255〜257)
? 補助参加人らは、日本人拉致事件について「拉致問題については、これが在日朝鮮人に対する迫害、差別の口実に用いられていたという事実がある。総連は在日朝鮮人の権利擁護という観点から反論をしてきた。2002年小泉訪朝時に共和国が日本人拉致を公式に認めるにいたったが、それまではまさに在日朝鮮人一般は、共和国関係者による日本人拉致は存在しないと信じていたものである」という。呆れたことに論点のすり替えと開き直りを性懲りもなく繰り返している。被害者に対する視点が全く欠落しているのである。朝鮮総連は積極的に拉致事件は日本政府の策謀であるとのデマ宣伝を組織的に展開したうえ、マスコミを抱き込むなどして世論工作を行い、街頭で市民に救済を訴える拉致被害者家族らに罵声を浴びせ、拉致問題を取り上げたジャーナリストを執拗に中傷し、その解決を遅らせたことについて、なんらの反省も謝罪もないのである。朝鮮総連中央本部の対応と同じ無責任な対応といわざるをえない。  
    北朝鮮による拉致が事実であることが判明した当時、良心的な地方幹部や一般会員から次々と指導部批判、内部告発、改革を求める声があがった。これに対して、朝鮮総連指導部は、「変節堕落分子」「民族叛逆者」「国家情報院の手先」などというレッテルを貼って批判者の名誉を毀損し、在日朝鮮人社会から村八分的に排除しようとするなど、ありとあらゆる方法で脅迫、弾圧、懐柔を行って押さえつけてきた。多くの場合、北朝鮮に親族がいるなどの事情があるため、「泣き寝入り」となってしまったという。(甲14p169)          
    結局、許宗萬はそのまま副議長のまま居座り、2012年に徐萬述が死去した後、第3代朝鮮総連中央常任委員会議長に就任した。金正日に追随する指導部に批判的な良心的分子はいずれも総連の圧力によって排除されたのである。金正恩への三代世襲についても唯々諾々と中央本部の指示に従い、サラリーマン化した現在の地方幹部に呉秀珍(大阪本部委員長)や洪敬義(近畿人権協会会長)が示した「義」を求めるのは無理ということなのだろう。   
 8 朝鮮総連による人権侵害    
  ? 横行する名誉毀損  
    2002年9月17日、北朝鮮による日本人拉致が明らかになった。朝鮮総連傘下の「近畿人権協会」(洪敬義会長)は、朝鮮総連中央の「行方不明者の問題が両国間で誠実に解決されることを望む」とする、総連の責任を認めない見解に同意せず、25日「日本人拉致行為に抗議し、真相解明を求める。植民地支配の被害者の子孫である私たちが、今『加害者』側の立場にもあることを痛感しつつ、犠牲者とその家族に心から謝罪したい」との見解を発表した。また洪敬義は、こうした金正日追随の体質を改めるべきだとする朝鮮総連改革の「提言」を発表した。(甲45:朝日新聞)    
ところが朝鮮総連は反省するどころか、組織をあげて洪敬義を弾圧した。朝鮮総連は近畿人権協会の規約を無視して彼を「解任」するとし、組織内部で「内外反動の手先となっている洪敬義とその一味の総連破壊策動を徹底的に粉砕しよう」(04年2月)なる講演資料まで作成し、それを全組織に配布して悪辣な誹謗中傷を行った。また機関紙『朝鮮新報』は「《南の国情院と連携する洪敬義》反総連『提言』の黒い背景」(04年3月16日)なる誹謗中傷記事を掲載して彼の人権を著しく侵害した。
    これに対して洪敬義は名誉毀損の賠償訴訟を起こし、完全勝訴を勝ち取った(謝罪文は07年8月28日付『朝鮮新報』に掲載)。(甲14p168)  
  ? 「学ぶ権利」の侵害  
    朝鮮総連は子どもたちの「学ぶ権利」に対しても圧力を加え、著しくそれを侵害している。朝鮮総連は「子どもの権利条約」を口にして「朝鮮学校で学ぶ権利」は主張するが、子どもたちが「その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため」、朝鮮学校から日本学校へ進学しようとすることについては認めない。それを阻止するためさまざまな圧力を加えている。
朴斗鎮の長男は西東京朝鮮初級学校を卒業し、日本の高等学校に進学したのであるが、進学直後のある日、それを阻止するために本部委員長と組織部の幹部が自宅まで来て、朝鮮高級学校に入れるように強要してきた。その理由は、当時、妻が朝鮮総連の機関で専従職員として働いていたから、子どもを日本学校に送ってはいけないというものだった。朴賛汀は、どのような学校に進むかは本人の意思を尊重すべきではないかと反問したが、彼らは聞き入れなかったという。組織防衛が「学ぶ権利」に優先していたのである。その結果、20年近く朝鮮学校の教員を務め、その5年間商工会の専従職員となっていた彼の妻は、何の補償もなく朝鮮総連の本部から「解雇」を言い渡された。   
こうしたことは彼の家庭だけにとどまらない。彼の同級生や先輩のなかには、子どもの希望で日本の高校に進学させたために、左遷されたり解雇されたりした人たちが多数いる。こうした圧力が通用しない一般の朝鮮人学父母に対しては、進学のための書類作成を拒否するとか、日本学校への進学希望者を生徒の中で孤立させるといったさまざまな「いやがらせ」が行われている。(甲14p170〜171) 
  ? 過酷な思想・言論弾圧   
    朝鮮総連内での思想弾圧は日常茶飯時に行われている。
思想弾圧には、大きくわけて、「学習組」などが行う組織内部での「思想総括」と、「変節堕落分子」「民族叛逆者」といったレッテルを貼り『朝鮮新報』などの媒体で公然と誹謗中傷する行為、そして朝鮮総連コミュニティーから「村八分」的に排除して社会的苦痛を与えようとする行為などがある。それ以外にも「民対派」に属していた人たちを「宗派(反党分子)」と決めつけ、尾行はもとより「ふくろう部隊(朝鮮総連式秘密警察)」と呼ばれる「非公然青年部隊」を差し向けて脅迫することもあった。
また、「日本は敵地」と規定し、組織内では民主主義の基本である言論の自由も圧殺してきた。幹部が外部に意見を公表したり内部告発したら、「利敵行為」として糾弾し、解任や辞任に追い込む。時には「非組織的策動分子」として処分したりもする。開かれた民族教育への転換を主張した組織内の教育研究グループを弾圧し、そのメンバーを追放した。
朝鮮総連は、指導部に反対したり指示に従わなかった活動家たちを容赦なく解職し、その生活権を奪う。長年専従活動に従事したにもかかわらず、老後の蓄えもない状態で職を奪われた幹部たちや、理不尽に年金を打ち切られた人たちは「朝鮮総連の人権協会はなぜわれわれの人権を守らないのか」と訴えている。朝鮮総連傘下の「在日本朝鮮人人権協会」に属している弁護士で、こうした人たちの救済に手を差し伸べた人はいない。(甲14p171〜173) 
  ? 批判に対する威力業務妨害
朝鮮総連は組織防衛の立場から、かつて朝鮮総連に在籍していたが、主流派との対立で総連から追い出され、別の小グループを結成した集団などの監視、集会妨害をたびたび行っていた。しかし、他団体に暴力を行使したことはなかった。脱退したグループは、「朝鮮総連を正しく立て直すための闘争委員会」や「在日朝鮮人民主化促進委員会」「金日成独裁体制打倒在日同胞民主連合戦線」などを結成して執拗な反総連活動を続けていた。1991年6月に結成された「金日成打倒戦線」の結成記念パーティが都内の主婦会館で開かれたとき、総連は多くの監視員を派遣し、妨害の機会をうかがった。そしてその組織の決起集会に総連の会員が参加できないように、会場周辺に大勢の監視員を置いて威圧した。このような集会妨害は行っていたが、直接集会会場に総連関係者を送り込み、暴力を行使し、集会を妨害するようなことはなかった。
1994年4月15日、北朝鮮の政治体制を厳しく批判していた市民団体「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)」(李英和代表)が大阪森之宮にある「アピオ大阪」で集会を開催しようとしたところ、数十人の男たちが騒ぎだし、集会の進行を妨害し、主催者などに暴行を働き、流会させてしまった。主催者側は乱入した男たちを朝鮮総連関係者と断定し、大阪府警に「威力業務妨害」と暴行容疑で告訴した。
総連は、早速、大阪府警への抗議活動を行った。被疑者たちも警察の取調べを受けたが、彼らは完全黙秘を通した。それにもかかわらず、総連は沈黙してしまう。動かぬ証拠があがったからである。RENKの関係者が撮影した写真と強制捜査で応酬された書類の中から発見された内部文書である。内部文書にはRENKの大阪集会を襲撃する計画が練られ、襲撃の結果、彼らに大打撃を与えたという内容が記されていた。大阪地検の処分決定後、処分通知が公表され、市民集会に殴り込んだ総連活動家は大阪だけでなく、京都、兵庫の総連関連団体の役員が網羅されており、まさに関西の総連組織をあげての「殴り込み」であった。RENKのような小さな市民グループは暴力で鎮圧できると錯覚したと思われる。それはすでに総連組織が民主主義の基本理念を喪失している無残な証でもある(甲15p179〜184)。
李英和関西大学教授は、著書『朝鮮総連と収容所共和国』の第2賞で「暴力装置と化した朝鮮総連」として、集会を潰そうとして動員された朝鮮総連活動家による暴力行為の実態を記している。

「李英和を出せ」「李英和を殺せ」−こう叫びながら、私をめがけて数十名の屈強な若者が次々に突進してくる。百人近い集団が、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)の大阪集会を襲った。襲撃の主は、金日成父子を支持する一団だった。近畿一円を中心に、東京からも動員された朝鮮総連のメンバーたちである。結局、会場を暴力的に不法占拠され、予定していた屋内集会はできなかった。仕方なく会場前の講演に場所を移し、緊急の抗議集会をもった。朝鮮総連の蛮行に抗議する2台のハンドマイクは、即座に引きちぎられ、無残に壊された。北朝鮮民主化を訴えるRENKの横断幕は破られ、奪いさられた。それどころか、ドサクサまぎれにRENKメンバーのリュックサックを開けて金品を強奪するという、前代未聞の暴挙を働いた。悲鳴と怒号が渦巻き、大坂城近くの会場周辺は修羅場と化した。(甲34p54〜57)

朝鮮総連は、その後もこんな声明を出している。
「日本当局は、わが共和国を中傷誹謗する謀略集会に対するわが同胞たちの正当な抗議行動を、いわゆる『威力業務妨害』にひっかけただけでなく、これと関係ない総連大阪組織を強制捜査した全く不当な政治弾圧について内外の強力な抗議を受けるや最近になって押収した文書をすべて返還するなど『捜査』を断念せざるをえなかった」
どこに反省の色がみられて、大阪地検は先の処分(大阪府本部の謝罪と1人の罰金)を決めたのだろうか。どんな圧力があったのか分からない。だが、政治判断による「寛刑」だと思わざるをえない。
朝鮮総連は次のような人を食った声明を出した。
「日本当局は、・・・政治活動と言論、出版、結社、集会、デモの自由などすべての権利を保障しなければならない。日本当局者たちは自ら署名した世界人権宣言と国際人権規約の基本精神を尊重し、・・・人権を徹底的に保障しなければならない」(94年5月14日付「労働新聞」)『天に唾する』とはこのことだろう。(甲34p78) 
 9 朝鮮総連の公共性と政治性−不特定多数と政治的中立性−  
   人権活動が公益性を有していることは自明である。ゆえに人権活動に熱心な日本共産党をはじめとするすべての政治団体は公益性を有している。彼らが少なくとも建前として公共のために奉仕していることは自明である。しかし、だからといってその団体の活動全てに公益性を認めることはできないことも自明である。一般ないし不特定多数を対象とするという「公共性」と公共を支配する権力の獲得をめざす「政治性は」手を取り合う局面もあれば対立する局面もある。
不特定多数の市民が支払う固定資産税を減免し、不特定多数が利用する公民館的施設を援助するのは、不特定多数のコミュニティの場を確保するという直接的に不特定多数に還元できる利益に着目するものであり、チュチェ思想やマルクス・レーニン主義あるいは新自由主義の世界観的信条や政策の公共的実現を目指す政治団体の活動を支援するものではないのである。 
   民族差別をなくすことは日本社会にとっても公益となるという主張は一見拒み難いものにみえるが、朝鮮総連の活動の歴史を振り返ったとき、朝鮮総連が目指す民族差別の撤廃とはなんなのかよくわからない。自ら「内政不干渉」を唱えていたように、かつて朝鮮総連は公共的プロセスとしての政治と公共性を区別し、決して混同することはなかった。途中で変質したとはいえ、出自をマルクス・レーニン主義においている以上、目的と方法の区別、そして同じ目的を実現するための方法論においてこそ政治闘争は生じることはよくわきまえているはずである。敢えてこれを混同するのは訴訟戦術なのだろうが、左翼政治団体の一翼を担っていた朝鮮総連としてはどうなのだろうか。
   自らこれを辞退している日本共産党を除く政党が政党交付金を受けているのは、その活動に公益性が認められるからにほかならない。いくら政党に公益性があっても、政党の支部活動の拠点となっている政党所有の建物を公民館的施設として減免措置の対象とすれば当該政党に反対している市民は怒るであろう。政党は高度の政治性を有するために、その活動の目的が公共的であっても、公平であるべき租税の徴収において差別を設けることは、納税者である市民の反発を呼ぶことは必至である。いわば公共性と政治性は相補的な関係にある。公共性ないし公益性を理由に市民的特権を授けるときは、政治的な中立性が厳格に要求されることになる。  
   原告は朝鮮総連がある種の公共性を有していることは認めている。しかし、同時に高度な政治性を有しているため、在日コリアン社会において政治的に激しく対立する敵対者を伴っている。そのため、朝鮮総連は、一般の在日朝鮮人・在日韓国人社会に開かれているということはできず、むしろ、内部抗争と批判者排除の経緯と北朝鮮政権への政治的隷属から極めて「閉鎖的」である。それは、決して在日朝鮮人を代表する組織ではなく、首領軍事独裁体制をとって社会全体のチュチェ思想化を目指す北朝鮮政権を支持するものが集まっている政治工作集団である。    
   そのような朝鮮総連の活動のすべてに公益性を認め、中央本部→地方本部→支部という指揮統制の中で中央本部の指揮のもとに入っている支部が置かれている施設について公民館的施設としての公益性を認めることができないのは自明である。ここで要求されている不特定多数に開かれた公共性とは、政治的な中立性を要請するものである。北朝鮮の指導を受け、韓国民団はもとより、反朝鮮総連を掲げる多数の民族諸団体ないし人権擁護団体との政治的対立を有しているできる朝鮮総連の末端統制機能を有する支部に公民館類似施設としての公共的性格をみることはできない。
以上


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平成25年(行コ)第15号 
控訴人   大阪市        
被控訴人  ●●●●      
控訴人補助参加人 在日本朝鮮人総聯合会大阪府生野西支部 外10名 

                
準備書面2(被控訴人)

                
 平成25年9月17日
(次回期日:平成25年9月25日)
大阪高等裁判所第1民事部E係 御中    

             被控訴人訴訟代理人 
弁護士  コ  永  信  一
      








   朝鮮総連− 本国盲従による同胞利益の犠牲   
  




目次

第1 朝鮮総連を告発する! 
1 関貴星 --- 『楽園の夢破れて』 総連の原罪・帰国事業の闇 …………… p3
2 李英和 --- “ジキルとハイド”、暴力装置と化した総連 ……………… p6
  3 洪敬義 --- 「近畿人権協会」の叛乱、総連の卑劣な誹謗宣伝 ………… p9 
  4 金賛汀 --- 《九月マルスム》・将軍様の集金マシーンになった総連 … p13
  5 韓光熙 --- 「学習組」による対南工作と総連による地上げ  ……… p15 
6 朴斗鎮 --- 《首領独裁制》による総連の二重構造  …………… p17
 7 黄長Y --- 総連が《金王朝》と手を切れない理由  …………… p19
8 総括  --- 総連を変質させた4つの“秘薬” ………………… p22   
第2 金正日「九月マルスム」と朝鮮総連中央本部の競売      
  1 中央本部競売をめぐる総連の周章狼狽  ……………… p23  
2 朝鮮総連が背負った巨額の負債 ……………… p24 
3 朝銀信組の誕生と栄枯盛衰 ……………………………p25  
  4 仰天の「九月マルスム」−地上げ屋になった総連 ………………p27      
 5 同胞総有資産の担保提供 …………………… p29
6 中核組織「学習組」による朝銀支配 …………………… p31 
  7 許宗萬体制に対する内部批判と静粛の嵐 …………………………… p35
  8 総括 ―― 同胞人権擁護団体にあるまじき …………………… p38  
 
                         






第1 朝鮮総連を告発する! --- 本国盲従による同胞利益の犠牲  
1 関(セキ)貴(キ)星(セイ) ―- 『楽園の夢破れて』、総連の原罪・帰国事業の闇  
  元総連幹部(朝鮮総連中央本部財政委員)だった関貴星は、1962年に全貌社から『楽園の夢破れて』(甲61 )を出版し、北朝鮮と帰国事業の真相をはじめて公表した。1959年12月にはじまった帰国事業の開始からわずか2年後のことであった。  
  関は、1960年8月15日朝鮮解放15周年の慶祝使節団代表団の一員として訪朝し、一ヶ月余、祖国の各地を視察する機会をえた。そのとき、関の眼にうつった祖国の姿、その中にうごめく人民大衆の苦しみは、関の夢想を叩き潰した。誇るべき祖国には、誇りうる何物もなかったのだった。(同p43)
日本に帰った関は、次々と各最高幹部を歴訪し、北朝鮮の真相を訴え、少なくても現在の北朝鮮はこれまで朝鮮総連が宣伝したような楽園とは全く逆であること。いま北朝鮮で行われている政治は、日本にいて空想しているような社会主義、共産主義ではないことの2つを題目として事実をありのままを倦まず訴えつづけた。
しかし朝鮮総連の最高幹部らは耳をかそうとはしなかった。(同p82) 
 関は、矢も立てもたまらず単独で、まず自分の周囲から実行しだした。岡山市で開かれた一週間のちの船で帰国する人々の帰国学習会で、関は真実にそった帰国心得を話した。そのとき同席していた他の幹部が、「帰国する人々にそんなこと喋っちゃこまるじゃないか」といった。関が反問すると、彼は「一般帰国者は無知なんだ。それでいいんだ。なまじ本当のことを知らせると、帰国者がなくなってしまうからな」と平然としたものだった。彼ら一握りの総連幹部は、中央、地方を通じてただ同胞を帰還船に乗せることだけが目的であって、あとは同胞がどうなろうがそんなことは知ったことではないのだ。(同p83)  
関の言動が、総連中央の忌避にふれたことは当然すぎるほど当然であった。彼らは、関との正面きった論争を避け、裏面から関を同胞から浮き上がらせる卑劣な手段に出た。関は何もかも嫌になった。関は朝鮮総連の組織からいっさい手を引こうと考えた。 
しかし、そうしても関の心には平和は訪れなかった。いつも頭のどこかにこびりついているのは、あの気の毒な北朝鮮帰国者の姿であった。関は浴びるほど酒を飲んだ。(同p86)  
誰がどういおうと、在日朝鮮人のうちで、とくに日帝時代強制的に渡日させられたものや、人種差別で職もなく、学校の門もとざされているものが、祖国へ帰りたいと願うのは理の当然というものである。―― しかし、そのように理解していながらも、関の心理は複雑であった。せめて、帰国する人に北朝鮮の真相を伝え、心の準備をしてゆくように伝えたかった。学生には日本にある学術書はもてるだけもってゆけと言い、労働者には地下足袋を、子持ちの母にはてんか粉やドライミルクを、そして未婚の娘には結婚してからゆけと教え、病弱な人には当分帰らん方がいいよ、と教えてまわった。(同p108) 
そういう関をとらえて、総連中央は、反動と呼び、スパイと呼び、裏切り者の汚名を被せて、帰国者から隔離し、その発言を封じ、村八分にした。 
北朝鮮の現実はどうであったか。(同p125)  
社会はあまりにも階級的であり、党員と一般人民との差はあまりにもひどすぎた。そして自由であるべき人民は、共産主義を信奉するか共産主義に屈従しなければ、肉体も精神も自分の所有にならなかった。(同p126)  
労働党員になる道は、文字通り狭き門であり、生死を分ける絶対的な門である。そしてその絶対圏に入ってみると、そのうえに聳えているのが元首金日成である。金日成に対する個人崇拝の強要はまさに気狂い沙汰である。戦前の日本の天皇は愚か、宇宙創造主に対する崇拝ぶりであるといっても過言ではない。金日成は朝鮮半島の悠久の歴史を書き改めつつある。すなわち金日成が出現する以前の民族の歴史は抹殺され、金日成が忽然と表れてはじめて朝鮮が誕生したごとく歴史教育は学生の教科書から捏造されつつあるのだ。(同p128)    
朝鮮総連とは何か? 関はいう。「朝鮮総連とは在日60万朝鮮人のうち70パーセントを組織した中央集権的収奪機関であって、政治的、思想的に北鮮の金日成政府に直結し、それ自体が日本における共産主義的破壊組織である」と(同p94)。
朝鮮総連は、「朝鮮民主主義人民共和国には、帰国後の生活安定と子女たちの教育を保障すべき一切の準備が整っている」などと主張した。「帰国は身一つでいい」と宣伝した。そして朝鮮総連は帰国者が残していった金品を、寄付の名目で朝鮮総連のものにしてしまったのだ。(同p34)  
  関貴星は『楽園の夢破れて』の最後でこう叫ぶ。 
  
北朝鮮の労働党(共産党)の独裁ぶりは、ヒットラーのそれに勝るとも劣らぬ、人類の文明に逆行したものである。私は1957年と1960年の2度にわたって北朝  鮮の実相をこの眼で見た。そこで私は、人民民主主義の何たるかを見てとった。
私は貧乏を退治し、人間が平等で平和に暮らせる社会体制は社会主義以外にないという体験的確信にもとづいて、朝鮮解放後の15年間、自発的に革新陣営に飛びこみ、私のもつ限りの金銭と時間と情熱を犠牲にして闘ってきた。
しかし北朝鮮で見た現実は、あまりにも文明に逆行した大衆収奪の姿であり、非科学的非人道的野蛮極まる独裁国家であった。私は幼稚な理想家で、滑稽な夢想家だったのだろうか。私は失われた理想に哭き、愚かな夢想家であった自分を笑い、唖となり聾となって社会から隠棲しようとすら思っていた。―― が私にはまだしなければならぬ、私しか出来ぬ大いなる課題があった。
「朝鮮同胞帰国」の問題である。私には1957年6月、他に魁がけて朝鮮人の北朝鮮帰国を要路に訴えた因縁がある。いま、北朝鮮帰国の一段階を終えて回顧するとき、帰国者の安否、禍福は夢にも私の念頭を離れぬ重荷になっているのだ。不幸にして、私の見た北朝鮮帰国者の実情はかつて日本帝国主義の鉄蹄下にあったときよりさらにひどいものがあった。     
しかもなお、北朝鮮当局とその売族的在日出先機関総連は、いまもって祖国共産主義を「楽園」と偽り在日朝鮮人の純粋な祖国愛、望郷感情に便乗して党員獲得に奔走し、在日朝鮮人の完全掌握をねらっている。
欺瞞北朝鮮の実態、虚偽朝鮮総連の実情を本書にえぐり尽くすことは、到底私の筆の及ぶところではないが、私は、私の後半生をかけ、怒りをこめてこの欺瞞と虚偽をあばきつづけるだろう。   
それが、せめても帰国者に対する私の償いであり、在日朝鮮同胞に対するはなむけであると信ずるからである。(略)    
1961年11月広島にて   関貴星   
                    (同p181「あとがき」より)
2 李(イ)英和(ヨンファ) ―- “ ジキルとハイド ”、暴力装置と化した総連    
関西大学経済学部教授の李英和は、大学院時代の平壌留学経験から北朝鮮における人権弾圧の実情を知った。1993年、北朝鮮の民衆を窮状から救うため、北朝鮮の民主化を求める「RENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)」を結成した。
1994年4月、総連の幹部は、RENKの集会を事前に潰そうと李英和を呼出し、「4月15日には150人は動員して集会をツブす。なかには気の荒い者もいるから、どんな事態が起きるか分からないぞ。5年や6年のムショ暮らしなど平気な若者がゴロゴロいるからな」と脅した。そして「少々のことがあっても、日本の新聞は取り上げないし、警察も動かない。そういうことになってるんだ」と嘯いた(甲34:「朝鮮総連と収容所共和国」p62)。
当日、報道陣の見守るなか、数十人の屈強な若者たちを先頭にした総連が主催者の制止を振り切って会場に乱入し、悲鳴と怒号が渦巻くなか、RENKの横断幕を破り、多数の負傷者を出して集会を妨害した(同p56、甲15p180)。そのため総連の大阪府本部と京都府本部に強制捜査が入り(甲37:「わが朝鮮総連の罪と罰」p254、甲48:「壁を越えていく力」p205〜206)、押収された文書やファイルからそれまでベールに包まれていた学習組の全容や民団、政治家、マスコミに対する工作の一部が明らかになった。(甲34p75〜77)  
北朝鮮と総連からの様々な圧力や執拗な中傷攻撃を受けながらも北朝鮮の民衆の救済を訴える活動を続ける李英和は、朝鮮総連について次のようにいう。 
   「北朝鮮を語るとき、決して忘れてはならない重要な存在がある。『北』の独裁政権を一貫して支持し、『北』系の在日朝鮮人を多数傘下におさめる朝鮮総連
  がそれである。」(甲34 p11) 
    「そんな朝鮮総連は“ふたつの顔”をもっている。差別に苦しむ在日朝鮮人が寄り添い助け合って、生活を守り人権の擁護を訴える。弱者の声を代弁する『正義の味方』の顔だ。他方では、独裁者に忠誠を尽くし、独裁者の意のままに動くむき出しの『抑圧装置』であり『強きを助け、弱きを挫く』顔がある。ジキル博士とハイド氏 ―― こうとでも呼ぶべき“ふたつの顔”のどちらが素顔なのか。マスコミや知識人など、部外者をしばしば当惑させる。どちらの顔も真実である。だが、『ジキルとハイド』物語のように、元は善良なジキル博士の素顔だった。“秘薬”を呑むまでは。そうでなければ、在日朝鮮人は誰も朝鮮総連を支持しなかったろう。金日成が調合した『帰国事業』という名の“禁断の秘薬”、これを独裁者の命ずるままに呑み干した。このことが朝鮮総連を“ハイド氏”に変身させた。」(甲34p79)
    「朝鮮総連の権益擁護団体としての側面は、『朝連』時代に原型ができていた。ところが、この権益擁護活動は、徐々に『北』の独裁者による利権活動に変質する。無謀な武闘路線に走る日本共産党との決別は、無慈悲な『北』の独裁者への阿諛追従に転じた。それに応じて朝鮮総連は“ハイド氏”に変身する。金日成が調合し、朝鮮総連が呑んだ“秘薬”は二種類の劇薬から合成された。ひとつは、『学習組』という非公然指導機関の設置だった(1957年)。いわば、朝鮮労働党の朝鮮総連内の党支部である。もうひとつは、1959年に開始される北朝鮮への『帰国事業』だった。」(同p83) 
1984年3月、北朝鮮に帰国した在日同胞の内情を生々しく描いた金元祚著『凍土の共和国』が出版された。この暴露本の出版は北朝鮮と朝鮮総連に飛び上がらせるほどの衝撃を与えた。「地上の楽園」への帰還と自画自賛していた詐欺的行為が明らかになったからである。  
    「朝鮮総連の原罪ともいうべき《帰国事業》。『北』の祖国はどうもおかしい、そう気がついたときには、すでに何万人もの在日朝鮮人を帰国させてしまっていた。60年代には、朝鮮総連の幹部や専従活動家も、自分の家族・親族を帰国させた。だが、実情が知れ渡った70年代以降は、さすがに自分の子弟や親戚を帰国させない。それでもノルマに応じて帰国者を募る。自分は信じていない『楽園』宣伝を他人に吹き込む。自分の子どもには『絶対に帰るな』と言い含めて、他人の子どもを送り込む。ノルマは達成されるが、モラルは崩壊する」(甲34p240) 
    「帰国者が日本に戻ってきたら、自分たちはどんな目に遇うのだろうか。この罪悪感と恐怖感が朝鮮総連を覆い、組織をむしばんでいるのだ」(同p242)    
  3 洪(ホン)敬(ギョン)義(ウィ) −- 「近畿人権協会」が掲げた叛旗、総連の卑劣な誹謗宣伝  
    総連の専従活動家・洪敬義は、関西大学4年の時、「留学同」の代表団として
平壌を訪れ、活動家として生きる決意を固め、留学同の専従活動家を皮切りに、
総連大阪の社会部に所属、1989年30歳のとき、総連中央社会局に異動する。民族学校を一度も体験することなく、「日本の学校」だけを出て、中央の要職に就くというのは例外的なキャリアだという。 
 90年代になると、日本国内でも、北朝鮮の体制を批判し、人権弾圧を糾弾する在日コリアンが主導する団体等が活動を活発化していくようになった。南北分断状態にある国家の狭間を生きる者たちにとっては、そういった団体の主張の本当の狙いは、人道主義に基づくものではなく、政治問題化しようとする「南」の走狗であると思考しがちなのだという。たとえば、北朝鮮の民主化を求める団体、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク(RENK)」が大阪で集会を開催するとみると、総連はすかさず反応し、実力で阻止を行った。いわゆる「RENK集会弾圧事件」である。総連の暴力による言論封殺は、結果として威力業務妨害で総連職員や活動家への事情聴取と、総連関係の建物にガサ入れ(家宅捜索)が一斉に行われるという事態を招いた。そのとき洪敬は、弁護団を結成し、その方針を検討し、警察に押収された資料の分析をおこなうといった活動、すなわち総連内で妨害の絵図を描いた主導者らの尻拭いに奔走していた(甲48:「『壁』を越えていく力」p205〜206)。
洪は当時の気持ちを述懐している。「日常的な同胞たちの人権問題とか、そういうものにどんどん取り組んでいきたいのに、三カ月間日常業務がストップした。ほんとうにわれわれに正義があって、怒りをもって戦う気持ちになれれば別ですけど・・・。忸怩たる思いがありました」。
総連は、過去に組織を離反した者たちが開く、反総連あるいは反北朝鮮をスローガンに掲げた集会に対して、そこに総連会員が参加できないように、会場付近に監視要員を配置するなどしてきた。しかし、暴力による妨害は、かろうじて踏みとどまってきた。警察の介入を招かないためである。しかし、RENK集会弾圧事件では、その一線を越えていた。 
当時、在日同胞の生活改善や権利獲得運動への取り組みを優先すべきだと考えていた洪敬義は、二年近く全国を奔走し、これはと思う人物に声をかけ、1994年、念願だった人権協会の立ち上げにこぎつけた。人権協会とは、弁護士や税理士、公認会計士といった同胞を集めた専門家集団である。洪敬義は、1999年に東京・総連中央本部の社会局から近畿人権協会に配属され、2001年に会長に就任した。彼は過去の二項対立的な思考で運営されていた総連の内部改革の必要を感じていた。大阪には、総連や民団と距離を保ちつつ、独自の『民族』運動をさまざまな市民レベルでおこなってきた土壌があったことも、そうした考えを後押しした背景にあった。 
そんな中、2002年9月17日、小泉首相が訪朝し、国交正常化の交渉開始を含んだ平壌宣言を締結したが、会談では、金正日国防委員長が日本人拉致問題を初めて認め、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」として、その行為を謝罪した。洪は「今回はきっと日本人からの報復はあるだろう。それを防ぐためには、これまで総連は北朝鮮による拉致疑惑を否定し、でっちあげだと非難してきたのだから説明責任がある」と感じたが、総連中央の指導部らの対応は、「自分たちは北のスポークスマンでもないし、本国が謝ったらそれで終わりだ」というものだった。「この後に及んでそんなこと言って、同胞たちを守らなきゃならない総連の指導部の人間たちが、そんな言い逃れをしたことにショックを受けました。幹部たちの多くはやっぱり在日のことを真剣に守ろうとしていない。自分たちの保身と、北の態度ばっかりうかがっている」。(甲48 p196)
洪敬義は直ちに行動をとる。近畿人権協会独自で声明を出そうと考え、「拉致の真相解明を求め、在日朝鮮人への迫害に反対する声明」を綴り、これをインターネットで公表した。(同p196、甲45:朝日新聞web版)
「この洪の行動に、総連中央執行部は激昂した。・・・各都道府県本部に「内部批判文書」を伝達し、声明は『害毒行為』『背信行為』であり、『反同胞的行動』であると中傷した。北朝鮮当局すら認めた拉致であるが、これまで一貫して捏造だと主張してきた総連中央にすれば、事の真相がどうであるかを求めるより、あるいは謝罪するよりも、体面を保つことの方が優先事項だった。」(甲48 p197)
しかし、北朝鮮がおこなった陰惨な拉致事件や、それに対して態度を明確にしない総連中央本部の不甲斐なさに対するこのときの義憤が、洪の長らく温めていた計画を促進させることになる。総連の改革と建て直しのための行動だった。2004年2月、インターネット上に件の《21世紀、朝鮮総連の改革と再生のための提言》を活動家有志と作成、公表するに至る。(同p198)
その「提言」は、総連からの人心の離脱、財政危機といった問題を指摘し、硬直化した組織から、責任の所在を明確にした民主主義に基づく組織への再生を訴えるという、至極真っ当な内容であった。朝日新聞に掲載された活動家有志らの動機は、「総連が北朝鮮によりかかり、在日の実態と民主主義を軽視したことが組織衰退を招いた」と認識したことにあると紹介されている。(甲49:平成16年4月8日付朝日新聞)   
「この提言に対して、総連は、洪に人権協会会長職を辞任するよう迫った。しかし近畿人権協会メンバーの圧倒的な支持により、留任となる。痺れを切らした総連は、次に議論の場を設けることなく、機関紙である『朝鮮新報』を通じ、『洪は「韓国国家情報院の対日工作担当者」と接触した人物であり、「提言」をうんぬんして関心を引こうとしているが、その本質は総連に敵対する内外勢力の手先となり、総連第20回全体大会を控えたこの時期に「提言」を発表することによって、同胞社会を混乱させ同胞たちを祖国と総連から引き離そうとする点にある』として洪を誹謗し(甲59の1:朝鮮新報記事、甲59の2:邦訳)、近畿人権協会ごと組織から除名してしまうという処分を決定してしまう。洪は、名誉毀損で『朝鮮新報』を告訴に踏み切り、2007年7月に洪の完全勝訴で幕を閉じた。『朝鮮新報』に謝罪広告に掲載することと、損害賠償請求の満額が認められた。」(甲48p213〜214、甲14p168)       
このエピソードが教えることは、朝鮮総連が北朝鮮当局の指示を仰ぐ中央本部(韓徳銖、徐萬述、許宗満)に支配された硬直した中央集権組織であり、組織や国家を批判する者は反組織・反北的言動としてレッテル貼りをしたあげく、虚偽の謀略宣伝まで浴びせて粛清し、在日社会から排除していくという、分断国家を背負った朝鮮総連幹部の徹底した保身とその非情さである。  
さて、補助参加人らが強調する総連による在日同胞の権益擁護活動の実情はどうだったのだろうか。             
「当時の洪が取り組みたかったのは、体制や国家という大きな問題よりも、在日朝鮮人の生活改善、権利擁護の運動だった。しかし、総連としては、あくまで海外公民という立場から、全面的にかかわれない問題もあった」という。
たとえば、    
@ 八〇年代に盛り上がった外国人登録証明書への指紋押捺拒否問題
A インターハイへの民族学校参加拒否問題
B 民族学校の通学定期券取得問題  
などであった。これらの権利擁護運動については、「総連は内政不干渉の立場もあっていずれも消極的だった」のである。(甲48p207)
 北朝鮮当局の指示に基づく対南浸透工作と献金事業を優先していた総連においては、同胞権益擁護活動は軽視されていのである。
 4 金(キム)賛(チャン)汀(ヂャン) --- 《九月マルスム》・将軍様の集金マシーンになった総連    
   金賛汀は、朝鮮大学卒業後、統一評論社の編集次長等を経て、ノンフィクション作家となり、歴史に翻弄された朝鮮民族について執筆を続けてきた。92年に上梓した『パルチザン挽歌−金日成神話の崩壊』で北朝鮮政府の正史を覆して話題になった。つて朝鮮総連に身を置いていたが、金日成や北朝鮮への批判でも知られる。彼は自著『朝鮮総連』(甲15)のなかで、総連の変質について次のようにいう。  
    「韓議長は、朝鮮総連結成時には、確かに在日朝鮮人の権利擁護、進歩的平和愛好者たちとの連帯などを視野に入れた活動を展開しており、自らが主導した綱領などにもその方針は反映されていた。民族教育の現場でも、一時はその目的に邁進したはずである。しかし、韓徳銖は総連と北朝鮮との結びつきが強くなり、北朝鮮の支配力が組織の隅々まで浸透するにつれ、北朝鮮の権威を傘に権力を固めていった。いつしか在日同胞の権利権益よりも北朝鮮の国益と政策を優先させる組織運営を行い、在日同胞の期待を裏切っていったのである。」(同p65)
   1959年の帰還事業の開始から2年が経った61年頃には、「朝鮮総連のほぼ全ての幹部たちは北朝鮮の生活実態について、薄々気付いていた」という。しかし「それにも拘らず、同胞に帰国を勧めることが同胞に対する背信行為であるとの自覚は乏しかったのである」。なぜか?「それは社会主義建設こそが最大の愛国事業であり、社会主義の未来を信じ、北朝鮮の国家利益を図ることが愛国的であると盲信し、自分たちの最大の拠り所である在日同胞の権益擁護に対する配慮が薄かったからである。しかし在日同胞は北朝鮮社会の貧困、不平等、非民主主義的体質を敏感に感じ取り、その後、北朝鮮帰還者は急速に減少していった」(同p82〜83)
それを可能にしたのは『学習組』組織であり、『人質』であった」「民主主義でもなく、人民の国家でもなくなった独裁国家の指示を受ける団体が、民主主義的であるはずがない。ましてや在日同胞の権利、利益を第1にする活動方針を採択する事はない。まず北朝鮮の金日成独裁体制擁護が最大の活動方針となる。1960年代になり朝鮮総連は反民主主義、反人民的な団体に転落していくが、それを阻止できる組織内民主主義は巧妙に破壊されていった。(同p85)
「朝鮮総連は北朝鮮の政策遂行に全力を挙げ『南朝鮮革命の遂行』『祖国の統一』『チュチェ思想の確立と金日成主席への忠誠』に活動の重点を置き、在日の人々が現実に直面している生活面での改善要求とは多分に遊離した政治活動が運動の中心になっていた。そこには在日朝鮮人が日本に定住して生活していくうえで絶対欠かせない、未来への展望は何も示されていなかった。」(同p188)    
「地方参政権問題、住民投票権問題に表れているように、朝鮮総連は在日同胞の権利、権益を守る団体から権利権益を阻害する団体へと完全に転落してしまったのだ。」(同p196)
    やがて北朝鮮の経済運営が行き詰まり、朝鮮総連に対して献金を命じるようになり、総連はその指示を忠実に実行することで、反同胞的性格を顕在化させ、更には、民族学校等の同胞共有資産を担保に巨額の資金を調達し、日本中で悪質な「地上げ」や強引な「ゴルフ場開発」に乗り出し、反社会的団体に転落していく。   
    「1986年9月、朝鮮総連幹部たちを仰天させるような金正日の『マルスム』が届いた。そこには総連が組織として自立するためには、商工人からの献金や同胞のカンパに頼るのではなく、自立できる経済的な基盤を確立しなければならない、という支持であった。手っとり早くいえば、総連が商売をして金儲けをしろという命令である。」(甲60:「将軍様の錬金術」p118)  
    金賛汀は、この《九月マルスム》につき、「これほど馬鹿げた指示はない。」と非難している。  
    けだし、「総連は曲がりなりにも、在日朝鮮人の人権と権利擁護をその重要な活動方針に掲げている社会、政治団体である。そのような団体に『金儲けをしろ』と指示すれば、人権擁護や権利保障活動と二律背反する事態となり、組織内にトラブルが発生することは目に見えている」からである。(同p119)    
  5 韓光熙(ハンガンヒ) --- 「学習組」による対南工作活動と総連による地上げ 
  『わが朝鮮総連の罪と罰』(甲37)は総連中枢にいた元幹部がその工作活動内容を詳しく供述したものして話題となった。韓光熙は19歳で学習組(朝鮮労働党の在日非公然組織であり、朝鮮総連の指揮系統であり、実体そのものである−同p68)に推薦され、幹部養成機関である中央学院に入り、徹底的な思想教育を受け、総連中央の政治部に入り、青年同盟政治部副部長に就任した。政治部は対南工作、すなわち韓国に浸透するための各種裏活動をおこなう工作員としての任務を専門に行う部局であり、韓は北朝鮮の工作員が上陸する着岸拠点をつくる秘密任務を与えられた(同p88)。 
60年代の後半から3年か4年かけて韓がつくった着岸ポイントは北海道から鹿児島まで全部で38ヶ所あるという(同p97)。70年代の数年間、韓は何人もの人間を非合法に北朝鮮に送り込み、逆に密かに入国してくる人間の手引きをしたり(甲37p103)、青年同盟政治部副部長として日本の学校に通っている同胞の若者のなかから優秀な人材を発掘して若い活動家を養成する任務を果たしてきた(同p104)。   
韓光熙が総連中央財政局の第二副部長だった86年9月15日、総連中央本部に金正日からマルスムが届いた。そこには総連が、経済的に自立できていなければならないとあった。      
  「この『九月マルスム』は総連にとって、1つのエポックメイキングな出来事と言ってよかった。それまで総連活動家たちには、朝鮮総連は政治団体であり、商売をやるのは格下の一般大衆というような意識があった。いくら商工人が『愛国事業の主人』だといっても、組織の役割はそれを上から管理することくらいに思っていた。ところが、組織が率先して商売をやれ、と本国が言う。我々は面食らったが、敬愛する『親愛なる指導者同志』の命とあらば従わないわけにはゆかない。朝鮮総連は戸惑いながらも、未知の領域に足を踏み出していったのだ。」(同p184) 
  その後、総連は、パチンコをはじめ、地上げ、ゴルフ場開発に乗り出し、民族学校などの民族共有資産を担保に入れて引き出した2〜3000億円もの資金のかなりの部分が全国で手掛けた地上げ(新幹線名古屋駅周辺、吹田市の江坂駅近くの高層ビル、北九州市小倉区の旧市街、高槻市の地上げ)につぎ込まれたはずだという。「つまり、表舞台にこそ顔を出さなかったものの、その当時の朝鮮総連とは日本有数の地上げ屋集団であったということなのだ。」(同p220) 
バブルの崩壊とともに総連のパチンコ事業は破綻し、地上げは行き詰まり、ゴルフ場開発は頓挫した。97年の大阪朝銀の破綻を皮切りに全国の朝銀が破綻したうえ、朝銀京都の成漢慶、朝銀兵庫の徐経植らが逮捕される事態となった(同p239)。   
「総連は祖国と運命共同体のはずであった。祖国あっての総連であり、我々は輝かしい社会主義祖国と偉大なる首領を全身全霊で敬い、奉った。祖国の社会主義統一こそ、我々の悲願であった。……本来、この日本という国にあってアウトサイダーである在日が生きていくこめ、少しでも生きやすくできるよう、生活権を保護・拡大していこうというのが、在日朝鮮人運動の大前提であるはずであった。そのための民族権益擁護団体としての朝鮮総連のはずであった。それがいつのまにか本国だけを見て、本国の意向を寸分違わず反映するのが総連の絶対命題になっていた。」(同p203) 
「このころには、私も組織の活動に対する意欲を完全に失っていた。社会主義への夢も、祖国統一にかける情熱も、すべて泡と消えていた。私を襲ったのは底無しの虚無感であった。……なるようになればいい……。さらに私を責めたてたのは、激しい自責の念である。現在の総連の活動で、ただの一つでも同胞の役に立っていることがあるだろうか。いや、むしろ、やっているのは、同胞に害を及ぼすようなことばかりではないか。……それは、私の人生のすべてを否定することだった。」(同p239)  
6 朴斗(パクトゥ)鎮(ジン) --- 《首領独裁制》による総連の二重構造   
朴斗鎮は、朝鮮大学卒業後、朝鮮問題研究所所員として2年間在籍し、1968年4月から75年3月まで朝鮮大学政治経済学部教員として勤務。その後、潟\フトバンクで孫正義と共にパチンコ経営企画に携わった後、経営コンサルタントとなり、2006年からコリア国際研究所所長となり、北朝鮮・韓国問題、在日同胞問題を研究している。彼は2008年に出版した『朝鮮総連−その虚像と実像』(甲14)の中で次のように述べている。    
「朝鮮総連について言うならば、それは単純な『民族権利擁護団体』でもなければ、組織全体がおどろおどろしい『工作組織』でもない。あえて言うならば『民族権利擁護団体』の中に故金日成と金正日の野望を実現する『非公然組織』が組み込まれた組織なのである。この2つの要素が複雑に組み合わされ、二重構造となることでその実像を見えにくくしている。
     ではこの組織はなぜ二重構造となっているのだろうか? それは北朝鮮が米国を『不倶戴天の敵』とみなし、米国と同盟を結ぶ日本を『敵地』と規定しているからである。故金日成と金正日の野望は、米軍を韓国から撤退させ韓国を支配することにあるが、朝鮮総連は『敵地−日本』で活動するその別動隊と位置づけられている。だからこそこの組織は、建前と本音が異なる二重構造の『閉鎖的組織』となっているのである。」(同p4) 
     「対韓工作活動は民族権利擁護運動の保護幕の中で進められ、偽装された。したがって朝鮮総連の『権利擁護』と『対韓国非合法活動』は手段と目的という関係になっている。主要な目的はあくまで対韓工作であった。それは朝鮮総連指導部が繰り広げた抗争が『権利擁護運動』と全く関係のないものだったことを見ても明らかだ。」(同p7)
   さて朝鮮労働党の規約には、「朝鮮労働党の当面する目的は、共和国北半部において社会主義の完全な勝利を成し遂げ全国的範囲において民族解放及び人民民主主義の革命課業を完遂することにあり、最終目的は全社会の主体思想化と共産主義社会を建設することにある。」とある。
「朝鮮総連はこの目的を遂行するため統一戦線術で組織を拡大させ、日本という立地を最大限に活用して統一達成の『側面部隊』として活動することが義務付けられている。したがって朝鮮総連の権利擁護活動は人道主義から出たものではなく、あくまでも北朝鮮政権主導の統一を実現するための『戦術』であり『手段』なのである。またさまざまな工作部隊の隠れ蓑として利用される運動である」(同p43〜44)
また、朴斗鎮は1999年に発行した『北朝鮮その世襲的個人崇拝思想』(甲53)の中でチュチェ思想に基づく首領独裁制を受け入れた朝鮮総連を批判的に分析して次のようにいう。(甲53p170) 
「キム・イルソン崇拝に使われた〈チュチェ思想〉は、朝鮮総連の活動家から〈自主性〉と〈主体性〉を奪い、彼らを組織の歯車に作り上げ、画一的な機械的人間にしていった。この思想で導かれた朝鮮総連は、統治者の利益を大衆の利益よりも優先させ、大衆に対する奉仕をキム・イルソン父子に対する盲従に変えることによって、それが統治者だけが主人となる思想であることを証明した。
〈チュチェ思想〉は、さらに〈社会政治的生命体論〉と結びつき、朝鮮総連を〈自主原理教〉とも言える社会集団に変え、いかがわしい新興宗教団体のように、在日朝鮮人の財産を収奪していった。そして韓徳銖や金炳植や許宗満のような盲従幹部たちが、キム父子からのおこぼれをもらい私欲を肥やすことが出来る組織に変えていった。朝鮮総連が不動産とパチンコ屋に変身することによって、〈首領独裁論〉と結びついた〈チュチェ思想〉が、人間の尊さを金に換える思想であることも証明することになった。
〈チュチェ思想〉が、権力者の思想として権力と結びついている限り、いくら素晴らしい主張を行っても、それは権力者の本質を隠す衣にしかならない。そして、『建前の思想』として人民大衆を欺瞞する役割しか果たせないだろう。」
  7 黄長Y(ファンジョンヨプ) --- 総連が《金王朝》と手を切れない理由    
    黄長Yは、ソ連のモスクワ大学へ留学し哲学博士号を取得。帰国後は金日成総合大学で教鞭を執り、1965年同大学総長に就任。1970年には朝鮮労働党中央委員に就任し、その後要職を歴任する。金日成の理論書記であり、ゴーストライターであった黄長Yは、金日成が唱えたチュチェ思想を体系化した。学者としても活発に活動し、諸外国に研究サークルを設立してチュチェ思想の普及に務めた。      
1997年、祖国の体制に義憤を覚え、その変革を図る為、中国の北京で秘書の金徳弘と共に韓国大使館に赴き亡命を申請する。この亡命を受けて金正日は黄長Yの親族3000人を一斉検挙し、強制労働収容所に収監した。
黄は亡命後、ソウルを拠点に文筆業、評論家業を営みつつ、アメリカ合衆国を中心に金正日打倒を掲げて活動し、2010年10月9日にソウル市内の自宅で死亡した。 
黄長Yは、亡命後、回想録を執筆し、日本では萩原遼訳『金日成への宣戦布告』(甲46)として出版された。そこでは、金日成の死亡後、人民の間に「泣き競争」と「献花ゴッコ」が発生したことを苦々しく語っている。(同p316)独裁制が人民の振る舞いを監視して洗脳していることの好例である。    
    黄長Yは、萩原遼訳『狂犬におびえるな−続・金正日への宣戦布告』(甲47)の中で北朝鮮統治者と朝鮮総連の活動について次のようにいう。  
「北朝鮮統治者たちは首領絶対制を正当化するために大きくふたつの宣伝活動に力を集中している。そのひとつはいわゆる金日成と金正日の革命活動歴史というものを根拠もなく誇張し、偽造して宣伝するものであり、もうひとつは指導思想である主体思想を封建思想に歪曲して宣伝することである。」
    「北朝鮮は早くから僑胞たちを自分の側に引きつける活動を重要な戦略的問題と認め、この活動に大きな力を傾けた。とりわけ戦後の時期、北朝鮮統治者たちは在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)を結成し、在日朝鮮人僑胞の中で政治活動を活発に行った。その結果、朝鮮総連の中に労働党の支部組織が確固として根を下ろし、朝鮮総連は日本にある小独立国のような社会的地盤をもつようになった。」(同p137)
     「しかし北朝鮮統治者たちは、朝鮮総連を金日成・金正日を偶像化する海外拠点として、対南工作基地として、日本の経済技術の発展を背景とする朝鮮総連傘下の商工人たちを通じた共和国に対する経済技術的援助の源泉として利用した。」
      「とりわけ金正日時代に入り北朝鮮統治者たちは、北朝鮮を政治・経済・文化のすべての面で滅ぼしたように、朝鮮総連を共和国の縮小版に作り上げることによって彼らの活動を全般的に滅ぼしてしまった。なによりも朝鮮総連を民主主義と同志愛の原理を具現した政治団体にして、日本人民に模範を示さなくてはならなかったのだが、北朝鮮統治者たちは朝鮮総連の活動家たちを動員し、在日同胞の中で金日成・金正日に対する偶像化を本国よりもいっそう強化し、朝鮮総連を首領絶対主義的独裁制の一環に仕立ててしまった。」(甲47:『続・金正日への宣戦布告』p139)
    「北朝鮮統治者たちは、祖国統一や汎民族的団結などといいながら、海外僑胞たちを引き入れるためにあらゆる甘言を弄しているが、自国の人民を大量餓死させ、国中をひとつの巨大な監獄に作り上げた人間が、遠く離れている海外同胞を心から愛するということは考えられないことである。」(同p140)
    「事実がこうであるにもかかわらず、在日同胞が北朝鮮統治者と手を切れずに彼らを助け続けている理由はどこにあるのか。そのひとつは朝鮮総連幹部たちの運命が完全に北朝鮮統治者たちの手中に握られているためである。朝鮮総連幹部たちは、例外なく北朝鮮当局者によって任命される。もし朝鮮総連幹部たちが中央の指示に反したり、執行しない場合は、あたかも地方幹部たちを処罰するように呼びつけていくらでも処罰できる。・・・。もうひとつの理由は、ほとんどの朝鮮総連幹部と有力な人士たちが、例外なく北朝鮮当局者たちに人質を取られていることである。北送僑胞が十万名にもなるため、在日同胞の中には北朝鮮に家族や親戚をもつ人たちが少なくなく、また北朝鮮当局者たちは朝鮮総連幹部たちの家族を人質に送るよう圧力を加えている。また、なるべく人質を取っている人たちの中から朝鮮総連幹部を選出している」(同p142)  
8 総括 --- 総連を変質させた4つの“秘薬”
朝鮮総連の地方支部組織である控訴人補助参加人らは、朝鮮総連とは人権擁護団体だという。総連の綱領には国益と同胞の利益が掲げられ、原判決も国益と同胞の利益に奉仕する団体だという位置づけである。
しかし、原判決が「国益と同胞の利益に奉仕する団体」とする点には異議がある。実際の総連は北朝鮮の国益に沿う活動「も」同胞権益擁護活動「も」行うというのではなく、同胞の利益より北朝鮮の国益を優先してきたのだ。北朝鮮主導による南北朝鮮の統一を最終目的とし、同胞の権益擁護はその「手段」に過ぎなかった。人権擁護活動は国策に合致する範囲で許され、国益に反すればいかに同胞の利益となるとしても反対ないし消極姿勢をとってきた。北朝鮮の首領独裁体制に絶対服従し、2011年12月に急死した金正日の権力後継についても、補助参加人らは中央本部の方針に唯々諾々とつき従って三代世襲を受け入れ、金正恩に対する絶対的忠誠を誓った。同胞の権利擁護は「手段」であり、「隠れ蓑」であった。そのことは、指紋押捺拒否運動、朝鮮高校インターハイ出場、日立製作所就職差別訴訟、司法修習生受入拒否事件、外国人地方参政権運動に対する総連の反動的ないし消極的対応をみれば明白である。
在日朝鮮人を北朝鮮の在外公民だと規定する総連にとって在日朝鮮人の法的地位の改善による民族差別是正は、在日朝鮮人に対する北朝鮮ないし総連の求心力の低下を招くものでしかなく、日本国への「内政干渉」などという屁理屈をつけてその欺瞞的態度を正当化してきたのである。 
もっとも、1955年の発足当初、総連は在日同胞の権利擁護、進歩的平和愛好者たちとの連帯などを視野に入れた活動を展開していた。北朝鮮当局との結びつきが強くなり、北朝鮮の支配力が組織の隅々まで浸透するにつれ、いつしか在日同胞の権利権益よりも北朝鮮の国益と政策を優先させる運営を行う組織に変質し、在日同胞の期待を裏切っていったのだった。  
  組織変質の原因として李英和、金賛汀、朴斗鎮ら告発者があげているのは、朝鮮労働党直属の非公然工作組織である『学習組』の発足と『帰国事業』による10万人帰国者の「人質化」であり 、金日成、金正日に対する絶対的忠誠を要求する『首領独裁制』の導入であり、総連が日本各地で地上げやゴルフ場開発を行うことになった『九月マルスム』だった。
李英和の表現を借りれば4つの“秘薬”を呑んだ総連は北朝鮮の縮図のような批判を許さない統制過剰の非民主的組織となり、人民の権益と人権を顧みない北朝鮮の国策=金父子の野望のために奉仕する機関へと変質していったのであった。  
         
第2 金正日「九月マルスム」と朝鮮総連中央会館の競売 
 1 中央本部競売をめぐる周章狼狽(ドタバタ)     
「仏様にちょっと待てと言われたような気がします」。 平成25年5月9日、最福寺の住職・池口恵観法主は、そう語って、3月に45億1900万円で落札した総連中央本部の土地と建物の購入を断念した。これによって、3月26日の落札から1ヶ月余続いた狂騒劇の第二幕は終わりを告げた。つい4か月ほど前のことである。   
   総連中央本部の差押えは、破綻した朝銀信組から整理回収機構が引き継いだ朝鮮総連中央に対する貸付金債権約627億円を回収するために申し立てられたものであった(約627億円の貸付金債権は整理回収機構の請求を認めた平成19年6月18日付け東京地裁判決が確定している−甲64)。朝鮮総連は、整理回収機構に対して影響力を持つと思われた元日弁連会長の土屋公献弁護士を代理人として雇い、緒方重威元公安調査庁長官が代表取締役を務めるハーベスト投資顧問株式会社に本部の土地・建物を売却して差押えを免れようとした。しかし、ハーベスト投資顧問社は購入資金を調達できず、挙げ句、緒方元長官は、なんと詐欺罪で逮捕され、有罪判決を受けるという茶番によって第一幕は閉じられた。  
朝鮮総連は手を尽くして競売回避に奔走したが、奏功せず、平成24年7月、東京地裁はついに総連中央本部の土地・建物に対する競売開始決定を下したのだった。落札した最福寺は当初、朝鮮総連による使用継続をほのめかしていたが、購入断念によって差し入れていた競売保証金5億3400万円は没収されてしまった。碌なことはない。              
   東京地裁は2回目の入札を10月初旬に行うことを決定しているが、中央本部の競売をめぐる周章狼狽劇の第三幕、逮捕劇と没収劇の次はどのような配役と展開を見せてくれるのだろうか。   
2 朝鮮総連が抱えこんだ巨額の負債       
  平成24年7月の総連中央本部に対する競売開始決定のもとになった朝鮮総連に対する債権は、平成9年(1997年)からはじまった朝銀信組の連続破綻のなかで明らかになったものである。 
同年5月の朝銀大阪の破綻を皮切りに全国13箇所の朝銀信組が続々と破綻していった。再編の受け皿となった朝銀近畿も二次破綻するという異例の事態となり、その救済のために日本政府から総額1兆4000億円もの公的資金がつぎ込まれた。朝銀の不良債権は整理回収機構に引き継がれることになったが、そこで朝鮮総連が焦げつかせた巨額の不良債権が判明したのであった。   
整理回収機構は朝鮮総連に対して約627億円の支払いを求め、平成19年6月18日東京地裁は朝鮮総連が主張していた権利濫用の抗弁を排し、請求額全部を認容する判決を下し、同月20日土屋貢献弁護士は控訴しない方針を公表し、やがて判決は確定した。(甲64:判例タイムス)   
朝鮮総連という組織について、その地方支部たる控訴人補助参加人らの主張するところに拠れば、在日同胞の人権擁護活動を目的とし、その生活支援と互助活動等を専らにするものとのことである。その朝鮮総連が、なぜ約627億円もの巨額の負債を焦げつかせてしまったのだろうか。まず、朝鮮総連に巨額の貸付けを行っていた朝銀信組の誕生と破綻から見てみよう。  
3 朝銀信組の誕生と栄枯盛衰      
? 戦後、邦銀からの融資を受けられず苦労した在日商工人たちは、民族系金融機関の設立を目指して動き出し、1952年6月、東京に同和信用組合を設立し、続いて、53年8月、福岡、茨城、そして10月には愛知県には大栄信用組合が設立された。これらの信用組合は、在日の左派系運動団体である在日朝鮮統一民主戦線(民戦)の支援を受けて、民族系信用組合の全国組織結成に動き、1953年11月、「朝信協」を設立した。
? 1955年5月、当時の日本共産党の政治路線(左翼冒険主義)に従属していた「民戦」はその運動方針の誤りから、解散に追い込まれ、「民族派」と言われた北朝鮮に忠実な左翼活動家たちを中心に、朝鮮総連が結成された。
朝鮮総連は在日を代表する組織として、在日のあらゆる階層に自分たちの影響力が行き渡ることを目標にして、女性、学生、商工人などの団体を取り込み、傘下団体としていった。在日朝鮮人青年同盟(朝青)や在日朝鮮人女性同盟のような有力団体から、学生、芸術家、科学者や医師という専門別の団体を組織し、傘下団体に加え、組織を拡大した。
朝鮮総連傘下の有力団体の中では朝信協が最も加入時期が遅かった。朝信協が正式に総連傘下の団体になったのは1961年5月のことであった。  
  ? 1960年3月から1965年3月までに、朝銀信用組合の店舗数は32から65に伸び、預金額は49億円から300億円にと急激な伸びを示した。その発展は、日本経済の好景気と朝鮮総連の在日同胞の影響力によるものである。朝信協がその最盛期を迎えていた1997年(朝銀大阪が破綻した年)、朝信協に網羅された本店数は38、その店舗数は170、同年8月の預金額は2兆2446億円に達し、組合員数は22万2301人を数えた。この預金高は中堅の地方銀行に匹敵するものであった。 
  ? 1997年5月。朝銀大阪の経営破綻があきらかになり、他の多くの朝銀に連鎖反応を引き起した。3100億円の公的資金を投入して朝銀大阪の受け皿となった朝銀近畿の二次破綻(2000年12月)などを経て、計1兆4000億円もの公的資金の投入により、再編統合されていった。その過程にあった2002年3月、「朝信協」は解散した。   
現在存続している「朝銀系」信用組合は、東北地方と北海道の朝銀を統合した「ウリ信用組合」、愛知県など中部地方の朝銀を統合した「イオ信用組合」、九州・山陽地域の朝銀を統合した「朝銀西信用組合」、大阪などを中心とした「ミレ信用組合」、東京、関東地方の「ハナ信用組合」、京都、滋賀の「京滋信用組合」、神戸の「兵庫ひまわり信用組合」の7信用組合に再編統合され、公的資金投入の条件となった朝鮮総連の影響力の排除がすすめられた。  
4組合に日本人理事長が就任し、それまで各信用組合の人事権を楯に「朝銀」に強力な影響力を行使していた朝鮮総連の影響力は衰え、現在では総連の引力圏から離脱したといわれている。 
? 朝銀信組の破綻について朝鮮総連中央常任委員会は自身が発行した『朝鮮総連』のなかで次のように述べている。(甲66p101)  
「1990年代初めに起きたバブル経済の崩壊以後、金融業界をめぐる環境も激変した。多くの金融機関が倒産する事態が起きる中で、日本の金融政策が大きく変り、『金融自由化』、合併・再編する方向に進んだ。このような状況に即して同胞信用組合も、自らの機能と役割を強化するために、1997年から合併・再編された。」 
   そこでは「九月マルスム」を押し進めた朝鮮総連中央は傍観者のようである。その責任はみごとにスルーされている。朝銀破綻の原因は、すべてバブル経済の崩壊と日本の金融政策の変化といった朝鮮総連の外部にあるかのようである。本当のところはどうなのだろうか。        
 4  仰天の「九月マルスム」−地上げ屋となった朝鮮総連  
? 北朝鮮経済の破綻  
 朝銀信組が破綻した遠因は北朝鮮経済の破綻にあった。70年代に入り、北朝鮮の経済は停滞をはじめ、やがて極度の経済不振に陥るが、そんな中にあっても金正日は「チュチェ思想塔」「凱旋門」 などの巨大建築を続けていった。80年代に入り、それまで融資を受けていた日本や欧州の外国金融機関からの借金を返済できなくなって新たな融資を拒否され、仕方なく、資金を在日同胞からの献金に求めることになった。
日本からの帰国者は貴重な外貨の獲得源とみなされ、1984年には「帰国者愛国運動」により、帰国者は持ち帰った外貨について愛国心の発露として寄付を求められ、事実上没収される憂き目にあい、日本に残った親族に対し、日本円の送金を求めた。(甲55:週間朝日「『愛国日本円』の効果」) 
? 仰天の「九月マルスム」    
金正日の「九月マルスム」が出るまでは、朝鮮総連が朝銀から巨額の融資を受けなければならないという状態はなかったという。
1986年9月15日、金正日は総連に対し、「現実発展の要求にそくして朝鮮総連事業をいっそう改善強化することについて」との談話を行った(甲66:総連中央発行『朝鮮総連』p162)。
「九月マルスム」である。その内容は、「総連が組織として自立するためには、商工人からの献金や同胞のカンパ、そして北朝鮮の援助に頼るのではなく、自立できる経済的な基盤を確立しなければならない」という指示であった。手っとり早くいえば、総連が自ら商売をして金儲けをしろという命令である。
総連では連日のように関係部署での会議が開かれた。財政担当副議長に許宗萬が抜擢され、事業計画を推進した。全国の朝銀を総連中央の指示に完全に従わせるため、朝信協を「財政委員会」が直接支配できるよう、中央集権体制を強化した。そして在日朝鮮人がノウハウを持つパンチコ店経営と不動産・地上げといった社会的には胡散臭い目で見られている商業活動に邁進することになった。  
   ? 日本有数の「地上げ集団」となった朝鮮総連  
  金正日の「九月マルスム」によって総連が乗り出した事業は、パチンコ、地上げ、ゴルフ場開発だった。これらは巨額の資金を必要とするが、朝鮮総連が支配していた朝銀を財布代わりに用い、朝鮮学校などの在日同胞の総有資産を担保に入れて巨額の資金を引き出した。それらのかなりの部分が全国で手掛けた地上げ(新幹線名古屋駅周辺、吹田市の江坂駅近くの高層ビル、北九州市小倉区の旧市街、高槻市の地上げ)につぎ込まれたはずだという。「つまり、表舞台にこそ顔を出さなかったものの、その当時の朝鮮総連とは日本有数の地上げ屋集団であったということなのだ。」(甲37:『わが朝鮮総連の罪と抜』p220)  
     当初はバブル景気に乗って順調にみえた事業も90年代になってバブルがはじけるとともに、総連によるパチンコ業、各地での地上げ、ゴルフ場開発はどれもこれも行き詰まり暗礁に乗り上げた。総連事業に対して巨額の融資を行ってきた朝銀は1997年5月の朝銀大阪の破綻を皮切りに連鎖的に破綻していく。    
  5 同胞総有資産の担保提供   
? 本部物件の担保差入  
    朝鮮総連の地方本部でも「マルスム」以降、本部建物を担保に阻止の運営資金や投機資金を朝銀から借り入れた都道府県本部が多かった。東京本部、大阪府本部、滋賀県本部、愛知県本部、西東京本部、宮城県本部などが「マルスム」以降、中央機関と同様、本部の土地建物などを担保に、朝銀から融資を受け「商売」を始めた。やがてそれらの「商売」が失敗したとき、朝銀破綻のあおりを受け、本部建物を差し押さえられた。(同p169)    
   総連大阪本部も同様で、整理回収機構の競売対象になっている大阪本部の土地建物はせいぜい4億円ほどの評価であるにもかかわらず、1998年時点で大阪朝銀から11億8000万円もの融資を受けていた。(甲65の1〜3) 
    これら地方本部が「商売」を始めなければならなくなったのは総連自らの判断と決断ではなく、やはり金正日の「マルスム」によるもので、このような「絶対的命令」を出した金正日の罪は重い。(甲60『将軍様の錬金術』p171)  
? 同胞資産の売却  
    京都市の桂に、在日朝鮮留学生同盟(留学同)の桂寮があった。1960年代以降、関西地方の大学に学んでいた地方出身の学生が、安い寮費で生活できた朝鮮総連関連施設である。この寮の土地・建物が1990年代に売却された。留学同OBが、その情報を聞きつけ、在日同胞の共同財産である学生寮を勝手に売り払って良いのか?そんな馬鹿なことを京都本部は承知しているのか、と京都本部に抗議して来た。京都本部の委員長は経済的な理由で寮は閉鎖されたと聞かされていたので、売却されたという話に驚いた。調べてみると実際に処分されている。そこで総連中央に「桂寮は苦学する同胞学生支援のために京都や大阪の同胞が苦労して、金を集めて建てた建物だ。それを関係者の了承も得ないで、勝手に処分するとは何事だ」と抗議した。抗議に対しては何の返事もなく、数カ月後、この委員長は職を解かれた。(同p182) 
?  民族学校施設の担保差入れ 
    1993年ごろになると、総連が学校や総連関連土地・建物を勝手に担保にして金を借りまくっている、という噂は在日の関係者の中にじわりと流れた。これを聞いた地方の民族学校関係者の中には恐慌をきたし、密かに法務局に出かけ、自分たちの管轄下にある民族学校が担保に入っていないかどうかの調査を始めた。その結果、京都朝鮮初中級学校、東京朝鮮第八初級学校、大阪生野朝鮮初級学校などが担保に入っていることが判明した。その概要は次のとおりである(1999年10月現在)。(甲14p146) 
      (物件)        (借入先)    (借入額)
   京都朝鮮初中級学校   東京リース梶@        40億  
    大阪近畿学院      住宅ローンサービス        40億 
    生野朝鮮幼稚園     朝銀大阪            18億
大阪生野朝鮮初級学校  大阪私学振興会          2億
北大阪初中級学校    朝銀大阪          5900万
東大阪第四初級学校   大阪府私学振興会       2340万   
    東大阪中級学校     大阪府私学振興会         2億
神戸朝鮮高級学校    東京私学財団      10億
和歌山朝鮮初中級学校  朝銀和歌山            3億
舞鶴朝鮮初中級学校   朝銀近畿舞鶴支店        50億
    東京第八初級学校    大同生命保険       42億
    総連中央学院      北海道拓殖銀行        100億 
    朝鮮大学第二グランド  朝銀東京・愛知・京都・兵庫  109億
バブル崩壊後、朝銀が破綻しても、これらの担保が帳消しになる訳ではない。最悪の場合は競売にかけられることになる。金を借りた総連中央の幹部たちは誰もその責任をとろうとしなかった。そのことがやがて許宗萬責任副議長に対する内部批判と粛清の嵐となって吹き荒れることになる。 
6 中核組織「学習組」による朝銀支配    
  ? 人事権支配の構図       
総連加入当時、多くの朝銀関係者は朝銀の独自性が失われるとは考えていなかった。愛知県の大栄信用組合の時代からの朝銀職員は次のようにいう。「大多数の職員は組合の人事権−役員は組合員である同胞が、総代会で決定し、理事も選任していたので、人事権がなくならないことから、独立した企業として、運営できると考えている人が多数で、総連に加盟することで、総連の支持を得て事業が発展すると考えていた。」   
しかし、「それはやはり甘かったですね。加盟当初は『指導』も強くなかったのですが、徐々に支配力は強まって行きました。朝信協が『富士見町』(東京・総連中央本部の所在地)の指導を受けて指示を出す、それに組合が従わざるを得ない構図が造られていきました。その構図を可能にしたのは、組合員のほとんどが総連の会員ということで総代会が総連の指示に従い構図が造られたのと、各組合に『学習組』という秘密組織が造られていったからでしょう」(同p28)。
? 学習組の誕生   
  学習組の誕生の背景は、朝鮮総連をめぐる日本共産党と朝鮮労働党の主導権争いである。総連結成当時、韓徳銖たち「民族派」は「民戦」の主流派と激しく対立していた。「民対派」は在日朝鮮人の解放を達成するためには日本共産党の方針に従い、武力による「日本の解放」を達成する以外に道はないとする考え方で、「左翼冒険主義」と呼ばれる激しいデモ行動などで日本政府や占領軍と鋭く対立する活動方針を採っていた。 「民族派」はその方針が誤っていると主張して「路線転換」の旗印を掲げ「民戦」主流派と対立した。
  ところが「民対派」の拠り所、日本共産党の「左翼冒険主義」は国際共産主義運動の強い批判を受け、運動方針を転換せざるを得なくなり、「民対派」は沈黙を余儀なくされた。  こうして在日朝鮮人左翼運動は「路線転換」で「民戦」に替わる、新たな組織「朝鮮総連」の結成で決着が付き、韓徳銖たちが、総連の主流を占めた。   
反主流派に転落したとはいえ「民対派」は、総連内部で隠然たる勢力を誇示し、朝連、民戦時代に、組織内で絶大な力を持っていた「前衛組織」―― 共産党細胞を総連内に設立すべきだ、という主張で巻き返しを図った。
朝鮮労働党は日本共産党に働きかけ、日共幹部の協力を得て、朝鮮人党員を納得させようとした。仲介の労をとることになった日本共産党の第一書記野坂参三は、韓徳銖を料亭「明月館」に呼び、「前衛組織」を朝鮮労働党の日本分局としてではなく、総連の内部学習組織として設置することを助言した。そして、その翌月開かれた「全国共産主義者代表懇談会」では、かつて日本共産党に所属していた幹部級の朝鮮人党員たち70名が参加し、総連内に「朝鮮労働党政策学習会」を造ることが承認された。これが「学習組」と呼ばれることになる。
建て前は日本共産党の顔も立てた上での、朝鮮労働党の政策学習会ということであるが、実態は朝鮮労働党の日本分局として機能させることだった。(甲60:『将軍様の錬金術』p33)  
  ? 「学習組」の規約と実態 
1958年5月、朝鮮総連第4回大会で、活動家が3人以上いる機関には義務的に「学習組」を組織することが決定された。当時全国に360の学習組が存在し、その「組員」は3000人ほどであった。1960年に新たに「学習組規定」が秘密裏に制定され「学習組」は朝鮮労働党の政策学習会から、朝鮮総連内部の非公然組織となった。この組織は朝鮮革命を成し遂げるための、大衆を指導する総連内部秘密前衛組織であった。(甲60p33〜34)  
学習組は北朝鮮の政策を疑問視する少数意見や、組織の決定に不満を持つものに対する自己批判を要求し、糾弾する場として利用されていく。学習組は組織を監視し、お互いが自由に発言できないような雰囲気を作り出し、時の権力者に異議を持つ者、従わない者に自己批判を迫る場に利用されていった。前衛組織として「自己犠牲」「公平」「向上」「正義」などの具現の場としての「学習組」は影をひそめ、陰湿さと愚昧さが支配する糾弾と保身の場に変質してしまった。(同p35)            
朝銀破綻の最大の要因は総連が「学習組」を朝銀支配の道具に使い、人事権を振り回し「イエスマン」を理事長に就任させ、融資を引き出す放漫経営と、それらの一部を北朝鮮に「献金」する歪んだ状況から生み出された。(同p43) 
? 「学習組」の解散と復活    
   朝銀破綻の後、公的資金の投入による救済に動いた金融庁は、朝鮮総連との関係を絶つことを救済の条件とした。2002年4月、再編後の受け皿となるべく認可された4信組の理事長全員が総連の中核組織「学習組」の組員であることが国会で追及され、金融庁の知るところになった。朝鮮総連は日朝国交正常化後の利権を視野に入れて動いていた自民党の大物議員らを籠絡し、非公然の学習組の幹部を送りこんでも公的支援は受けられると踏んでいた。しかし、世論は朝鮮総連に厳しく、学習組加入者の理事長就任は総連との強い支配関係がある証拠だ、と断じた。この難局に対し、総連は学習組の解散という処置を取ることで解決しようとした。(甲60p208〜210)
8月総連中央は突然学習組の解散を通達した。この通達を受けた現場は呆然とした。形骸化し、「革命的気質」が失われたとしても、学習組は朝鮮総連の中核組織であり、金正日に忠誠を誓う、総連の精鋭組織だったからである。金正日には、たとえ学習組を解散してでも、ハナ信組などへの総連の影響力は温存したいとの思惑があったからだろう。(同p211)
   これには後日談がある。 
解散されたはずの「学習組」が「学習班」と名称を変えて現在復活し、総連組織の指導部に君臨している。大衆化した「学習組」の弊害から学んだのか、少数精鋭で秘密裏に組織されたという。「学習組」の解散は朝銀死守の方便としてとられた一次的な処置にしか過ぎなかった。(同p212)
7 許宗萬体制に対する内部批判と粛清の嵐   
 ? 在日朝鮮人同胞の相互扶助の結晶であり、同胞商工人の頼みの杖だった朝銀信組を崩壊させたうえ、朝鮮総連の象徴ともいえる総連中央本部の競売という事態を招いた朝鮮総連の最高幹部、許宗萬責任副議長は、しかし一切の責任をとることなく総連中央常任委員会副議長のポストに君臨し続け、二代目議長であった徐萬述の死後、2012年5月に三代目議長に就任した。当然のことながら、その責任を問う声があがったが、許宗萬は批判者を徹底的に粛清することで強権的に批判を封じ込めようとした。      
 ? 2007年9月5日付け「総連中央会館売却事態に対する我々の見解」 
   2007年5月31日に総連中央会館がハーベスト投資顧問株式会社に売却されていたという事態を受け、元総連中央監査委員会副委員長の鄭文策、元朝信協会長の李範洛、元総連中央経済局副局長の崔益佑及び元朝日輸出入商社社長の朴應星の4名は総連中央に対し、2007年9月5日付けで、「総連中央会館売却事態に対する我々の見解」(甲67の2)を提出するとともに面談を求めた。
見解の要点は、この度の中央会館売却問題を受け、627億円と売買交渉過程で詐取された4億8400万円を含めた莫大な借金をつくり、中央会館が奪われる原因をつくったのは主に許宗萬責任副議長の責任ではないのか、などというものであった。 
これに対する総連中央の対応は徹底していた。朴應星1名を呼出し、「提起してきた意見は中央に対する挑戦であり、非組織的策動である。中央の警告にもかかわらず、引き続きこのような行動に出るならば組織的な措置をとる」とする一方的かつ高圧的なものであった。そして後日、地方本部に対し、「不純な敵対分子」「非組織的妄動」と烙印を押し、「これに強く打撃を加えること」に加えて「総連組織と同胞居住地において孤立させ、足の置場さえなくせ」との指示が出された。
 ? 2011年2月9日付け「許宗萬を退陣させ、本当の民族教育を取り戻そう!」
  2011年初頭、エジプトの独裁者・ムバラクの退陣を叫び毅然として立ち上がった数十万民衆の蜂起を受け、「朝鮮総連の改革と民族統一・志向会」は、「許宗萬を退陣させ、本当の民族教育を取り戻そう!」(甲67の4)という声明を発表した。
   朝鮮学校では慢性的な経営難が続いていた。そこに「高校無償化」問題が出てきて、将軍さまの「どんなことがあっても無償化を勝ち取れ」の指令が伝達され、「高校無償化を朝鮮学校にも適用せよ!」の闘争が展開された。思いがけなく世論の反対に出会うなか、それでも民主党政府が「教科書の内容改定」と「経理透明化」を条件に、支給に踏み切ろうとした。
しかし総連中央は、「断固拒否、無条件適用」の方針を打ち出した。そんな最中に延坪島事件が起こり、民主党政府は世論に圧された形で適用を停止した。中央の「無条件適用」の強行方針は、現場のイルクン(専従)たちの反撃にあい、返答にたじたじだったという。強行方針が災いして高校無償化どころか日本の各自治体からの補助金が次々と凍結される憂き目にあうことになった。  
 ? 2011年3月8日付け「『中央会館』を売り渡した許宗萬責任副議長を糾弾する!」
   「朝鮮総連の改正と民族統一・志向会」は、在日同胞に向けて2011年3月8日付け声明「『中央会館』を売り渡した許宗萬責任副議長を糾弾する!」(甲67の5)を発表した。
   要旨は次のとおりである。
マスコミを通して「総連中央会館売買事件」を知った前中央幹部たち有志は、総連会員と同胞の意思を代表して許宗萬責任副議長に対する抗議運動を起こした。しかし中央は、このような意見には一切耳を傾けなかった。そればかりか、中央に抗議に出向いた人たちを罵倒し、例のごとく、「不純敵対分子」「非組織的妄動」とのレッテルを張り同胞社会から孤立させ、帰国した肉親を人質に脅迫・懐柔するなどの卑劣な行為を繰り返した。多くを語るまでもなく、許宗萬の今までの説明と釈明を信じる人も幹部もいない。誰が何のためにお金を集めたというのか?どのような手法で金を作ったのか?その金はどこへ流れ て行ったのか?朝銀の破綻と整理回収機構へ移った627億円の借金の原因が何なのか?その元締めが許宗萬でありました。総連イルクン(専従活動家)はもちろんのこと総連同胞の誰一人として、この事実を知らない人はいません。ましてや、「中央会館売却事件」発覚後、私たちの脳裏にインプットされたのは事件に群がっていた輩共の面々とその正体だった。同胞の衝撃もさることながら、長い間の日本人支援者までもが、「これでも民主主義や権利擁護、友好親善を唱えてきた総連ですか?暴力団とどこが違うのですか?」と失望をあらわにした。
     許宗萬の「悪徳総合商社」が朝銀を徹底的に利用、収奪し、金正日に貢ぎあげて破綻させてしまったのだ。パチンコ業は全国38の朝銀を資金調達元とし、200億円以上がつぎ込まれ、ずさんな経営と北朝鮮への献金のため、その後、ほとんどが廃業。地上げは、総連の資産や学校を担保に莫大な資金を朝銀や日本の金融機関から調達し、有名な名古屋駅前、吹田市江坂の地上げ等々、資金を裏社会からも引っ張ったりしてトラブルを起こす、ゴルフ場開発では石部カントリーは朝銀京都に100億円の負債を、大月西カントリーでは朝銀東京の35億円の負債を残した。京都朝銀の負債は、その後の朝銀近畿の二次破綻の原因となり、暴力団のからみで血の雨が降っても不思議でないほどのおぞましい事件となった。
    これらはほんの一例にすぎず、数えられないほどの犯罪的行為が繰り返された。許宗教萬体制に組み込まれて歩んできた総連事業の悪夢のような数十年、わけもなく金正日独裁の収奪の対象となった同胞の辛苦と艱難を思うと胸が痛む。同時に、金独裁の忠実な下僕である許宗萬に、人間としての尊厳を踏みにじられ利用され財産を奪われてきたことを考えると、こみ上げる憤りを抑えることができない。私たちは、ほんとうの総連、在日同胞の権利擁護団体としての真実の総連を取り戻さなくてはならない。 
8 総括 ―― 同胞人権擁護団体にあるまじき 
控訴人補助参加人らは朝鮮総連について「在日朝鮮人同胞の民族的な権利を守り、差別からの開放に向けて活動してきた公益団体」だという。 
しかし朝鮮総連の実像は控訴人補助参加人らがいうような単なる人権擁護団体ではないのだ。  
それは個人独裁と無慈悲な人権弾圧が国際的に非難されている金正日将軍を神格化して隷従し、同胞会員にも金王朝への絶対的忠誠を求め、金正日のお言葉(マルスム)を忠実に実行する受命機関である。「われわれは、愛族愛国の旗のもとに、すべての在日同胞を朝鮮民主主義人民共和国のまわりに総結集させ、同胞の権益擁護とチュチェ偉業の承継、完成のために献身する」ことを綱領に掲げ、北朝鮮の擁護と北朝鮮の国益を自らの使命とする政治組織である。それが単なる人権擁護団体であるはずがない。  
自分の頭で少し考えれば分かる。単なる同胞人権擁護団体が627億円もの負債を抱え込むだろうか ―― ありえない。 
公益活動を目的とする団体が全国にパチンコ店を開業したり、ゴルフ場開発に邁進したり、あるいは、暴力団が絡む地上げに関係したりするだろうか ―― ありえない。 
同胞の相互扶助を旨とする組織が、ゴルフ場開発につぎこむ巨額の資金を捻出するためにウリハッキョ(民族学校)を担保に差し出したりするだろうか。そして、その挙げ句、全ての事業に失敗し、在日商工人の血と汗の結晶である朝銀信組を破綻させたりするだろうか ―― ありえない。
  朝鮮総連は北朝鮮の縮図だといわれる。三代世襲の金王朝の個人独裁が北朝鮮を支配しているように、金王朝の支持を受けた最高幹部が、死ぬまで中央常任委員会議長の座にとどまり、批判者は粛清され、一切の異議は封じられるのだ。
体制に異議を唱えるものには、「不純分子」などの侮蔑的なレッテルを貼って同胞社会から容赦なく排除する。そこには民主主義のかけらもない。人権擁護は民主主義と切り離せないものではなかったか。   
朝鮮総連中央幹部は、組織改革を訴えるものに対しても無慈悲な人権侵害を加える。近畿人権協会会長だった洪敬義に対してなされた朝鮮総連の卑劣な仕打ちは、総連が人権の理念と正反対の本質を持つ組織であることを暴露した。    
結局、朝鮮総連は、単なる人権擁護団体ではなく、チュチェ思想という北朝鮮の独裁体制を礼賛する思想を全ての活動の指針とする閉鎖的で中央の指示によって統制される政治団体である。 
そこでは熾烈な権力闘争が繰り広げられてきた。民主主義が機能していないからである。金正日のバックアップによって権力闘争に勝ち残ってきた許宗萬であったが、自らが音頭をとって展開したパチンコ、地上げ、ゴルフ場開発の事業が全て失敗し、同胞商工人を支えてきた朝銀組織を崩壊させ、総連の象徴である総連中央本部の競売を許したことに対する批判に揺らぎはじめている。
許宗萬ら総連中央による総連運営に対する批判の声は根強い。総連中央に対する不満と失望から組織を離脱した在日朝鮮人は多い。改革を訴えて除名されたものも少なくない。現在、総連に残っている在日朝鮮人は、総連の傘下団体ないし傘下企業に職を得ているか、北朝鮮に帰国した家族や親戚を人質にとられている者ばかりだという。血縁者総連の会員数は年々減少の一途をたどり、いまや最盛期の1割を大きく下回っているとされている。 
朝鮮総連の離脱者や除名された者たちに対する態度は冷たく、厳しい。組織の独裁的運営はその組織を閉鎖的なものにする。離脱者や除名された者たちが、組織を離れた後も能天気に朝鮮総連の支部として使用されている施設を利用するとは思えない。朝鮮総連の支部である本件各施設が在日朝鮮人一般に開かれた公民館類似の施設だとはとてもいえない。 
                                  以上 

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平成25年(行コ)第15号 
固定資産税及び都市計画税減免措置取消請求控訴事件(住民訴訟)
控訴人   大阪市        
被控訴人  ●●●●      
控訴人補助参加人 在日本朝鮮人総聯合会大阪府生野西支部 外10名

                
準備書面3(被控訴人)
                
   平成25年9月17日
(次回期日:平成25年9月25日)

大阪高等裁判所第1民事部E係 御中  
   
              被控訴人訴訟代理人 
弁護士  コ  永  信  一
   





  
     各論(各施設の公民館的使用について)    







目次
   1 施設1:「旭都朝鮮人会館」  ………… p3
   2 施設2:「西朝鮮人会館」 ………… p8  
   3 施設3:「大港朝鮮会館」 ………… p10 
   4 施設4:「西淀川朝鮮人会館」 ………… p17   
5 施設5:「東淀川朝鮮人会館」 ………… p21 
   6 施設6:「東成朝鮮会館」 …………… p22
   7 施設7:「中本朝鮮会館」 …………… p26 
   8 施設8:「生野西朝鮮会館」 …………… p27  
   9 施設9:「朝鮮総連大阪府生野西支部北鶴橋分会」 ………… p30 
   10 施設10:「朝鮮総連大阪府生野西支部朝鮮市場分会」 …………… p31
   11 施設11:「生野東朝鮮会館」 …………… p32 
12 施設12:「中西朝鮮会館」 …………… p35 
   13 施設13:「巽西朝鮮会館」 …………… p38 
14 施設14:「在日本朝鮮人総連合会中西支部巽北分会」 …… p40 
   15 施設15:「城東朝鮮会館」 …………… p41 
   16 施設16:「住吉朝鮮会館」 …………… p45 
   17 施設17:「百済朝鮮人会館」 …………… p47 
   18 施設18:「総連東阿矢田分会」 …………… p49
   19 施設19:「東阿朝鮮人会館」 …………… p50 
   20 施設20:「南開朝鮮会館」 …………… p53 




 1 施設1:「旭都朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府旭都支部)  
  ? 原判決   
原判決は、施設1の使用状況につき、「施設1は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設1における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「年間計画書が提出されていたものの・・・上記年間計画書使用団体等の属性が明らかではなく、施設1が朝鮮総連の活動以外の在日朝鮮人一般の使用に供されているか否かを判断するための具体的な資料としては不十分である。なお、施設1が朝鮮総連大阪府旭都支部として使用されていることからすると、同年間計画書における会議、婦人会ミーティング、青年会ミーティング等の記載は、朝鮮総連としての活動と推認される」。「施設1の一部については、本件減免措置後にその一部が減免対象から除外されており、施設管理者による説明の信用性にも疑義があること等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして、本件減免措置(施設1)の違法を認めた。 
  ? 新証拠の提出  
補助参加人らは控訴審になって旭都支部が保管している名簿(丙1の2)や季刊誌(丙A1の3〜6)及び2004年から2010年まで朝鮮総連大阪府本部旭都支部の委員長を務めた康昌明(現総連中西支部委員長)の陳述書(丙A1の8)を証拠提出してきた。なお、康昌明の陳述書の内容は、全くの出鱈目であり、本当の作者が不明であることは?で述べる。     
? 名簿の作成   
補助参加人らによれば、旭都支部では独自に名簿を作っているという。名簿は朝鮮総連の組織の単位である「分会」ごとに作成されており、この名簿をもとに行事案内等を送るなどしているという。  
旭都支部が作成し、保管している名簿は、支部会員ないし分会会員名簿にほかならない。そうだとすれば、名簿の作成は旭都支部野の活動そのものであり、名簿は旭都支部の活動や行事の通知や季刊誌の送達などに利用されていると解される。名簿に記載されていない朝鮮総連の会員ではない一般の在日朝鮮人(国籍を問わない)や民団会員には通知や行事の案内はなく、知らされることはないのである。  
  ? 松竹会 
    施設1の2階会議室・大では、1カ月に2回程度、老人会である「松竹会」によるお茶会が開かれているという。旭都支部が作成した「年間計画」(乙A1の5)にも「松竹会」のお茶会や協議会の記載がある。
    原判決が正当に認定しているように「年間計画」における会議等の記載は、朝鮮総連としての活動と推認されるところ、2008年3月には、民団都島支部老人会との合同で、梅見物の一日旅行が行われたというのであるから、「松竹会」の活動が朝鮮総連旭都支部としての活動であることは明らかである。  
? 婦人会会議 
    施設1の2階会議室では婦人会会議が行われているという。乙A1の5の「年間計画書」には毎月1回「婦人会ミーティング」の記載があり、これが補助参加人らが主張する婦人会会議に該当するものと思われる。婦人会会議とは朝鮮総連傘下の組織である在日本朝鮮人女性同盟(女性同盟)の定例会議にほかならない。  
原判決が正当に認定しているように「年間計画書」に記載された婦人会ミーティング等の記載は、朝鮮総連の活動と推認され、総連以外の在日朝鮮人一般の活動として認めることはできない。 
? 青年会会議
施設2の2階会議室では青年会会議が行われているという。「年間計画書」には「青年会ミーティング」の記載があり、これが補助参加人らが主張する青年会会議に該当するものと思われる。青年会会議とは朝鮮総連の傘下組織である在日本朝鮮人青年同盟(青年同盟)の会議にほかならない。
原判決が正当に認定しているように「年間計画書」に記載された青年会ミーティング等の記載は、朝鮮総連の活動と推認され、総連以外の在日朝鮮人一般の活動として認めることはできない。 
  ? ハングル教室
    施設2の2階会議室・大では、日本の学校に通っている中高生を対象にハングル教室をひらいているという。    
    乙A1の5の「年間計画書」にはハングル教室らしきものの記載がない。平成20年4月22日に行われた実地調査における康昌明の説明にも全く出ていない(乙A1の1)。  
    原判決においても施設管理者である康昌明の説明の信用性には疑義があるとされており、補助参加人らが主張するハングル教室の使用については、これを認めるに足りる証拠がない。 
? 花見会議 
施設1の2階準備室・大や3階多目的ホールは、婦人会が中心となって恒例行事である「花見」の準備のために使用されるという。花見は民団支部と共催する行事であり、新年会のメンバーと民団からの参加者が参加するという。     
「花見」行事の名称は「旭・都島アリラン桜まつり」というものであるが、それが「総連旭都支部・民団都島支部共同開催」によるものであることは旭都支部が発行していた季刊誌に掲載されているところである(丙A1の3A)。
結局、恒例行事である「花見」は朝鮮総連旭都支部としての活動であり、婦人会による準備も総連の傘下団体である女性同盟旭都支部としての活動であり、それらが在日朝鮮人一般による使用ではないことは明らかである。 
? 大阪市会議員慰労の会の準備
2007年には大阪市会議員慰労の会が行われたという(丙A1の4@)。旭都支部の委員長が冒頭で挨拶をし、勇退する市会議員と後継者が日朝国交の正常化の必要を強調していることからみて、同慰労会が旭都支部としての活動であると推認することができる。        
? 地域同胞生活相談   
朝鮮総連は広報誌やホームページ等で「同胞生活相談総合センター」を各所で運営しているとしている(甲66p94)。
「総合センターは、同胞の日常生活において提起される様々な問題にたいする相談を受け付け、日本各地に広がっている朝鮮総連のネットワークを活用して案件解決をサポートする総合的な同胞生活奉仕機関である。」
「朝鮮総連の有力な同胞生活奉仕システム、常設的な相談窓口であり、同胞の民族的きずなを強化するための手段である『同胞生活相談総合センター』は、1999年9月の朝鮮中央委員会大18期第3回会議拡大会議を契機に、各地の朝鮮総連支部などに設けられた。」
「また、朝鮮総連支部と分会、商工会と女性同名の役員と有資格者が相談員となり、同胞の家々を訪ね生活相談を受け、『同胞生活相談総合センター』との連携を結ぶなどの便宜をはかっている。」
すなわち、「生活同胞相談センター」の活動は、朝鮮総連の活動そのものである。   
? 老人会忘年会 
 老人会である「松竹会」が参加人数に応じて2階会議室・大か3階多目的ホールを使って忘年会を行っているという。「年間計画書」にも松竹会の忘年会が記載されている。「松竹会」の忘年会は総連旭都支部としての活動であるといえる。
 ? 季刊誌発刊  
   旭都支部は2007年〜2008年頃は、1年に3回季刊誌を発刊していたという。その内容は総連旭都支部の活動報告であり、季刊誌の発行は旭都支部としての活動そのものである。 
   例えば、平成19年1月7日に行われた「地域同胞住民新年会」(乙A1の5)のことが報告されている。そこには「1月7日、支部新春の集いがハッキョの講堂で行われ」とあり、それが支部活動であることがうたわれている(丙A1の3@)
例えば、平成19年4月8日の「旭都・都島アリラン桜まつり」も「総連旭都支部・民団都島支部共同開催」行事であることがうたわれ、それが支部としての活動であることが示されている。 
? その他のイベント準備
朝鮮総連の支部である補助参加人らは、その他のイベントとして敬老チャンチ、成人式、卓球大会、マラソン大会の準備や打ち合わせのために2階会議室等を使用したことを主張している。
季刊誌には、旭都支部の活動として「敬老チャンチ」や「成人式」の様子を奉じている。「敬老チャンチ」は総連と女性同盟支部役員が準備したものであり、「成人式」は旭都・河北・城東支部の合同企画であるという(丙A1の5@A)。卓球大会とマラソン大会については季刊誌では確認できないが、2011年、2012年のマラソン大会で「旭都支部チーム」が優勝したというのだからそれも支部の活動だと断じてよいだろう。
「敬老チャンチ」等の行事が旭都支部としての活動であるならば、その準備や打ち合わせも朝鮮総連の活動であることは明らかである。 
 ? 陳述書の作成者は誰だ?    
    丙A1の10の陳述書には旭都支部委員長をつとめた「康昌明」の署名がある。陳述書は「私は、2004年から2010年まで、朝鮮総連大阪府本部旭都支部委員長をつとめました。」で始まっている。しかし、その4行下には、「私は、旭都支部の代表として、以下2008年度の利用実態を中心に述べます」として、「2008年度の施設1の使用状況については、当時の旭都支部の康昌明前委員長から引き継ぎをうけています」とある。明らかに「私」は2人居る。 
陳述書を作成したのは誰だろうか。署名者は本当に康昌明なのだろうか。康昌明は本当に陳述書に目を通したのだろうか。現在の委員長の名はなんというのだろうか。前委員長は同姓同名なのだろうか。いずれにしてもこの奇天烈な陳述書に信用性を認めることはできない。     
 原判決は施設管理者の康昌明による説明は信用性に疑義があると指摘しているが、この出鱈目な陳述書をみていると益々その感は強まるばかりである。   
 ? 小括
   結局、提出された新証拠を勘案しても、施設1の使用の大半が朝鮮総連とは無関係な在日朝鮮人一般によるものだと認めることはできないのであり、施設1の公民館的使用を否定した原判決の判断は揺るがない。
2 施設2:「西朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府西支部)   
? 原判決
原判決は、施設2の使用状況につき、「施設2は、朝鮮総連大阪府西支部として使用されているものであって、施設2における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「本件減免措置(施設2)がなされた当時、使用状況に関する資料及び調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」とし、「また、減免措置後に『西朝鮮会館 月 予定』と題する書面が提出されているが、同書面は施設の使用に係る予定を記載したものに過ぎず、同書面の記載自体も、使用頻度、曜日、昼もしくは夜に使用する旨及び使用目的等がごく簡単に記入されているに止まるから、施設2が朝鮮総連の活動以外の在日朝鮮人一般の使用に供されているか否かを判断するための具体的な調査資料としては不十分であるというほかない。なお、施設2が朝鮮総連大阪府西支部として使用されていることからすると、同書面における協議会や青年部交流会等の記載は、朝鮮総連支部としての活動と推認される」などとして、本件減免措置(施設2)については、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であると認定した。 
 ? 新証拠の提出     
補助参加人らは控訴審になって西支部委員長の洪性彦の陳述書(丙A2の2)を提出してきた。2008年当時は西支部の副委員長を務めていたという。   
  ? 2階の使用
     陳述書によれば、施設2の2階には図書室があり、本やビデオを同胞の子や親が借りに来るとあるが、大阪市から提出された資料によれば2階には「応接室」と「管理室」があるだけで「図書室」はない(乙A2の3の1)。 
減免措置時の担当職員による実地調査によっても、「2つの部屋はロッカーで間仕切りされている状態で、厳密には2部屋ではありませんでした。『応接室』には応接セットと流し台があり、『管理室』には事務机が2つありました。朴氏からの説明では、『応接室』は勉強会に使用し、『管理室』は施設運営のためのスペースとして利用しているとのことでした」とあり、洪性彦の陳述と明白に齟齬している。 
  ? 3階の使用 
    3階の使用実態についても洪性彦の陳述書の記載「ヨガ教室が3階で開催され、女性同盟のメンバーたちが毎週水曜日夜10人くらい参加します」「老人のカラオケ交流会が3階で開催され、月1回ないし2回10人ぐらい参加します」などを裏付ける使用簿等の資料はなく、むしろ提出されている予定表「西朝鮮会館 月 予定」(乙A2の5)に反するものが少なくない。
例えば、「予定」では毎週土曜日とされていた老人会のカラオケ大会は、陳述書によれば月1回ないし2回の頻度だという。また、手芸の文化教室や税金講演会は「予定」には記載がない。   
洪性彦の陳述書の記載は、これを裏付ける資料がなく、既に提出された証拠資料に反しており、全く信用性に欠けているといわざるを得ない。
 ? 小括   
   洪性彦の陳述書における2008年当時の施設2の使用実態については、その根拠が不明であり、信用性に欠けるが、仮に記載のとおりだったとしても、そのほとんどの使用が朝鮮総連の支部ないし朝鮮総連の傘下団体による活動であると推認され、その使用の大半が朝鮮総連関連の活動から離れた在日朝鮮人一般によるものであると認めることはできない。 
3 施設3:「大港朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府西大阪支部) 
? 原判決
原判決は施設3の使用状況につき、「施設3は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設3における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「本件減免措置(施設3)がなされた当時、施設3の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと、『大港朝鮮会館利用状況』の記載も、使用団体の属性や使用頻度等が全く明らかではないこと、施設3の一部については、同減免措置後にその一部が減免対象から除外されており、施設管理者による説明の信用性にも疑義があること等からすると、減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして本件減免措置(施設3)が違法なものであったことを認めている。 
? 新証拠の提出  
  補助参加人らは控訴審になって会館管理運用規則(丙A3の1)、会館使用許可申請書(丙A3の2)及び2008年度の使用簿(丙A3の3)といった会館使用状況を認定するうえで重要な資料となりうべきものを証拠提出してきた。西大阪支部委員長の沈基鳳の陳述書(丙A3の10)が提出されているが、同人が西大阪支部の委員長になったのは2010年であり、2008年当時の施設3の使用実態については当時の呉信浩前委員長から引き継ぎを受けて知っているのだという。 
これらの資料は会館の使用状況に関する重要な資料であるにもかかわらず、平成20年4月25日の実地調査にあたっても、平成21年7月15日に行われた実地調査においても提出されていないばかりか、沈基鳳の陳述書においても当時、提出がなかった理由について何らの釈明もない。不自然極まりない。この点については呉信浩前委員長からの引き継ぎはなかったが、使用簿等については引き継ぎがあったとでもいうのだろうか。 
また、2008年度の使用簿は2階事務室と3階ホールに分かれているところ、2階事務室の使用としては、2月8日の日朝新春の集い実行委員会、5月14日の日朝文化研究会による朝鮮料理教室、6月3日の日朝ソフトボール大会実行委員会による会議兼懇親会、6月14日のハングル教室、9月13日の敬老会、9月25日の朝鮮料理教室、11月27日の日朝新春の集い実行委員会の事前打ち合わせ、12月14日の同胞忘年会の記載があるが、「大港同胞生活支援センター」による使用についての記載はない。
上記記載は、実地調査の担当者になされた施設管理者の梁賢哲の説明、すなわち、「2階事務所は主に『大港同胞生活支援センター』の事務室として使用されており、その他の使用は少なくなっている」に反しており、その信用性には大いに疑義があるし、そもそも平成20年の減免措置は過去1年、すなわち、平成19年度の使用実態に照らして行われるべきであって、2008年の使用簿に基づいて施設3の使用実態を認定することは許されない。  
 ? 日朝友好新春のつどい 
補助参加人によれば1990年ころから、施設3周辺の労働組合と西大阪支部は日朝友好新春のつどいを開催しているという。新春のつどいは、毎年実行委員会が組織され、2〜3カ月をかけて準備が行われ、その準備のための会議や食事会が施設3で行われたという。   
 2008年2月22日に港区民センターで開催されたという「新春のつどい」は、そのパンフレット(丙A3の4)によると、「ピョンヤン宣言のすみやかな履行と日朝国交正常化の早期実現」という政治スローガンの下、来賓に朝鮮総連大阪府本部国際部長、女性同盟大阪府本部委員長、在日本朝鮮大阪府西大阪商工会理事長、西大阪朝鮮初級学校アプロハムケ役員、朝鮮初級学校教育会会長、総連大阪府堺支部委員長等の朝鮮総連傘下団体がずらりと名を連ねている。基調講演は朝鮮総連大阪府本部国際部長の朴栄致による「朝鮮民主主義人民共和国をとりまく情勢について」というものであり、その内容は、2007年、6ヶ国協議が北朝鮮は核施設を解体し、アメリカは原油を供給するという大筋の合意が得られたがアメリカのサボタージュにより膠着状態に陥っているが、ブッシュ後は米朝関係が大きく進展するとの見方が大勢であるとか、日朝関係は、拉致問題や核開発問題などによって悪化の一方をたどり、東大阪市による大阪朝鮮高校のグランド明渡し訴訟や、京都府商工会への捜索・逮捕という不当弾圧が繰り返されていることを糾弾し、日本政府の北朝鮮敵視政策を改めるべく運動を強化するという極めて政治色の強いものであり、朝鮮総連中央の活動方針に沿ったものであった。  
 従って西大阪支部が周辺の労働組合と共同して行っている「新春のつどい」及びその準備ないし実行委員会との会議や食事は、朝鮮総連西大阪支部の活動そのものである。結局、「新春のつどい」に関係する会館使用は、総連関係者以外の在日朝鮮人一般による使用であると認めることはできない。  
? 日朝文化研究会  
  日朝文化研究会とは、施設3周辺の各労働組合の構成員数名が、朝鮮の歴史、文化、料理等を学ぶ目的を掲げ結成した会であるというが、その属性や代表者は不明であり、その実情をうかがえる資料は何も提出されていない。朝鮮総連旭都支部の活動と推認せざるを得ない。 
2008年度の使用簿には施設3の2階事務室で同年5月14日と9月25日の2回に渡って朝鮮料理教室を開いたことが記載されているが、施設3の2階事務所は「大港同胞生活相談総合センター」が専用使用していたという梁賢哲による説明(乙A3の1)と矛盾する。
 ? ハングル教室
   施設3では、毎週土曜日にハングル教室が開講されているという。
ところが、ハングル教室のチラシには「授業は毎月第2、第4土曜日の午後2時〜3時を予定しています」とあり(丙A3の6)、毎週開講という補助参加人らの主張と合致しない。2008年度の使用簿には6回の使用にかかる記載があるが、2007年の使用実績については全く不明である。提出されている「大港朝鮮会館利用状態」と題する書面(乙A3の5)にはハングル教室の記載はない。 
補助参加人らの主張にも、「西大阪支部は、ハングル教室のチラシを毎年労働組合に配ったり、施設3の掲示板に張り出したりするなどして受講生を募っている」とあり、活動主体は西大阪支部とされている。
たとえ、ハングル教室の使用実態があったとしても、その使用は朝鮮総連西大阪支部としての活動にほかならず、総連を離れた在日朝鮮人一般による使用ということはできない。 
? 敬老会  
  施設3では、毎年敬老の日に、施設3周辺に住む在日朝鮮人高齢者のために敬老感謝のつどいが催されるという。2008年の使用簿にも9月13日に2階事務室と3階ホールを使用して敬老会が開かれたとの記載がある(丙A3の3)。 
  ところが、西大阪支部が配布したチラシには、敬老会は施設3の3階で開催されると記載されており(丙A3の7)、7人の参加者しかなかったにもかかわらず、3階ホールだけでなく、同胞生活相談総合センターが専用使用している2階事務室も使用したとする使用簿の記載には疑義がある(丙A3の3)。  
  いずれにしても西大阪支部がチラシを作って参加を呼びかけているということから明らかなように、敬老会は朝鮮総連西大阪支部としての活動であって、総連以外の一般在日朝鮮人による使用ではない。 
? 各種サークルによる使用
  施設3の3階ホールは、施設3開設から現在まで、各種サークルからの使用申請に基づき広くその使用に供されてきており、2008年には7月30日にテコンドサークルが、10月22日にチャンゴサークルがサークル活動を行ったという。 
しかし、資料からはテコンドサークルとチャンゴサークルの属性や代表者が不明であり、朝鮮総連以外の一般在日朝鮮人ないし地域住民による使用と認めることはできない。 
? 忘年会 
     施設3では、毎年年末に、地域住民による使用申請に基づいて、地域住民を集めた忘年会が開催されるという。地域住民に配布されたというチラシ(丙A3の9)には「大正地域同胞送年会」とあり、周辺地域に住む日本人も参加したとの主張が認められる証拠はない。更に、西大阪支部が「連絡先」となっているところから忘年会も西大阪支部の行事であり、支部活動であったと推察される。  
? 各種行事の準備のための使用
施設3を利用して、各種行事の準備行為が行われており、2008年度の使用簿によると、日朝ソフトボール大会実行委員会が使用申請を行い、施設3の2階事務室でソフトボール大会準備会議や懇親会が開かれたという。
    朝鮮総連大阪府西大阪支部常任委員会委員長沈基風の陳述書によれば、「施設3で年に数回テコンドーの練習を行い、汗を流しています」とあるが、2008年度の使用簿ではたった1回の使用しか記載されていない(丙A3の3)。陳述書は適当なことを言っているのだろう。    
また、日朝ソフトボール大会実行委員会は2007年の「大港朝鮮人会館利用状況」と題する書面(乙A3の5)には記載されていない。2007年の使用実績として認めることはできない。
? 同胞生活相談所 
    西大阪支部は、2007年8月6日に「西大阪同胞生活相談総合センター」を開設して、各地域の同胞生活相談総合センターとの連携の下、生活相談業務に従事してきたという。  
     既にみたように(施設1?)、同胞生活相談総合センターの活動は朝鮮総連の活動そのものであり(甲66p94)、総連以外の在日朝鮮人一般による活動ではない。  
    なお、大阪市は平成21年7月15日の実地調査において立会人の梁賢哲支部委員長から「実は、2階の事務所は主に大港同胞生活支援センターの事務所として使用されており、その他の使用は少なくなっている」旨説明を受けたことから、遅くとも平成20年度からは特定の団体による専用使用があったと認め、減免適用部分から除外することになった。
これに対し、沈基風委員長は、「施設3の2階事務室をセンターの事務所としても併用しても、従前の固定資産減免の対象から除外されるとは思っていませんでした」と陳述しているが、大阪市の担当者は、「主に大港同胞生活支援センター」の事務所として使用されており、その他の使用は少なくなっている」旨の説明を聞いており「併用」というのはレトリックによる誤魔化しと理解すべきである。         
  ? 憩いの場・図書、雑誌の備え付け  
    朝鮮総連西大阪支部委員長である沈基風の陳述書(丙A3の10)によれば、施設3には、周辺の在日朝鮮人や労働組合の関係者が気軽に訪れ、お茶を呑みながら、施設での企画、イベントの企画を話し合ったり、世間話を楽しんだりしているとのことであるが、そのことは使用簿の記載から確認することはできない。 
    施設3の2階事務所には、来訪者のための雑誌や図書が常時備え付けられているというが、2階事務所は「大港同胞生活相談総合センター」の事務所であり、雑誌や図書もセンターの備品だと思われる。 
  ? 小括 
    結局、控訴審で補助参加人らが提出した証拠は、これまで提出されなかった理由も明らかにされておらず、どれも信用性に欠けている。加えて、その記載内容は、朝鮮総連西大阪支部としての活動が裏付けられることがあっても、総連以外の一般在日朝鮮人による使用を裏付けるものではない。  
4 施設4:「西淀川朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府西淀川支部)  
 ? 原判決
原判決は施設4の使用状況について、「施設4は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設4における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「本件減免措置(施設4)がなされた当時、施設4の使用貸借証明書等、使用状況に関する資料及び調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」とし、「なお、減免措置後に『朝鮮会館使用簿』が提出されており、同使用簿には、朝鮮総連とは関係のない在日朝鮮人を意味するとみる余地のある『一般同胞』のみによって使用されている旨の記載もみられるものの、同記載自体によっても、朝鮮総連の傘下団体である商工会の会議等にも用いられているほか、施設4が多数の会議室等を有する比較的大きな規模の施設である上、施設4が朝鮮総連大阪府西淀川支部として使用されていることからすると、施設4が上記使用簿に記載された使用(1カ月に4回ないし8回程度の使用に止まる)にのみ供されているとは考え難い」などとして本件減免措置(施設4)が大阪市趙の裁量の逸脱・濫用によるものとして違法であると認定した。 
  ? 新証拠の提出 −2つの使用簿−
補助参加人らは控訴審において「朝鮮会館使用簿」(丙A4の1)及び2010年より城東支部委員長を務めている金徳範の陳述書(丙A4の9)を新証拠として提出している。     
控訴審で提出された「朝鮮会館使用簿」(丙A4の1)の記載は、原審(本件減免措置後)で提出された「朝鮮会館使用簿」(乙A4の5)の記載と全く異なっており、見るものを当惑させる。2つの異なる使用簿の存在は補助参加人らが提出する証拠全体の信用性を揺らがす事態である。いずれ補助参加人から釈明があると思うのでこれを待ちたい。  
 ? 一般同胞による使用
   補助参加人らは朝鮮会館使用簿(丙A4の1)記載にある「一般同胞」とは、在日朝鮮人一般を指すが、国籍や出身高等の経歴は問わない、特定の団体による使用ではなく、参加資格に特段制限のない企画やそのための会議に使用される場合に「一般同胞」と記載することにしているという。
ところが、西淀川コミュニティペーパーが発行する機関紙「ムジゲ」の「告知板」には、7月1日の午後7時30分から西淀川支部1階にて西淀川支部執行委員会が開催されることが告知されている(丙A4の4)。これは使用簿(丙A4の1)では7月1日午後7時30分から朝鮮会館1階で行われた「会議」に該当するところ、使用者は「一般同胞」と記載されている。告知板で「西淀川支部執行委員会」とされているものが使用簿では「一般同胞」による会議とされているのである。このことは補助参加人らによる上記主張が怪しいものであると疑うに十分なものである。
また、「一般同胞」による使用目的としては、毎年恒例行事として開催されている成人式、花見などの準備や企画会議、冠婚葬祭の準備、地域交流会、忘年会、その他各種イベントの企画会議等があるという。「花見」は季刊誌である「ムジゲ」でも紹介されており、西淀川支部による恒例行事であると思われる(施設1?)。「成人式」や「忘年会」も他の支部と同じく、西淀川支部の活動としてなされる恒例行事である(施設1?、?)。
補助参加人は、乙A4の5として提出されている「朝鮮会館使用簿」にはNPO法人による会議の使用者が「一般同胞」と記載されているが、これは対象者が在日朝鮮人一般であるためにこのような記載になったのだと釈明している。    
結局のところ、「朝鮮会館使用簿」(乙A4の5)にも「朝鮮会館使用簿」(丙A4の1)にも朝鮮総連の活動であっても参加対象者が一般在日朝鮮人であれば、「一般同胞」による使用として記載されているのである。「一般同胞」の記載をもって朝鮮総連と無関係な一般在日朝鮮人の活動であると認定することはできないということである。   
 ? NPO法人による使用  
   補助参加人らは控訴審で提出した「朝鮮会館使用簿」(丙A4の1)の使用者欄にある「NPO法人」とは、特定非営利活動法人「淀川コリア社会福祉協議会」のことだという。そして施設4の1会は、同NPOの活動のうち、子供達の交流会、老人福祉問題意見交換会、その他地域福祉問題会議の場として使用されたという。 
   ところが、「淀川コリア社会福祉協議会」(NPO法人)による使用は、原審で提出された「朝鮮会館使用簿」(乙A4の5)には記載がなくその使用実態は疑わしいといわざるを得ない。
また、「淀川コリア社会福祉協議会」は朝鮮総連によって設立されたNPOであり、発足のための会議が2006年3月24日、施設4で行われたという記事が朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」2006年4月1日版に掲載されている(甲68:朝鮮新報web)。記事は「会議では、総連中央同胞生活局の李柱成部長のあいさつに続き、総連西淀川支部の金徳範委員長が経過報告を行った」とされ、続いて兵庫県西宮市で運営されているデイサービスの康永朱理事長が講演し、総連東淀川支部の金龍元委員長が事業計画に関する説明を行い、最後に総連西支部の朴南陽委員長が挨拶したことを報告している。
この記事から「淀川地域同胞福祉協議会」が朝鮮総連の傘下団体であり、朝鮮総連の活動である同胞生活相談総合センターの活動を含む福祉事業を総合的に引き受けて行う団体であることがうかがえる。   
  ? 長寿会による使用 
   長寿会とは、地域の在日朝鮮人高齢者達が参加する会であり、毎年の恒例行事として、敬老の日に長寿会のメンバーが参加して交流会が開催されているという。        
   他の支部でも行われている敬老の日の恒例行事であり(施設3?)、朝鮮総連西淀川支部による活動であることは疑いない。  
 ? 商工会による使用   
   補助参加人らは、商工会とは、地域の在日朝鮮人商工人らによって組織された団体であり、地域の在日朝鮮人の経営状態の向上のため、経営に関する各種セミナーや意見交換会等を企画する他、交流会などにより懇親を図ることを目的とする団体だという。
   実際のところ、「商工会」とは、1946年2月24日に結成された「在日本朝鮮商工連合会」であり、46の地方(都道府県)商工会と151の地域商工会、82の経理室が構成する連合体であり、機関紙「朝鮮商工新聞」を発行している。1959年6月に朝鮮総連の綱領と規約を承認して朝鮮総連に加盟し、その傘下団体となった(甲66p37、p189、甲60p18)。 
   商工会による役員会議や打ち合わせ、勉強会は、朝鮮総連の傘下団体としての活動であり、総連とは関係のない在日朝鮮人一般による活動ということはできない。  
? 3階(食堂)の使用状況
  施設4の3階には食堂があり、そこで料理教室が不定期に開催されたという(乙A4の5)。
しかし、料理教室については丙A4の1の「朝鮮会館使用簿」に記載がない。2つの「朝鮮会館使用簿」の齟齬に関する釈明をまって反論したい。
? 4階(講堂)の使用状況その他 
  施設4の4階には講堂があり、2008年においては、在日朝鮮人らが参加するサークル卓球クラブがほぼ毎週金曜日に、4階講堂を利用してサークル活動を行ったという(乙A4の5)。
  しかし、卓球クラブの使用については丙A4の1の「朝鮮会館使用簿」には記載がない。2つの「朝鮮会館使用簿」の齟齬に関する釈明をまって反論したい。   
5 施設5:「東淀川朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府東淀川支部)  
 ? 原判決   
原判決は施設5の使用状況につき「施設5は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設5における各種使用も朝鮮総連との関係が強く疑われる。そして、施設5の使用状況に係る書面として提出されていた『東淀川朝鮮会館使用状況について』においても、朝鮮総連支部常任委員会、商工会理事会、朝青支部常任委員会等の、朝鮮総連の支部や傘下団体の活動のために使用されていたことが推認される」としたうえで、「実地調査等の結果をみても、本件減免措置(施設5)がなされた当時、施設5の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記載欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと、施設5の一部については同減免措置後にその一部が減免対象から除外されているため、施設管理者による説明の信用性にも疑義があること等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」として、本件減免措置(施設5)が大阪市長の裁量の逸脱・濫用による違法なものであったと認定した。
? 新証拠の提出 
  補助参加人らは控訴審になって2007年から朝鮮総連大阪府本部東淀川支部委員長を務めている金容俊の陳述書(丙A5の4)を提出してきた。 
 ? 小括
補助参加人らは金容俊の陳述書に基づいてパソコン教室、学生会会議等の使用について云々するが、使用簿等の資料がないため、具体的な使用状況を確認することがでない。
また、陳述書を作成した金容俊は、平成20年5月7日の実地調査に立ち会っているが、その説明は、原判決においても信用性に疑義があると指摘されているところである。金容俊の陳述書には、自身が当初大阪市の調査担当職員にした説明が事実ではなかったことについて何ら弁明がなく、その記載を信用することはできない。そして、その金容俊の陳述書の記載によっても、施設5の使用の大半が朝鮮総連の東淀川支部(新大阪分会、三国分会、成人式、忘年会、新年会)ないしその傘下団体(女性部、青商会、留学生同盟、青年部)の活動であることが認められるのである。
畢竟、新証拠を勘案しても施設5をもって公民館的施設であると認めることができないとした原判決の認定は揺るがない。 
6 施設6:「東成朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府東成支部) 
 ? 原判決は施設6の使用状況について「施設6は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設6における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる。そして、施設6の使用状況に関する資料として提出された『2008年度 東成朝鮮会館及び中本朝鮮会館使用状況について』の記載においても、『総連東成支部常任委員会会議』、『女性同盟東成支部常任委員会会議』、『総連東成支部学習会』、『東成支部運動推進委員会』、『東成青商会幹事会議』等の記載があり、朝鮮総連の支部や傘下団体の活動のために使用されていたことが推認される」としたうえで、「本件減免措置(施設6)がなされた当時、施設6の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと、施設6の一部については、同減免措置後に減免対象から除外されているため、施設管理者による説明の信用性にも疑義があること等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして本件減免措置(施設6)は大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。  
 ? 新証拠の提出     
  補助参加人らは控訴審において季刊誌「ケンガリ」(丙A6の1、2)及び2008年当時、朝鮮総連大阪府東成支部の委員長を務めていた金?二(現朝鮮総連大阪府本部副委員長)の陳述書(丙A6の3)を提出してきた。
? 老人会の利用  
  東成支部では老人会旅行が年1回開催され、9月には老人会、年末には忘年会があり、これらの準備や打ち合わせを2階会議室で行うという。 
  老人会旅行や老人会、忘年会が年1回開催される恒例行事となっていること、東成支部の季刊誌「ケンガリ」(丙A6の1)に「東成長寿会」の行事案内が掲載されていることから、老人会の利用は朝鮮総連の活動によるものであると推認できる。
 ? 東成同胞新年会・成人式の実行委員会会議 
   金絃二の陳述書によれば、東成支部の常任、青年同盟、分会代表者、女性同盟役員、成人の代表ら合計10〜15名が出席して新年会と成人式の実行委員会会議を行うという。上記出席者の肩書からみて、それが朝鮮総連東成支部としての活動であることは疑う余地がない。 
 ? 「朝鮮学校とともに歩む会」会議 
   金絃二の陳述書によれば、中大阪朝鮮初中級学校を支える日本人有志の会があり(「朝鮮学校とともに歩む会」)、毎月1回、定例会会議を2階会議室において行っているという。 
   陳述書には「丙A6の2の1頁参照」とあるが、当該機関紙の1頁には「朝鮮学校とともに歩む会」の記載は見当たらない。同会による2007年ないし2008年における会館使用を確認することはできない。
 ? 季刊誌ケンガリ  
   東成支部では、年4回不定期に、季刊誌「ケンガリ」が発刊されており、3カ月に1回程度季刊誌編集委員会会議が開かれているという。
   ケンガリ2008年2月15日号の「日程表」には、東成同胞生活相談総合センター総会や女性同盟結成60周年記念東成支部祝賀会の案内がなされ、東成支部委員長金絃二、東成青商会会長康敏浩、朝青東成支部班長金龍徳、朝青東成支部金佑美らの抱負が掲載されている(丙A6の1)。「ケンガリ」2006年8月15日号には朝鮮総連東成支部委員長、朝鮮総連東成支部総務副部長梁正隆、女性同盟東成支部委員長金甲年、女性同盟東成支部総務部宋裕子、中大阪朝鮮商工会理事長高龍徹、朝青東成支部委員長韓昌秀がそれぞれの役職に信任された各人の抱負が掲載されている(丙A6の2)。
   その内容からみて、季刊誌ケンガリは東成支部の機関紙であり、その発刊は、朝鮮総連東成支部の活動としてなされていることは明らかである。 
 ? 東成囲碁クラブ  
   「囲碁クラブ」の活動は、季刊誌「ケンガリ」に案内されているが、それが朝鮮総連の活動と無関係なものと認めるに足りる証拠はない。むしろ、季刊誌「ケンガリ」が東成支部の機関紙であることからすれば、そこに掲載されていることによって朝鮮総連としての活動であると推認される。  
 ? 同胞生活相談総合センター  
   同胞生活相談総合センターの活動が、朝鮮総連の活動そのものであることは既に述べてきたとおりである(施設1?)。 
 ? 女性同盟60周年記念東成祝賀パーティ
   1948年に結成され朝鮮総連の発足とともにその綱領と規約を承認して朝鮮総連の傘下団体となった在日本朝鮮人女性同盟の60周年記念パーティである。それが朝鮮総連の活動であることは敢えて論じるまでもない。 
 ? 東成支部運動推進委員会(同胞訪問活動)の会議  
   それが朝鮮総連東成支部としての活動であることは明白である。 
 ? オモニ会交流会等 
   オモニ会交流会については、それが東成支部としての活動ではないという根拠がうかがえない。東成支部の機関紙である「ケンガリ」に掲載されていることから、むしろ、東成支部としての活動であると推認される。   
 ? 学生会−日本の学校に通う在日コリアン(中学・高校生)の集い 
   その使用を確認すべき使用簿等の証拠の提出がない以上、使用の事実を認めることはできない。 
 ? ムジゲ会      
   同胞障がい者とその父母の会の会合については、使用簿等の証拠の提出がないため、その使用を認めることはできない。 
 ? 各種親睦行事の準備会議等  
   野遊会(花見)実行委員会、バレーボール・サッカークラブ会議が2階を利用して行われるというが、使用簿等の証拠の提出がないため、これを客観的に確認することができない。また野遊会(花見)実行委員会等の活動は東成支部としての活動であると推認される。   
 ? まとめ     
   金絃二は、その陳述書の「まとめ」として、施設6は、地域の在日朝鮮人や日本人に広く開放され、利用されているというが、これまでみてきたように、仮に同人の陳述書の記載に拠ったとしても、施設6の使用の大半が朝鮮総連の活動と無関係な在日朝鮮人一般によるものであったと認めることはできないのである。  
7 施設7:「中本朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府東成支部) 
 ? 原判決      
   原判決は施設7の使用状況について「施設7は朝鮮総連大阪府東成支部が借受人であるほか、家屋及び土地に係る固定資産税等の納税者の住所が同支部と同一の住所であること等からすると、朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「施設7の使用状況に関する資料として提出された『2008年度 東成朝鮮会館及び中本朝鮮会館利用状況について』と題する書面には、月2回のウリマダンの会(敬老会)及び年3回ないし4回の朝鮮総連・女性同盟中本分会会員らの集いに使用されている旨の記載しかないところ、これによっても、朝鮮総連の分会ないし傘下団体である女性同盟中本分会による使用がされていることが推認できる」などとし、「本件減免措置(施設7)がなされた当時、施設7の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるをえない」などとし、本件減免措置(施設7)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であると認定した。  
 ? 新証拠の提出                
補助参加人らは控訴審において施設内の写真(丙A7の1〜3)及び20
   08年当時、朝鮮総連大阪府東成支部の委員長を務めていた金絃二(現在は朝鮮総連大阪府本部の副委員長)の陳述書(丙A7の4)を証拠として提出してきた。
  使用簿や利用規約といった施設7の使用状況を具体的に認定できる証拠の提出はなかった。 
? 年配のウリマダン
老人会が1カ月に2回程度、お茶会を開いているというが、その使用を確認する術がない。東成支部の機関紙に掲載されているのだから朝鮮総連としての活動なのだろうと推認するほかはない。 
  ? 分会同胞の集い 
    分会の新年会や忘年会、同胞の法事(一周忌等)、分会役員会会議等に使用しているというが、分会の新年会や忘年会、そして分会役員会会議は朝鮮総連東成支部としての活動であると推認される。      
8 施設8:「生野西朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府生野西支部) 
 ? 原判決  
   原判決は施設8の使用状況について「朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設8における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「施設8の使用状況に係る資料として提出された『利用単位』と題する書面には、各種の団体による使用が記載されているところ、同書面においても、『総連本部』、『朝青・留学同』、『女性本部』、『朝青料理教室』等の記載があり、朝鮮総連の支部や傘下団体の活動のために使用されていたことが推認される」とし、「実地調査等の結果をみても、本件減免措置(施設8)がなされた当時、施設8の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして本件減免措置(施設8)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
 ? 新証拠の提出 
   補助参加人らは控訴審になってから生野西支部副委員長である李哲洙の陳述書(丙A8の1)、「会館使用にあたっての留意点」と題する書面(丙A8の2)、「会館使用申込書」(丙A8の3)、「生野西朝鮮会館利用規約・規則」(丙A8の4)、「生野西朝鮮会館第6回利用者会議」(丙A8の5)、「生野西同胞文化センター」(丙A8の6)、「生野西トンポ文化センター」(丙A8の7)、「生野西朝鮮会館利用申請書」(丙A8の8の1〜7)、「2008年度会館利用状況」(丙A8の9)が新証拠として提出された。
陳述書によれば、2004年ころ「会館使用にあたっての留意点」(丙A8の2)や「会館使用申込書」の書式(丙A8の3)が作成され、定期、単発利用も含めて申請するようになった「そうです」とのことである。当時の管理者であった李哲洙から引き継ぎをうけたということだろうが、なぜ大阪市による2度の実地調査の際にこれらの資料が提出されなかったのかについては何らの説明もない。この点については引き継ぎを受けなかったというのだろうか。   
当時、これらの資料は存在していなかったと考えるほうが、辻褄が合うというものである。
? 当時会館を使用したサークル 
  陳述書には舞朝鮮舞踏研究所、空手道・剣道会生野教室、社交ダンス、ヨガ教室、サナイ合唱団、生野西囲碁協会、パッチワーク、英会話、書芸教室、黄金コーラス、コールアリアン、朝青料理教室、ボクシング教室といった各種サークル活動が活発に行われたことが記載されている。  
  提出されている写真等の資料からだけでは、それらが朝鮮総連生野西支部の活動とどういう関係にあるかは不明であるが、たとえそれらが朝鮮総連の活動と無関係のものだったとしても、施設8では、総連生野支部、各分会、朝鮮青年同盟、朝鮮留学生同盟、朝鮮女性同盟などの朝鮮総連の支部ないし傘下団体の活動が継続的かつ定期的になされていたことから、施設8の使用の大半が朝鮮総連と無関係な在日朝鮮人一般によるものであったと認めることはできない。
? 大阪人権協会の生活相談事業 
  同胞生活相談は朝鮮総連の活動として行われてきたものである。
大阪人権協会は、その1953年に発足した大阪市同和事業促進協議会が、2002年に発展改組したものである。大阪市の人権施策全般にわたって協力してきたが、大阪市から委託された駐車場の業務管理をめぐる金銭トラブルによって大阪市に4億3800万円の支払いを命じられたことから資金繰りに行き詰まり、2012年に解散した。
あるいは総連の専従活動家であった洪敬義の奔走によって1994年に発足した人権協会の大阪支部をいうものかも知れない。その上部組織である近畿人権協会は会長洪敬義らが2004年2月に朝鮮総連の改革を訴える「21世紀、朝鮮総連の改革と再生のための提言」を公表した。これに対し、総連中央は、洪敬義に人権協会会長職の辞任を迫ったが、近畿人権協会メンバーの圧倒的な支持により、留任となった。これに痺れを切らした総連は、議論の場を設けることなく、機関紙である「朝鮮新報」を通じ、洪は韓国国家情報院のスパイであり、『提言』を発表することによって同胞社会を混乱させ同胞たちを総連と祖国から引き離そうとした旨の中傷を行い、近畿人権協会ごと組織から除名してしまうという処分を決定した(甲48:「壁を越えていく力」)。
人権協会の人事、方針をめぐっては2007年、2008年当時も朝鮮総連中央と大阪府本部との間で鬩ぎ合いが続いていたが、なりふり構わぬ虚偽誹謗宣伝に加え、北朝鮮に帰国した親族を人質にとる卑劣な手段によって朝鮮総連中央は改革を求める大阪本部の不満分子を圧殺し、総連の在日社会から排除することに成功しつつある。      
こうした非民主的な権力闘争と総連中央の問答無用の強権体制をみていると、朝鮮総連の活動が国内の在日朝鮮人社会に開かれたものであるという補助参加人らの主張に接すると実に虚しい思いがする。   
 ? その他 
   舞踏部による使用については、それが朝鮮総連の支部としての活動かどうかは不明である。    
   総連生野西支部、各分会、在日本朝鮮青年同盟、朝鮮留学生同盟、朝鮮女性同盟による役員会議等の使用が定期的かつ継続的になされていたことが陳述書で語られている。施設8は朝鮮総連の支部として朝鮮総連の支部ないし傘下団体の活動のために定期的かつ継続的に使用されていたことが李哲洙の陳述書及び補助参加人らの主張によって裏付けられたというべきである。        
   強制連行真相調査団の活動に関する使用についても、朝鮮総連中央が全国レベルで実施した実態調査に関して生野西支部の管轄区域での調査のための会合であることから、朝鮮総連の活動として行われたものと認められる。    
9 施設9:「朝鮮総連大阪府生野西支部北鶴橋分会」 
 ? 原判決
原判決は施設9の使用状態について「施設9は、その名称からして朝鮮総連大阪府生野西支部北鶴橋分会の活動に使用されている施設であると推認される」としたうえで、「本件減免措置(施設9)当時、施設9の使用状況に係る資料は全く提出されておらず(現在も証拠としては提出されていない。甲1)、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったものであって、同減免措置に係る判断資料の収集は極めて不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設9)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であると認定した。  
 ? 新証拠の提出 
   補助参加人らは控訴審になって生野西支部副委員長の李哲洙の陳述書(丙A9の1)及び「2008年度 北鶴橋朝鮮会館利用状況」(丙A9の2)を証拠提出してきた。 
「北鶴橋朝鮮会館利用状況」については、2度にわたる実地調査においても提出がなかったものであり、2008年当時に存在していたものであるかは大いに疑念がある。李哲洙の陳述書においても何故当時提出されなかったのかという問に対する説明は何もない。証拠としての信用性に欠けているといわざるを得ないが、その記載によっても施設9の使用の大半が朝鮮総連の活動を離れた在日朝鮮人一般の活動によるものだと認めることはできない。  
 ? 英語教室  
   北鶴橋朝鮮会館は2003年ころから英語教室として使用されてきたという。しかし、2006年から総連生野西支部副委員長として赴任してきた李哲洙の陳述では、「現在休止中」とあり、いつから休止されたのかは不明であり、果たして2007年ないし2008年当時に開講していたのか、開講していたとしてどれほどの頻度で使用されてきたかといった具体的な使用状況については、何も明らかにされていない。 
10 施設10:「朝鮮総連大阪府生野西支部朝鮮市場分会」  
 ? 原判決は施設10の使用状況について「施設10はその名称からして朝鮮総連大阪府生野西支部朝鮮市場分会として使用されていると推認される」としたうえで、「本件減免措置(施設10)当時において施設10の使用状態に係る資料は全く提出されておらず(現在も証拠としては提出されていない。甲1)、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったものであって、同減免措置に係る判断資料の収集は極めて不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設10)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。  
 ? 新証拠 
   施設10の使用状況については補助参加人らから新証拠の提出はない。
 ? 小括
   新証拠の提出がない以上、施設10の使用状況にかかる原判決の認定は揺るがない。 
11 施設11:「生野東朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府生野東支部) 
 ? 原判決は施設11の使用状態について「施設11は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設11における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「施設11に係る資料は本件減免措置(施設11)当時全く提出されておらず(現在も提出されていない。甲1)、実地調査も施設管理者の立会いなしで行われており、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったものであって、同減免措置に係る判断資料の収集は極めて不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設11)は大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。   
 ? 新証拠の提出         
   補助参加人らは控訴審になって「生野会館使用規則」(丙A11の1)、生野東ポンソンファ会の名簿会則(丙A11の2)、総連生野東支部の機関紙ソレイユ(丙A11の13)、2010年4月に総連旭都支部の委員長から総連生野東支部の委員長に赴任してきた康昌明の陳述書(丙A11の14)が新証拠として提出された。
2008年度の施設11の使用状況については、当時の生野東支部の宋東輝前委員長から引き継ぎを受けて使用状況を把握しているという。宋東輝は2010年から中西支部の委員長を務めているが(丙12の16)、2008年度の施設11の使用状況については宋東輝が陳述書を作成すべきであったろう。  
しかも康昌明は施設1についても陳述書(丙A1の8)を提出しているが、その出鱈目な内容については既に論じたところである(施設1?)。宋東輝の引き継ぎについても疑義のあることは後に指摘する(施設13?)。
信用性に疑義のある康昌明の陳述書の記載から施設11に係る2007年ないし2008年当時の使用状況を認定することはできない。   
 ? 老人の会「生野ポンソンファの会」の利用について
   陳述書によれば施設11は生野東ポンソンファ会が利用しているという。生野ポンソンファ会は、その会則をみる限り、思想、信仰、所属団体に関係なく生野地域に居住する60歳以上の同胞で構成される会であり、金正日に絶対的忠誠を誓う朝鮮総連から独立した団体であることがうかがえる(丙A11の2)。
ところが、2007年ないし2008年における生野東ポンソンファ会による施設11の使用がうかがえる資料はなにもない(丙A11の4の食事会の案内は2010年のものである)。2008年に宋東輝が電話でした調査担当職員に対する使用状況の説明にも生野東ポンソンファ会のことは一切登場していない。
康昌明の陳述書の信用性には疑義があり、陳述書の記載をもって生野東ポンソンファ会の施設使用を認めるのは危険である。
 ? 康昌明の陳述書には2階文化室においてハングル教室が開かれているとあるが、使用簿等で確認することができず、俄かに信用することができない。
 ? 同胞生活相談所について 
   生野東支部委員長は、「同胞生活相談総合センター」所長を兼任しているという(丙A11の14)。同胞生活相談総合センターが朝鮮総連の活動そのものであることは既に論じたところであるが(施設1?)、康昌明委員長によるセンター所長の兼任は人事面からこのことを裏付ける情報である。  
 ? 料理教室
康昌明の陳述書によれば料理教室は年に3〜4回開かれるらしい。料理教室の参加者は女性同盟役員と康昌明委員長の4〜5名であるという。それが朝鮮総連の支部ないし女性同盟による活動であることは明白である。
? 各種行事の準備
施設11では、ゴルフコンペ、餅つき大会、スキー、成人式、花見、川遊び、登山クラブ、マラソン大会、ソフトボール大会、ボーリング大会、釣り大会等の準備会議が行われているという。 
    既にみてきたように、成人式、花見といった年間行事は支部本来の活動であり、その準備会議も支部活動による使用である。ゴルフコンペ、マラソン大会、ソフトボール大会等についてはその主催者をうかがう資料がないが、中西支部分会対抗ソフトボール大会が開催されていたことからすれば、それらは朝鮮総連の支部としての活動であると推認することができる。 
  ? トイレ開放
    原告(被控訴人)は生野東支部会館を訪れ、実際に会館内のトイレ開放がなされていることを確認した(実際に当該トイレを使用するには、なかなか勇気がいるが)。それは施設11の公民館的使用とは関係のないことであるが、こうした試みを一つ一つ増やしていくによって、朝鮮総連の閉鎖的な体質が改善されることを期待する。 
  ? 小活 
   新証拠を斟酌しても施設11の使用につき、朝鮮総連の支部ないし傘下団体の活動から離れて在日朝鮮人一般による使用が大半であることは認められなかった。施設11の公民館的使用を認めなかった原判決の認定を揺るがすものはなにもない。   
12 施設12:「中西朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府中西支部)  
 ? 原判決
原判決は施設12の使用状態につき、「施設12は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設12における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「『中西支部のサークル活動』と題する書面によれば、朝鮮総連としての活動であると直ちには認められない団体などによるサークル活動等の使用もみられ、同書面が施設12の外に設置された掲示板に貼られており、広く参加者を募っているとみる余地はある(乙A12の7)ものの、同書面が「中西支部」のサークル活動と題されていることからすれば、同サークル活動は朝鮮総連大阪府中西支部としての活動であることが推認できるし、同書面においても、同活動が緊急集会等で曜日変更されることもあり得ることが記載されている」などとし、「減免措置がなされた当時、施設12の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」とし、本件減免措置(施設12)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であると認定した。
  ? 新証拠の提出
    補助参加人らは控訴審において2007年ないし2008年の施設使用とは直接関係のないチラシや写真等を提出している。そして2010年頃から総連中西支部の委員長となった宋東輝の陳述書(丙12の16)を提出してきた。  
    宋東輝は2008年当時の施設12の使用状況を直接把握していたわけではないが、前委員長や中西支部常任委員会や顧問からも中西支部のことについて引き継ぎを受けて当時の施設の使用状況についてもよく理解しているのだという。 
 ? ハングル教室
   施設12の1階では、2000年以降現在まで、週に二回から三回、「中西カルチャースクール」というサークル活動の一環として、ハングル教室が開講されているという。
ところが、提出されているチラシは2006年7月より12月までの第5期にかかるものであり(丙A12の2)、2007年ないし2008年の使用実績に関するものではない。  
   また、当該ハングル教室の特徴はソウル出身の韓国人が講師となり、韓国に旅行にも役に立つということをモットーとしているというが、その授業料は入塾金2000円、3カ月1万8000円(6カ月3万6000円)、教材実費3000円以内というものであり、ボランティアの公益活動というには高額である。 
 ? 子育てサークル 
  施設12の1階や3階では、2000年以降現在まで、子育てサークル「チャンミコッ」の活動が行われているという。 
提出された子育てサークルのチラシ(丙A12の4)は2012年のものであり、2007年ないし2008年の使用実績とすることはできないし、場所は「中西同胞生活相談総合センター」(中西支部)となっている。
すなわち、同サークルの活動は中西同胞生活相談総合センターないし中西支部の活動であり、総連以外の一般在日朝鮮人による会館使用ということはできない。 
? 中西シネマクラブ
施設12では、2000年以降現在まで、中西シネマクラブという名称で月に一回程度の頻度で世界の名画試写会が行われているという。
  ところが、提出された中西シネマクラブのチラシ(丙A12の5)は、2003年4月17日のものであり、2007年ないし2008年の活動実績を裏付けるものではない。 
? その他のサークル活動 
   施設13の3階では、社交ダンス教室、空手教室、舞踏教室、囲碁クラブ等が開催されているという(丙A12の6)。
    施設内の掲示板に中西支部の文化サークル活動として掲げられた予定表におけるハングル教室は月曜2コマ、火曜1コマ、水曜1コマの週3日であり、ハングル教室のチラシの予定(月曜2コマ、火曜1コマ、水曜2コマ、木曜1コマ)とは随分と異なっている。
掲示板の予定表には「中西支部の文化サークル活動」(丙A12の6)とあり、子育てサークル「チャンミコッ」や「囲碁クラブ」、「舞踏教室」、「社交ダンス」、「空手教室」といったサークル活動も朝鮮総連大阪府中西支部としての活動であることがうかがえる。  
 ? 中西同胞生活相談総合センター 
   同胞生活相談総合センターの活動は、朝鮮総連の活動そのものであり、朝鮮総連以外の一般在日朝鮮人による使用と認めることはできない(施設1?)。 
 ? 中西地域同胞セミナー
   施設12の1階では、2000年以降現在まで、各種セミナーが一年に三回程度の頻度で開催されているという。
   しかし提出されているチラシ(丙A12の11)は、2000年のものであり、2007年ないし2008年の活動実績として認めることはできない。
 ? 親睦会等  
   施設12では、60代以上の男性らで構成される「歯車会」という親睦会が行われており、主に山登り等アウトドア活動が行われているという。
   証拠として提出されているチラシ(丙A12の12)によれば、「歯車会」の活動は中西支部の活動と解される。「敬老会」も「中西支部敬老のモイム」とあるように中西支部の活動である。「中西支部分会対抗バレーボール大会」もその名のとおり中西支部の活動であり、ソフトボールリーグの監督会議も「中西支部分会対抗ソフトボール」に関するものであり、中西支部の活動であり、総連支部活動以外の一般在日朝鮮の活動ではない。
 ? その他
   中西支部としては、2010年度以降に限れば、生野区地域自立支援協議会に参加しているという。2007年ないし2008年における施設12の使用状況が問題になっている本件とは関係のない話である。
13 施設13:「巽西朝鮮会館」  
 ? 原判決  
原判決は施設13の使用状況について「施設13は朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設13における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「実地調査等の結果をみても、本件減免措置(施設13)がなされた当時、施設13の調査担当敷く印による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の資料は不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設13)は大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。   
  ? 新証拠の提出                         
補助参加人らは控訴審になって2010年から総連中西支部の委員長を務めている宋東輝の陳述書(丙A13の3)を提出してきた。宋東輝は2008年当時の施設13の使用状況について中西支部の前委員長等から引き継ぎを受けて知っているのだという。          
  ? 囲碁クラブ      
   陳述書によれば、施設13では、30年程前から現在まで、週に一回(毎週土曜日)の頻度で囲碁クラブが行われているという。
   使用実態が確認できる使用簿の提出はなく、その活動実態に関する陳述書の記述は俄かに信用することができない。 
 ? 高齢者の交流会
   施設13では、周辺地域の高齢者が定期的に集まり、民謡を歌ったり雑談を行うなどの交流会が行われているという。使用実態が確認できる使用簿等の提出はなく、その活動実態に関する陳述書の記述は俄かに信用することはできない。
 ? その他   
   2008年4月におこなわれた実地調査では立会人となった前中西支部委員長の姜光枢の説明によれば、2階の会議室では、ハングル教室が行われていたということであるが(乙A13の1)、宋東輝の陳述書にはハングル教室についてはなんら触れられていない。
ハングル教室の使用はなく、姜光枢が出まかせを述べたのか、あるいはハングル教室の使用はあったが、姜光枢らによる宋東輝に対する引き継ぎがいい加減なものだったのか、はたまた宋東輝が引き継ぎ事項を忘却していたのか。
いずれにしても、宋東輝の陳述書の記載から2007年ないし2008年当時の施設13に係る使用状況を認定することはできない。  
14 施設14:「在日本朝鮮人総連合会中西支部巽北分会」 
 ? 原判決は施設14の使用状況について「施設14は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設14における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「実地調査等の結果をみても、本件減免措置(施設14)がなされた当時、施設14の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして、本件減免措置(施設14)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
 ? 新証拠の提出 
   補助参加人らは控訴審で施設14の写真(丙A14の1〜3)、中西支部分会対抗ソフトボール大会のチラシ(丙A14の4)、中西支部委員長の宋東輝の陳述書(丙A14の5)を証拠提出してきた。 
 ? ハングル教室      
   宋東輝の陳述書には当時、ハングル教室が行われていたとの記載があるが、内容は漠然としており、頻度や日時、主催者が不明である。これをもって2007年ないし2008年の使用実績として認めることはできない 。    
 ? 座談会や忘年会     
   陳述書には施設14において座談会や忘年会が定期的に行われ、バレー大会やゴルフ大会の企画会議や総括会議が開かれていた旨の記載があるが、開催されていた旨の記載もあるが、いずれも日時、頻度、主催者が不明である。これをもって、2007年ないし2008年の使用実績として認めることはできない。 
15 施設15:「城東朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府城東支部)
 ? 原判決 
原判決は施設15の使用状況について「施設15は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設15における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「施設15の使用状況に係る資料として提出された『城東朝鮮会館使用記録』の記載においても、『支部役員会議』、『支部定期総会』、『女性部会議』、『青年部の集い』等の記載があり、朝鮮総連の支部や傘下団体の活動のために使用されていたことが推認される」などとし、「本件減免措置(施設15)がなされた当時、施設15の調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとして、本件減免措置(施設15)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
  ? 新証拠の提出 
    補助参加人らは控訴審になって「会館使用簿」(丙A15の1)、機関誌「第四城鶴会通信」(丙A15の2、3)、「ハングルプチ講座」のチラシ(丙A15の4)といった施設15の使用実態を把握するうえで重要な資料を証拠提出し、施設15で開かれているハングル教室で学んでいる簑田政隆の陳述書(丙A15の7)を提出してきた。 
    「会館使用簿」は2008年における施設15の使用状況を明らかにするうえで重要な資料であるが、なぜ平成21年7月に行われた2回目の実地調査において提出されなかったのか、なぜ控訴審になるまで提出されなかったのかが不明であり、それが作成された時期について大いに疑義がある(率直にいうと一審判決後に作成されたものではないのかとの疑念である)。 
    会館使用簿の記載によれば、施設15の2階の小会議室は「女性部室」の名称が付与されているが、名称のとおり、その使用は、ほとんど女性部(朝鮮総連の傘下団体である在日本朝鮮女性同盟城東支部)によるものである(37回中、33回は女性部会、残りの4回は青年部によるものである)。女性部による専用使用がなされているといってよいだろう。 
    施設15の2階の「青年部室」の使用は、部屋の名が示すとおり、全て青年部(朝鮮総連の傘下団体である在日本朝鮮青年同盟の城東支部)によるものである。「青年部室」は青年部によって専用使用されているといってよい。 
    施設15の1階「ムジゲ室」、2階「生活相談・事務室」、3階「講堂」の使用は、城東区ボランティアビューローによる朝鮮料理教室の1回を除き、全て朝鮮総連城東支部ないし傘下団体による活動に関する使用である。
結局、新証拠として提出された会館使用簿等の資料は、施設15が朝鮮総連の支部として使用されていたという実態をより明確にするものであるといえる。  
  ? 大四城鶴会による使用
   陳述書によれば 大四城鶴会は地域の在日朝鮮人1世によって組織された交流団体であり、同会が主催して在日朝鮮人高齢者を対象とするミニデイ「ムジゲ」が施設15の1階「ムジゲ室」で開催されているという。
    朝鮮総連城東支部として使用されている施設15を拠点とする大四城鶴会の活動は朝鮮総連との関連性が強く疑われるところ、総連支部の年中行事である忘年会、新年会を行っていることから城東支部ないし総連傘下団体の活動であると推認される。    
  ? 2世会による使用 
    2世会とは、地域の在日朝鮮人2世により構成された組織団体であり、「城友会」「有志会」とも呼ばれているという。2世会は、施設15の1会「ムジゲ室」を使用して「マダン」を開催し、1カ月から2カ月に一回程度の頻度で食事会、宴会を行っているという。
総連城東支部として使用されている施設15を活動の拠点とする2世会の活動は朝鮮総連との関連性が強く疑われ、朝鮮総連城東支部ないし傘下団体の活動と推認される。
? 城東同胞生活相談総合センター
同胞生活相談総合センターの活動は、朝鮮総連の活動そのものであり、朝鮮総連とは関係のない在日朝鮮人一般による活動ということはできない(施設1?)。  
 ? 城東区ボランティアビューローとの交流   
   城東区ボランティアビューローとは、大阪市ボランティア・市民活動センターが大阪市の各区に設置しているボランティア協会の一つであり、福祉分野を中心としたボランティア活動等を行っている。 
   城東区ボランティアビューローは、異文化交流の一環として、施設15を使用する各団体とハングル学習会や朝鮮料理教室を共同で開催しているという。
   城東区ボランティアビューローが朝鮮総連とは関係のない団体であり、その活動が朝鮮総連の支部活動から離れたものであることは認められるが、
しかも、使用簿の記載によっても城東区ボランティアビューローが利用者となってなされた施設15の使用は、2008年では4月22日に1階ムジゲ室で行われた「朝鮮料理教室」の1回だけに止まる(なお、補助参加人らは2008年6月24日には、学習会「楽しくハングル」が開催されていると主張するが、同学習会は「在宅サービスセンターゆうゆう」で行われており、施設15は使用されていない〔丙A15の4、丙A15の1〕)。 
 ? 朝鮮語教室    
   2階小会議室・女性部室では、週に1回、女性部の主催により「朝鮮語教室」が開かれており、陳述書を作成した地域居住の日本人、簑田政隆も頻繁に参加したという。     
補助参加人らが主張するように「朝鮮語教室」が朝日交流の場として地域の在日朝鮮人、日本人の友好関係を築くことに貢献しているという可能性を否定するつもりはない。きっとそうなのだと思いたい。   
しかし、その可能性の有無は、施設15が「在日外国人のための公民館的施設」に該当するかどうかとは別のことである。勘違いのないよう問題をはっきりしておきたい。朝鮮総連が携わったパチンコ店のような賭博的遊戯業や地上げ屋であっても、或いは、原子力発電を推進する電力会社であっても、軍事産業であっても、怪しげな新興宗教団体であっても、その活動を通じて多くの個人を救済し、日朝友好関係や地域活性等の公益に貢献する可能性はある。  
ここで重要なのは朝鮮総連という特定の政治思想(北朝鮮の体制イデオロギーであるチュチェ思想)に支配され、北朝鮮の金王朝に絶対的忠誠を誓う非民主的で排他的(中央幹部に対する批判を許さないという意味)な組織の活動を離れ、不特定多数の在日朝鮮人一般による公民館的使用が認められるかどうかである。   
「朝鮮語教室」を主催している女性部は、在日本朝鮮女性同盟の城東支部  
のことであり、在日本朝鮮人女性同盟は1948年に結成され、1955年の朝鮮総連の発足と同時に朝鮮総連の傘下団体となった。女性部が主催する「朝鮮語教室」は朝鮮総連の傘下団体である朝鮮人女性同盟の活動であり、朝鮮総連とは無関係の在日朝鮮人一般による活動ということはできない。  
? サークル活動    
    3階講堂では、2週間に一回の頻度で、在日朝鮮人女性を対象として、ヨガ教室が開かれているという。ヨガ教室を開いているのは女性部会である。対象者の如何を問わず、それは朝鮮総連の支部活動そのものである。信者を獲得することを狙って一般人を対象にヨガ教室を開く宗教団体と何ら変わらない。
? 青年部による使用   
    青年部とは朝鮮総連の有力傘下団体である在日本朝鮮青年同盟の城東支部のことである。青年部は2階「青年部室」を専用使用している。青年部による使用は朝鮮総連の支部としての活動そのものである。 
? その他年間行事
  毎年、3回講堂を利用して、年始には新年会、成人式が行われている。春は花見が企画されている。これらはいずれも朝鮮総連城東支部による支部としての活動そのものである。特定の団体(しかも独裁国家の指令を受け一体的に活動する政治工作組織としての性格を併有する団体)が専用的に使用する施設を公民館的施設とみなして固定資産税減免措置等の特権賦与の対象とすべきでないことは課税の公正に照らして余りにも当然のことである。 
16 施設16:「住吉朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府西大阪支部) 
 ? 原判決は施設16の使用状況について「施設16は、朝鮮総連大阪府西大阪支部として使用されていることから、施設16における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「施設16の使用状況に係る資料として提出された『住吉朝鮮会館使用申込書』の記載からすると、施設16が各種サークル活動等にも使用されていることがうかがえるものの、同書面においても、施設16の利用者の実態は何ら明らかではなく、また、施設16の使用が同書面に記載された月2回程度の使用に止まっているとも考え難い」とし、「本件減免措置(施設16)がなされた当時、調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設16)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
  ? 新証拠の提出
    補助参加人らは控訴審において「住吉朝鮮会館利用状況」と題する書面(丙A16の2)、子育て相談セミナー等のチラシ(丙A16の4〜5)及び2010年から総連西大阪支部の委員長を務めている沈基鳳の陳述書(丙A16の8)を証拠提出してきた。沈基鳳は2008年度の施設16の使用状況については、当時の西大阪支部委員長の呉信浩前委員長から引き継ぎを受けて把握しているという。 
    平成20年4月の実地調査に際して2007年の使用実態を証明するために「住吉朝鮮会館利用申込書」(乙A16の5)は提出されていたが、平成21年7月の実地調査に際して「住吉朝鮮会館利用状況」(丙A16の2)の資料は提出されなかった。 
    沈基鳳の陳述書には、その理由について何ら触れられていない。   
  ? ハングル教室  
    沈基鳳の陳述書の記載によれば、施設16で開講されているハングル教室は西大阪支部が開講しているものであり、チラシを配るなどして受講生を募集しているという。また、西大阪支部はハングル教室を開くために施設16に施設利用申請を行い、許可を得た上でハングル教室を行っているという。
    すなわち、ハングル教室の使用は総連西大阪支部の支部活動そのものであ
る。 
  ? 各種行事の準備のための使用 
総連西大阪支部は、花見大会、旅行企画、納涼大会、忘年会といった定例行事を行っており、施設16においてその準備ないし総括にかかる会議を行っているという(丙16の8)。そうだとすれば、これらの会議は総連西大阪支部の活動そのものである。 
  ? 敬老会
    陳述書によれば、施設16では、毎年敬老の日に、住吉地域同胞敬老会が催されるという。そして大阪支部は、毎年チラシを作り、地域の高齢者に配布するなどして参加を呼びかけているという(丙16の8)。
    つまるところ、敬老会も総連西大阪支部の本来的な支部活動であり、敬老会はもちろん準備会議等の使用も、朝鮮総連以外の在日朝鮮人一般の活動による使用ではないということである。  
  ? 無料法律相談の開催  
    西大阪同胞生活相談総合センターは、施設16において、同胞無料法律相談を年1回程開催しているという。既述のとおり、同胞生活相談総合センターの活動は、朝鮮総連の活動そのものである(施設1?)。 
 ? 小括 
   結局、新証拠の内容を斟酌しても、施設16における使用の大半は朝鮮総連の支部ないし傘下団体による活動であることが認められる。施設16について公民館的使用実態が認められないとした原判決の認定は揺るがない。 
17 施設17:「百済朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府東阿支部百済分会)  
 ? 原判決は施設17の使用状況について「施設17は朝鮮総連大阪府東阿支部百済分会として使用されているものであって、施設17における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「使用貸借契約書及び調査担当者による実地調査報告書も本件監査請求後に追加で提出されたにすぎないこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったことからすれば、同減免措置に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(施設17)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であると認定した。 
 ? 新証拠の提出     
補助参加人らは控訴審において「会館使用状況」(丙A17の1)及び2008年から朝鮮総連大阪府東阿支部委員長を務めている鄭善治の陳述書(丙A17の2)が提出されている。 
   率直にいって、2008年4月と2009年7月の2回にわたる実地調査に際して会館使用状況に関する資料が一切提出されていなかったにもかかわらず、控訴審において「会館使用状況」のような資料が提出されたことについては疑念を抱かざるを得ない。  
   しかしながら、提出された「会館使用状況」の記載によれば、2008年における施設17の利用団体は、「総連・婦人部」「総連・婦人部・青年部」「青年部」「合同」であり、すべて朝鮮総連の支部ないし傘下団体の活動としての施設利用であることがうかがえる。      
? ハングル教室   
  およそ1カ月に一回の頻度で行われていたハングル教室は「青年部」すなわち、在日本朝鮮青年同盟東阿支部百済分会による活動であり、朝鮮総連の支部(分会)としての使用であると推認され、朝鮮総連の活動を離れた在日朝鮮人一般による使用ということはできない。   
 ? 夏期学校
   新証拠として提出された「会館使用状況」の記載によれば小学生を対象とする夏期学校が2008年7月29日から31日まで開かれていた記載がある。夏期学校を企画運営したのは青年部、すなわち在日本朝鮮青年同盟東阿支部百済分会であり、夏期学校による会館使用は朝鮮総連の活動にほかならない。 
 ? その他年間行事 
   丙A17の1の「会館使用状況」の記載によれば「分会同胞新年会」が総連・婦人部・青年部によって行われており、「分会忘年会」が合同(総連・婦人部・青年部)によって行われ、「クリスマス会」が青年部によって行われたことが認められる。
いずれも朝鮮総連の支部としての活動であり、朝鮮総連と無関係に在日朝鮮人一般によって使用されたものとはいえない。
18 施設18:「総連東阿矢田分会」
 ? 原判決は施設18の使用状況について「施設18は朝鮮総連の支部(分会)として使用されているものであって、施設18における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「使用貸借契約書等及び調査担当職員による実地調査報告書も本件監査請求後に追加で提出されたにすぎないこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと、調査担当職員は、施設18の2階部分の実地調査は行っていないことからすれば、本件減免措置(施設18)に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」などとし、本件減免措置(18)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
 ? 新証拠の提出
補助参加人らは控訴審になって「会館使用状況」(丙A18の1)及び東阿支部委員長の鄭善治の陳述書(丙A18の2)を証拠提出してきた。 
   朝鮮総連東阿支部矢田分会が、これまで「会館使用状況」の資料を提出しなかった理由は不明であるが、その記載によって施設18の使用はいずれも朝鮮総連の支部ないし傘下団体による活動であったことがより明確になったといえる。  
? ハングル教室
  ハングル教室の使用は、青年部(在日本朝鮮青年同盟東阿支部矢田分会)の活動である。 
 ? 夏期学校 
   丙A18の1の「会館使用状況」には夏期学校の主催者についての記載はないが、東阿支部百済分会の場合と同じく、東阿支部矢田分会の青年部による活動だと推認される。 
 ? サークル活動  
   丙A18の1の「会館使用状況」には一ヶ月に1回の頻度で「文化サークル(手芸、歌謡、料理等)」が「婦人部」によって行われたことが記載されている。「婦人部」とは在日本朝鮮女性同盟東阿支部矢田分会のことである。
 ? その他年間行事 
   丙A18の1の「会館使用状況」の記載によれば「同胞新年会」が「分会」によって、「同胞忘年会」が「分会」によって、「クリスマス会」が「青年部主催」で行われていたことがうかがえる。   
19 施設19:「東阿朝鮮人会館」(朝鮮総連大阪府東阿支部)
 ? 原判決は、施設19の使用状況について「施設19は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設19における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「使用貸借契約書等及び調査担当職員による実地調査報告書も本件減免措置(施設19)後に追加で提出されたにすぎないこと、減免申請に係る申請書の実地調査記事欄にも、調査担当職員による実地調査の内容が明確といえるほどに記載されていなかったこと等からすれば、本件減免措置(19)に係る判断資料の収集は不十分であったといわざるを得ない」とし、「なお、本件減免措置(施設19)がなされた後に被告の担当者に提出された写真等によれば、施設19が各種のサークル活動等としても利用されていたことがうかがえるが、その主催者や利用者の範囲は明らかではないし、これら写真等から、施設19の使用がこれらサークル活動等に限られていたものと認めることもできない。かえって、上記のように施設19が朝鮮総連大阪府東阿支部として使用されているものであって、その部屋も、「青年部集会室」や「会議室」等となっていることからすれば、朝鮮総連の支部ないし傘下団体の活動として使用されていることが推認されるというべきである」などとし、本件減免措置(施設19)は大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとしている。
? 新証拠の提出  
補助参加人らは控訴審で2007年ないし2008年の会館使用状況に関する資料として「東阿朝鮮人会館使用簿」(丙A19の1)、「東阿朝鮮会館管理使用規則」(丙A19の2)、案内チラシ(丙A19の12)及び東阿支部委員長の鄭善治の陳述書(丙A19の19)を証拠提出してきた。 
会館使用簿及び会館管理使用規則については、2回にわたって行われた大阪市の実地調査の際にも提出されなかったものであるが、鄭善治の陳述書にも控訴審において突然提出することになった理由について何の説明もない。
 ? 土曜児童教室
陳述書には、毎週土曜日、主に施設19の1階会議室を使用して周辺の公立小学校に通う在日朝鮮人児童を対象に開かれていた教室であると記載されているが、多い月でも3回、1〜4月、8月及び12月には開かれていない。
   使用簿によっても主催者が不明であり、朝鮮総連の活動との関連性を否定することができない。 
 ? ハングル教室
   陳述書には、毎週金曜日に、施設19の1階多目的室を使用して在日朝鮮人中高生を対象にしたハングル教室が開かれていると記載されている。
   使用簿によっても主催者が不明であり、朝鮮総連の活動との関連性を否定することができない。  
 ? セナル会 
   セナル会とは、在日朝鮮人青年商工会を中心に、在日朝鮮人社会と祖国統一に寄与すること等を目的として結成された会であるという。
在日朝鮮人青年商工会(青商会)は朝鮮総連結成40周年を迎えた1995年9月に結成され、結成後10年間に中央機関のもと地方と県単位そして地域単位に組織をもつ力のある新世代団体として発展してきた。朝青を経て青商会に網羅された会員は、頼もしい熱誠者、商工人に成長して、支部と分会、商工会と学校で大きな役割を果たしているという(甲66p43)。
セナル会の活動は、「われわれは、愛族愛国の旗のもとに、すべての在日同胞を朝鮮民主主義人民共和国のまわりに総結集させ、同胞の権益擁護とチュチェ偉業の承継、完成のために献身する」とした朝鮮総連の綱領を実践するものである 。 
 ? 囲碁大会 
   陳述書にある囲碁大会は使用簿の記載によって確認できない。
 ? 老人会 
   毎年敬老の日に行われる同胞老人会は、どの朝鮮総連支部でも行われている重要な支部活動である。
 ? 同胞生活相談センター 
   同胞生活相談センターにおける相談業務は朝鮮総連の活動としてなされているものである(施設1?)。
 ? 税金講演会・説明会 
   施設19の3階講堂で行われている「税金講演会・説明会」は在日本朝鮮大阪府商工会が主催するものである。いうまでもなく在日本朝鮮商工会は朝鮮総連の傘下団体であり、大阪府商工会はその地方支部である。  
 ? サークル活動  
   1階多目的室では、2週間に1回の頻度で、在日朝鮮人女性を対象としたサークル活動として料理回や勉強会が行われているという。使用簿の記載からは判然としないが、婦人部ないし女性部(在日本朝鮮人女性同盟東阿支部)の活動であると推認される。 
 ? その他年間行事   
   新年会、成人式は、朝鮮総連支部の主要な年間行事であり、支部の活動そのものである。花見回も同様である。クリスマス会を主催した青年部も3階講堂を利用する各種忘年会も朝鮮総連支部ないし傘下団体による活動であり、
朝鮮総連の活動を離れて在日朝鮮人一般による活動であると認めることはできない。 
 ? 小括 
   結局、補助参加人らが提出した証拠を斟酌しても、施設19の使用の大半が朝鮮総連とは関係のない在日朝鮮人一般による活動が占めていると認めることはできず、公民館的使用を認めることができないとした原判決の認定は揺るがない。  
20 施設20:「南開朝鮮会館」(朝鮮総連大阪府西成支部) 
 ? 原判決 
原判決は施設20の使用状況について「施設20は、朝鮮総連の支部として使用されているものであって、施設20における各種使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われる」としたうえで、「本件減免措置(施設20)がなされた当時、使用貸借証明書等、使用状況に関する資料及び調査担当職員による実地調査報告書は提出されていなかったこと、実地調査においても、施設20の内部の調査は行われず、担当職員が外から確認できる限度で施設内部の様子を確認するにとどまっていること等からすると、同減免措置に係る判断資料の収集は極めて不十分であったといわざるを得ない」とし、本件減免措置(施設20)は、大阪市長の裁量の逸脱・濫用があるものとして違法であるとした。
 ? 新証拠の提出 
   補助参加人らは控訴審になって「南開朝鮮会館利用状況」(丙A20の1)や総連大阪府西大阪支部委員長である沈基鳳の陳述書(丙A20の5)を証拠提出してきた。なお、沈基鳳の陳述書は施設2、施設3、施設16の資料としても提出されている。     
? ハングル教室 
  陳述書と「南開朝鮮会館利用状況」の記載によれば2008年に合計7回ハングル教室が開かれたという。「南開朝鮮会館利用状況」における「利用団体」の欄には、ハングル教室の利用団体は「地域同胞子弟」と記載されているが、それは主催者でなく対象者の間違いである。例えば、朝鮮総連支部分会の活動である「分会役員会」についても利用団体は「地域同胞」と記載されているのである。 
  朝鮮総連の支部として使用されている施設を使用する活動は朝鮮総連との関連性が強く疑われることからすれば、ハングル教室の使用も朝鮮総連西大阪支部としての活動であると推認される。 
 ? 茶話会
   茶話会の使用も朝鮮総連との関連性が強く疑われるところ、西大阪支部としての活動であると推認される。 
 ? 各種行事の準備のための使用 
   陳述書には、2008年3月12日に西成ワンコリア野遊会準備の分会役員会議が、2008年6月27日に納涼大会準備のための分会役員会議が施設20で開かれたとあるが、それらの施設使用が朝鮮総連大阪府西大阪支部の中央分会によるものであったことを認めている。 
 ? まとめ 
   結局、新証拠によっても施設20が朝鮮総連の活動を離れて一般の在日朝鮮人によって使用されていたという事実はうかがえなかった。施設20を地域の在日朝鮮人一般に開かれた公民館的施設だと認めなかった原判決の認定は揺るがない。 
                             






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平成25年(行コ)第15号 
固定資産税及び都市計画税減免措置取消請求控訴事件(住民訴訟)
控訴人   大阪市        
被控訴人  ●●●●      
控訴人補助参加人 在日本朝鮮人総聯合会大阪府生野西支部 外10名

                
準備書面4(被控訴人)


 
                
平成25年10月8日
(判決期日:平成25年12月13日)
大阪高等裁判所第1民事部E係 御中    

             被控訴人訴訟代理人 
弁護士  コ  永  信  一
      








      呉圭祥の意見書からみえる朝鮮総連    





目次

第1 呉圭祥の意見書からみえる朝鮮総連  
1 序説 …………… p3
2 適切な問題設定と不誠実な回答回避 ……………… p5
  3 チュチェ思想と朝鮮総連 ………… p8 
  4 拉致問題について ……… p11
  5 在日朝鮮人による北朝鮮の支持  ……… p13 
6 総連は朝鮮労働党の受命機関か否か ………… p15
 7 朝鮮総連に対する強制捜査について …………… p18
 8 総連問題の本質について ………… p19   
第2 控訴人補助参加人らの準備書面?に対する反論     
  1 「序説 朝鮮総連の二重構造」について ……………… p20  
2 「日系人の強制収容所」について  ……………… p21 
3 「第1 朝鮮総連の指導指針−主体思想とは何か−」 ……………p22   
  4 「第4 朝鮮総連の人権擁護活動」について ………………p22      
 5 「2 北朝鮮と朝鮮総連の『人権思想』の正体」 …………………… p24
6 「3 帰国事業」について …………… p25 
  7 「4 指紋押捺拒否運動」について ………………………… p25 
  8 「5 国籍条項撤廃要求運動と『共生』の発想」について ……………… p26
  9 「6 地方参政権運動」について ………………… p27 
  10 「7 日本人拉致事件」について ………………… p27 
  11 「8 朝鮮総連による人権侵害」について …………… p27 
  12 「9 朝鮮総連の公共性と政治性−不特定多数と政治的中立性−」……… p28
  
第1 呉(オ)圭(ギュ)祥(サン)の意見書からみえる朝鮮総連の実像  
1 序説     
   つまるところ、補助参加人らの主張するところは、朝鮮総連の活動は、在日朝鮮人にとってはもちろん日本国民にとっても公益性が認められるものである。それゆえ総連の地域活動の拠点である支部の活動も公益に資するものである。それゆえ、その支部がある施設について固定資産税を免除するのは当然だという論法である。きわめて粗雑で乱暴な論理といわざるを得ない。 
  チュチェ思想という北朝鮮の特殊なカルト的政治思想を所与のものとし、北朝鮮の指導を仰いで北朝鮮と一体的に活動する朝鮮総連の活動をもって日本の公益に資するというのはいかにも大胆な主張であるが、残念ながら、その内実は不都合な事実に口を閉ざして通過する単純な誤魔化しによる瞞着であった。例えば、今年3月で4度目となる国連安保理制裁決議や8年連続の国連総会での人権侵害非難決議を受けていること、或いは、北朝鮮の外貨獲得のための不法な経済活動のこと、或いは、627億円もの巨額の負債を残した「九月マルスム」に基づくパチンコ・地上げの経済活動のこと、そのために総連の象徴である中央会館が競売される破目になったこと、或いは、朝鮮労働党の指示による対南工作活動のこと、    或いは、若手活動家に対するチュチェ思想による教化洗脳のこと、  或いは、金王朝三代目世襲独裁者に忠誠と隷従を誓っていること、或いは、北朝鮮帰国者の生命と待遇を引き換えになされる人質ビジネスのこと、或いは、許宗萬独裁体制の批判や改革提言に対する徹底弾圧のことといった元総連幹部たちの告白や公安調査庁の調査報告に基づく不都合な真実については三匹猿(不見猿・不聞猿・不言猿)を貫いている。
たとえ、北朝鮮の国益を優先する朝鮮総連の活動に何らかの公益性が認められるとしても、総連活動の拠点である支部が置かれ、定期的かつ継続的に朝鮮総連としての活動が行われている施設に「在日外国人であれば誰でも利用できる公民館的」な公益性が認められることにならないのである。
この点、東京都の都税条例が定める「公益のために直接専用する固定資産」に朝鮮総連中央会館が該当するかどうかが争点となった東京都の減免措置停止の不当をいう裁判の判決理由が参考になる。同判決は「公益のため」すなわち、不特定多数の「直接の使用又は利用に専ら供され、その利益を増進する」固定資産を指し、そのような固定資産については公益性が明白であるから、減免の対象とするという趣旨であり、たとえば公益性のある団体の所有する固定資産であっても、それが特定の者によってのみ使用され、あるいは広く住民の使用に供されることが予定されていないものは公益性の有無や程度が明白とはいえないので、これを含まないと解するのが相当である」とした(甲8)。 
同判決理由は、本件にも妥当する。「在日外国人のための公民館的施設」とは、「不特定多数の在日朝鮮人の直接の使用又は利用に専ら供され、その利益を増進する施設」のことを指す趣旨であり、たとえば朝鮮総連の活動に公益性が認められたとしても、総連関係者によってのみ使用され、あるいは広く在日朝鮮人一般の利用に供されることが予定されていないものは公益性の有無や程度が明白とはいえないので、これには含まないと解するのが相当である。公民館的な公益性を「直接的公益性」というならば、補助参加人らが主張している朝鮮総連の活動の公益性は「間接的公益性」と称すべきものである。朝鮮総連の活動に公益性が認められることから、直ちに、支部施設に公民館的な「直接的公益性」を認めることができるという補助参加人らの論法はその出発点において根本的に誤っている。      
   たとえば、創価学会や幸福の科学などの新興宗教の団体、日本共産党や自由民主党などの政党、反原発や反在日を叫ぶ市民団体や各種NPOを考えてみよう。彼らが目指すところは、わが国あるいは人類全体の公益である(と彼らは 口を揃えていうだろう)。実際、彼らの活動にも朝鮮総連の活動と同等以上の公益性は認められる(営利法人である株式会社にだってそうした公益性は認められるのであるが)。しかし、彼らには、その信仰教義や政治姿勢に対する批判対立勢力がある。それゆえ、その活動が直接的に不特定多数の(みんなの)利益に資する活動ということはできない。よって国や地方自治体の権力はこれに直接的に関与すべきでないことになる。議会討論や選挙等の政治フォーラムの外では、公衆の場において「政治と野球の話はしない」という世知はその道理を表している。幸福の科学や日本共産党、あるいは自由民主党の支部として使用されている会館施設に公民館的な直接的公益性を認めて万人が公平に課せられるべき固定資産税を免除されるには、当該会館施設が幸福の科学や日本共産党としての活動を離れた不特定多数による利用が広く認められなければならないはずだ。活動の対象が広く開かれていることは直接的公益性を認める根拠にはならない。自由民主党も創価学会も新たな党員、支持者あるいは信者を獲得するために、イベント等の活動の「対象」を一般に開いている。活動の対象を広く一般とすることと「公民館的施設」が有するべき直接的な公益性が認められるかどうかとは全く別のことなのだ。   
   皮肉なことに、呉圭祥の意見書は、被控訴人らの主張と原判決の正当性を裏付ける役割を果たしてしまっている。意見書の「4.朝鮮総連の日常活動について」は、朝鮮総連の活動の一面を切り取って公益性があると強弁するものであるが、本件各施設における会館利用のほとんどが総連の定期・不定期の支部活動そのものであることを証明する皮肉な結果となっている。 
 「1.在日朝鮮人の形成」、「2.在日朝鮮人組織の結成とその活動について」、「3.在日朝鮮人の法的地位及び差別状況について」で述べられていることは朝鮮総連の歴史的経緯に関する総連の建て前にすぎない(時間と余裕があれば、追ってこれに対する批判を行うつもりだが、現時点では、在日問題を専門とする都立大教授の鄭大均著の文藝春秋新書『在日・強制連行の神話』(甲32)、ハーバード大学の朝鮮学の泰斗エドワード・ワグナー博士の古典的名著『日本における朝鮮少数民族』(甲33)、草思社から出版されたハワイ大学の名誉教授ジョージ・アキタ=ブランドン・パーマー著『「日本の朝鮮統治」を検証する』(甲●)の内容を援用して補助参加人らの民族史観による主張が、事実に基づかないものであることを論証する。すなわち、戦時の徴用によって渡日した朝鮮人のほとんどは終戦後間もなく故国に帰り、在日を構成しているほとんど韓国・朝鮮人は自らの意思によって来日した一世とその子孫であり、民族史観において渡日の理由として語られた日本人官僚による土地収奪という見方は、全く根拠がなく、土地台帳、土地所有権証、地積図といった総督府の客観的資料等から導き出される結論は、「土地所有権の移転に関して不法なことは全く行われなかった」というものであるということがそれである。 )いずれにしても在日朝鮮人と朝鮮総連の歴史的経緯にかかる呉圭祥の主張は、本件減免措置がなされた当時の朝鮮総連の支部活動の性格との関連性が希薄である。
   本件訴訟の争点と密接に関係するのは、最終章「5.総連と朝鮮人民共和国との関係について」だけである。よって、以下、同章を取り上げて批判する。
2 適切な問題設定と不誠実な問題回避   
呉圭祥は、「現在、総連を取り巻く様々な見解がある中で、とくに総連と朝鮮民主主義人民共和国との関連性を明らかにすることは喫緊のことと思う」とする。これは極めて適切な問題設定であり、被控訴人の問題意識と共通している。ところで呉圭祥は、その正しく設定した問題に対して適切な論考と回答を用意したのだろうか。否である。呉圭祥は問題と向き合うことを回避し、論点をすり替え、不都合な事実を素通りし、独裁国家の基準を云々し、最後には議論を生煮えにしたまま「朝鮮総連と共和国との関係がどのようなものかは本質的問題ではない」などと《ちゃぶ台返し》してしまうのだ。  
? 論点のすり替え    
続けて呉圭祥はいう。「総連は朝鮮民主主義人民共和国を支持し、在日朝鮮人を共和国政府の周りに結集させることを綱領で明確にしており、共和国の指導理念であるチュチェ思想を組織の指導理念としていることも公にしている」としたうえで、「総連が共和国を支持しているので『許せない』『異常な組織である』と断定するのは短絡的な見解である」とし、「どうやら朝鮮は、『独裁国家』であり、『核、ミサイル、拉致』の国であるからその朝鮮を支持し、その指導理念を指導指針とする総連組織も『日本で活動することは許せない』『異常である』という論法らしい」とまとめている。
    残念ながら、呉圭祥は大事な問題を完全に取り違えている。敢えて曲解しているのだとすれば、これを「論点のすり替え」という。総連が批判されているのは、単に「総連が共和国を支持している」ことが理由ではない。   
総連が北朝鮮の指導思想であるチュチェ思想を総連自身の指導理念とし、金独裁軍事王朝三代に絶対忠誠を誓って仕え、朝鮮労働党の受命機関として北朝鮮と一体となって活動していることを問題にしているのである
    被控訴人の主張が呉圭祥のまとめているところと異なるものであることは、控訴審で提出した準備書面1〜3に目を通して頂ければ直ちに理解されよう。呉圭祥が「短絡」として批判してみせた主張は、呉圭祥自身が簡略化した総連批判であり、それ自体が呉圭祥の「短絡」による幼稚な歪曲でしかない。すなわち、丙10号証の意見書における呉圭祥の批判は、被控訴人の主張に対する批判にも原判決に対する批判にもなりえていないのである。        
  ? 国連安保理制裁決議等の看過    
呉圭祥は北朝鮮が国連加盟国であり、160カ国と国交を結んでいる世界の一員であることを強調する。その意図は明確ではないが、どうやら北朝鮮が異常な独裁国家であるという非難を緩和する論法らしい。  
ところが呉圭祥は、北朝鮮がその国連の安全保障理事会において「核、ミサイル」を理由に2006年から今年の3月までに立て続けに制裁決議を受けていること(決議1695号、決議1718号、決議1874号、決議2094号)や外国人拉致や拷問、公開処刑等の広範かつ深刻な人権侵害について8年連続国連総会で人権侵害非難決議がなされていることには一切触れずに頬っ被りしている。北朝鮮は国際社会から平和と人権を無視する独裁国家だとみられており、そのことは北朝鮮を公正に評価するうえで不可欠な事象である。わが国の北朝鮮に対する制裁措置はこれらの国連決議に依拠している。そのことは呉圭祥もよく理解しているはずである。ここに黒を白といいくるめる呉圭祥の「瞞着」がある。      
? 独裁国家の基準        
呉圭祥の論法の中でとりわけ瞞着が酷いのは、北朝鮮に対する「独裁国家」という非難にたいし、何と「どのような国家を独裁国家とみるのかということは、その基準を科学的に分析してそれに照らし合わせて判断するべきであり、好き嫌いの好みや、憎悪心や復讐心などの感情論を基準にして判断するものではないと考える」として「独裁国家」の定義解釈の問題に逃げ込み、正面からとりあうことを避けていることだ。  
日本において「独裁国家」という言葉が使われる場合、それが少数者または特定党派が絶対的な政治権力を独占して握る非民主的な政治体制を指し、議会民主制に対峙する国家体制をいうことは日本人の常識であり、周知の事実である。  
非民主的方法によって絶対的政治権力の三代世襲がなされたことに対しては総連内部にも批判があると聞く。かかる北朝鮮に対して「独裁国家」の称号を冠するのは当然のことである。北朝鮮の国家体制の実態は、自ら国名に掲げている「民主主義」と「共和国」に真っ向から反する世襲専制独裁なのである。殊更に「その基準を科学的に分析してそれに照らし合わせて判断すべき」などと大上段に構えるような大層なことではない。明らかな瞞着である。そして民主主義を基本原理とする日本国憲法下の我が国において民主主義と対立する独裁政治が不審の眼差しに晒されることは当然のことであろう。    
更に、北朝鮮を独裁国家として批判的に論じることをもって、「好き嫌いの好みや、憎悪心や復讐心などの感情論を基準にして判断するもの」であるかのような呉圭祥の論法も誠実なものとはいえない。そのような揚げ足取りをするのであれば、呉圭祥なりの「独裁国家」の定義・解釈を打ちだしてそれに該当しないことを論証する作業を併せて行うべきである。もっとも北朝鮮に肩入れする呉圭祥にしても、現在の北朝鮮を独裁国家ではないと論証することは至難の技だということなのだろう。            
結局、呉圭祥は北朝鮮の「独裁」についても、北朝鮮の指導理念である「チュチェ思想」についても、その内容に一切触れることなく、傍観者的に論評する無責任な態度に終始し、その分析を意図的に回避しているのである。その板についた瞞着ぶりは不誠実との非難に値する。       
 3 チュチェ思想と朝鮮総連  
? 呉圭祥が認めているように朝鮮総連は北朝鮮の指導理念であるチュチェ思想を組織の指導理念としている。そしてチュチェ思想が全ての総連活動の基本原則だということは外ならぬ朝鮮総連自身が認めている。「朝鮮総連は、人民大衆中心の世界観であり、愛族愛国の思想であるチュチェ思想を指導的指針としてすべての活動を繰り広げている。朝鮮総連は、チュチェ思想にもとづいて主体的力量を強化し、それに依拠して運動を展開している」(甲66p24)。チュチェ思想は、総連の組織原理であり活動原則であるということは、総連の活動は全てチュチェ思想の実践として捉えることができるということである。   
それゆえ、一見難解なチュチェ思想の内容を明らかにする必要があるのである。被控訴人が準備書面1で明らかにしたチュチェ思想の内容について補助参加人らは、平成25年8月30日付準備書面?でなんと「朝鮮民主主義人民共和国の政治と思想についてあれこれ議論するのは自由であるが、朝鮮総連の活動の公益性を否定するのにどのように結びつくのか不明であるから、このような議論は本件において意味を有しない」と言ってのけ、敢えて認否も反論も放棄した。笑止。チュチェ思想の内容を論じる必要は、まさしくそれが総連の組織原理であり活動原理であるという事実に由来する。総連の活動はすべてチュチェ思想の実践なのである。ゆえに、総連活動の性質はその指導理念であるチュチェ思想の内容理解を脇に置いて論じることはできないはずだからである。  
チュチェ思想の内容とその帰結は準備書面1で詳述したとおりであるが、簡略化すれば、北朝鮮国家を1つの社会政治的生命体とし、細胞ないし手足である人民は、頭脳であり神経である首領(金日成・金正日・金正恩)の指導を仰ぎ、絶対的に服従することで有限な固体の限界を超えて永遠の生命を得るとする超越論的な色彩を帯びた有機的生命体論の亜種である。それはマルクス主義の人民主体的な解釈論として出発したが、終には唯物論のマルクス主義とは似ても似つかぬ金一族神格化の似非形而上学に堕してしまった。チュチェ思想の産みの親である黄長Yによれば金正日がチュチェ思想を自らに都合よく改変してしまったのだという。かかる金正日流チュチェ思想を指導理念とする朝鮮総連が金王朝の支配下にある朝鮮労働党の指導に服従し、その機関として一体的に活動することになるのは《理論上》当然のことである。補助参加人らも本当はよく分かっているはずだ。 
? ところで、呉圭祥は、チュチェ思想について一切応答しない補助参加人らとは違い、朝鮮総連がチュチェ思想を組織原理として掲げることについて、「植民地時代ととくに民戦の時代に組織の指導思想が明確でないと他国の革命路線などを機械的に踏襲して結果的には運動を存亡の危機に貶めたという苦い結果からである」などと弁明している。残念ながらチュチェ思想の弁明ではなく指導思想を持つことの弁明であるが、しばらく呉圭祥にお付き合いしてみよう。
思うに、一般論として政治組織が対抗勢力との対立抗争の中にあるとき、明確な指導理念をもつことの必要性があることは理解できる。しかし、朝鮮総連が会員同胞の生活と利益擁護を目的とする互助団体なのであればかかる政治理念は必要とされなかった。チュチェ思想に至る民族主義的な指導理念は日共シンパの革命路線や中共の毛沢東主義と対抗するために必要とされたものだった。総連が極左冒険主義だと批判した朝連や民戦(民対派)は社会主義革命を掲げる統一戦線的政治組織だった。その革命路線を転換してできた朝鮮総連も社会主義革命を掲げる統一戦線組織である。そもそも他の革命路線云々を問題にすること自体、総連が単なる権益擁護団体ではないことを物語っている。そして「植民地時代ととくに民戦の時代」を終え、世界中の革命路線がその使命を終えた21世紀にまで、でき損ないの革命思想であるチュチェ思想を奉じる必要性などどこにもない。
 呉圭祥はチュチェ思想の内容については沈黙している。まるでタブーであるかのように。語りたくとも語れないのであろう。それが金一族による独裁を正当化する屁理屈であり、およそ思想の名にも値しないものであることを彼自身よく知っているからである。 
? 呉圭祥は「百家争鳴というか、右から左まで何でもありの思想混迷時代に在日朝鮮人のアイデンティティーを固持し、彼らの幸せな生活を築くためには、ぶれない信念と思想が必要なのである」ともいう。在日朝鮮人の幸せな生活を築くためには金一族を神格化するチュチェ思想という硬直した狂信的ドグマが必要だといっているのだ。呉圭祥は知ってか知らずにか自らも胸に「金日成バッチ」を付け、金三代に賛美歌を捧げる聖歌隊の一員であることを暴露しているのだ。彼の背後で、独裁のプロパガンダを奏でる進軍ラッパが高らかに洗脳のリフレインを繰り返している。「偉大なる首領様」「百戦百勝の霊将」「民族の太陽」「敬愛する将軍様」と。   
そもそも朝鮮民族のアイデンティティーをいうなら、チュチェ思想という人工的イデオロギーは相応しくない。むしろ朝鮮民族の伝統的アイデンティティーが金一族に簒奪され、チュチェ思想などという急ごしらえの「神話」に置き換えられていることを嘆くべきである。    
付言すると、被控訴人は、チュチェ思想を奉じる前衛組織としての朝鮮総連の活動の自由を認めるなといっているわけではない。金日成、金正日、金正恩の独裁一家3代を神格化して褒め讃えることをやめろというつもりもない。在日社会のなかでも批判の多いチュチェ思想という特定の政治家(金日成、金正日、金正恩)を神として仰ぐ指導理念をもって組織理念・活動指針として掲げて実践するのは自由である。わが国は、反日的、反平和主義的な団体にも政治活動の自由を保障している。どうぞ「ご勝手に」である。
しかし、そのような指導理念を掲げ、これを実践する団体に一般的な公益性を認めることはできないことは当然の理であり、ましてや固定資産税の減免という特権を享受することを認めることは許されないといっているのである。   
 4 拉致問題について    
   ? 呉圭祥は、拉致問題についてこういう。「拉致問題は、朝鮮も認めて謝罪し、今後再発はないと最高指導者が断言した。拉致問題に関して総連がとやかく発言する立場にない。これは日本国家と共和国が国家間で解決すべき問題である」と。  
違うだろ! 拉致被害者は、北朝鮮が認めた13人(男性6人、女性7人)だけではない。日本政府は拉致被害者17人を認定しており、特定失踪者問題調査会は470人の特定失踪者が北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとしている。その被害の全体像、被害者の生死・所在、工作員による拉致の方法、加害工作員の氏名、総連の関与等に関する真相究明は日本国民全体の関心事である。総連は長期間に渡り、北朝鮮の公式見解である「拉致事件など存在しない。反共和国勢力による悪質な政治的謀略だ」をそのまま主張し、横田さんら拉致被害者の声を封殺し、救済を妨害してきた過去がある。加害者である北朝鮮の側にいたのである。拉致問題について過ちを認めて謝罪し、真相究明に向けて努力することこそが総連の道徳的義務であるはずだ。  
    ところが朝鮮総連中央が行ったことは、拉致事件における朝鮮総連の責任を認めて謝罪すべきだとした洪敬義 や呉秀珍ら良心派の声を無視し、逆に、その失脚と排除を図り、国家間の問題だとして自らの責任を棚上げし、拉致問題の全面解決を求める世論を「反共和国騒動」だと非難することだった。朝鮮高校の教科書『現代朝鮮歴史 高級3』ではかかる北朝鮮と朝鮮総連の立場に基づき、「2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は『拉致問題』を極大化し、反共和国・反総連・反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった」とし(甲29の3p122)、その結果、朝鮮高校における教育内容偏向の象徴的事例として問題視されることになった。    
拉致問題に対する呉圭祥の意見は、朝鮮総連の立場と完全に同一であり、同胞を拉致された日本人はもとより、日本人との共生を願う在日朝鮮人一般の見解とも乖離したものとなっている。  
  5 在日朝鮮人による北朝鮮の支持      
呉圭祥は、故郷を韓国(南朝鮮)に置いている在日朝鮮人の多くが北朝鮮の政権を支持するようになった理由について、「なによりも、植民地時代に朝鮮の独立のために献身的にたたかったほとんどの人たちが朝鮮に帰国・在住し、新朝鮮建設に励んだことである」というが、それは北朝鮮と朝鮮総連による偽装キャンペーンによるものだった。 
金賛汀がペレストロイカ以後のロシアで、タシケント、ハバロフスクの近郊のビヤツコイ村を訪れて取材した結果をもとに「パルチザン挽歌−金日成神話の崩壊」で公表したように金日成(金成桂)は1940年から45年まで極東ソ連軍第88特別狙撃旅団に所属し、ハバロフスク近郊のビアツコイ村の野営地に勤務中、正妻金正淑との間に金正日(ユーリ・イルセノビッチ・キム)を設けた。終戦後、ソ連の後ろ楯のもとで帰国し、抗日戦争の伝説の英雄「金日成」を僣称してモランボン広場に登場した偽物(pretender)だった。伝説の英雄を一目見ようと集まった民衆は幻滅して「カチャ、カチャ(偽物)」と連呼したという。   
しかも植民地時代に北朝鮮の独立のために闘った愛族・愛国の戦士たちは、個人崇拝を進める金日成の独裁と8月宗派事件などのクーデター失敗によって次々と粛清され、現代朝鮮史から抹殺されてきた。高級学校で学ぶ『現代朝鮮歴史』には金科奉(朝鮮独立同盟主席:延安派)の名も朴昌玉(北朝鮮副首相:ソ連派)の名も朴金普i最高人民会議常任委員会副委員長:甲山派)の名も出てこない。他方、虚構である金正日の白頭山生誕神話は中学3年生用の『朝鮮歴史』に2頁を割いて記述されている(甲62p132)。 
呉圭祥が指摘するように、金日成は朝連の政治路線を継承した民戦の主流派(民対派)に対抗していた韓徳銖が率いる民族派を後押しし、民族派が主導権を握る朝鮮総連の結成へと導いた(朝鮮総連の結成式には金日成の肖像画が掲げられた)。しかし、これは在日朝鮮人組織内における民対派(日本共産党派)と民族派(朝鮮労働党派)の主導権争いに、金日成が民族派の韓徳銖の後ろ楯となって直接介入したものであり、その後、金日成が労働党内の対抗勢力(南労派、延安派、ソ連派、甲山派)を次々に粛清して独裁体制を固めるに伴い、金日成・金正日に絶対忠誠を誓い、朝鮮労働党の受命機関となっていく布石となった。    
  民族派韓徳銖が主導権を握った総連が推進した1959年からの帰国事業は、在日朝鮮人らの共産主義幻想に基づく「地上の楽園」キャンペーンによって10万人もの帰国者を生み出したが、帰国者たちを待っていたのは日本とは比較にならない貧困と出生身分による苛烈な差別、そして政府批判を徹底弾圧して「収容所」送りにする「凍土の地獄」であった。  総連は未だ、自らが推進した帰国事業によって「地獄」に送り込まれ、人間の尊厳を奪われ、苦しみ抜いた帰国者10万人の救済活動はもとより懺悔もしていない。在日朝鮮人最大の悲劇に全く言及することなく、能天気に帰国事業を誇り、共和国を「心のよりどころ」とする呉圭祥の意見は明らかに変だ。
    呉圭祥は、韓国の李承晩政権の政策を批判するあまり、「彼らの眼中にあったものは在日朝鮮人の財産だけであったという説もある」とまでいう。そうかも知れない。しかし朝鮮総連も、在日同胞から同じ批判を向けられていることを忘れてもらっては困る。朝鮮総連は帰国事業に参加した在日朝鮮人の財産を没収して焼け太りしたと非難されている。  実際、北朝鮮は帰国者を朝鮮戦争によって疲弊した労働力の補給と在日朝鮮人の技術を目当てに帰国事業を推進した。北朝鮮の実態が知られるようになり、帰国事業に対する在日同胞の熱が急激に覚めた1962年以後、朝鮮総連は、帰国者の待遇改善や「収容所」からの解放を「餌」に帰国者の親族から多大な献金を巻き上げる「人質ビジネス」に従事してきた。朝鮮総連の罪は重い。呉圭祥による李承晩批判は「天に唾する」類のものである。     
6 総連は朝鮮労働党の受命機関か否か   
  ? 呉圭祥は、総連と共和国との歴史的関係性に言及した後、両者の関係の内容的なことを考察すべきだとして、「第1に、総連が共和国を支持するということは、総連が共和国の政策や施策を日本で実行しようとすることと同義語ではないということである」という。なんと。誰が、北朝鮮の先軍政治や強制収容所や密告制度や瀬戸際外交といった北朝鮮の政策を日本のような平和で成熟した市民社会においてできると思うだろうか。これは社会主義か資本主義かという問題ではない。彼の国の政治体制には平和も人権も平等も民主主義もない。リンカーンが南北戦争の終盤で行ったゲスチバーク演説になぞらえれば、「金一族の金一族による金一族のための」世襲独裁軍事専制である。  
  ? 呉圭祥はいう。「第2に、総連は朝鮮民主主義人民共和国の出先機関でもないし、出張所でもない。朝鮮労働党の日本支部でもない」と。被控訴人は繰り返しいう。朝鮮総連は、朝鮮労働党の指示を仰ぐ受命機関であり、日本支部であり、下部組織であり、出先機関であり、出張所である。そして朝鮮労働党は社会主義の夢破れた朝鮮革命の前衛組織であり、軍事独裁の参謀である。無能な三代目の子守役であり、召し使いであり、玩具である。愛国・愛族の大義を見失い、真の敵に追従し、人民を収奪する宦官の群れである。  
元朝鮮総連幹部の関貴星は、昭和60年代に次のように綴っていた。「不幸にして、私の見た北朝鮮帰国者の実情はかつて日本帝国主義の鉄蹄下にあったときよりさらにひどいものがあった。しかもなお、北朝鮮当局とその売族的在日出先機関総連は、いまもって祖国共産主義を『楽園』と偽り在日朝鮮人の純粋な祖国愛、望郷感情に便乗して党員獲得に奔走し、在日朝鮮人の完全掌握をねらっている」と。 
また、平成25年10月3日の産経新聞・読売新聞の記事によれば、同年3月に朝鮮総連の許宗萬議長が戦時態勢準備を指示したとのことである。総連が単なる同胞大衆組織であるなら、朝鮮労働党が総連中央に対し、韓国との戦時態勢の指示を出すわけがなかろう(甲72の1〜3)。 
それでも呉圭祥は「総連は日本で活動する同胞大衆団体に過ぎない」と言い張るであろう。それではお尋ねする。単なる同胞大衆団体が、なぜ同胞の家業と競合するパチンコ事業に乗り出し、朝鮮大学の卒業生をパチンコ店員にしたのか。なぜ、総連をもって「日本一の地上げ屋」だといわれるようになったのか。なぜ、民族総有資産であるはずの朝鮮学校を担保にしてゴルフ場開発資金を引き出したのか。その挙げ句に627億円もの債務を抱え、民族金融機関の朝銀信組を破綻させ、総連中央会館競売の憂き目にあったのはなぜか。かかる事態を招きながら財政局を取り仕切ってきた許宗萬が総連トップの議長の席に悠々と居座っているのはなぜか。許宗萬を含め最高幹部の誰も責任を取らないのはなぜか。等々。 
それはパチンコ事業も地上げも金正日からの「九月マルスム」があったからであろう。それが金正日の指示だった故に、誰も責任を取らないし、取れないのであろう。     
北朝鮮に対する国連制裁決議を遵守するべく、核開発に資する技術や物資等の移動や不法送金を差止めるため、かつて覚せい剤の輸入販売、偽札・偽たばこの製造頒布、北朝鮮への不法送金等に加担してきた朝鮮総連に制裁を加えるのは当然の成り行きである。  憐れなのは狡猾で愚昧な独裁者に支配され、餌もなく鞭打たれる牛馬のように、酷使され、なぶりものにされている朝鮮人民である。 
日本人である被控訴人がいうのも気がひけるが、朝鮮総連はその結成時に掲げた精神に立ち戻り、朝鮮人同胞の人権擁護を目的とする同胞大衆組織となり、「真の祖国」で圧政に喘ぐ民衆を救い、70年にもわたって共和国の理想と朝鮮民族を裏切ってきた独裁者に叛旗を翻す革命団体になるべきである。そのときは善き隣人となって応援する。   
  ? 呉圭祥はいう。「第3に、総連が共和国の施策を日本で実行する必要もないし、また実行することも不可能であるということである」。とぼけているのだろうか。社会主義朝鮮の政策などを日本で実行する意味はないというのは全く同意するが、かつて社会主義に憧れを抱いた多くの良心的知識人に代わってお尋ねしたい。北朝鮮のどこに社会主義があるのか。呉圭祥のいう社会主義の定義はなんなのか。  
    呉圭祥によれば、総連は日本の国家制度と法律を遵守することを活動原則としているのだそうだ。偽札を頒布し、覚せい剤を裏社会に売りつけ、海岸線に対南工作基地をつくり、秘密工作員を養成し、地上げを行い、北朝鮮に不法に送金し、人質ビジネスを行い、商工人から献金を強要し、日本の先端技術を盗み、脱北者支援活動家をスパイし、627億円もの負債を棚上げしたまま責任幹部がのうのうとしているのはどうなのか。 
  ? 呉圭祥はいう。「共和国の発展、共和国の科学技術、経済が発展することは在日朝鮮人の願いでもある。そのために寄与することは民族の構成員として当然の義務であり、栄誉でもある」と。独裁者金正恩が牛耳る北朝鮮の発展が在日朝鮮人の願いでもあるというのは俄かに信じられない。それは独裁を延命させるだけである。  
もっとも多くの朝鮮人は今もG・オーウェルの「1984」さながらに独裁者ビッグ・ブラザーの監視下にあり、外部情報を遮断された映画「マトリックス」の《繭》の中で洗脳されたまま微睡んでいる。しかし、洗脳を解かれた日朝の朝鮮人たちは金王朝独裁の崩壊を望み、心の中で牙を磨く。そして金日成と金正日の巨大な銅像を引き倒し、高く聳える主体思想塔を叩き潰し、ルーマニアのチャウセスクやリビアのカダフィーのように敬愛する金正恩大元帥が処刑される日を待ち望む。  
在日朝鮮人10万人が「地上の楽園」キャンペーンに騙され、凍土の地獄に帰国し、飢えと屈辱のなかで塗炭の苦しみを味わっている。呉圭祥がいうとおり、そうした帰国者とその家族、親戚は50万とも100万人とも言われている。日本に残った帰国者の家族は、家族を北朝鮮に人質にとられ、「家族と親戚の幸福と豊かな生活を望まないものはない」という人情につけこまれ、一切の批判を封じられてきた。総連はもう帰国者の家族に服従と献金を強要することはやめるべきだ。どうか将軍様のマルスム(お言葉)の《繭》を食い破って正気に立ち戻り、自らの良心に問い質してほしい。   
朝鮮民族の誇りと民族共和の理想を信じる真の愛族・愛国者にとって、祖国と朝鮮人民を私物化した金王朝打倒を叫ぶことが道徳的義務となるはずである。 
 7 朝鮮総連に対する強制捜査について 
呉圭祥は開き直ってこういう。「総連の活動が日本の法律に抵触するならば、法律にのっとって処罰すればよいことである」。そのとおり。「日本の人口の0.3パーセントにも満たない在日朝鮮人の組織のそれもその一つである総連と傘下団体に関する強制捜査件数は、マスコミに出ていることだけからみるならば、かなり高い比率であることは紛れもない事実ではないか」。そのとおり。その高い比率は総連が組織的に法律に抵触してきたことを表している。ところが、呉圭祥は、これをもって「政治弾圧」という短絡的な結論を導く。    
「何十年にもわたり慣例のようになってきた税務当局と在日本朝鮮人商工会との税務処理」などといって、官民癒着の脱法を正当化し、違法な特例を既得権のようにいう。本件訴訟で問題となっている固定資産税免除の特権についても同様である。確かに、朝鮮総連が隆盛を誇っていた頃、税務当局は、総連による集団的妨害を厭い、事なかれ主義と馴れ合いによる「保身と癒着」を選択し、事実上の「特権」を黙認してきた後ろめたい過去があった。しかし、総連と税務当局の癒着や馴れ合いは、あくまでも脱法であり不法であり違法である。それは無理を大衆的暴力で押し通してきたゴネ得であり、法で擁護される正当な権利ではない。  そのような不法が法治国家(法の適用において平等な国家)であるわが国において続くわけがない。朝鮮総連による大衆的恫喝や馴れ合いによる脱法的利権を既得権のように主張し、構成員を動員して矯正を拒まれるに至れば、当局としても強制捜査するほかなくなることもある。そうしたことが巷間いわれる「在日特権」なるものの本当の姿ではないのかと、呉圭祥の意見を読んで納得した。   
呉圭祥が指摘している2007年1月28日の朝鮮総連大津支部、滋賀朝鮮初級学校に対する強制捜査の翌日には、「北の弾道ミサイルの父」といわれた徐易洪が逮捕(労働者派遣法違反容疑)され、家宅捜査によって自衛隊の最新鋭地対空ミサイルシステムに関する資料が流出していたことが判明した。徐易洪は朝鮮総連の傘下団体である在日本朝鮮人科学技術協会(科協)の元副委員長であり、当時は顧問であった。「科協」は北朝鮮の核ミサイル開発技術に関するスパイ活動の拠点として疑われていたのである。2007年の国連安保理決議1718は北朝鮮への弾道ミサイル技術の移転を禁じるための制裁を決定している。2005年米財務省は北朝鮮関連企業8社が北朝鮮での大量破壊兵器開発に係わっていることを理由に在米資産の全てを凍結する処置をとっている。2005年から2008年までに23回実施された 123箇所の朝鮮総連関連施設に対し、微罪を理由に、数百、数千の警察官を動員して強制捜査が行われる喫緊の必要−呉圭祥がいう『別の目的』−があったのだと推認される。1989年の公安調査庁の「朝鮮総連は非情に危険な団体」答弁、国家公安委員長による「朝鮮総連は治安的にも重大な関心を払わなければならない」答弁には相当の根拠があったということである。  
総連の傘下団体である「科協」や傘下企業「大宝産業」によるミサイル技術移転のスパイ疑惑(自衛隊地対空ミサイルシステム情報流出疑惑)、そして朝鮮総連関連施設への度重なる強制捜査は、当局による恣意的な「政治弾圧」というより、北朝鮮による「大量殺戮兵器開発阻止」という正当な目的をもつものではなかったかと推察される。そのことは、総連が北朝鮮の指示を受けて活動する政治工作組織であるばかりでなく、北朝鮮の核開発や弾道ミサイルの開発に協力しているテロ工作組織である疑いのある団体であることを雄弁に物語っている。  
8 総連問題の本質について  
呉圭祥は、「総連と朝鮮との関係がどのようなものであるかが本質的問題ではなく、日本社会における在日外国人の存在とその活動を認めるか否かにあると考える」という。そして、「朝鮮と日本の関係では、いまだ過去の実態の全貌が明らかにされておらず、また謝罪や補償もなされていない。これを解決することが先決問題ではなかろうか」とし、「北朝鮮を敵視して、制裁と圧力だけを強めても道は開けないと思う。いや開くつもりもないとの考えが根底にあるかもしれない。しかしこれでは日本と朝鮮の国交も東北アジアの平和も遠のくばかりではないか」とし、「総連の活動が在日朝鮮人社会ばかりか日本の社会の国際化と発展に寄与している大衆団体の活動であり、有意義な存在価値ある団体の活動であることを再度強調してこの文を閉める」という。       
  最後の最後になって、呉圭祥は、自ら設定した喫緊の問題 ― 「総連と朝鮮民主主義人民共和国との関連性を明らかにすることは喫緊のことと思う」 ―を、「総連と北朝鮮との関係がどのようなものであるかは本質的問題ではない」として、いとも簡単に星一徹の《ちゃぶ台返し》を演じてしまった。前言を翻す北朝鮮のお家芸を自家薬籠にしているようだ。なんたる羊頭狗肉、なんたる竜頭蛇尾。
しかも呉圭祥は間違っている。朝鮮総連と北朝鮮の関係こそが、総連問題の本質である。東北アジアの平和は、北朝鮮の独裁体制による先軍政治が終焉することでなければ期待できない。北朝鮮の核は朝鮮人民のためではなく、金独裁王朝の体制維持のためのものである。核開発に要する膨大な資金があれば多くの餓死者をださずにすんだはずだ。朝鮮総連が本国との関係を改めず、これまでどおり、独裁者に絶対的な隷従を誓い、核兵器による先軍政治を支持するのであれば、もはや総連とその傘下団体に未来はないように思われる。やがて始まる北朝鮮の崩壊とともに総連の統一戦線も崩壊するだろう。そのとき日朝の朝鮮人民はやっと圧政から解放されるのだ。本来、総連は、その時に備え、難民となって日本海を越えてくる多数の朝鮮人難民を受け入れ、生活を支援する同胞支援組織とならなければならない。北朝鮮に隷属してなされる「総連の活動が日本社会の国際化と発展に寄与している」などという愚かな妄想は早々に捨てるべきである。愛族・愛国の同胞組織としての朝鮮総連は一刻も早く北朝鮮を支配してきた金王朝との関係を絶つべきだ。    
                                 
第2 補助参加人らの準備書面(3)に対する反論 
  1 「第2 序説 朝鮮総連の二重構造」について
    補助参加人らは、朝鮮総連の「北朝鮮労働党に直属し、北朝鮮の軍事独裁政権の利益を図る政治工作組織」という《もう一つの顔》について、全く事実の裏付けがないという。
    朝鮮総連は活動原則として「主体性の原則」を掲げ、「朝鮮総連は人民大衆中心の世界観であり、愛族愛国の思想であるチュチェ思想を指導指針としてすべての活動を繰り広げている。朝鮮総連は、チュチェ思想に基づいて主体的力量を強化し、それに依拠して運動を展開している」としている(甲66『朝鮮総連』p24)。 
    そのチュチェ思想なるものが、結局は、民衆は頭脳である首領様の手足となって隷属することで有限の固体を越えた永遠の生命を得ることができると教え込むカルト・イデオロギーであることは準備書面1で論じたところである。   
    朝鮮総連は、その組織原理であり活動原則であるチュチェ思想に規定された団体であり、チュチェ思想の論理的結論として金日成・金正日・金正恩を神として崇め、絶対服従を誓って隷従することが帰結される。
    確かに、海外の公民が分断国家のいずれを支持するかはその海外の国民の自由である。しかし、日本国内で活動する団体が民主的価値観を持たない独裁と先軍政治を行う国家に隷属し、その受命機関となっているとなると話しは別である。その服従の度合いや、組織の民主的運営の有無、内部的人権尊重の程度によって公益性は大きく変わるであろう。
    補助参加人らは、被控訴人らが公益性の判断において問題にしている「政治性」について論難しているが、政治性は大衆の支持を目指すその本性から、団結と対立、妥協と排除を重要な運動力学とする。「公共」は、種々の政治団体の私的な営みの先にある。前もって公共の権力が特権を与えたり、肩入れしたりしてはならない。
教育が政治的中立性を要求され(教育基本法14条2条)、公務員に政治的中立が求められるのも同じ理である。   
更に、政治性はその指導理念の如何によって「閉鎖性」や「排他性」を生み出すことがある。朝鮮総連の人事は、北朝鮮の意向によって決められ、総連内の民主主義は機能していない。総連が行ってきた活動は、帰国事業において顕著なように、多くの不満者、不平者を生み出した。そして朝鮮総連執行部に対する不平・不満は、「反共和国分子」として在日社会から排除される。
そうした朝鮮総連の活動に在日朝鮮人の公民館と類似の不特定多数の在日朝鮮人一般に開かれた公益性を認めることができないことは当然である。
  2 「日系人の強制収容所」について
    補助参加人らは、わが国が関係するよく似たケースだとして、第二次大戦中のアメリカ、カナダにおける「日系人の強制収容所」のことを持ち出す。アメリカ、カナダの公共的利益を害する行動をとったという事実がないのに、日系人であることを理由に、財産を没収され、内陸部の収容所に強制収容された不正に対して闘いを挑んだ日系人たちが公式の謝罪と補償を得たという話である。
    そのことが本件とどのような関係があるのか。被控訴人は頭を捻るばかりである。日系人たちは、理由なく、財産を没収され、強制収容所に収容されたのである。補償されてしかるべきである。そこまではわかる。   
     朝鮮総連は、専ら、北朝鮮の国益と構成員のためチュチェ思想に基づいて活動しているが、日本において財産を没収されるなどの不利益も被っていない。そして朝鮮総連によるチュチェ思想の実践が、果たして日本国民全体の利益につながっているかどうか分からないのに、日本国民全体が公平に負担している固定資産税の免除という「特権」を受けることが、理不尽に強制収容された日系人が補償を受けるのと同じく当然の権利だと主張しているのである。  
     強制収容された日系人が補償を受け取るのは当然であるが、そのことをもって、金正日万歳のチュチェ思想を奉じて実践している朝鮮総連が課税上の優遇措置を受けるべきだということにはならない。日本には「虹」しかなく、「オーロラ」が見えないといって憤慨し、「鹿」を「馬」だと言い募り、「兎」を「亀」と同じく扱わないのは「差別」だといって横になって泣く駄々っ子のごときである。鎌倉時代からの格言「泣く子と地頭には勝てない」とはよくいったものである。まともに取り合える論理が、そこにはない。 
   3 「第1 朝鮮総連の指導指針−主体思想とは何か−」について、補助参加人がチュチェ思想に関する議論を回避し、反論を放棄していることは、既に呉圭祥の意見書において述べたのでここでは省略する。
念の為付言すると、被控訴人は朝鮮総連の思想の自由を否定しているわけではない。チュチェ思想が好きならそれでよい。しかし、その活動の性格と公益性の有無が問題となっているとき、その活動の全てが展開されていると朝鮮総連自身が天下に公言している「チュチェ思想」が何かという課題は、避けて通ることができない相談である。それでも、敢えて避けるというのは論争上の不利を悟ったからであろう。  
   4 「第4 朝鮮総連の人権擁護活動」について   
   (1)朝鮮総連の権利獲得運動が北朝鮮の政策に従属しているという指摘について補助参加人らは、なぜ従属するものなのか一切不明だという。自明のことを論証するのは結構難しいが一部試みてみよう。
      「北朝鮮への帰国運動」は、北朝鮮が朝鮮戦争で疲弊した労働力の補充、在日朝鮮人の技術獲得、韓国に対する体制優位の宣伝という政治目的のもとで行われた。《地上の楽園》のプロパガンダや《共和国での生活と職業は国家が保証する》という詐欺的キャンペーンを信じて帰国した同胞たちを待っていたのは、貧困と差別と不自由の「凍土の地獄」だった(甲73)。日本に残った帰国者の親族は帰国者を人質にとられ、北朝鮮の体制を批判することも、朝鮮総連から離脱することもできず、悲痛な境遇を訴える帰国者の手紙に震え、待遇改善と収容所からの解放を求め、朝鮮総連から強要される献金に応じてきたのだった。 
      同胞の利益を犠牲にして、本国の独裁体制に隷属すること。被控訴人は、この事態を「従属」としたのである。「韓日条約に対する反対運動」もそうである。韓日条約に対する反対は、北朝鮮国家の利益であるが、在日朝鮮人の利益には何ら結びつかない。そこに朝鮮総連の対南工作を旨とする「政治」があるのである。
  (2) 「『在日朝鮮人人権協会』のダブルスタンダード」について 
      補助参加人らいわく「ある団体がすべての人権課題に取り組むことは不可能な事なあり、一定の課題に取り組まないことが、取り組んでいる人権活動の公益性を否定することにはならない」などという。 
被控訴人は「雨ニモマケズ」の宮沢賢治みたく、すべての人権課題の解決のために東奔西走しろといっているのではない。0・ワイルドの「幸せの王子」に登場する可哀相な燕になれというわけでもない。他者に向かって「人権」を叫ぶ者は、自ら「人権」を遵守する道徳的義務を負う。朝鮮人活動家に対する総連自身による人権侵害を放置している朝鮮総連に人権を口にする資格はない。自らの矛盾する態度に対して突きつけられた批判に対し、「すべての人権課題に取り組むことは不可能」だというのは問題をすり替える詭弁でしかない。  
畢竟、「人権協会」の人権擁護活動は、北朝鮮の野望を実現するための手段であり道具でしかないということか。そんなご都合主義の活動に朝鮮総連関係者でない不特定多数の一般的在日朝鮮人の利益を認めることはできない。
   (3)「脱北者に対する非人道的対応」について
      補助参加人らは、傍観者のように「脱北の原因は多々あり、その見方には多様な意見があり得る」などという。冗談ではない。脱北帰国者は、かつて補助参加人らが騙して北朝鮮に移送したのだ。そこで人間の尊厳を丸ごと否定された生活を強いられ、遂に文字通り生命をかけて脱北してきたのだ。傍観者として涼しい顔で論評している場面ではなかろう。当事者の清談は冷酷非情な非人道的対応である。    
朝鮮総連の支部である補助参加人らは、59年から62年にかけて犯した在日朝鮮人最大の悲劇に対する人道上の責任を思うべきである。
   (4)「原判決の正当性」について
      補助参加人らは、ここでも「在日朝鮮人が分断国家のいずれを支持するかは直接その団体の活動の公益性に結びつくものと考えるべきではない」などという。
      朝鮮総連は、単に北朝鮮を支持しているだけではない。朝鮮労働党の機関に組み込まれ、総連幹部の人事にも北朝鮮が深く関与している。例えば、朝鮮総連の幹部は北朝鮮の国会議員を兼任している。そして総連は、自らチュチェ思想を指導理念として奉じ、若手や活動家にチュチェ思想や先軍思想、そして北朝鮮の核武装の正当性を教え込み、教化・洗脳に励んでいるのである(甲18の1『回顧と展望』p7)。
5 「2 北朝鮮と朝鮮総連の『人権思想』の正体」について
補助参加人らは、「資本主義国の中で活動している朝鮮総連と社会主義制度を採用している北朝鮮とは当然異なる部分もあるのであり」と糊塗しようとする。
そんなご都合主義はやめてくれ。普遍的な人権思想の理解に、資本主義も社会主義もあるものか。結局のところ、北朝鮮労働党が機関紙で示したチュチェ的「人権思想」の主張は、「人権思想」を否定するものにほかならない。北朝鮮では「人権思想」ですらチュチェ的に捏ねられ「先軍政治」のことだとされてしまうことを忘れてはならない。  
本国の政治思想であるチュチェ思想を所与のものとして奉じ、本国の周りに在日朝鮮人らを結集させることを目的とする朝鮮総連は、実のところ、自ら掲げる「人権思想」などを本気で信奉していないとの疑いを向けられて当然であろう。     
   6 「3 帰国事業」について
     補助参加人らは恬としていう。「在日朝鮮人が帰国することは当然の権利行使であり、その帰国を援助するということはなんら非難されることではない。」と。そのとおりである。ただ『地上の天国』などのデマキャンペーンで在日朝鮮人を騙していたとすれば別である。  
元朝鮮総連幹部の関智星は、使節団の一員として平壌を訪れた経験から北朝鮮の実情が宣伝と大きく異なることに衝撃を受け、日本に帰国後、総連幹部に次々と会い、北朝鮮の真相を訴えた。しかし、幹部は誰も耳を貸そうとしなかったという。帰国者予定者に対する準備講義の際、帰国予定者に真実に沿った帰国心得を話したが、同席していた幹部は、「帰国する人々にそんなこと喋っちゃこまるじゃないか」といった。反問する関に対して彼は、「一般帰国者は無知なんだ。それでいいんだ。なまじ本当のことを知らせると、帰国者がなくなってしまうからな」と平然としたものであった(甲61『楽園の夢破れて』p83)。
アウシュビッツで行われたホロコーストの責任者を裁いた公開人民裁判を描いた『イェルサレムのアイヒマン』の著者である哲学者ハンナ・アーレントが《悪の陳腐さ》と呼んだ光景 ― アイヒマンは、私はただ命令を誠実に実行しただけだと弁明した。組織の中では彼の個人的な道徳観念は消失していた。 ― が、そこで、そのまま繰り返されていたのだった。   
   7 「4 指紋押捺拒否運動等」について 
     補助参加人は既に述べた自らの主張について、いろいろ陳弁するが、意味不明である。「違法・不当な指紋押捺の強制に対しても『拒否』を求めたり、これを支持したことは決してなかった」という主張が、なぜ「朝鮮総連が反対してきた」ことになるのか不明である。
「指紋押捺を『拒否』するように在日朝鮮、韓国人に対して働きかけたことはないと主張しているにすぎない」という。それでは、やっぱり、「拒否」を呼びかけていた韓国民団の運動に反対して政治的に対抗していたことになるのではないか。    
   8 「『5 国籍条項撤廃要求運動と『共生』の発想』について
     朝鮮学校において、「基本的人権と民主主義的な理念の教育が行われている」というが、全く何の証拠も示されてはいない。そもそも基本的人権と民主主義の理念が、朝鮮学校で教えられているチュチェ思想(それは有機的生命体論による全体主義を唱えて首領独裁制を正当化し、個人尊重と自由主義に基づく民主主義社会を否定するものである)と両立するのであろうか。
朝鮮学校の生徒数が年々減少している理由は朝鮮学校に対する差別や少子化にありというが、これも違うだろう。朝鮮学校では基本的人権と民主主義の理念が欠落しており、相変わらず、首領様(金日成・金正日・金正恩)を神格化して礼賛する思想教育と権力者に都合よく歪曲・捏造された歴史が教え込まれているからである。  
     また、補助参加人らは、「引用されている部分は民族的アイデンティテーを持たずして日本国籍に帰化するなど単に日本人化する考え方に対して否定的なだけであって、在日が日本社会と共生する考え方に対して何ら否定的評価を行っていない」などというが、もう一度該当部を読んでいただきたい。ここでの鍵は日本語の読解力である。教科書にある「一部の同胞の中では、社会主義国と総連組織から距離を置く『在日論』(原注:「在日」という条件や「国際化時代」をうんぬんしながら在日同胞たちを日本社会の構成員とみて、祖国や組織から距離を置きながら日本社会との関係のなかで共生の道をさぐらねばならないとの主張をいう)まで出てくるようになった」の叙述が、「在日論」に対する揶揄と否定を含んでいることは明らかである。そのことは教科書の別の箇所で「在日論」の生き方を実践する在日朝鮮人について次のように言っていることからも明らかである。「またこの時期、在日同胞社会の主役として登場した3世・4世の同胞のなかでは民族的誇りや自負心をもって生きるのではなく、苗字や名前だけを残し『朝鮮系(韓国系)日本人』として生きることがあたかも国際化の流れに合っているかのごとく考える傾向が現れ始めた」(『現代朝鮮歴史高級3』p109)。
     「在日論」を生きる3世・4世たちに対し、彼らは「民族的誇りや自負心」を捨て去り、ただ「苗字や名前だけ」を朝鮮風にしているだけだという勝手な断定を加えて批判しているのである。
     要するに、『現代朝鮮歴史』を作成した朝鮮総連は、祖国や組織から距離を置くという在日の新しい生き方を教科書において否定しているのである。  
9 「6 地方参政権運動』について
参政権要求問題については、在日朝鮮人一般の中でも、微妙に意見の分かれるところであるというのは認めよう。見解の一致がみられていないということも認めよう。法案に不備のあることも認めよう。
しかし、朝鮮総連は、朝鮮学校に通う高校生に次のように教えているではないか。
「総連と在日同胞は、・・・これとともに内外反動たちが持ち出した反民族的・反総連的な『参政権』遊びを暴露粉砕する全同胞的闘争を繰り広げた」と(『現代朝鮮歴史高級3』p118)。
補助参加人らは、「朝鮮総連は、在日朝鮮人の権利擁護の観点・在日朝鮮人内の分裂の危険から、参政権要求に反対の姿勢を示してきた」という。それならそれなりの表現があるだろう。高校生に「反民族的・反総連的な『参政権』遊び」と教えるとき、補助参加人らがもっともらしく言ってのけた悩みはきれいさっぱり飛び散ってしまっている。そこには分裂の危険に怯える総連の攻撃姿勢の「強がり」しか読み取れない。    
   10 「7 日本人拉致事件」について  
     日本人拉致事件に関する補助参加人らの主張に対する反論は、呉圭祥の意見に対して述べたところに付け加えるところはない。
11 「8 朝鮮総連による人権侵害」について
「横行する名誉毀損」と、これによる思想弾圧は、準備書面2(被控訴人)において洪敬義について「『近畿人権協会』の叛乱、総連の卑劣な誹謗宣伝」として述べた箇所と「壁を越える力−信じてきた共同体との対決」(甲48)を参照されたい。
「批判に対する威力業務妨害」については、準備書面2(被控訴人)における李英和について「ジキルとハイド、暴力装置と化した総連」の箇所と李英和「朝鮮総連と収容所共和国」(甲34)を参照されたい。
   12 「9 朝鮮総連の公共性と政治性−不特定多数と政治的中立性−」
補助参加人らは、活動主体が強い政治性を帯びている場合、その活動に不特定多数の利益としての「公益性」を認めることは困難であるという被控訴人の主張を理解せず、本件条例施工規則第4条の3第31号に「政治性」という明示的要件がないことを理由にこれを否定する。
政治性は「対立と妥協」「抗争と宥和」「排除と同和」の運動原理を内蔵している。局面によっては、対立と抗争と排除の原理が優勢になって表出する。公共団体が対立する一方に肩入れして特権を享受させることは、その政治的対向者や陣営から排除された者に対する公平を失することになる。公務員に政治的中立性が要求され、教育に政治的中立性が要求されるのは、そのためである。
被控訴人が「政治性」を云々するのは、それが「公益性」と密接な関係にあるからである。「政治性」や「宗教性」が強ければ、直接的「公益性」は退くのである。「政治性」と「公益性」は相補的な関係にあり、不特定多数の利益としての公益性は、「政治的中立」と「宗教的中立」を必須の要件とする。 
朝鮮総連は、北朝鮮と同じく強度の政治性を持ち、宗教的世界観でもあるチュチェ思想の世界観を奉じている。その活動に不特定多数の直接的な公益性を認めることはできない。 
補助参加人は思想良心の観点からの反論を加えているが、反論にも値しない。被控訴人の主張は、別に特定の思想をもって差別するものではない。あくまでも朝鮮総連のチュチェ思想の実践段階における「活動」における政治性をいっているのである。絶対的保障が問題になる思想信条の自由は内心の自由であることは憲法解釈論の常識である。政治性を帯びた熱心な活動は、必然的に反対者を生み出すことになる。かかる政治性は不特定多数の利益をいう公益性、公民館的公益性には馴染まないといっているのだ。巨人軍を優遇すれば、阪神ファンは不公平だと怒るだろう。阪神ファンが集まる居酒屋を巨人ファンは敬遠するだろう。そういうことを言っているのだ。
また補助参加人らの所論は、公共団体に対して宗教的中立を要請する政教分離原則をもって信仰の自由の侵害だと論難するものと同じである。早くそのことに気づいてくれることを願うばかりである 
                             以上