春の花


ごあいさつ

  

中村重行
台湾籍日本人支援の会
代表 京都北山の宮司 
中村重行


















あああああああああああああああああああああああ
    
楊 馥成
(元日本名: 大井満)
本裁判原告

あの時台湾は日本だった
あの時、台湾はにっぽんだった。あの時台湾住民も日本国民であった。国家存亡を賭けた大東亜(太平洋)戦争たけなわのあの時、台湾の若者もこぞって勇躍戦場に馳せ参じ、数多護国の生贄(いけにえ)と散華していった。
大東亜(太平洋)戦争に軍人軍属として20数万(当時台湾の総人口は600万人足らず)動員され、五万人余りが帰らざる身となった。更に支那事変に軍属(通訳、農業義勇隊、警察官、医薬員等)、軍夫(軍用物資の運搬役)として、数多くの台湾の若者が支那大陸、満州国のあちらこちらで日本国のために血と汗を流したが、戦後これら護国の勇士は生きて祖国に帰っても、外来の敵性新政権からは、2.28事件及びそれに続く白色テロの恐怖の圧政下で、日本に加担したかどに問われて残酷な報復を受け、数多くのエリートが消されてしまった。(私も拷問に拷問のあげく、七年間の牢獄生活を強いられた)。
況や、陣没された英霊(私も親友の遺骨を首にぶら下げて帰った)に、誰も関心を寄せるものはありませんでした。あの頃、皆はいかに母国日本からの救助を期待したことか!戦後日本政府はなぜこの豊かな宝島及びこの島に住みついている忠誠な同胞を捨てなければならなかったのでしょうか?
戦後まもなく沖縄本島最南部で激戦があった摩文仁の丘に、平和祈念公園が建設されて、今次大戦(支那事変も含めて)の英霊を奉祀する聖地となり、各県単位の慰霊碑や記念塔が林立しましたが、台湾の碑はついに出来ませんでした。台湾と同様に戦後異国となった樺太や南北朝鮮もあるというのに。
あの時数十万の台湾の若者も南太平洋や東南アジア及支那大陸の各地で、日本国民として共に肩を組んで戦い、赫々たる手柄を立て、戦場の露と消え去った無数の英霊達も〝大日本帝国万歳!″‶天皇陛下万歳!“と叫んで散華していった筈だのに。
これら英霊達は今もなお、太平洋上のあちこちの空で、或は東南アジアや支那大陸の曠野でさまよっています。この英霊達を即座にこの摩文仁の聖域に嘗ての戦友達と共に招祀して慰拝致したい。
台湾英霊記念碑を建設することについて、数年来、琉球大学に留学に来た戦後生まれの許光輝君及び地元の有志等が発起し(私も四年前に那覇市に移住して協力させてもらっているが)その実現に奔走してきたが、ついに摩文仁の平和祈念公園の聖域内に入居は許されず、2016年にやっと沖縄翼友会の敷地提供で聖域の一角に台湾之塔を建立することが出来、6月26日に除幕式を挙行するまでにこぎついた次第です。
この日台湾之塔の除幕式には、台湾から国会議員(立法委員)が二人来られたが、内一人の原住民出身の高潞委員から高砂義勇隊の顕彰碑も建てたいとの要望を聞かされましたが、同じ思いの人少なくないと思います。
支那の明末、鄭 成功(母は日本人)が台湾からオランダを追い出した後、支那大陸から漢族(主に、南方民族の血統が入り混じった閔南族や客家族)が、どんどん移住して来て、原住民の高砂族は山地へ追い込まれました。一部分は漢族社会に溶け込みましたが。数百年来、弱小民族であった原住民高砂族は、優勢だった漢族(日本統治者からも)との付き合いは、決して公平、平等とは言えませんでした。
去る8月1日(2018年)蔡英文総統が為政者として過去の弱小民族の高砂族群に対しての蔑視政策の反省とお詫びを公言したことは、正に歴史的発言と言うべきでしょう。大東亜(太平洋)戦争で高砂族が発揮した愛国、忠勇、戦友愛は、高き評価を受け、感謝され、蕃人(野蛮人)だったイメージがすっかり払拭されたはずです。
戦後のある時期(李登輝、陳水扁時代)に、日本と台湾の有志で台北近郊の島来に高砂忠霊碑が建てられ、来訪者が絶えなかったが、数年前に馬英九政権に取り壊されました。
最近、再建するの声あるが、義勇隊顕彰碑をこの際、摩文仁の聖域内に建立した方がより意義あり、英霊ももっと喜んでくださるでしょう。ともかく摩文仁の聖域に高砂忠魂碑でも建立して、戦争で南太平洋のジャングルで活躍した高砂義勇隊全員の英霊(戦場で散華、あるいは戦後復員してからの物故を問わず)及び他の戦場から(例えば、特攻隊の林昭光氏等)復員して物故された人々や、さらに戦後占領に乗り込んできた敵側の武装集団から、日本に献身尽忠した為の仕返しで、惨殺された6名の原住民最高リーダー達(林瑞昌 「台北医専出身の名医」、高一生「台南師範出身の阿里山頭目」、湯守仁「日本陸士出身の軍人」、高沢照「嘉農出身の警察官」、同じ警察官の江清山氏、方義仲「村長」)諸共の英霊も、ともに奉祀してその功績を顕彰感謝するとともに、もっと多くの日本人、台湾人に昔、蕃人と呼ばれ見下げられた先住民の同胞達に対してより正しき認識と温かき交流を願うものです。おそらく私と同じ思いのもの決して少なくないと信じます。その完成に皆様と一緒に努力をしたい。
生き残りの元日本兵98歳
楊 馥成(大井 滿)
2019年3月1日