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  ご遺族の声
     
  H26-9-17   堺市 市議会議員 水ノ上成彰
 
                    陳 述 書

 大東亜戦争はアメリカによる禁輸政策、欧米人による有色人種に対する人種差別の中での自衛の為の戦争であり、またインド、インドネシアをはじめ、ほとんどのアジアの国々が欧米列強の植民地として塗炭の苦しみを味わう中、アジアを欧米列強から解放する為のアジア解放戦争でもあった。
 私の二人の祖父水ノ上常一、鎌苅佐一は大東亜戦争においてフィリピンでアメリカ軍と戦い戦死しているが、祖国防衛のため、またアジア解放の為銃を持って戦ったと信じる。決してアジアを侵略する為に戦ったのではない。
マッカーサー自身も戦後日本の戦争は自衛の為であったと述べている。
二人の祖父は現在共に誇り高く靖国神社に祭られており、我々遺族の誇りでもある。
このように、国家存亡の戦いにおいて命を捧げた者に対して一国の代表者が感謝と哀悼の念を持って参拝するのは世界中の国家において当たり前のことである。

 この度、安倍首相の靖国参拝に対して訴訟が行われるが、その要諦は先の戦争が侵略戦争と断定し、私の二人の祖父も含めた260万以上の英霊を侵略者呼ばわりすることであり、我々遺族の心を深く傷つける行為であり、決して許されることではない。

 
 H26-9-15 宝塚市 今倉辰則
 
 先の大戦で戦死した英霊の中には私の母方の親族がおりまして、靖国神社に祀られております。会いに行ける場所は靖国以外には御座いません。
 私はこの度の安倍内閣総理大臣が昨年靖国神社に参拝して頂いた事を大変涙が滲む程に感謝致しました。その理由としましては今の平和を築いてくださった英霊に対して、国のトップが参拝されたからであります。また、それが、戦争を始めるために安倍総理が参拝したなどという訴訟が起きていますが、正直内容を拝読いたしまして驚きと悔しさと悲しみに襲われました。私の親族が命を懸け日本国を守り、今の平和があると考える私としましては心の底から遺憾の意を表さずにはいられません。市民団体側の訴訟内容は私の親族をも被告として扱うかごとき内容であり、受け入れることもできませんし、看過し難いものであり大変な苦痛で御座います。

 
  H26-9-14 東京都 白井裕一
 
  自分の父方の祖父は比島マニラ市に於いて戦病死しており、靖国神社に合祀されている。このことを知って、自分は左翼から保守派へ転向した。自分にとって、靖国神社と英霊の存在は決定的であり、その尊厳を汚す行為は絶対に容認出来ない。
 さて、才女で知られる作家・有吉佐和子の著書として有名なのが1975年に出版された「複合汚染」である。複合汚染とは「複数の汚染物質が混合することで、個々の汚染物質が単独の場合に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染結果があらわれること」とされる。今あらためて靖国神社を巡る諸問題を考えてみると、この問題が極めて複雑怪奇であることに思い至る。まさに、政治的、宗教的な「複合汚染」と云った観が有る。靖国神社を巡る諸問題は、信仰の問題だけでもなく、文化の問題でもない。政治や国防、イデオロギーといった様々な要素が複合的に組み合わさった鵺のような怪物である。だから、政治という面のみで取り組むとどうしても手が余るところが出てくる。かくなる上は、靖国神社という軸を中心に据えて、あらゆる分野に視野を広げて考察を進めていかないといけないだろう。
 浅学菲才な自分には荷が重過ぎるが、以下挑戦してみたい。靖国神社を巡る諸問題は、何も靖国神社が創立した当初から存在した訳ではない。更に、大東亜戦争敗戦後、GHQによって、いわゆる「神道指令」が出されたが、それは、靖国神社を巡る諸問題の萌芽に過ぎない。この問題が本格的に立ち上がってきたのは、いわゆる「政教分離」「信教の自由に関する違憲問題」が提起された1965年の津市体育会地鎮祭訴訟からである。ここから、神社神道と公共団体との関わり合いを狙い撃ちとした訴訟攻撃が始まる。
 この1965年あたりの時代背景を考えてみたい。時の政権は佐藤栄作総理であり、1955年の自民党結党から10年、日米安保条約改定の1960年から5年、前年の1964年までは「所得倍増」の池田勇人内閣だった。まだまだ、左翼勢力の勢いは盛んであったが、自民党政権に安定感が出て来た頃である。日本社会党の議席数は伸び悩み、非自民党の投票は、民社党、公明党、共産党に分散し、選挙による革新勢力の政権奪取が遠のいた。一方で、国政での政権交代が困難になる代わりに、都道府県や区市町村の首長に革新勢力の候補者が次々に当選するようになった。日本共産党は宮本顕治によって、事実上、武力革命路線を取りやめ、武力闘争は新左翼の党派が担うことになった。つまり、左翼勢力は、武力であれ選挙であれ、政権奪取から遠のき革命の成就が見込めなくなってきたのである。そこで、左翼勢力は、新たな問題争点の創出によって隘路から活路を見出す手に出た。それは「反日」である。日本は大東亜戦争で敗北したが、天皇陛下とご皇室の存在は「象徴」というかたちで維持された。いわゆる“天皇制”の日本を徹底的に否定し、攻撃することによって、戦うべき敵を明確化し、革命活動の求心力を保持しようとしたのである。天皇陛下は「祭祀王」であり、神社神道の頂点に位置する。いわゆる“天皇制”を打倒するには、天皇陛下と全国の各地域の国民を「なかとりもち」する神社神道を打倒すべきである。ここから、神社神道への政治闘争、裁判闘争が始まる訳である。時代は下り、1968年を一つの頂点としながらも、左翼学生運動が日本社会を席巻する。しかしながら、国政選挙に於いて自民党が下野することも無く、日本の保守勢力は奇妙な安定感を持つようになる。
 左翼学生運動は、年々過激化していきとどまることを知らない勢いを示すが、焦燥感にかられていたのはむしろ左翼勢力の方だった。そして、いわゆる武力革命闘争も警察によって完全に鎮圧、制御されることが明確になってくると、単なるテロリズムに堕してしまう。最終的に左翼運動の勢いにとどめを刺したのは、1972年の連合赤軍事件である。この無残な事件に日本国民は戦慄し、左翼運動へのシンパシーを失っていった。ここから、左翼勢力は、社会革命への運動路線から、個別の問題に特化していき活路を見出していく。それは、福祉、人権、平和、反核反原発、環境、食品の安全、フェミニズム、少数民族、消費者、貧困といった各種の問題である。自民党保守政権が取りこぼしていた、これらの問題に特化し、焦点を絞って切り込んでいくことによって左翼勢力は命脈を保つことに成功する。その中に、歴史認識を問うことによる「反日」がさらなる政治目標となって浮かび上がってきたのである。
 平和を希求するがゆえに、過去の戦争行為を深く反省し、謝罪する。この行為は、極めて良心的かつ倫理的であるというイメージを日本国民に植え付けていった。そして、単なる反省と謝罪ではなく、「戦前」的なるものを激しく断罪することによって自分達の正義と正当性を担保するようになっていく。日本人でありながら、自分達の父祖を断罪するという行為は、すぐれて左翼の「自己批判」と通じる。「自己批判」とは何かと云うと、「自発的に自分の誤りを認めて、公開の場で自分自身を批判すること」。これは、実はキリスト教の懺悔・告解の流れを汲んでいる。つまり、絶対的な上位にある存在、「神」や「党」「大衆」に対して悔い改め、過去の誤った自分自身を否定し、正しくなった新しい自分に生まれ変わることを意味する。ここで、過去と現在は断絶する。汚れた過去と切り離されることにより、新しい自分は無垢となる。だが、その代り、新しい自分は今までの経歴や歴史や伝統から分離される。新しい自分を担保するものは、生まれ変わりを認めた「神」であり、「党」であり、「大衆」である。新しい自分は「神」や「党」や「大衆」に全面的に依存せざるを得なくなる。だから、自己批判をした者は、それ以後、自己批判をしなかった者以上に、先鋭的な言動を取らざるを得なくなる。それは、過激であり歯止めが利かない。日本における左翼勢力の「反日」が醜悪極まりないのは、歴史的認識を「自己批判」から出発させているからである。また、朝日新聞や浄土真宗などの日本仏教界が「戦前」的なるものに過剰に批判的なのは、ひとえに「自己批判」を行ったからである。
 「自己批判」は、実は、自分自身を否定してはいない。自分に関わる過去を切り離し、宗旨替えを行って、新生したことにより、自分自身は肯定される。つまり、朝日新聞や浄土真宗などは、自らを肯定するために、執拗に他罰的になっていく。「戦前」的なる存在、それは靖国神社であり、軍隊であり、神社神道であり、ご皇室や天皇陛下がその標的と見なされるのである。左翼思想とは、インターナショナリズムであり、グローバリズムであるが、その活動の基盤となっているのは、ナショナリズムでありパトリオティズムである。スターリンはロシアに依拠した一国社会主義を選択し、毛沢東もホー・チミンもポル・ポトもカストロもチトーも全員、ナショナリズムに依拠して政権を獲得した。(現在、日共がTPP反対なのは自然なのである。)にもかかわらず、日本の左翼が、何故、「反日」なのか。これは、ナショナリズムの裏返しなのである。戦後直後から現在まで、左翼が一貫して主張していることは、「アメリカ帝国主義反対」である。つまり、反米である。戦後左翼の出発点は「反米愛国」だったのである。神風特攻までし、更に、全国の街という街を空襲と艦砲射撃で無差別に破壊され、そして原爆を2発も落とされたのである。日本国民は、米国に対しては「恨み骨髄」である筈なのだ。だから、いくら天皇陛下が恭順を示されても、日本国民の深層心理の奥深くには「反米」が残存しており、そこをソ連や中共がつけこんで焚き付ける訳である。
 一方、GHQは、日本国民の「反米」意識の矛先をかわすために、日本の「軍部」やその協力者を実際以上に悪辣な存在として日本国民に刷り込んだのである。そして、日本国民全員に「自己批判」をうながし、アメリカなどの第二次大戦後の新秩序へ恭順を示すように仕向けたのである。戦後の日本に於いて、「反日」的なる土壌が植え付けられたのである。そして、三十数年後に、左翼勢力は、そのGHQの遺産を自分達の生き残りのために最大限に活用するのである。君が代・日の丸の国歌・国旗の毀損運動などがどんどん過熱していくのはこの頃である。左翼は、党派の足元をナショナリズムによって補強しているのであるが、自分たちが自国に於いて少数派に成り、 劣勢に立たされたと見るや、インターナショナリズムのカードを切ってくる。1936年7月から1939年3月まで続いたスペイン内戦に於いて、劣勢に追い込まれた左派の人民戦線政府はソ連やメキシコといった社会主義国家の他に、国際旅団という左翼の活動家の義勇軍に助けられていた。結局、フランコ将軍に敗北するが、左翼の行動パターンの典型例である。左翼は、自国で劣勢であると判断すると、援助を国際世論に訴えかける。激烈なプロパガンダ攻勢をかけて、詳細な現状理解が為されていないにもかかわらず、多大な援助や同情を勝ち取るのである。首相の靖国神社参拝の問題、「慰安婦」の問題、歴史教科書の問題、皆全て、他国へプロパガンダ攻勢をかけて問題を炎上、拡大化させている。そして、意図的に国際問題に仕立て上げることにより、外国から「攻撃」を加えてもらうように仕向けるのである。
 一方で、日本の国際的な地位の向上や勢力の拡大を忌避する国家にとって、日本を毀損し貶める格好の口実として、左翼の反日プロパガンダは受け止められる。だから、反日国家と反日左翼は共闘、共犯関係となる。日本の左翼が仕掛けて、反日国家がこれに呼応する。また、反日国家が仕掛けて、日本の左翼がこれに呼応する。南京大虐殺問題はまさにこれである。これらの歴史問題や心の問題が、政治問題や外交問題に転化、発展してしまったのは、ひとえに、左翼の窮状であり、彼らの都合による。また、左翼の特性と反日国家の思惑が合致し、共闘、共犯関係となり、歯止めが利かなくなる。
 左翼思想とは何か。これは「破壊衝動の理論化」に他ならない。停滞し鬱屈した現状を打破する為の正当化の為の理屈が、左翼思想である。だから、伝統や歴史、慣習というものは否定し超克すべき対象でしか有り得ない。
これらは全て「因循固陋」であり、滅び行くべき代物である。新しき存在が、これらに代わって君臨する。新しき存在とは何か。それは、伝統や歴史や慣習よりも遥かに太古のものである一番大本の古き存在、であるか、全く別次元の世界からもたらされたものである。現に、流行とは、一昔前よりももっと古いものを引っ張り出して焼き直しているか、海外のモードやエスニックを持ち込んでくるかのどちらかではないか。左翼思想に於いても、まさにそれが該当し、人間が太古から本来保持しているべき権利「人権」を取り返すために、「人権」を毀損している現在の圧政勢力を打破せよ!と説くのである。伝統や慣習の根本である、「家族」についても、架空の「群婚社会」という代物を“発明”して、家族を解体し、社会そのものが子供の育成をはかるのだとうそぶく。エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」こそが、現在のフェミニズムの源流であり、日教組教育の依拠している大本である。
 靖国神社を巡る諸問題は、かくも左翼側の繰り出す一連の諸々の攻撃の一つである。つまり、全てが左翼勢力の生き残りという一点を扇の要としており、地下水脈でつながっている。だから、この問題には反対で、この問題では賛成という風になることは、稀である。
 靖国神社を否定すれば、いわゆる慰安婦の問題も南京大虐殺の問題も米軍基地問題、脱原発問題、人権問題、差別問題、などなど全てが連動して結論が出てくる。つまり、これらの諸問題は、全てが支え合い一塊になっているのである。それゆえに、極めて強固で強靭なのである。しかしながら、これらの問題の一点でも突破された場合、一気に連動して総崩れになる可能性も否定出来ない。多面的な同時攻撃が必要であると共に、一点突破をはかる必要性も高いのである。さて、靖国神社を巡る問題はすぐれて日本人の心問題であり、魂の問題である。これを否定され、攻撃されるということは、日本人の命にかかわる問題である。単なる一神社を巡る問題では有り得ない。
 靖国神社を「軍国神社」とか「侵略神社」と貶める者がいる。だが、靖国神社とは、徳川幕藩封建体制から近代国家・明治に変わる時に誕生したものである。いわゆる戦時ファシズムの産物ではない。無名の一介の兵士が、藩や国家に殉じることによって「神」となる。これは、新しい概念と信仰であった。その母体となったのは、江戸時代から盛んとなる「義人信仰」である。村や藩、街の為に著しい貢献をした名士(一揆や直訴の首謀者も含む)を称えるために神としてお祀りする。ここに、貴人以外の一般庶民が「神」として祀られる道筋が開かれた。さらに、長州藩に於いて幅広く信仰された浄土真宗の信仰。これも無視出来ないだろう。阿弥陀仏の前では、皆平等であるという認識は、階級に関係無く、等しく祀られるということは靖国神社に受け継がれている。
 一方で、公権力が祭祀する以上、公権力による恣意性は免れ得ない。蛤御門の変に於いては、朝廷を攻撃した側の長州藩士の方が、朝廷を守護するために落命した会津藩士よりも早期に合祀されている。これは、蛤御門の変という、一箇の事案を考慮したのではなく、明治維新の全体の功労者たる薩長土肥といった列藩を優先的に顕彰するという立場である。このことを批判する向きも多いが、戦没者を慰霊顕彰することは、政治的に無色透明で有り得る筈が有り得ない。国家の為に殉じた方々を顕彰するためには、その戦争に於いて全否定するということは有り得ない。そこに、国家間の差異や政治信条の差異、歴史認識の差異はどうしても逃れられない。だからこそ、神社でありながら、政治的な攻撃の矢面に立たされるのである。ならば、靖国神社を否定するということはどういうことか。これは明確である。「反日」であるということに他ならない。確かに、戦没者を神として祀るという形式は、比較的新しい信仰である。だが、それを神社として祀るということは、日本古来からの習俗、伝統を踏まえたかたちでの祭祀である。
 伝統とは、ガチガチの固体では有り得ない。現に、現在の日本人は、縄文人のような生活を送っているであろうか?弥生時代からの稲作を受け入れ、仏教や儒教など支那・朝鮮の諸々のことがらを受け入れた。さらに、貴族による平安時代、武士による鎌倉、室町、江戸時代とそのありかたは大きく変遷をとげていった。だが、今日の平成の時代まで受け継がれた縄文的なもの、弥生的なものは存在する。伝統とは、縄文時代から平成までの様々な事柄が融合し、取捨選択され、今日の我々の規範、根本となすものである。だから、「相対的に見て新しい」という指摘は、何の意味もなさない。また、戦没者の慰霊は、「怨親平等」であるべきで、自国や自軍の戦没者に限定すべきでないという批判も有る。だが、靖国神社が近代国家日本の産物である以上、中世の時代のような慰霊方式は相応しくない。中世に於ける慰霊は、いわゆる怨霊により天変地異が惹起されるという概念だった。恨みを抱いた横死者の霊が災いを呼べば、社会全体が害を被るというものである。そのため、政府が怨霊を鎮め、供養回向し、祟りを封じることが求められた。つまり、中世に於いて、鎮魂祭祀とは、一種の防災防疫の公共事業だったのである。
 一方、近代国家は、国民皆兵によって召集された兵士によって防備される。国民皆兵は、フランス大革命によって創出されたものであり、民主主主義革命防衛の為の制度であった。つまり、国民皆兵は脱封建主義の制度なのである。国家共同体の為に戦って殉じるには、精神的な覚悟が不可欠である。封建社会に於いては、戦うべき者(武士、騎士)であるという誇りと覚悟が戦闘行為を可能にさせた。だが、封建主義的な階級を否定したところから出発した近代国家は、戦う者に対して新たな対応が要求された。これが戦死者を国家が顕彰し、栄誉を与えるということである。それは、どこの国でも、その国の社会の歴史的伝統によって立脚した方式によって祭祀された。それが日本に於いては神社神道であったのである。もし、戦死者の名誉が毀損された場合はどうなるか。誰一人、国家を防衛する為に戦おうとしなくなるだろう。靖国神社を守るということは、近代国家日本を防衛することであり、もし日本を攻撃しようとするのならば、靖国神社を標的にする筈なのである。
 

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