春の花
原告紹介      楊 馥成   許 華杞   林 余立

許 華


  履歴書

1 生年月日
  昭和8年(1933年)10月4日生 86歳
2 出生地
  台湾省桃園県(現桃園市)
3 父母について
  父:許見貴(日本国籍、台湾出身。明治43年11月2日生)
  母:許陳氏四妹(日本国籍、台湾出身。明治44年4月29日生)
4 終戦時の職業
  新屋国民小学校 (公学校)在学中に、終戦を迎える。
5 学歴
  1949年9月  1957年7月 中歴髙級中学校入学及び卒業
  1954年9月  1959年2月 測量学校大学部航空測量系入学及び卒業
  1982年9月  1983年4月 法政大学工学院客員研究員
  1983年4月  1985年3月 弘前大学理学部脚韻研究員
  1983年2月        大学教授資格(台湾)を取得
  1985年4月  1986年3月 東海大学理学博士(主に台湾の地殻変動)
  1989年3月  1990年3月 東京大学客員研究員
  1999年9月        大漢技術学院の名誉教授を獲得
6 職歴 
  国民党軍補給部隊 航空測量官
  国民党軍軍官学校専任講師
  高雄師範学院兼任講師
  台湾省公路局 副技師
  台湾企業 技師コンサルタント
  大漢技術学院副教授(1979年8月)
  大漢技術学院教授(1983年2月)
  大漢技術学院兼任東部防災センター主任(1996年2月)
  大漢技術学院名誉教授(1999年9月)
  定年退職(70歳)  (2003年)


     
 
  
還我國籍  

私達の日本国籍を介してほしい。
私達は、国籍復帰の裁判を提訴する。
私は、許 華杞(きょかき)と言う昭和8年10月4日に生まれの、大日本帝国台湾の新竹州の農村で小学校6年生まで正当な日本教育を受けた、本当の日本国籍を有する日本人である。第二次大戦後、台湾の本島人は 、支那からの200万人の亡命難民による圧迫によって無国籍状態となった。全世界を見ても中華民国と言う国は存在しておらず、私達は絶対に支那人ではない。台湾に亡命した国民党が単に台湾を管理しているのに過ぎないのである。2016年9月15日、日本国法務省は「国籍事務において、台湾出身者に中国の法律を適用していない。日本国の国籍法が適用される」と発表した。国際国籍法には、以下の3つの条件がある。私は、この条件に合致している。
1)血統があること。
2)出生地であること。
3)希望があること。
2008年3月18日のワシントンD.C地区連邦地方裁判所における「RogerC.S.Lin.etal.United States of America事件」の覚書(Case1:06 -
06 –cv-1825-RMC)によれば、「台湾人は60年間政治上の煉獄に閉じ込められ、単一の承認された政府なしで生きてきた。それにより、日本国統治時代に生まれて取得した日本国籍を失い、国際難民と同様な状態になっているのである。この事実を以って日本国政府を提訴し、国籍復帰できることを強く願っている。1952年4月19日の民事甲第438号日本国法務府民事局長通達は、台湾人も朝鮮人と同様に「日本の国籍を喪失する者」として処理した。しかし、台湾は米国に占領された日本国の固有領土であり、戦時国際法にある「占領は主権を移転するべからず」の原則によって、この通達は国籍の権利を定めている世界人権宣言第15条に違反し、且つ日本国が「世界人権宣言の目的を実現するために努力」する意思を宣言しているサンフランシスコ平和条約前文にも違反しているのである。
私達は、日本国政府が歴史の事実を踏まえ、国際法に則り最善の手続きをとることにより、沖縄が米国の占領から返還されたのと同様に、現在のフォルモサ(台湾)の置かれている状況から、米国の占領下から残余主義により日本国に返還され日本国民として生活できるようになることを強く望んでいる。
 
  日米両国を第二次世界大戦に導いた真の原因         2019年3月15日

米国は、現在でも台湾を植民地として扱っている。
第二次大戦で日本国は敗戦したが、その結果東南アジア諸国は独立することができた。その後、日本国は憲法の恩恵によって、東南アジア諸国に対して近代化国化国家建設等を援助したため、各国は日本国に感謝している。以後、アフリカ諸国、全世界の植民地は次々と解放された。
第二次大戦で犠牲になった日本国は、全世界に大きく貢献した。
しかし、台湾人だけは終戦後70余年経った今でも、まだ政治上の煉獄に閉じ込められ、残念ながら建国は夢のようである。
その主な責任は、米国のルーズベルト大統領にある。日本国、台湾は裏切られたのである。当時日米両国は、ソ連コミンテルンの反日宣伝によって対立し、日本国に対する非常に悪い影響が米全土に広がっていた。
評論家江崎達(えざき みちあき)氏は、当時の米国ルーズベルト大統領側近に、アルジャー・ヒス 、ハーバート・ノーマン(自殺)等の大量のソ連スパイが活躍していたと述べている。
ハルノートの資料から分かったことは、米国ルーズベルト大統領側近に200人以上のソ連のスパイがいたことである。彼らは、日本国に対して強硬な経済制裁を行うように仕向け、米国の敵は中国やソ連ではなく日本国であり、日本国を滅ぼせばアジアの平和につながると宣伝した。その結果、米国を日本国との交戦に導き、最悪の間違った方向に向かわせたのである。
これから私達は「ウェノナ文書」によって、世界における歴史を見直する。英国人ジャーナリストが明らかにしたのは「東京裁判70年の虚妄(きょもう)である。戦争犯罪人は米国であった。
先の第二次世界大戦は米国に非があり、日本国の責任ではなかったのである。台湾人はその最大の被害者でありその状態は今もなお続いているのである。